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このページは、グレアム・グリーンの本の感想のページです。

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「第三の男」ハヤカワepi文庫(2006年3月読了)★★★★

ロロ・マーティンズは、学校に入って以来20年の付き合いのハリー・ライムに招待され、ロンドンからウィーンへ向かうことに。ロロは、バック・デクスターというペンネームで安いペーパーバックの西部物を書いている作家。本は売れても金は儲からず、国際難民協会の宣伝資金から滞在費を出すというライムの申し出に、英国民が持ち込むことを許された5ポンドだけを持ってウィーンへと飛びます。しかしロロがウィーンに到着したその日が、ハリーの葬式だったのです。数日前に自動車事故で亡くなったというハリーの入った棺に最後の別れを告げるロロ。しかし葬式の後、ロロはイギリスの警察官・キャロウェイ大佐に、ハリーが闇商人であり、殺人も商売のうちだったと聞かされることになります。キャロウェイの話にショックを受け、しかも納得できなかったロロは、自分でハリーのことを調べ始めることに。(「THE THIRD MAN」小津次郎訳)

キャロル・リ−ド監督、オーソン・ウェルズ主演の映画「第三の男」の原作。
映画「第三の男」は、あのツィターによる主題曲やオーソン・ウェルズの存在感、プラターの観覧車の情景、最後にアンナが歩み去っていく場面などが強い印象を残す傑作なのですが、残念ながら原作本にはそれほどの力は感じられませんでした。元々存在していた小説を映画化したのではなく、純粋に映画のために書かれた作品とのことなので、むしろそれで正解かもしれないと思うのですが、「ボルジア家の30年の圧制はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてルネッサンスを生んだが、スイスの500年のデモクラシーと平和は何を生んだ? 鳩時計さ。」というオーソン・ウェルズの名台詞も原作にはないとなると少々淋しいものがありました。これはオーソン・ウェルズ自身が考えた台詞なのだそうです。しかも映画と原作ではラストシーンがまるで違うのです。映画のラストシーンの方が遥かに強烈。しかし逆に、アメリカ・ソ連・フランス・イギリスという4大国によって分割されていた当時のウィーンの状態は、原作本を読んで初めて良く理解できました。それに、映画ではロロが主人公なのですが、原作ではロロが主役でありながら、キャロウェイ大佐の語りで物語が展開していくのですね。これがとても意外だったのですが、これによって映画よりもロロの存在感が増し、ただの狂言回しではなくなったように感じられました。
映画を観ている人間にとっては、キャロル・リードとの話し合いによって徐々に映画が出来上がっていった様子を書いた序文も興味深いはず。私にとって一番印象的だったのは、まず小説を書いてからでないとシナリオは書けないというグリーンの言葉。「シナリオの無味乾燥な省略的表現」という表現も的を得ていて面白いですね。


「おとなしいアメリカ人」ハヤカワepi文庫(2006年6月読了)★★★

強国がひしめく、インドシナ戦争下のサイゴン。アメリカ経済使節団で働いている青年・パイルが訪ねて来るのを待っていたイギリス人記者のファウラーは、フランス警察によってパイルの水死体が見つかったことを知らされます。ファウラーとパイルはかつてベトナム娘のフォンを争い、結局フォンがファウラーの元を去ってパイルの元へ行き決着がついたという間柄。しかし尊大で騒々しくて子供っぽいアメリカ人記者たちとは違う、おとなしくて謙虚で生真面目、理想に燃えたパイルに、ファウラーは好感を抱いていたのです。(「THE QUIET AMERICAN」田中西二郎訳)

「おとなしいアメリカ人」であるパイルはなぜ殺されたのか。そしてフォンの気持ちは。その2つの流れがインドシナ戦争下のサイゴンの街を舞台に描かれていきます。
どのような理由があろうとも、それがたとえ正義であろうとも、人を殺す免罪符とはならないはず。それは今までの戦争を見ていても分かることです。それでもアメリカは今も昔も、正義をかかげて他国を攻撃し続けています。こういう作品をグリーンが書いたのが、まだベトナム戦争すら始まっていない頃だったというのが驚きですね。この作品以降、ベトナム戦争、冷戦終結、イラン・イラク戦争やアフガン侵攻など色々な出来事がありましたが、アメリカは常にアメリカ。この作品が書かれた時代にリアルタイムで読むよりも、今読んだ方が色々と伝わってくるものがあるかもしれません。そして今尚、大統領自らが正義をふりかざすことが国民に容認されているアメリカですが、様々なことを計算しているであろう大統領よりも、実はパイルのような理想に燃えた男の方がタチが悪いのかもしれない、と感じてしまいました。もちろんアメリカにも戦争反対という人間は多くいるでしょうし、実際に戦闘に参加する時は、自分の役割だと割り切らないとやっていられないという人も多いでしょう。
しかしそういった人々とは対照的に、ヨーク・ハーディングの本に傾倒しているパイルは、自らの意思で正義を行っていると信じて行動しています。とは言え、それはおそらく彼の純粋な意思によるものではないのです。おそらくファウラーが言うように、「パイルに金とヨーク・ハーディングの東亜問題の著書とを渡して、『やれ。デモクラシーのために、アジアを手に入れろ』と言った」人間がいたのでしょう。あまりにさりげなく巧妙に行われたため、パイルは自分の意思がいつの間にか刷りかえられているのに気づいていないのでしょうね。上の人間は、そんなパイルを、ほんの少し調整するだけでいいのです。それだけで、パイルのような若者は上が望むように自ら動き、上は自らの手を汚さずに済むのですから、上にとってこれほど楽なことはありません。そんなパイルの純粋さ、無邪気さが哀しいです。そして冒頭、パイルを待っているファウラーが「パイルはひどくムキな男で(中略)よく悩まされたものだ」と回想しています。パイルが死んでいると知らされる前に、なぜこのような書き方なのかと思っていたのですが、やはりファウラーには予感があったのですね。
ただ、物語には面白く読める部分と面白くない部分が混在。私が戦争物が苦手だというのもあるのでしょうけれど、「第三の男」でも実は同様でした。グリーンの良さがあまり理解できていないようです。


「権力と栄光」ハヤカワepi文庫(2006年6月読了)★★★★

1930年代のメキシコ。共産主義革命が起こり、カトリックの教会は全て破壊され、司祭たちが踏み絵を強要されていた時代。ほとんどの司祭たちは国外に逃亡し、潜伏していた者たちは見つかりしだい銃殺に処せられていたこの時、国内に残っていたのは2人の司祭のみでした。1人は結婚することでカトリックの戒律を破ったことを周囲に示したホセ神父。そしてもう1人はカトリックへの信仰を捨てきれず、しかし殉教者となる勇気もないまま逃亡を続ける不良神父。彼は年老いた騾馬に乗りながら、警察の捜索を網を縫ってひたすら北を目指します。(「THE POWER AND THE GLORY」斎藤数衛訳)

グレアム・グリーンの代表作の1つで、遠藤周作の「沈黙」に大きな影響を与えたという作品。メキシコの共産主義革命という実際に起きた出来事を背景に書かれています。
逃亡中の神父は、逃亡する以前に既に祭日や断食日、精進日といったものに心を煩わすこともなくなっていますし、妻帯や姦淫を許されないカトリックの神父であるのに、マリアという女性との間に6歳になるブリジッタという娘がいます。そして逃亡途中に聖務日課書を失くし、携帯祭壇(オールタ・ストーン)を捨て、通りすがりの百姓と自分の服を交換。残っているのは、司祭叙任十周年のときの原稿だけ。そこまで堕ちた神父であるのに、彼の存在は依然として神父でしかありえないのです。この極限状況の中で、神父であり続けるということ、そして信仰を持ち続けるということに一体どれほどの意味があるのか、神父自身も分からなくなっていたはず。それでもきっぱりとやめるという主体性もないまま、彼は逃亡を続けています。自分の罪を告解したくとも、彼は自分の罪の結晶である娘を愛しているのです。そのため彼の最後の祈りはどうしても娘へと向けられてしまいます。その揺れ動きが、そのままこれまでの彼の行動を象徴してるのでしょうか。
「権力と栄光」という題名の「権力」とは当然国家権力のことだと思い、国家とカトリックの対比なのかと思っていたのですが、訳者あとがきによると「神の力と光」というのがただしいい意味合いなのだそう。この題名が既に定着しているとはいえ、これではかなり印象が違ってしまいますね。そしてさらに訳者あとがきでは、この神父とキリストの生涯との共通点を挙げていて、これはかなり面白いですし、説得力があると思うのですが、「そうした読み方はあまりほめたものではないし、慎むのが当然だと思われる」とあります。なぜ慎むべきなのでしょうか。グレアム・グリーンという作家を読む上では、それは正しくないことなのでしょうか。


「負けた者がみな貰う」ハヤカワepi文庫(2006年6月読了)★★★

40歳過ぎの平の会計係・バートラムは、まもなくメイダー・ヒルの聖リューク教会でケアリーと結婚式を挙げ、ボーンマスへ新婚旅行に行く予定。しかしバートラムがオフィスの入っているビルの8階の10号室に呼び出されたことから、その予定が狂い始めます。その部屋にいたのは、「御老体(ゴム)」と呼ばれている会社の株主。バートラムは、子会社のジェネラル・エンタープライズの計算がおかしい原因を調べるために呼び出されたのです。御老体はバートラムが結婚する予定だと聞き、聖リューク教会のような古典趣味な場所ではなくモンテ・カルロで結婚するべきだと言い張り、女秘書のバレンに段取りを組むように言いつけます。(「LOSER TAKES ALL」丸谷才一訳)

お金はそれほどないけれど幸せな2人が、モンテ・カルロでカジノを体験してしまったことから雲行きが怪しくなるという物語。2人の関係が怪しくなるのは、カジノで負けてお金を失ってしまったからではなく、バートラムが「システム」によって500万フランもの大金を儲けてしまったことが原因。多少お金があっても2人の生活の支障になるとは思えないですし、また困らないとも思うのですが、ケアリーは最初から「ねえ、お願いだからお金持にはならないで」と言っていましたし、「つまり、貧乏人だけしか愛せないというわけなんですね?」と言うバートラムに対し、ケアリーの言い分は、「お金持だけ好きなのよりは、ましじゃなくて?」。お金よりも人間性が大切とは言っても、ここまでデフォルメしてしまうとは可笑しいですね。あまり感情移入ができるタイプの作品ではないのですが、肩の凝らない小編ではありました。


「二十一の短篇」ハヤカワepi文庫(2006年6月読了)★★★

今まで全集や選集で出ていた「二十一の短篇」の新訳。越前敏弥、加賀山卓朗、鴻巣友季子、高橋和久、田口俊樹、永富友海、古屋美登里、三川基好、若島正といった訳者たちが、それぞれの短篇の解説をつけているところがポイントです。(「TWENTY-ONE STORIES」高橋和久他訳)

第一作の「廃物破壊者たち」は、貧乏な老人の家を破壊する少年たちの物語で、特に時代背景を感じるものではないのですが、それ以外の作品はほとんどが第二次大戦などの戦争下の影響に書かれたと思われる作品。戦争関係は基本的に苦手なのですが、ウィットがたっぷりだったり切なかったりと作風は色々。全体に長編よりも切れ味が良く、物語世界にも入りやすかったような気がします。特に気に入ったのは、予定調和ながらも微笑ましい「ばかしあい」と、これまた微笑ましいアイディアが物語となった「能なしのメイリング」。しかし本音を言えば、本文よりも訳者さんたちによる解説の方が面白く、各短篇を読んだあとに読み返すのが楽しみでした。

収録作品:「廃物破壊者たち」「特別任務」「ブルーフィルム」「説明のヒント」「ばかしあい」「働く人々」「能なしのメイリング」「弁護側の言い分」「エッジウェア通り」「アクロス・ザ・ブリッジ」「田舎へドライブ」「無垢なるもの」「地下室」「ミスター・リーヴァーのチャンス」「弟」「即位二十五年記念祭」「一日の得」「アイ・スパイ」「たしかな証拠」「第二の死」「パーティの終わり」


「ブライトン・ロック」ハヤカワepi文庫(2006年7月読了)★★★★

ブライトンに来て3時間と経たないうちに、自分が殺されようとしていることを知ったヘイル。ヘイルは新聞《メッセンジャー》の「コリー・キバー」であり、そのポケットの中には、道々こっそりと隠していくことになっているカードが一包みありました。カードを見つけた者は《メッセンジャー》から10シリングもらえ、ヘイルに面と向かって「あなたはコリー・キバー氏です。<日刊メッセンジャー>か賞を要求します」と言った者には特賞が出ることになっているのです。ヘイルに話しかけたのは、17歳ぐらいの少年・ピンキー。ピンキーはヘイルが何者か知った上で、ピンキーのことをつけまわします。自分の前任者を殺したのはこのピンキーであり、今度は自分が狙われている、ということを悟ったヘイルは、酒場で歌を歌っていたリリーことアイダ・アーノルドに助けを求めるのですが…。(「BRIGHTON ROCK」丸谷才一訳)

自分の身の安全のためだけに、ローズと結婚することを決意するピンキー。ピンキーは悪党ですが、ローズは世間知らずの田舎娘、周囲にはどう見てもローズがピンキーに騙されているとしか見えないはず。そして実際、アイダもそう考えています。世間一般的には、アイダの方が絶対的に正しいはずなのです。しかしこの作品の中で魅力的なのは、アイダよりも断然ピンキー。ピンキーの方が遥かに生き生きとして魅力があり、アイダはただのお節介焼きにしか見えません。アイダが一度会っただけのヘイルのために真実を調べようという、本来良いことであるはずの思いも、彼女自身が正しいことをするのが好きということも、まるで彼女の自己満足を満足させるためだけの行動のように見え、彼女自身が能天気で無粋でデリカシーのない女性に見えてしまうのが大きな皮肉。
しかしローズは、自分が愛するピンキーと結婚できるというだけで、有頂天になってしまうような娘ではありません。それが大きなポイント。これはローズのアイダへの思い、そして後に神父に語る言葉によってはっきり現れています。ピンキーとローズの中には実は同じものが存在しており、ピンキーでさえ、自分とローズが瓜二つだと言っているのです。この2人がカトリック信者だということが、後のグリーンの作品の方向性を予感させるようです。


「事件の核心」ハヤカワepi文庫(2006年6月読了)★★★

西アフリカの植民地で警察副署長を務めるスコービーと、その妻で美術や詩を愛するインテリ女性のルイーズは、かつて1人娘のキャサリンを亡くして以来、ぎこちない関係。その日も、警察署長が今期で引退だというのにスコービーが署長になれないことを知ったルイーズは、他のヨーロッパ人たちと折り合いが悪いこともあり、もうこの土地には我慢できないと嘆いていました。南アフリカに行けたら、と繰り返す妻に、スコービーはシリア人の商店主・ユーゼフに旅費を借りることに。そして1人暮らしとなったスコービーの前に現れたのは、事故で夫を失ったというヘレン・ロールト。スコービーとヘレンと愛し合うようになるのですが、まもなくスコービーは、ルイーズから戻ってくるという電報を受け取ることに。(「THE HEART OF THE MATTER」小田島雄志訳)

グレアム・グリーンの最高傑作と言われる作品なのだそうで、確かにこれまで読んだグリーンの作品の中では一番読みやすかったです。しかし物語としては、それほど起伏に富んだものではなく、ゆったりと展開します。物語の焦点は、おそらくスコービーの最後の行動。本国では、カトリック系新聞雑誌でスコービーは救われるのか地獄に堕ちるのか論争が盛んに行われていたという、カトリック色の濃い作品なのです。カトリックの教義から言えば、スコービーが救われることはないだろうと思うのですが、ランク神父の「では、神は女よりも恨み深いとでもお思いか?」という言葉が印象に残りました。
題名の「事件の核心」とは何のことなのだろうと思っていたら、訳者あとがきに、訳した小田島氏ですら何が正解なのか掴みかねているとあり、少しほっとしました。このあとがきには、「誤解をおかす覚悟であえて言えば、『ことの核心』を見ることは、『あわれみ』(pity)を抱くことかもしれない。」と書かれています。「失敗したもの」しか愛せないスコービーという存在を通して、読者はルイーズに、ヘレンに、ウィルソンや他の人々に、そしてスコービー自身に「あわれみ」を感じること、そして神の愛を感じることが、この物語の核心部分だったのでしょうか。


「ヒューマン・ファクター」ハヤカワepi文庫(2008年1月読了)★★★★★

モーリス・カッスルは、イギリス情報部に入って30年以上経つ62歳のベテラン情報員。現在は6課でアフリカ担当として、さほど重要とも思えない極秘電報の暗号を解読したり、逆にこちらから秘書に暗号化させた電報を送る日々。かつて南アフリカに勤務していた時に知り合った黒人女性のセイラと結婚し、その息子サムと3人で郊外での静かな生活を送っています。しかしその6課から情報漏洩があることが発覚したのです。ジョン・ハーグリーヴズ卿と医師のパーシヴァル、そして新任の保安担当のデイントリー大佐が調査に乗り出します。6Aにいるのは課長のワトスンとカッスル、そして40代で働き盛りのアーサー・デイヴィスの3人。調査の結果、ワトスンとカッスルは嫌疑を免れ、デイヴィスが二重スパイだと疑われることに。40歳になってもいまだに独身でジャガーを乗り回し、年代物のポートワインに目がなく、賭け事もするデイヴィス。調査をした丁度その日の昼食時にも、報告書を持ち出そうとしていたのです。(「THE HUMAN FACTOR」加賀山卓朗訳)

スパイ小説といえば、東西冷戦時代を舞台に、駆け引きや裏切り、恋愛や派手なアクションを交えた手に汗を握るサスペンスというイメージがあるのですが、この作品は従来のスパイ小説とはまるで違っており、驚かされました。イギリスの冬空のような雰囲気。いわゆる二重スパイの話なのですが、スパイ小説というよりも人間ドラマと呼ぶ方が余程相応しく感じられる作品なのですね。
祖国を裏切り、二重スパイになるには色々な理由があるでしょうし、その理由として真っ先に思い浮かぶのは「何か弱みを握られて脅迫された」、あるいは「経済的理由」「祖国との政治的思想の相違」辺り。しかしこの作品で二重スパイとなった理由として書かれているのは、これらの理由とは全く違いました。それはかつて受けた恩義への返礼のため。彼自身は決してコミュニストではなく、政治的理念による行為ではないですし、脅迫されたわけでもありません。命がけの大きな恩義を受けた相手にお礼を言いたいというだけなのです。その返礼が予定よりも大きくなりすぎただけ。祖国を裏切っているのは確かですし、それは許されざる行為のはずなのですが… 彼の行動を見ていると、自分がそれを否定することができない、非難することができないことに気づかされます。
情報部という場所を舞台にした人間ドラマ。最後に明かされる真相も皮肉で、読後にずっしりと重いものが残ります。実際にグレアム・グリーンが第二次大戦中にイギリス情報部の仕事をしていたということもこの作品にリアリティを与えているのでしょうけれど、それ以上にふとした拍子に垣間見えるキリスト教的な部分が作品に深みを出しているのではないかと思います。

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