Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、アンジェラ・カーターの本の感想のページです。

line
「魔法の玩具店」河出書房新社(2007年9月読了)★★★★

何不自由なく育ってきた15歳のメラニーが、自分が大人の女性に近づきつつあることを感じていた夏のこと、アメリカに講演旅行に出かけていた両親が亡くなります。有名な作家だった父に貯金はなく、メラニーと12歳の弟・ジョナソン、5歳の妹・ヴィクトリアは、南ロンドンで玩具店を営むという、会ったこともない叔父のフィリップ・フラワーに引き取られることに。一緒に住むのは、天才的な玩具職人だが粗野で乱暴な叔父と、その妻で結婚したその日に唖になったというマーガレット、そして彼女の2人の弟、フランシーとフィン。しかし叔父の家での生活は、豊かだった両親との暮らしとはまるで異なるもの。不潔で不便な環境の中で、学校にも行かせてもらえないまま、叔父の顔色を窺う日々が続きます。(「THE MAGIC TOYSHOP」植松みどり訳)

アンジェラ・カーターは、「完璧すぎるほど完璧な言語」を書くことで有名な人なのだそう。この作品でも、冒頭、メラニーが自分の部屋で自分の裸を鏡で見つめてときめいたり、母のウェディングドレスをこっそり取り出し、月の光を浴びながらそれを着て、夜の闇の庭に出て行く場面などはとても美しいです。しかしこれらの美しい場面があるために、両親の死後の彼らの生活の貧しさが一層強調されているのですね。しかも両親の死の知らせが届くのがこのウェディングドレス事件の翌日のため、メラニー自身、まるで神の罰のように感じてしまうほど衝撃的。叔父の家は、愛と夢と幸せで包まれていた両親の家とは正反対で、人形にしか興味のない叔父は、妻やその弟たちをまるで自分の作った人形のように支配しています。字際、生活も決して豊かではありませんし、不潔で不便。両親の家にいた頃の情景の美しさも幻想のかけらもなく、とても現実的。ちなみに「魔法の玩具店」という題名ですが、本当に魔法が存在するのではなく、それだけ叔父の玩具師としての腕が素晴らしいということ。
しかしそれほど生活が零落しても、メラニーの恋に恋するところは変わらないのですね。フィンの不潔さという現実に嫌悪感を抱きつつも、メラニーは幻想の中の王子様を求めるように、フィンにほのかな恋心を抱きます。現実と幻想の交錯。相手がフィンだというところに、あまりにお手軽な印象を持ってしまうのですが、やはりここはフィンだからこその現実感なのでしょう。最後に全てを失ってしまうところでは、メラニーの中の幻想も燃え尽きるようで、ますますその現実的な部分を大きくしているようです。


「血染めの部屋-大人のために幻想童話」ちくま文庫(2009年1月読了)★★★★★お気に入り

【血染めの部屋】…貧しい家に育ち、音楽学校でピアノを学んだ17歳の「わたし」は、フランス一の金持ちである侯爵に求婚され、結婚。寝台車で彼の城へと向かうのですが…。
【野獣の求愛】…日暮れ前には帰ると言い残して家を出た父。しかし帰宅の途中で車は故障し、父は近くにあった館へ。そこには娘が欲しがっていた白い薔薇が咲いていました。
【虎の花嫁】…トランプ賭博で負けた父は、「わたし」を野獣に譲り渡すことに。
【長靴をはいた猫】…オレンジ色の縞のある美しい猫は、美男の若い士官の従者となることに。そして何度も士官の恋の手助けをすることになります。
【妖精の王】…森の中に入って行った若い娘は、妖精の王に出会い、魅せられます。そして森の中心にある妖精の王の家で愛し合うことになるのです。
【雪の子】…真冬に妻と共に馬を進めていた伯爵は、雪のように白く、血のように赤く、烏のように黒い少女が欲しいといいます。
【愛の館の貴婦人】…古風な花嫁衣裳を身に着けた美しい吸血鬼の女王が、高台にある暗い館の冷たい鎧戸の閉まった部屋に暮らしていました。
【狼人間】…北国の冬。病気で寝ている祖母のところにお使いに行くように言われた少女は、森の中で巨大な狼に襲われるのですが、少女はナイフでその前足を切り落とします。
【狼たちの仲間】…食べるものの乏しい冬。痩せ細って餓死寸前の狼たちは、人家の炉辺へとやってきます。
【狼アリス】…狼たちに養い育てられた少女は、助け出されて尼僧院へ。ごく簡単なことを覚えた少女は、身寄りのない公爵の家に預けられることになります。「THE BLOODY CHAMBER」富士川義之訳)

「青髭」や「美女と野獣」、「長靴をはいた猫」「白雪姫」「赤ずきん」などの童話をアンジェラ・カーターが現代の物語として語りなおした幻想童話集。
どの作品もロマンティックでエロティックで、陰鬱な空気が漂っていて、甘美な毒とでもいった風情。タニス・リーの「血のごとく赤く」を思い出す雰囲気ですね。「大人のための」という言葉がぴったり。血の赤と雪の白、烏の黒という色合いが「雪の子」に出てくるのですが、どの作品も読んでいるとこの3色がとても鮮やかに浮かび上がってきます。この3色は、童話における三原色なのでしょうか。
「美女と野獣」が、「野獣の求愛」「虎の花嫁」という2つの正反対な物語になっているのも興味深いですし、アンジェラ・カーターは狼に思い入れがあるのか、狼三部作としてとても濃い作品になっているのもとても面白いです。
私にとって一番印象が強かったのは、やはり表題作の「血染めの部屋」。これは「青髭」を語りなおしたものです。青髭と結婚するのは、音楽学校(コンセルヴァトワール)に通っていた17歳の少女。ギロチンが首に当たる位置と丁度重なる血のようにルビーの首飾り、夫である侯爵のエロティックな版画のコレクション、夥しい数の白い百合が飾られている寝室、この寝室には12の鏡もあります。そして微妙に調律が狂っているベックスタイン・ピアノ… この物語全編を通して音楽が聞こえてくるのも嬉しいところです。これまでに3度結婚しているという青髭の最初の妻は、主人公の少女もオペラでイゾルデを歌っているのを見たことがあるプリマドンナ。結婚前に2人で出かけたのも「トリスタンとイゾルデ」。そして普段はドビュッシーの前奏曲やエチュードを弾いているのに、見てはいけないものを見てしまった動揺からピアノに向かった時に弾くのはバッハの平均律クラヴィーア。その音楽の使い方も、主人公の造形描写の重要な一部分となっているのですね。そして意外性のあるラスト。冒頭の母親のエピソードが伏線となって生きているのですね。


「ワイズ・チルドレン」ハヤカワepi文庫(2006年4月読了)★★★★★お気に入り

伝説のチャンス姉妹、ドーラとノーラは、認知こそされていないものの、著名な舞台俳優のサー・メルキオール・ハザードが売れる前に、今は亡き安宿のメイド・キティと出会ってできた娘。ハザード家は演劇一家であり、ドーラとノーラもまた、10代そこそこから舞台に立ち、ショービジネスの世界で生き抜いてきていました。そして今日は、ドーラとノーラの75歳の誕生日。父親のメルキオールも同じ日誕生日で、彼にとってはは100歳の誕生日。当日になって、ドーラとノーラにメルキオールからペーティへの招待状が届き、2人はホイールチェアこと、メルキオールの最初の妻・レディ・Aをパーティに連れていくことに。(「WISE CHILDREN」太田良子訳)

物語は、ドーラが自叙伝を書くために誰かに話を喋り聞かせているという形式。とにかく終始テンションが高く猥雑な雰囲気です。「この男のことはお忘れなく」「○○については適当なところで説明するつもり」「もうすぐわかります」など、ドーラの考え一つで話がどんどん飛びますし、演劇一家らしく、沢山いる登場人物たちそれぞれの愛憎関係が複雑に華やかに展開していくため、慣れないうちはドーラの語り口に振り回されるような気がするかもしれません。しかも、ドーラとノーラを始めとして、2人の父と叔父であるメルキオールとペリグリン、腹違いの妹であるサスキアとイモジェン、腹違いの弟であるトリストラムとギャレスなど、なんと双生児が5組も登場するのです。それでも一旦ペースを掴んでしまいさえすれば大丈夫。ショービジネスの世界らしい華やかさがたっぷり満載で、とても面白かったです。かなり長い作品にも関わらず、のめりこんで一気に読んでしまいました。フレッド・アステアやジンジャー・ロジャースといった実在のスターが話の中に登場するのも楽しいですし、シェイクスピア作品からの引用がたっぷりあるところも雰囲気を盛り上げています。そしてロンドンの演劇界の中心となっているハザード一家の歴史を紐解けば、それはそのままロンドン演劇界の歴史なのですね。浮き沈みの激しいショービジネスの中の様々な出来事が赤裸々に語られ、ドーラとノーラ自身のこととて例外ではありません。しかし決して良いことばかりだったとは言えないはずのドーラとノーラですが、2人のパワフルで前向きな生き方と、苦労も苦労と思わずに笑い飛ばす力強さが魅力的。今はもう75歳で舞台からもすっかり引退しているのですが、年を取ってもお洒落心は忘れず、「今でも年のわりにはちょいと悪くない脚だと思うわ」と脚を引き立てる服装を選ぶところも可愛いところ。この時代のファッションが好きな方は、それだけを追っていても楽しめるのではないでしょうか。
そしてドーラの賑やかな語り口に隠れがちですが、ドーラとノーラが最初から最後まで望んでいることは、実の父・メルキオールに2人を娘だと認めてもらい、お互いに抱きしめあうこと。父の前に出ると、いつもの毒舌ぶりから一転して、10代始めの少女に戻ったようになってしまうのもいいですね。
実在するとしか思えないほど存在感のあるドーラとノーラ。脇役の面々もそれぞれに存在感たっぷり。私が特に好きなのは、ドーラとアンクル・ペリー。グランマやレディA(ホイールチェア)も良かったです。


「夜ごとのサーカス」国書刊行会(2007年11月読了)★★★★

フェヴァーズは、「下町のヴィーナス」とも「綱渡りのヘレン」とも呼ばれる当代随一の空中ブランコ乗り。「彼女は事実(ファクト)か、それともつくり物(フィクション)か?」というキャッチフレーズで世間の評判になっていました。その晩、ロンドンでの公演を終えたフェヴァーズにインタビューにやって来たのは、アメリカ人の若い新聞記者・ジャック・ウォルサー。フェヴァーズはインタビューで自分がトロイのヘレンのように白鳥の卵から孵ったと主張し、実際その肩の後ろには途方もなく大きな羽がありました。すっかり彼女とその数奇な物語に魅了されたウォルサーは、それからもフェヴァーズの取材を続けるために、なんとそれから彼女の所属するサーカスに道化として入り、サンクトペテルブルグからシベリアへ、そして日本への巡業に同行することに。(「NIGHTS AT THE CIRCUS」加藤光也訳)

「ワイズ・チルドレン」のような、猥雑なショービジネスの世界を舞台にした作品。物語の中心となっているフェヴァーズは、天使のような羽を持ちながらも、実は相当の大女で、しかもその言葉は下町訛り。その楽屋には臭いの染み付いた下着やストッキングが散乱し、それを若い男性に見られても動じることなく、逆に相手の反応を見て楽しむ始末。しかも平気でおならをしたりするのです。シャンペンを浴びるように飲む彼女の語る生い立ちが、1部の「ロンドン」。売春宿の女性に拾われ、そこで育てられたこと。やがて肩から翼が生えてくると、売春宿では勝利の女神ニケの役割を担うようになり、その売春宿がなくなった後は、フリークスが集められた館へ。そしてサーカスに入るに至った経緯が説明されます。2部の「ペテルブルク」で語られるのは、道化としてサーカスに潜入したウォルサーが見たサーカスの内部。そして3部「シベリア」では、サーカスの一座が列車で極東に向かっています。
フェヴァーズとウォルサーの関係を中心に、あるいはフェヴァーズを中心に物語が展開するのかと思えば、そうでもないですし、一見一貫性のあるテーマの下に書かれた作品のようには見えないのですが、最後まで読んでみると、フリークスたちや様々な社会的には底辺に存在する人々が浮かび上がってくるようです。フェヴァーズのように身体的に明らかに特徴がある人間だけでなく、性的に、あるいは人格的に倒錯した人々、そんな人々の存在がグロテスクでありながらも、同時にとても幻想的で美しい情景となっているのですね。読んでいるうちに、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが虚構なのか分からなくなってきますし、まるで物語自体がどんどん正気を失っていくようですが、平気でその雰囲気に乗ってしまえるかどうかが、この物語を楽しめるかどうかの分かれ道かも。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.