
トリポリタニアからローマに戻ってきたばかりのファルコを訪ねて来たのは、まだ6歳のガイア・ラエリア。ガイアは、ローマに数ある神官職の中でも一番高い地位にあるユピテル神官職をつい最近退官したばかりのラエリウス・ヌメンティヌスの孫であり、ウェスタ神殿の巫女の候補者でもありました。厳格な神官一家に育ったガイアは、家族に殺されるとファルコに訴えに来たのです。ファルコが驚いたことに、妹・マイアの娘・クロエリアもまた、ウェスタ神殿の巫女の候補者となっていました。そしてその頃、ヘレナの弟・アエリアヌスは、ローマでも一番古い神官職・アルウァネス兄弟団の神官の候補となっていたのです。(「ONE VIRGIN TOO MANY」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ11作目。
なんとファルコは念願叶って、とうとう騎士階級へと昇進。ヘレナの母のユリア・ユスタも心なしか親しげに話しかけるようになり、ヘレナの弟のアエリアヌスもファルコを頼るようになり、だんだんと居心地の良い状態になっていきます。しかし騎士階級になるということは責任が増すということでもあり、今までのような気楽な暮らし方だけをしているわけにもいかないようです。皇帝によって家禽長官などという名誉職を与えられ、神殿の聖なる鵞鳥の番人となることに。ヘレナとも、誰にはばかることなく正式に結婚できる身分となり、ヘレナの実家の人々の登場が、以前よりも増えるかもしれませんね。
今回は神官の家を巡るごたごたの物語。ローマ神話があることからも分かる通り、ローマでは様々な神々が信仰され、それぞれの神の神殿があり、神官や巫女がいて、儀式が執り行われていたはずなんですが、それらの神殿や神官が大々的に注目されたのは今回が初めて。身体に傷があってはならない、処女でなければならない、両親が健在でなければならない、など色々条件があるようですし、巫女になってしまえば30年間もの神殿での厳格な生活が待っており、引退しても、元巫女が結婚できるケースはほとんどなさそう。それでも巫女に選ばれれば絶大な権力を持つことになり、ローマの少女たちにとってとても名誉だったことだったのですね。
そしてファルコが巫女側から宗教界に接近すると思えば、今回へレナの弟のアエリアヌスが神官団から宗教界に接近。ずっと天敵にように描かれていた密偵頭のアナクリテスが、パートナーになって意外な一面を見せてくれたように、今回も憎たらしかったはずのアエリアヌスが、可愛らしいところを見せてくれます。このように、登場人物の別の面を垣間見せてくれるのが、今回のパートナー探し3部作の魅力です。
紀元74年夏。元執政官のルティリウス・ガッリクスに誘われて、詩の朗読会を開くことになったファルコ。会場には、マエケナス庭園の講堂が選ばれ、皇帝の次男・ドミティアヌス・カエサルも臨席。ファルコ側の親族や友人も今回は出席して、朗読会は大成功に終わります。そして翌日、ファルコの元へやって来たのは、エウスケモンという男。アウレリウス・クリューシップスがオーナーの“黄金の馬”出版工房の経営者で、クリューシップスがファルコの詩を気に入ったので、ポケット版で出版しないかと言ってきたのです。しかし翌日、プブリウス坂にある出版工房でクリューシップスと会い、交渉が決裂してファルコが帰った後、クリューシップスは何者かに殺されて…。(「ODE TO A BANKER」田代泰子訳)
密偵ファルコシリーズ12作目。
ファルコの趣味が詩を書くことだというのは、ごく初期から書かれていたことなので、いつかは出版業界絡みの事件が出るだろうと思っていましたが…。殺人が起き、ファルコがペトロの第4警備隊を手伝って捜査をすることになります。“黄金の馬”出版工房の仕事はまるで儲っていないのですが、オーナーの裏の仕事は銀行業ということで、今回クローズアップされているのはギリシャ系ローマ人という存在。こういった文学や金融という分野はギリシャ人の得意とするところなのだそう。作中では出版業界について相当辛辣なことが書かれているせいか、冒頭でリンゼイ・デイヴィスが自分の作品を扱っている編集者や出版社とは全く関係ないとわざわざ明記しているほど。しかし工房での本作りの様子や、様々なパピルスの種類、実際の出版について色々書かれているのが興味深かったです。様々な作家の様子は、まるで現代の作家の姿のようでもありますが…。
今回はヘレナの家族がほとんど登場しないところが少し残念。その代わり、ファルコ側の家族は賑やかに登場します。アナクリテスが本当は何を狙っているのか…。しかしマイアに関しては、前巻辺りから感じていた方向に進み始めたようです。頭に血が上っているファルコに向かって言う、ヘレナの「マイアをあの人のほうに追い立てないで!」という言葉が印象的でした。
紀元75年の春。パートナーだったフローラが亡くなって以来、長年一緒に暮らした家に1人で住みたくないと言い出したゲミヌスは、ファルコとヘレナのヤニクルム丘の家と自分の家を交換して住むことになります。しかしヤニクルムの丘の家の浴室には、床のタイルの下に死体が埋まっていたのです。丁度その頃、ブリタニア総督として着任していた元執政官・ユリウス・フロンティヌスから、ファルコにブリタニアでの大規模な建設事業の調査の依頼が入っていました。その時は、マイアへの嫌がらせ、ソシア・ファウォニアの誕生、ファルコ一家の新しい家への引越しなどあり、丁重に断ったファルコ。しかし床下で腐敗していた死体が、浴室の内装を請け負っていたグロックスとコッタの仕業だと確信したファルコは、ブリタニアでの建設事業に2人が潜り込んでいる可能性を考えて、結局ブリタニアの件を受けることに。(「A BODY IN THE BATH HOUSE」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ13作目。
久々のブリタニア編。今回はファルコとヘレナ、2人の娘と乳母のヒスパル、ファルコの妹のマイア、ファルコの助手としてアエリアヌスとユスティヌス兄弟がブリタニアへと旅立つことになります。マイアがまさか家を荒らされるようなことになるとは思ってもいませんでしたし、まさか彼がそんなことをするとも思ってもいませんでした。どんな時代でも男女の間は色々ありますね。
大所帯でのブリタニアの旅行ですが、今回楽しいのは、ブリタニア王・トギドゥブヌスの宮殿の建設の描写。建築士や測量士、国内外の労働者をまとめる監督たち、造園師、石工、モザイク師、フレスコ画家、配管技師…。なぜローマ皇帝・ウェスパシアヌスがブリタニア王の宮殿を建設するのかと不思議になりましたが、トギドゥブヌスはウェスパシアヌスがローマの司令官だった頃からの盟友であり、王位についたばかりのトギドゥブヌスを強力に支持し、トギドゥブヌスがウェスパシアヌスを帝位につけるのに尽力し、今回ウェスパシアヌスが王宮建設の費用を出したということのようです。大ブリテン島南岸に位置するうフィッシュボーンで、1960年に古代ローマの宮殿跡が発見され、それが元になった話なのだそう。ヘレナの2人の弟はまだあまり頼れる助手という感じではありませんが、ユスティヌスはクラウディアとのこと以来、私の中ではかなり株が落ちてしまい、今となってはアエリアヌスの方が不器用な分、好感度が高くなっているのですが、2人とも貴族のお坊ちゃまらしからぬ一応頑張っています。「スタビアエから来た生意気な奴」も思いがけないお楽しみですね。
AD75年8月。ファルコ一家がまもなくローマに帰ろうとしていたある日、ブリタニアの首都・ロンディニウムの場末の酒場・金の雨の井戸の中で死んでいたのは、ガリアへ追放されたはずのウェロウォルクスでした。南海岸のアトレバテス族のトギドゥプヌス王の元側近。ガリア追放は、トギドゥプヌス王の温情だったのです。死体は井戸に頭から突っ込まれ、かつてつけていたずっしりと重いトルクはなくなっていました。殺人現場には、ヘレナの叔父でブリタニア属州財務長官であるフラウィウス・ヒラリス、そして使者がいた時に居合わせたファルコが向かいます。そして死体の身元を知っていたことから、ファルコも事件に巻き込まれることに。(「THE JUPITER MYTH」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ14作目。
前回に引き続きのブリタニア編。なぜかヘレナの2人の弟は登場せず、その代わりにペトロがロンディウムでファルコたちと一緒にいます。ペトロはマイアの4人の子供たちを連れて、はるばるローマからやって来たようなのですが… マイアとの仲の進展具合は微妙なまま、なんと三角関係に突入。そしてファルコの昔の恋人らしいクロリスという女剣闘士も登場して、平和なはずの家庭に一波乱。ヘレナとは十分愛し合っているファルコですが、なかなか落ち着いた家庭生活を送ることはできないようです。
しかし今回の本筋は殺人事件。王の元側近が殺された事件から、闇の組織の存在が明るみに出ることになります。まさかここまで悪の手が伸びてきているとは驚きました。終盤ではアレーナでの乱闘シーンもあり、マルクスもペトロも命がけで闇の組織と戦うことに。
今回面白かったのは、アミクスという拷問官でした。拷問官という存在が、いかにもこの時代らしいですね。そして飄々としたアミクスの造形が面白かったです。
AD75年秋、半年ぶりにローマに戻ってきたファルコがまず請け負ったのは、裁判の原告側のために証人の宣誓供述書を取ってくる仕事。被告はルビリウス・メテルスという元老院議員で、容疑は職権乱用。ファルコは宣誓供述書を裁判所に届け、その後まもなく被告は有罪判決を受けて財産の大部分を没収されることになります。その2週間後、メテルスは自殺。しかしその時、原告だった有名法律家・シリウス・イタリクスがファルコに会いたいと言ってきたのです。被告が自殺した場合、相続人たちは罰金の支払いを免除されることになっており、そのためシリウスは受け取るはずだった125万を受け取ることができなくなったのです。金を諦めきれないシリウスは、ファルコにメテルスの死が本当に自殺かどうか調べるよう依頼します。(「THE ACCUSERS」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ15作目。
これまでは、ファルコが何かしらの事件に巻き込まれ、そこにファルコ自身や周囲の人々の人間ドラマが絡み、ファルコの地道に聞き込みやヘレナの機転によって事件も人間ドラマも解決するパターン。様々な職業の場やそれに携わる人間が描かれてきたものの、比較的同じような雰囲気だったのですが、今回の法廷劇はそれらの作品とはまたちょっと違う雰囲気ですね。まずファルコのプライベートな部分での人間ドラマがあまりありません。今回は皆それぞれにファルコの仕事を助けるのみ。そして頭の回転はもちろん悪くないものの、どちらかといえば、足で解決するタイプのファルコが、口の達者な連中が丁々発止とやり合う法廷で堂々と弁論を繰り広げるのは意外でした。…が、やはり予想通りの苦戦をしています。証人や弁護人たちの陳述の場面も今までの普通の会話とはまた違う雰囲気で書かれているのがユニークですし、ローマ時代の法廷の様子が分かるのが面白いです。ローマの法律界が市民に広く開かれていた様子がとてもよく分かりますね。そして今回気になったのは、アエリアヌスとユスティヌスの立場がまるで逆転してしまったように思えること。始めは好青年として登場したユスティヌスは、クラウディアと財産目当ての結婚をして以来下降線を辿る一方ですし、最初は嫌味な青年だったアエリアヌスは、人気も能力も急上昇中。このまま法律の専門家への道を歩んでしまうのでしょうか。
こういうタイプの話は読むのがなかなか大変ですが、今回は新鮮に感じられましたし面白かったです。
AD76年8月。テベレ川河口の港町オスティアにやって来たファルコたち。インフォミアという名前で「日報」のゴシップ欄を担当している記者・ディオクレスがオスティアで消息を絶っており、ファルコがその行方を捜す仕事を請け負ったのです。ファルコの親友で、ローマ第四警備大隊の隊長を勤めるルキウス・ペトロニウス・ロングスもオスティア勤務を志願して、ファルコの妹のマイアとその4人の子供たち、そしてオスティアにいるペトロの幼い娘と共に裕福な建築業者の屋敷を借りて住んでいました。ファルコはディオクレスの消息を辿るうちに、記録の上では既にいなくなったとされている地中海の海賊に接触することになるのですが…。(「SCANDAL TAKES A HOLIDAY」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ16作目。
今回は、公式記録としては既にいなくなっているはずの海賊絡みの誘拐事件の物語。しかし海賊登場ということで少し期待していたのですが、事件やその謎解きに関してはそれほどの面白みは感じられませんでした。今回はむしろ、ファルコの親類縁者の人間関係がメイン。ファルコとヘレナと2人の娘はもちろんのこと、ペトロやマイアも顔を出してくれますし、今まで登場していなかった母方の親類も登場。今回、本の最初にいつもの登場人物表だけでなく、ファルコ関係の詳細な家系図が載っていたのでどういうことなのかと思ったのですが、まさにその家系図が見たくなるような物語の展開となっていたのですね。身体の一部を改変したかったという伯父さんのエピソードには驚いたのですが、この時代でもそういったことを考えて実行するする人がいたのでしょうか。その辺りを取ってみても、やはり現代的なセンスを持っている作品と言えそうです。
AD76年9月。今回マルクスに助けを求めたのは、ヘレナの母・ユリア・ユスタ。27歳になるヘレナの弟・アウスル・カミルス・アエリアヌスがアテナイで勉強したいと言い出して、家族がギリシアに向かう船に乗るアエリアヌスを見送ったのは8月のこと。手紙が届くのは何ヶ月も先のことになるだろうと思いきや、オリュンピアで「神殿巡り」の旅をするギリシア団体旅行の一行と知り合いになり、そのうちの1人が死亡した事件に巻き込まれたというのです。ユリア・ユスタの頼みは、ギリシアでアエリアヌスに代わって事件の捜査を行い、アエリアヌスを予定通りアテナイに行かせて欲しいということでした。(「SEE DELPHI AND DIE」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ17作目。
今回は、ローマ帝国の属州となっている古代ギリシャを旅する話。今回のファルコの旅に同行するのは、まずはヘレナ、そしてブリタニアで養女にした16歳のアルビア、飼い犬のヌックス、甥のガイウスとコルネリウス、そして体育場経営者の息子で17歳になるグラウクスという賑やかな一行。オリンピックの起源となったオリュンピアの地を訪れて体育場に行ったり、世界七不思議の1つであるゼウス像を見物したり、アポロンの神殿での神託が有名なデルポイや、デルポイとはまた違った方法で神託が行われるレバデイアのトロポニオスの神託所を訪れたりと、古代ギリシャの名所めぐりが楽しめるのもとても嬉しいところ。併せてギリシャ神話の様々なエピソードも紹介されます。良きローマ人としてのファルコの目を通して見たギリシャも面白いのです。政治的にはローマが上位に立っているのですが、歴史文化的にはギリシャが先駆者。この時代でも教養人はギリシャ語を話しますし、ギリシャ人の奴隷に勉学を習う貴族の子弟も多く、大学に行ったりするのならまずギリシャ留学。ギリシャの文化に憧れるローマ人も多いのですね。4年に1度のオリュンピアの競技会の開催年を変えてまで無理矢理参加してしまった皇帝ネロもその1人。この当時、本当にこういったパックツアーがあったのかどうかは知りませんが、元々古代ギリシャを背景にしていても、現代的な感覚を楽しむシリーズなので、素直に楽しむことができました。
しかし本来の目的は殺人事件の解決。今回、事前に分かっていたのは、七名所旅行社の「神殿巡り」の旅の最中に死亡した若妻のウァレリアと、3年前に白骨死体で見つかったマルケラ・カエシアなのですが、まだまだ事件が起こります。ファルコの捜査も攪乱されてしまいます。ファルコ苦戦。
最後のオチには驚きました。伏線は十分すぎるほどありましたが、まさかそうくるとは…。そして今回の物語を読んでいて、最後のシーンがフランス映画の「太陽がいっぱい」と妙に重なって感じられました。発端も展開も結末も何もかもまるで違うのですが、どこか映画的な幕引きですね。