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このページは、ジェイン・オースティンの本の感想のページです。

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「分別と多感」ちくま文庫(2008年3月読了)★★★★★お気に入り

ノーランド・パークと呼ばれる屋敷に住むダッシュウッド家は、サセックス州の旧家で大地主。生涯独身を通した当主は、女中頭の役割も果たしていた姉が亡くなると甥のヘンリー・ダッシュウッド夫婦とその3人の娘たちを呼び寄せて同居し、晩年の10年間を幸せに過ごします。しかし亡くなる時、ヘンリーとその家族にその財産全てを譲るのではなく、一旦はヘンリーに全てを譲るものの、ヘンリーの死後は先妻の息子であるジョン・ダッシュウッド氏とその4歳の息子・ハリーがその財産を受け継ぐように遺言していたのです。そして1年後。ヘンリーが亡くなると、早速ジョン・ダッシュウッドの妻・ファニーが何の予告もなしに子供と召使を引き連れてノーランド屋敷に乗り込み、ダッシュウッド夫人と3人の娘はたちまちのうちに居候の立場となってしまいます。(「SENSE AND SENSIBILITY」中野康司訳)

ジェイン・オースティンの初の長編作品。この作品の題名である「分別」とはダッシュウッド夫人の長女・エリナーであり、「多感」は次女・マリアンのこと。誠実で頭の良いが内気すぎてぱっとしない青年・エドワード・フェラーズに恋をするようになる理性的なエリナーと、一家がノーランド屋敷から引っ越した先で出会った情熱的で気品のある美男子・ウィロビーに恋をするようになる情熱的なマリアンの物語です。
最初エリナーとマリアン姉妹の恋はどちらも上手くいきそうに思えるのですが、彼らの周囲には恋路を邪魔しようとする人間もいれば、勝手な憶測で話を進めたり広めたりしようとする人間も多く、一筋縄ではいきません。本当に全ての登場人物が、それぞれに問題を抱えていたり目につく欠点を持っていたりと、なかなか姉妹たちのためにはならないのです。まずノーランド屋敷を受け継いだ腹違いの兄・ジョン・ダッシュウッド夫婦。兄に関していえば元は気のいい人物のようなのですが、やや自己中心的で、その妻・ファニーがその性格を強めています。ファニーにとっては、自分の弟であるエドワードとエリナーが惹かれあっていることなど、決して許せないこと。早々にダッシュウッド夫人と3人の娘たちを追い出そうとしますし、ジョンが当初考えていた金銭的援助も、ファニーのために結局うやむやになってしまいます。そして引っ越した先にいたのは、気はいいが騒々しくやや下品なサー・ジョン・ミドルトンと、上品で優雅だが他人に無関心な退屈極まりないミドルトン夫人。そのミドルトン夫人の実の母親・ジェニングズ夫人は、娘とは似ても似つかないおしゃべり好き世話好き詮索好きな、品のない女性。その他にもまだまだ問題ありの人物が多く登場して、姉妹を静かに放っておいてくれる人間はほぼ皆無。これらの登場人物の中で唯一欠点がないように見えるのがエリナーなのですが、そのエリナー自身、これらの個性的な人々の中にいるとあまりに冷めているように思えてしまいますし、マリアンが恋にのぼせて冷静さをすっかり失っているところは、正直見苦しいです。エリナーが惹かれるエドワードは本当にぱっとしない存在ですし、ウィロビーも単なるお調子者。マリアンに惹かれるブランドン大佐はせっかく落ち着いた人物のように描かれているのに、華やかな美人であるマリアンに惹かれていること自体、どうなのでしょう。オースティン自身、相当辛辣な描き方をしていますね。しかし完璧な人間など1人もおらず、それらの人々が18世紀の人間であるにも関わらず、現代と何も変わりないということを示しているのがまたとても楽しいのです。


「自負と偏見」新潮文庫(2005年4月読了)★★★★★お気に入り

ある日、ネザフィールド・パークのお邸に借り手がついたという噂をミセス・ロングから聞き込んできたミセス・ベネット。引っ越して来ることになったのは、北イングランド出身だというミスター・ビングリー。ビングリーが若く金持ちと聞いたミセス・ベネットは、早速自分の5人の娘たちの結婚相手として考え始めます。姉妹たちは、まもなくメリトンで催された舞踏会でビングリーやその親友のミスター・ダーシーに会うことに。この辺り一帯で一番美しい長女のジェーンは、早速ビングリーと親しくなります。呑気で明朗で素直な友人とは正反対の気難し屋・ミスター・ダーシーは、ジェーンほどの美貌ではないものの、賢くしっかりと自分の意見を持っている次女のエリザベスを気に入るのですが、ビングリーとダーシーの会話を耳にしてしまったエリザベスは、ダーシーのことを高慢ちきで気取り屋な、いけ好かない男と考えていて…。(「PRIDE AND PREJUDICE」中野好夫訳)

物語の主人公はエリザベス。エリザベスと彼女の姉・ジェーン、そして近所の家を借りたミスター・ビングリーとその親友・ミスター・ダーシーが中心となって物語は進んでいきます。結末は完全に予想範囲内ですし、物語の中で起きる物事も、現代の作品に慣れてしまっている身にはたいした波乱ではないのですが、一旦読み始めるとページをめくる手が止まりませんでした。1813年に発表された作品とのことですが、まるで古さを感じさせないのが凄いですね。そして「自負と偏見」という題名の通り、登場人物たちはそれぞれに自負心や偏見が強く、虚栄心の強さやその他の欠点が強調されています。しかしそれぞれに欠点がありながらも、今の時代にも十分通用するような愛すべき人物たち。娘をいい所に縁付けようということしか考えていないミセス・ベネットや、エリザベスの3人の妹に対してはかなり辛辣な視線が投げかけられていますし、そもそもミスター・ベネットが彼の妻と結婚したのは、「若さと美貌と、それにたいてい若い美人がもっているに決まっている表面(うわべ)だけの朗らかさに惹かれて」。5人姉妹の下3人の出来の悪さはまるでこの2人の行いの因果応報のようでさえあります。主人公のエリザベスですら、欠点からは逃れられません。しかしその欠点のせいか、皆それぞれにリアルなのですね。自分の周囲を見渡しても、この作品の登場人物のようなタイプが沢山見つかりそう。美人で人柄の良い長女・ジェーンが、作中唯一と言っていいほどの欠点のない女性ですが、逆に影が薄く感じられてしまうほど。
しかし「自負と偏見」という題名だけは惜しいですね。(岩波文庫やちくま文庫では「高慢と偏見」) この一見堅そうな題名のせいで手に取るのを躊躇う人もかなりいるのでは。しかし実際には、「嵐が丘」や「赤と黒」などと共にサマセット・モームの選んだ10大作品にも選ばれているという作品。ジョージ4世も愛読し、夏目漱石も大絶賛していたのだそう。ぜひ手に取って頂きたい作品です。ちなみにこの作品の名義は「オースティン」ではなく「オースチン」になっています。


「マンスフィールド・パーク」中公文庫(2008年3月読了)★★★★★

ハンティンドンのミス・マライア・ウォードは、その美貌でマンスフィールド・パークのサー・トーマス・バートラムの心を掴んで結婚、準男爵夫人となります。しかしその姉のミス・ウォードと妹のミス・フランシスは、マライアに劣らぬ美人だったにも関わらず、結婚に関してはそれほど恵まれず、ミス・ウォードはほとんど財産を持たないノリス牧師と結婚、ミス・フランシスに到っては、教育も財産も親類縁者もない海兵隊の一大尉と結婚、子供が増えるばかりの貧乏生活を送ることに。そしてミセス・プライスとなったミス・フランシスに9番目の子供が生まれる時、生活が立ち行かなくなっていたミセス・プライスは姉2人に援助を依頼、ミセス・プライスの長女でその時9歳になっていたファニーをサー・トーマスが引き取って育てることになります。(「MANSFIELD PARK」大島一彦訳)

訳者あとがきにもある通り、「自負と偏見」や「エマ」などの作品よりも生真面目な作品。生真面目というよりも地味といった方が相応しいかもしれません。それは主人公のファニーが決して出しゃばろうとしない内気で臆病な少女だから。そしてファニーの良き保護者となる従兄のエドマンドも堅実な性格だから。あまりにそつがない2人なので、2人と親しくなるクロフォード兄妹の方が、欠点だらけでも遥かに人間的に感じられる読者も多いのではないかと思いますし、ノリス伯母の徹底した意地悪ぶりの方がリアリティがあるかもしれません。そんな私が一番気に入ったのは、厳格ながらも愛情深いサー・トーマスでした。しかしあまりに周囲に注目されず、言わば格下扱いされ続けることが、ファニーの物事を公平に客観的に見る目を育てていきます。彼女が嫌いな男から求婚され、周囲の誰1人としてそれが幸せな結婚と信じて疑わないところが見せ場でしょうね。孤立しながらも、恩知らずと思われることを恐れながらも、意思を通そうとする彼女がとても健気。後々、ファニーのその意思が正しかったことが判明する場面などは、溜飲が下がります。
翻訳がやや固いこともあり、序盤はやや冗長に感じられてしまったのですが、話が流れに乗ってくると非常に面白いです。ただ、この本を読むまで知らなかったのですが、たとえばサー・トーマスの長男は「ミスター・バートラム」、長女は「ミス・バートラム」と呼ばれ、次男のエドマンドは「ミスター・エドマンド・バートラム」、次女のジュリアは「ミス・ジュリア・バートラム」と名前付きで呼ばれるのですね。その辺りを知らないと読んでいて多少混乱するので、もう少し親切な説明があっても良かったのではないかと思います。
ちなみに作中でサー・トーマスがしばらくアンティグアに行って家を留守にすることになりますが、これは中米のカリブ海、西インド諸島にあるアンティグアのこと。当時アンティグアはイギリスの植民地であり、サー・トーマスはここにプランテーション農園を所有していたようです。


「エマ」上下 ちくま文庫(2008年1月読了)★★★★★お気に入り

ハイベリー村のハートフィールド屋敷に住むもうじき21歳のエマ・ウッドハウスは父親のウッドハウス氏と2人暮らし。ハイベリー村一番の名家・ウッドハウス家に生まれたエマは、美人で頭が良くてお金持ちで、明るい性格と暖かい家庭に恵まれ、人生の悲しみや苦しみをほとんど知らずに育ってきた女性。しかし最近、住み込みの家庭教師を16年間勤め、エマとは姉妹のように親密だったミス・テイラーが立派な家柄のウェストン氏と結婚して家を出てしまい、父親ともども寂しい毎日を送っていました。そんなある日、エマは1年前にハイベリー村の牧師となったエルトン氏の縁結びをしようと思いつきます。そもそもミス・テイラーとウェストン氏の仲を取り持ったのもエマだったのです。エルトン氏は美男子で、しかも好青年。エマはその相手として、ゴダード寄宿学校に預けられている17歳のハリエット・スミスに白羽の矢を当てることに。(「EMMA」中野康司訳)

「自負と偏見」と同じように田舎の町を舞台にした物語。ジェイン・オースティンが書いた作品はいずれも田舎町を舞台にしているようで、実際に彼女が生まれ育ってよく知っていたからなのでしょうね。
主人公のエマは、美人で頭が良くて性格も良く、しかもお金持ちという恵まれた女性。自分が結婚する気がない代わりに他人の縁結びをするのが大好き。しかしそんな愛すべき女性・エマにも、実はまだ世間を十分に知らないという欠点がありました。何でも自分の思った通りに物事が進むと思っているエマですが、世の中はそれほど甘くなかったのです。ジェイン・オースティンは、そんなエマの欠点を鮮やかに浮き彫りにしていきます。(エマには身分至上主義な鼻持ちならない部分もあるのですが、これはおそらくこの時代ならではのもので、欠点とは言えないのでしょうね) 自他共に頭がいいと認めるエマも、この作品では他人の気持ちを早とちりしたり勘違いしたり、なかなかいいところがありません。ハリエットとロバート・マーティンの幸せになったはずの結婚話をわざわざつぶして、ハリエットの気持ちを牧師のエルトン氏に向けたのに、実はエルトン氏はハリエットなどまるで眼中になく、エマに求婚してしまう始末。しかもまだまだエマの勘違いは続くのです。ジェイン・オースティンの筆にあまりに容赦がないので、滑稽ながらもエマが気の毒になってしまうほどなのですが、これはエマが自分の失敗を認めて、迷惑をかけた相手にきちんと謝ることのできる素直なお嬢さんだからというのも大きいのでしょうね。最初はあまりにできすぎで逆に魅力が感じられなかったエマが、読んでいるうちにどんどん可愛らしく見えてきます。

エマの人を見る目のなさは、エルトン夫妻の描写で最高潮に達します。このエルトン夫妻の嫌らしさはすごいですね。今の時代でも身近に探せば1組や2組は本当にいそうなリアルさがあります。失敗を繰り返しながらも素直という最大な美点を持ったエマとは対照的に、エルトン夫婦はこのまま一生を過ごしてゆくのでしょう。それだけにエマの成長ぶり、そしてナイトリー氏の魅力が引き立つのですね。

「説きふせられて」岩波文庫(2008年3月読了)★★★★

サマセット州ケリンチ邸の当主で従男爵のウォールター・エリオット卿は、若い頃から辺りをはらう美男子でしたが、54歳の今でも好男子として通るほどの美貌の持ち主。そして卿にとって美貌に勝るこの世の幸せといえば、自分の社会的地位。それだけに虚栄心が人一倍強く、それだけに生活ぶりも派手で、相当な財産も彼が身分相応と考える格式を保つには足りない状態。それでもエリオット夫人が生きていた頃はどうにか節制していたのですが、亡くなって以降は終始赤字の連続。ケリンチ邸にいたままではその生活ぶりは変えられないと、とうとう卿は屋敷をクロフト提督に貸して、自分はバースに移り住むことを決意。そしてまずは、自分の美貌を一番継いでいる最愛の長女・エリザベスを伴うことに決めます。次女のアンは卿やエリザベスにとってはそれほど存在感がなく、彼女自身バースが嫌いなこともあり、まずは14歳の時に母を亡くして以来13年間母代わりの存在だったラッセル夫人の家へ、そして既にアッパークロスのチャールズ・マスグローヴに嫁いでいる妹のメアリの家へと行くことに。(「PERSUASION」富田彬訳)

この作品の主人公は、エリオット卿の次女であるアン。美しくて優しくて献身的な女性なのですが、彼女の美貌が父親ではなく母親譲りだったため、エリオット卿はアンに何の興味や関心を示さず、長女のエリザベスのみを可愛がっています。そしてそんな父親の態度を見てか、エリザベスもアンを軽視する毎日。そして妹のメアリは我侭でプライドばかりが高く、体調が悪いことを理由にしてはアンを自宅に呼び寄せています。そんな風に十分な愛情を得られないままに育ったアンですが、母の昔馴染みだったラッセル夫人だけは、3姉妹の中でアンを溺愛。しかしそのラッセル夫人も、アンのことを思うあまり、8年前のアンが19歳の時、相思相愛で婚約したフレデリック・ウェントワース大佐に十分な資産がないことを理由に、強固な反対をして、結局その婚約を破棄させてしまっているのです。
それ以来、ウェントワース大佐は海外暮らしが続いており、アンも特にめぼしい求婚者がいないまま、27歳の今も独身。しかしウェントワース大佐が数年ぶりに帰国。ケリンチ邸を借りたクロフト提督の夫人の弟であり、海軍では、アンの妹のメアリの嫁ぎ先の家の亡くなったリチャードの上司であったことから、ケリンチ邸だけでなくメアリの嫁ぎ先のマンスグローヴ家にも始終出入りすることになるのです。8年ぶりに再会したウェントワース大佐は、既に働かなくても生活していけるだけの資産を持っており、しかも非常に感じの良い好男子となっています。アンに失恋させられたことを忘れておらず、なかなか正面きって話そうとしないどころか、アンに当てつけるかのように、マンスグローヴ家の2人の娘と親しくなるのですが…。
日本では少し前までは24歳までに結婚しなかった女性は「クリスマスケーキ」などと呼ばれたものですが、イギリスではそれほど若さに拘ることはないのでしょうか。ジェイン・オースティンの時代だと、今以上に早い結婚が普通だったのではないかと思っていたのですが、それほどでもないようですね。27歳のアンも29歳のエリザベスもそれほど焦ることなく、いい求婚者の出現を待っているようです。1人の人間を愛し続けているアンとは違い、エリザベスの場合は自分の美貌と家柄に絶対的な自信があり、無理してまで結婚する必要もないと考えているようですが。
主人公であるアンが、美貌と教養を兼ね備えていながらもやや地味な女性であることから、オースティンの作品の中でも地味な方と言えそう。徹底してでしゃばらない主人公・ファニーの物語「マンスフィールドパーク」に比べても、全体を通してそれほどの波風が立たないですし、アンの気持ちが安定している分、物語そのものも安定しているようです。


「ノーサンガー・アベイ」キネマ旬報社(2009年7月読了)★★★★

17歳になっていたキャサリン・モーランドは、モーランド一家の住むウィルトシャーの村、フラートン界隈一番の財産家・アレン氏が通風の持病を治すためにバースに行く時に、アレン夫妻に誘われて一緒にバースに行くことに。ずっと田舎で暮らしてきた彼女は、目新しいバースに夢中になります。バースにある社交場の1つロウアー・ルームズでは魅力的な青年・ヘンリー・ティルニーを紹介されて好意を抱き、鉱泉室ではアレン夫人が旧友のソープ夫人に再会したことによって、ソープ夫人の長女のイザベラとすっかり親しくなるキャサリン。しかもソープ一家は、キャサリンの兄のジェイムズのことを知っており、既に親しくしていたのです。(「NORTHANGER ABBEY」中尾真理訳)

出版されたのは「分別と多感」や「自負と偏見」「エマ」より後とかなり遅くなったものの、これはジェーン・オースティンが23歳の時に書かれたという初期の作品。作中にアン・ラドクリッフの「ユードルフォの謎」という作品のことが何度も引き合いに出されていますが、訳者あとがきによれば、そういった当時流行のゴシック小説の人気の過熱ぶりを皮肉り、パロディにした形で書かれていたとのこと。21世紀の今読む分には、書かれてから出版されるまでの13年程度のずれなど何ほどのものでもないのですが、当時は、小説の流行もバースの雰囲気も時と共に移り変わり、すっかり時代遅れとなってしまったようで、わざわざその辺りのことを序文で説明しているほどです。
ゴシック小説のパロディと知ってみれば、「キャサリン・モーランドを子供時代に見かけたことのある人なら、誰も彼女がヒロインになるために生まれた人だなどとは思わなかっただろう」という書き出しからして可笑しいですし、その他にもヒロインらしからぬ部分が一々指摘され、期待されるような波乱に満ちた展開にはならなかったことがわざわざ書かれているのが愉快です。しかしそれはあくまでもお楽しみの部分。物語の中心となるのはキャサリンとジェイムズのモーランド兄妹、イザベラとジョンのソープ兄妹、ヘンリーとエリナーのティルニー兄妹。3組の兄妹たちの姿を通して当時の生活が見えてくるのが楽しいのも、世間ずれしていない可愛らしいお嬢さんであるキャサリンがソープ兄妹に振り回され、決して古びない人間関係の面白さが味わえるのも、他のオースティン作品と同様ですね。今回特に印象に残ったのは、気軽に流行語を使うソープ兄妹、それに感化されるキャサリンをからかうヘンリー、と言葉遣いの違いによって3兄妹の違いが際立っていたことでしょうか。あまり意外な展開もなく、一応波乱はあるものの取ってつけたような波乱ですし、予想通りの結末へと真っ直ぐ進んでいくので、他の作品ほどの評価は得にくいかもしれないですね。しかし十分楽しかったです。


「ジェイン・オースティンの手紙」岩波文庫(2008年3月読了)★★★★★お気に入り

「自負と偏見」や「エマ」などの作品群で、一貫して18世紀の上中流(アッパーミドルクラス)の人々を描き続けたジェイン・オースティン。そんなジェイン・オースティンが親しかった姉・キャサンドラなどに送った書簡集。(「JANE AUSTEN'S LETTERS」新井潤美訳)

この本を読むと手紙が本当に多数収録されていますし、2〜3日おきに書いていたようなので、ジェイン・オースティンは筆まめだったという印象なのですが、実はこれは実際にジェイン・オースティンが書いた手紙のごく一部にすぎないようです。姉のキャサンドラは晩年ジェインの手紙を読み返し、人の目に触れて欲しくない手紙を燃やし(姪のキャロラインの回想では「その大部分を燃やし」と表現されているのだそう)、残したものでも不適当と感じた箇所は切り取ってしまうということをしたようですから。しかしキャサンドラの晩年の頃はイギリスも既にヴィクトリア朝に入っており、ジェインが生きていた頃(ジョージ3世時代)のような自由闊達な雰囲気は既にあまりなかったのでしょうね。それでも手紙の数は膨大ですし、中流階級の人々の日々の細々とした出来事が楽しげに綴られていて、読んでいてとても楽しいものとなっています。
一読しての印象は、意外と辛辣なことを書いているということ。特に驚かされたのは、「綺麗で軽薄な蝶々?」と題された20代の手紙を集めた第1章の中の一節。「シャーボーンのホール夫人は、予定日の数週間前に死産してしまいました。何かショックを受けたからだということです。うっかり夫の姿を見てしまったのでしょう」というくだりです。ここまでのブラックユーモアは他の手紙には見当たらなかったので、キャサンドラが燃やしたり切り取ったりした手紙には、おそらくこういった類のことが書かれていたのでしょうね。作品の中では一貫して「品」にこだわり続けたジェイン・オースティンですが、作中でほとんど全部の登場人物たちの欠点をさらけ出しているように、その手紙では自分自身の欠点をさらけ出しているようですし、その辛辣な人物観察は留まるところを知らなかったようです。この本の直前に「マンスフィールド・パーク」を読んだせいか、頭の中にはファニーの印象が強く残っているのですが、実際のジェインはファニーのような、あるいは「分別と多感」の姉のエリナーのようなタイプでは決してなく、むしろ恋をした時はエリナーの妹のマリアンタイプだったよう。「エマ」の主人公・エマのような早とちりも多くあったのではないかと思いますが、一番近いのは、やはり「自負と偏見」のエリザベスでしょうか。完全無欠ではないからこそ感じられる茶目っ気がとても可愛らしいです。小説家としてデビューした30代、ジェインにとって晩年となった40代では少し落ち着いた兆しは見えるものの、それでもやはりその茶目っ気には変わりなく、生涯を通じて皆に愛されたとても可愛らしい女性だったのだろうなと想像できます。

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