
夏の終わりの紀元70年のローマ。29歳の密偵・ディディウス・ファルコは、2人組の男に追われて炎天下を中央広場(フォルム・ロマヌム)に走って来た娘・ソシア・カミリアと鉢合わせし、その縁で彼女を助けることになります。ソシアは元老院議員・デキムス・カミルス・ウエルスの弟・プブリウス・カミルス・メトの娘。伯父のデキムスの屋敷にいたところを怪しげな男たちに連れ出され、逃げ出したところだったのです。その原因は、おそらく広場にあるソシアの貸金庫にデキムスが預けた物。貸金庫の番号を知っているのはソシアだけのため、そこに連れて行くつもりだったのだろうとソシアは考えていました。ファルコとソシア、そしてファルコの親友で第十三地区警備隊長のペトロニウス・ロングスは早速貸金庫へ。その中に入っていたものは、鉛のインゴット。俗に銀の子豚とも呼ばれるもので、200ローマポンドほどもあるものだったのです。(「THE SILVER PIGS」田村隆一訳)
密偵ファルコシリーズ1作目。ローマを舞台に密偵ファルコが活躍するハードボイルドです。修道士カドフェルのシリーズを書いたエリス・ピーターズ、そしてP.C.ドハティと並んで、歴史ミステリー御三家と呼ばれる存在なのだそう。
銀の採掘の不正が発覚したことから、殺人事件が起こり、ファルコが命がけの冒険をしながら、恋物語もしっかり入っていて、とても盛り沢山な印象。だからといって決して忙しすぎるわけではなく、とても中身の濃い物語を楽しむことができます。少々辛らつなユーモアセンスの持ち主・ファルコの一人称も、小気味良くていいですね。悪ぶったりひねくれたことを言っていても、実は一本筋が通っていますし、戦争で命を落としていまや英雄扱いされている兄への屈折した思いを見せながらも、乏しい稼ぎを遺された兄嫁や姪に渡す優しさを見せてくれるところもいい感じ。途中から登場するヘレナも毒舌で、そのやり取りがまた楽しいところ。同じ歴史ミステリとは言っても、エリス・ピーターズとはかなり雰囲気が違いますね。舞台は確かに紀元70年のローマながらも、登場人物の造形は、むしろ現代的と言えそうです。
それと興味深く読めたのが、当時のローマの情景。スラム育ちのファルコが元老院議員やその上の仕事を請け負うことから、当時のローマの一般市民の生活から貴族の生活まで広く描かれることになり、そういった面でもとても楽しめました。当時のことに関しては、相当しっかりと調べられているようですね。様々なことが何気なく書かれていますが、その一文を書くためにも下調べが必要だろうと思わされる部分が多いです。そんなローマの町を、ファルコも他の面々も生き生きと動き回っているという印象。しかもファルコが途中、未開の地扱いされていたゲルマニアに足を伸ばし、銀鉱山に奴隷として潜り込むのです。アーサー王関連作品などでこの頃のゲルマニアを舞台にした作品はいくつか読んでいましたが、ローマからの視点の作品を読むのは初めてなので、その辺りもとても興味深かったです。
今や宮廷お抱えの密偵となったファルコが皇帝から言い付かる仕事は、死体の始末や使い走りのようなものばかり。そんな仕事の中に、謀反人として亡くなったペルティナクスの解放奴隷のバルナバスに大枚50万セステルティウスの遺産を渡すという仕事がありました。しかしバルナバスは、ローマ皇帝ウェスパシアヌスに釈明するためにローマにやって来たクルティウス・ロンギヌスをヘルクレス小神殿に閉じ込めて火を放って殺したのです。ファルコはロンギヌスの兄の元老院議員・ゴルディアヌスに皇帝からの危険を警告する書簡を渡すために、南イタリアのクロトンへと向かいます。(「SHADOWS IN BRONZE」酒井邦秀訳)
密偵ファルコシリーズ2作目。
1巻からそれほど時間が経っておらず、2巻のファルコの最初の仕事は1巻の最後で増えた死体の後始末。死後11日経った死体は酷い状態となっており、まるで皇帝のファルコの扱いの悪さを物語っているようです。今回の仕事は主に1巻での皇帝への謀反の企みの後始末。
前巻でファルコはブリタニアまで旅することになりましたが、今回は南イタリアのイオニア海沿いの町・クロトンや、ティレニア海沿いの町おネアポリスへと行くことになります。ベスビオ火山噴火の8年前というポンペイの町も登場し、前回に負けず劣らずの忙しさ。この巻もハードボイルドでありミステリでもあり、中身が詰まって盛り沢山。1巻に遜色のない面白さで、今後の展開も十分期待できます。今回、ヘレナとの不安定な仲が一番の読みどころだったような気がするのですが、ファルコの甥のラリウスや、親友ペトロとシルウィア夫妻、元老院議員の面々との場面も面白かったです。今後気になるのは、ヘレナの父親・デキムス・カミルス・ウエルス。さぞかし複雑な心境だとは思いますが、暖かく見守って欲しいですね。
紀元71年。密偵頭のアナクリテスの機嫌を損じて、ラウトゥミアエ監獄にぶちこまれるファルコ。ようやく出所したファルコを訪ねて来たのは、ホルテンシウス・ノヴスの屋敷の奴隷・ヒュアキントスでした。ノヴスは大富豪となった解放奴隷。仕事の依頼主は、同じく奴隷だったサビナ・ポリアとホルテンシア・アティリアという女性2人。彼女たちとそれぞれの夫のフェリクスとクレピ、そしてノヴスの5人は、ローマの北・ピンキアヌス丘の中腹の広大な屋敷に住んでいるのですが、ノヴスは近々セヴェリナ・ゾティカという女性と結婚しようとしていました。しかしセヴェリナには過去3回の結婚歴があり、その3回とも夫が早死にしているというのです。ファルコは調べ始めます。(「VENUS IN COPPER」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ3作目。
先日アントーニーヌス・リーベラーリスの「メタモルフォーシス」を読んだ時に、作者が解放奴隷であったことを知って驚いたのですが、この巻には解放奴隷が大きく登場します。奴隷とは言ってもローマ時代の奴隷は大抵戦争捕虜であったことから、高い教養を持つ知識人も含まれており、そういった奴隷はローマ人貴族の秘書となったり、その子弟のギリシャ古典教育のために家庭教師になるなど、重用されたのだという説明がありましたが、今回登場する奴隷もまたある程度の教養人。主人が亡くなる前から小金を貯め、主人が亡くなって解放された時に、貯めた金を元手に商売を興し、大成功したようです。
今回は前2作とは違って全編通してローマ内での展開となっており、前回よりもミステリ色が強いです。果たしてセヴェリナは白なのか黒なのか。セヴェリナが白だとしたら、黒は誰なのか。その方法と動機は。セヴェリナのファム・ファタールぶりと、それに対抗するファルコの姿が楽しかったです。セヴェリナの行動には今ひとつ納得のゆかないところもありましたが、実際的に見えるファルコが実はとてもロマンティックな人間なのだと再確認。ヘレナとの仲も一歩前進したような、していないような…。
可笑しかったのは、ファルコがアパートの部屋で皇帝の息子・ティトゥスからの幻の巨大ヒラメ(ターボット)を料理する場面。巨大ヒラメは一体どれだけ大きいのでしょう。狭い部屋で焼くわけにもいかず、最初は兄の形見の盾で煮ようとするのですが、大きさは足りるものの浅すぎて、結局レニアの大きな銅の盥を借りてくることに。この場面には招かれざる客まで登場し、どたばた劇が繰り広げられます。そしてもう1つ可笑しいのは、法務官の書記・ルシウスの再登場場面。ルシウスがいかにも切れ者だというのはいいのですが、「馬券屋のおやじみたいな粋なかっこうをしている」という文章なのです。競馬が貴族のスポーツのイギリスでは、「馬券屋のおやじ」も粋なのでしょうね。無意識なのか狙ったものなのかは分かりませんが、お国柄が出た表現が微笑ましいです。しかしこの訳し方では、日本では到底かっこよく感じられないでしょうね。
次に皇帝が自分を行かせたいと思っているのはゲルマニア… そう耳にしたファルコは、皇帝に近づくのをやめ、庶民相手の仕事探しに励むことに。しかしファルコの留守中、ティトゥス・カエサルがファルコの部屋を訪ねてきてヘレナと楽しそうに話し込んでいたのがきっかけで、ファルコとヘレナは気まずい雰囲気になってしまうのです。木曜日にティトゥス主催の宮殿での食事に両親と共に招かれているけれど、木曜日だけはファルコと一緒にいたいと言うヘレナ。しかしファルコは意地になってしまい、木曜日は当初の予定通り仕事でウェイイへと行ってしまうのです。ローマに帰って来たファルコが見たのは、ヘレナのいない家。ヘレナは荷物をまとめて出て行ってしまったのです。そして、ローマには我慢できないから外国に行くという簡潔で辛辣な伝言が。ヘレナの行方はヘレナの両親もティトゥスも知らず、ヘレナがいないローマに未練はないファルコは、皇帝のゲルマニア行きの仕事を受けることに。(「THE IRON HAND OF MARS」田代泰子訳)
密偵ファルコシリーズ4作目。
前回はローマだけで展開する物語だったのですが、今回のファルコはゲルマニアへと行くことに。ファルコの傷心旅行とでも言えそうなゲルマニアへの旅に皇帝お抱えの理髪師・クサントゥスが同道したり、ファルコがそのクサントゥスをティトゥスの放った暗殺者だと思って警戒したり、と色々あるのですが、物語が本格的に面白くなるのは、ゲルマニアに到着してから。ここでヘレナの弟でローマ執政武官のカミルス・ユスティヌスや、百人隊長のヘルウェティウスという個性的かつ魅力的な面々が登場します。そして辺境の地であるゲルマニアでの場面がとても面白いのです。いつもは個人行動のファルコが使えない新兵たちを率いて行軍することになるのですが、これが案外読ませてくれます。
前巻でファルコとヘレナとの仲もすっかり一段落したかと思いきや、以前からヘレナに目をつけている皇帝の息子・ティトゥスが2人の仲に割り込んでこようとくるというエピソードもあり、ヘレナを将来の皇妃として望んでいるらしいティトゥスの今後の出方が気になります。 そして今回、貴族の子弟らしい優雅さと冷静沈着さ、そして意外な行動力を見せてくれたユスティヌスは、今後もシリーズに登場するのでしょうか。個人的にはぜひ登場して欲しいですし、女祭司ウェレダと再会する日があれば面白いと思います。
ただ、ヘレナの気持ちははっきりと定まっていて動かない分、ファルコの勇み足と思える部分が少し目に余るような気も…。それほど簡単に後悔するのであれば、最初から気をつければよいのです。わざわざ2人の仲を波立たせる必要もないのではないでしょうか。
紀元72年3月。ファルコとヘレンの一行は、ようやくゲルマニアからローマへと戻ってきます。しかしローマを襲ったひどい雨風のために疲れきっていた彼らを待っていたのは、不法侵入者のおぞましい置き土産が散乱したアパート。屋根に穴まで開いて到底過ごせそうにない部屋を後に、一行はファルコの母親の家へと向かいます。そこにいたのは、3年前に戦死した兄・フェストゥスの戦友だったというケンソリヌス。なんとケンソリヌスは、仲間達と共にフェストゥスの事業に出資した金を取り戻しに来たというのです。ファルコはケンソリヌスに近所の居酒屋・フローラに泊まるようにと言って追い出し、翌朝、事情を聞くためにフローラへ。しかしケンソリヌスと喧嘩騒ぎになってしまいます。そしてその晩、フローラの2階の部屋で、ケンソリヌスは殺されていたのです。殺人容疑者となったファルコの元にやって来たのは、親友のペトロでした。(「POSEIDON'S GOLD」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ5作目。
今回のファルコの仕事は皇帝依頼の密偵の仕事ではなく、今は亡き兄の尻拭い。3年前に戦死した兄は、今でも英雄視されており、それがファルコの兄恋しさとコンプレックスを刺激するようですが、実際には亡くなった後、相当数の尻拭いをさせられてきたようです。英雄の知られざる過去を掘り返す物語。色々な事実が明らかになります。しかし小さな謎と小さな不審、ファルコの心の傷が集まってできたような物語でしたが、それらの1つ1つが氷解していくところは、読んでいてほっとするところ。その中で、ファルコがひたすら悪口を言いながらも、父親のゲミヌスとの信頼の絆を強めていくところがとても良かったです。ヘレナもそんなファルコを影に日向に支える役目となり、2人の愛情を再確認できます。全てが終わった後にファルコの母親が見せる態度も素敵。ただ、ウィクトリアの死は特に何の伏線でもなかったようですね。もちろん、今後の物語に何らかの影響を及ぼすのでしょうけれど…。
白銀、青銅、錆色(赤銅)、鋼鉄、黄金とタイトルに金属がついてきたのですが、この趣向も今回で終わり。どうやら第一部終了といったところのようです。
ウェスパシアヌスの統治も3年目に入った暖かな春の日。皇帝一家がファルコに対する大事な約束を反故にしたおかげで、ヘレナは激怒し、ウェスパシアヌスの仕事は金輪際受けないようにとファルコに厳命。そんな時、密偵頭のアナクリテスが持ってきた仕事は、最近ウェスパシアヌスとティトゥスによって鎮圧されたばかりのナバテアに赴いての情報収集の仕事。ナバテアは、ローマ帝国領土のユダヤとローマ帝国属州のエジプトにはさまれた、大交易ルートの交差点なのです。そして蛇使いの女興行主・タレイアからは、水圧オルガン弾きのソフローナをローマに連れ戻すように依頼されます。タレイアはソフローナを生まれた時から引き取って育てた娘同然の存在。ハビブという名のシリア人が連れ去ったらしいのです。(「LAST ACT IN PALMYRA」田代泰子訳)
密偵ファルコシリーズ6作目。
今回は全編通して旅先での物語となります。ファルコとヘレナが旅立った先は、中東の砂漠の国。しかしナバテア人の拠点・ペトラに到着した途端、2人は殺人事件の被害者を発見してしまい、お目付け役を同行したままペトラを出され、ひょんなことから被害者が旅芸人一座の台本作家だったことを知り、ファルコがその後釜になってしまうことに。…ということで、今回は殺人事件が絡み、しかもそれが1つで終わらない分、ミステリ風味が強いです。ファルコやヘレナも旅芸人一座の中で事件の聞き込みを続けます。しかし面白かったのは、ミステリ部分そのものよりも、旅芸人との旅の様子や、そこから見えてくる中東の情景。主な舞台となるのはローマ領シリアの「十の町(デカポリス)」なんですが、そのそれぞれの町の描写もとても詳しいのです。この2人、これまでもブリタニアやゲルマニアに旅をしていますが、中東への旅ともなるとそれとはまた少し状況が違いますし、そもそも国外に旅に出るということ自体が命がけのはず。元老院議員のお嬢様であるヘレナが、親が知ったら決して許しそうにない地方での不自由な旅暮らしを続けるということ自体、ファルコへの確固とした愛情が感じられるようで、嬉しくなってしまいます。
5ヶ月にもわたる中東への旅からファルコが戻って来た頃。ローマ第十三地区アウェンティヌス一帯では、ローマ帝国始まって以来最大の暗黒街のボスとみなされていたバルビヌス・ピウスが、ついにペトロニウス・ロングスに化けの皮をはがされ、「旅立ちの時」が来ようとしていました。しかしペトロやファルコが、バルビヌスが船で国外に発ったのをその目で確認したにも関わらず、翌日、中央市場に盗賊団が押し入って値の張るものばかり手際良く盗み出していったのです。その中には、ファルコの父親のゲミヌスに頼まれてシリアでヘレナが選び、ファルコが苦労して持って帰って来たガラス器も含まれていたのです。(「TIME TO DEPART」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ7作目。
今回はローマでの物語。死罪を言い渡されるほどの犯罪者がローマからの国外追放で済まされてしまうというのには驚きました。今回、ペトロがバルビヌスが出国するところを確認するのですが、基本的にはそれ以上目付け役がつくこともないのですから、ほとぼりが冷めた頃にこっそりローマに舞い戻っても分からないのですね。今回の題名「新たな旅立ちの時」とは、そのバルビヌスの「国外追放」のこと。「新たな」とあると、まるでファルコとヘレナの状況に大きな展開があったように感じてしまいますが、それはありません。ファルコとヘレナが付き合い始めて2回目のヘレナの誕生日を迎え、ファルコがヘレナの家族の前で男振りを上げる場面などはあるのですが、基本的には前の流れのままです。ヘレナの弟2人もローマに帰って来て、ますます賑やかになりそうな予感だけ。弟・ユスティヌスが活躍してくれるのではないかと期待しているのですが、目下のところ、女優に夢中になっているようで… どうなるのでしょうね。
クラウディウス・ラエタという皇帝官房の役人のゲストとして、バエティカ・オリーブ油生産者協会の饗宴に出席したファルコ。しかし選り抜き会員だけの饗宴クラブのはずのその場には、密偵頭のアナクリテスや、ヘレナの弟のカミルス・アエリアヌスもいたのです。饗宴の途中でバエティカ沿岸産の魚醤を、アンフォラという巨大な容器ごと持って帰ることに。翌朝、ファルコの家を訪ねて来たのは、クラウディウス・ラエタ。密偵頭のアナクリテスが深夜に帰宅途中、強盗に襲われて重態だというのです。しかもその晩、同じくバエティカ・オリーブ油生産者協会の饗宴に出ていたウァレンティヌスという密偵が殺されていたことが判明。どうやらヒスパニアから来た踊り子が関係しているらしいことが分かり、オリーブ油闇カルテル疑惑なども浮上。ファルコは身重のヘレナと共にヒスパニアへと向かうことに。(「A DYING LIGHT IN CORDUBA」田代泰子訳)
密偵ファルコシリーズ8作目。
ギリシャやローマでは古くからオリーブ油が様々な用途に使われてきたというのは、知識として知ってはいたのですが、こうして実際に物語で読むとまた違いますね。料理にはもちろん、入浴後の肌の保湿剤として、ランプの油として、香料や医療品の基材として用いられ、そして実も食用として好まれていたといいます。しかしだからといって、オリーブの闇カルテルが存在しようとは…。ファルコの「オリーブ油はローマにあふれてはいるが、けっして安くはない」という言葉がこの物語の中で重みを持ちます。しかも物語のオチもオリーブ油。これには前巻の出来事も伏線になっていますね。ただ、肝心のオリーブ油にまつわる汚職が今ひとつ分かりにくくて少し残念でした。
妊娠8ヶ月のヘレナが旅に出るということ自体、無謀すぎるように思えるのですが、早産や流産ということもなく、この巻の最後で、ファルコとヘレナにめでたく女児誕生となります。そしてアナクリテスはどうなったのでしょう。ファルコが心配するように、本当に「片付いて」しまうのでしょうか。
ヘレナとファルコの娘のお披露目パーティの日。ファルコとペトロはパーティを抜け出して、仕立て屋通りの噴水のところに座って話をしていました。ヒスパニアから帰国したばかりのファルコとペトロには話が溜まっており、仕立て屋通りなら家からは見えず、しかもそこの噴水は止まっているため、寄りかかるには最適なのです。ペトロが停職中だと聞いて驚くファルコ。ペトロとミルウィアが深い仲になり、そのことがシルウァナにばれて、シルウァナが司令官のルベラに直訴したというのです。そこに水道職人が噴水を直しにやって来ます。どうやら貯水槽の口が詰まっていたらしいのですが…。そこに詰まっていたのは、なんと人間の手でした。(「THREE HANDS IN THE FOUNTAIN」矢沢聖子訳)
密偵ファルコシリーズ9作目。
どうやらこの9作目から3冊は、ファルコの仕事のパートナー探し編となるようです。最初にパートナーになるのは、親友のペトロ。しかし頼りがいのある警備隊長も、密偵の仕事となると少し勝手が違うようですね。日頃同じように悪を追う仕事をしていても、そのやり方は正反対。やはり仕事と友情は別々にしておいた方が無難でしょうね。前巻のようにペトロが警備隊長のまま協力するなら、衝突しつつもなんとか上手くいくのでしょうけれど。
そんなファルコとペトロが組んでの仕事は、ローマの上水道に流れる若い女性のバラバラ死体事件。古代ローマの上水道・下水道は、相当素晴らしいものだったようですね。都市や工場地に水を供給するために多くの水道が建設され、ローマ市内では実にのべ350キロ(260マイル)もの長さを誇る水道が日々市民に大量の水を供給していたのだそう。しかもその大部分が地下に埋め込まれていたようです。水に含まれる石灰で水道管が詰まってしまわないように管の掃除も不可欠だったようで、物語の中でもそういった話が出ています。そしてここで、後に五賢帝の最初の1人・ネルウァの時代にローマの水道管理委員として水道に関する著作を残したというユリウス・フロンティヌスが登場するのがいいですね。高い地位にありながら、その地位にあぐらをかかず、自ら動き回って仕事をするフロンティヌスは、この時代とても貴重と言える有能な官僚。この事件をきっかけとして、水道に興味を持つようになったという設定のよう。なかなかいい味を出している人物だったので、これからもシリーズに登場して欲しいものです。
そしてこの巻で、ヘレナとファルコは無事に結婚。とは言っても、ファルコが騎士階級に上がったのではなく、ヘレナが平民となったというのが真相。ヘレナの持つ財産はそのままなので、単に身分だけのことなのですが。2人の娘の名前は、ユリア・ユニッラ・ラエイタナ。慣れない育児に奮闘し、時に娘の存在に癒されているヘレナとマルクスの姿も楽しいですが、彼女が大きくなってくると、おそらくまた楽しい事件が巻き起こるのでしょうね。
ウェスパシアヌスが即位の時に実施を命じた大々的な国勢調査(ケンスス)には、人口を数え上げるだけでなく、全市民の資産に重税をかけて、ローマ世界再建のために必要な4億セステルセスを作り出そうという目的がありました。そして申告額を誤魔化そうとする申告者たちを見つけ、査定のやり直しをするために皇帝が雇ったのが、ファルコとそのパートナー。皇帝の目に留まり、査察を促されたのは、剣闘技の訓練師や興業師(ラニスタ)たち。最初の査察対象となったのは、性的倒錯連続殺人犯人の処刑を担当する人喰いライオン・レオニダスを所有している興行師・カリオプス。しかし査察が始まって間もなく、レオニダスが何者かに殺されて…。(「TWO FOR THE LIONS」田代泰子訳)
密偵ファルコシリーズ10作目。ファルコのパートナー探し編第2弾でもあります。今回ファルコのパートナーとなるのは、ファルコが忌み嫌っていたはずの密偵頭・アナクリテス。アナクリテスは「オリーブの真実」で一命を取りとめて以来、ファルコの母親の敬愛の情を勝ち取っており、ファルコは自分の母親にまでアナクリテスを売り込まれる始末。ファルコはアナクリテスと組むなど真っ平。しかし前巻の結果からも分かるように、親しいからと言ってパートナーとして上手くいくというものではなく、嫌っているから上手くいかないというわけでもないようですね。少なくとも密偵のやるべきことを心得ているアナクリテスとは、表面上はともかくとして、なかなか上手くいっているようです。そしてそれと同時に、今までアナクリテスも単なる嫌味な男ではなく、少しずつ愛嬌を感じられる存在となってきたようです。やはりファルコに命を救われたのが効いたのでしょうか。それとも頭を打って、違う面が顔を出したのでしょうか。それとも作者のリンゼイ・デイヴィスが、本腰を入れて登場人物たちの人生を描き始めたのでしょうか。なかなか能力に見合う報酬を得られなくとも堂々と胸を張って仕事をし、貧しくともヘレナ幸せな家庭を築くファルコに、実は憧れる気持ちもあったようで…。意外な一面が垣間見えるのがいいですね。
そして前巻のラストで出奔した恋人たちも登場。この巻は様々な出来事が思いがけないところで繋がりを見せて1つの物語を織り出しているのですが、この巻だけで全て解決するわけではなく、次巻へ持ち越しという部分も結構多いのですね。どのような展開を見せるのかとても楽しみです。