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このページは、デイヴィッド・アーモンドの本の感想のページです。

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「肩胛骨は翼のなごり」創元推理文庫(2009年3月読了)★★★★

ファルコナー・ロードに引越しした翌日の日曜日、入ってはいけないと言われた壊れかけのガレージの中で彼をみつけたマイケル。両親が赤ちゃんの容態を心配してドクター・デスと共に家の中にいる隙に懐中電灯を手にガレージに忍び込むと、山と積まれた茶箱のうしろの暗い陰に、彼は塵とほこりにまみれて横たわっていたのです。最初はてっきり死んでいると思い込むマイケル。しかしそこからは「なにが望みだ?」という声が聞こえてきて…。それは「スケリグ」でした。(「SKELLIG」山田順子訳)

1998年度のウィットブレッド賞の児童書部門、イギリス図書館協会の児童文学賞であるカーネギー賞を受賞したという作品。表紙に惹かれて手を取る人も多いだろうと思うのですが、私にとってはこの表紙のためになかなか手に取ることのできなかったという本です。というのは、この表紙を見るたびに幼児虐待をイメージしてしまっていたため。実際に読み始めた時も、友達のいない孤立した不幸せな少年の物語なのではないかと少し警戒してしまったほどです。しかしこの物語の主人公のマイケルはサッカーと作文が得意な普通の少年でした。引越しはしたものの、今までの学校に通い続けることができるので、仲の良い友達もいます。しかし引越し先の家はまだまだ快適に住めるような状態には程遠く、しかも生まれたばかりの赤ちゃんは一応退院はしても、まだまだ予断を許さない状況。マイケルも両親もそんな赤ちゃんのことをとても心配しているので、それ以外のことには上の空。
元気なスポーツ少年のはずのマイケルが見せる繊細さも印象に残るのですが、マイケルが引っ越し先で仲良くなるミナとても魅力的です。ミナは学校に行かずに家で母親に様々なことを学んでいる少女。何事においてもとても独創的ですしパワフル。マイケルは彼女に様々なことを学びますし、意気消沈中でもミナに力強く引っ張られることになります。彼女のこの力強さがあったからこそ、みんな救われることになるのですね。とは言っても、やはりミナだけの力ではありません。読後に一番強く感じたのは、この3人のバランスの良さとでもいうべきもの。誰かが誰かに助けられてばかりというのではなく、お互いに助け助けられ、欠けているものを補い合って、「生きる」方向へと向かっているのを感じるのです。これで1人欠けていたら、もしくは1人がまるで違うタイプの人間だったなら、これほどのパワーは発揮されなかったかもしれません。そしてどんな結末でもあり得たのでしょうね。この作品を「甘(うま)し糧」のような物語にしているのは、3人それぞれの力が「1+1+1=3」ではなく、もっと大きな力を発揮していたからだと思います。
それにしても、スケリグは一体何者だったんでしょう。イメージとしては、トルストイの「人はなんで生きるか」に登場するミハイルなのですが… それにしては埃やアオバエの死骸にまみれた姿で登場しますし、食事の場面でも品がなくて、まるで浮浪者のよう。生肉を食べているような息の臭いもあります。しかしこの物語では、スケリグがミハイルではなかったからこそ、という気がしてならないのです。天使にせよ悪魔にせよ、他の存在にせよ、マイケルやミナのようにありのままのスケリグを受け止められるかどうかが重要だったのかもしれません。

P.40「絵を描くのは、世界をよりよく見ることなんだよ。自分が目にしているものを、細かいところまでよく見る助けになる。それ、知ってた?」

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