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このページは、小川洋子さんの本の感想のページです。

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「寡黙な死骸 みだらな弔い」中公文庫(2004年12月読了)★★★★

ある天気のいい日曜日の午後。「私」は初めての洋菓子屋へ。こぢんまりとして飾り気がなく、清潔な店内には、様々な種類の美味しそうなケーキ。「私」が欲しいのは、ショートケーキを2つ。しかし店員がいないため、「私」はしばらく待つことに。…という「洋菓子屋の午後」に始まる11の連作短編集。

少しブラックでシュールで、不思議な雰囲気の連作短編集。それぞれの短編が、何らかのキーワードで次の話へと繋がっています。キーワードは人間であったり物であったりと色々。しかしすんなりと素直に繋がっていくのではなく、少しずつ捩れながら繋がっており、まるでメビウスの輪のような状態。最終的には、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが幻想なのかが分からなくなってしまいます。雰囲気はあくまでも静謐。そして全てが繋がっても、まるで「ギブスを売る人」の「伯父さん」が作るもののように、あっという間に壊れてしまいそうな危うさがあります。そんな全ての物語にに共通しているのは「死骸」。これは11の弔いの物語なのですね。この不思議な繋がり方が、この雰囲気にとても良く合っていたように思います。もう少しドキドキさせて欲しかったような気もしますが、とても好きな雰囲気です。

収録作品:「洋菓子屋の午後」「果汁」「老婆J」「眠りの精」「白衣」「心臓の仮縫い」「拷問博物館へようこそ」「ギブスを売る人」「ベンガル虎の臨終」「トマトと満月」「毒草」


「沈黙博物館」ちくま文庫(2004年12月読了)★★★★

博物館を作るために、ある老婆に雇われた若い博物館技師は、採用され、その村に住むことになります。老婆が作りたいのは、この世のどこを探しても見つからない、それでいて絶対必要な博物館。しかし愚図は嫌いだという言葉とは裏腹に、老婆は何のための博物館を作るつもりなのか、なかなか明らかにしないのです。それでも月が満ち始めたある日、突然技師の仕事が始まります。

登場人物たちは「老婆」「少女」「家政婦」「庭師」という記号のみで語られ、本当の名前が登場することはありませんし、舞台となる場所についても、固有名詞は「沈黙博物館」という名前だけです。技師から兄への手紙には新学期が春に始まると書かれているのですが、技師は老婆の家に入る前に玄関マットで靴を念入りに拭っていますし、屋敷の地下のビリヤード・ルームや100頭以上の馬が入ることのできる石造りの立派な厩舎の存在など、到底日本とは思えない雰囲気。しかしごく平凡で静かな村のように見えながらも、どこか現実感が希薄ですね。清純な雰囲気の少女や、村の特産品だという天使の透かし彫りのある卵細工や、技師が少女と庭師と3人で野球の試合を見に行った日のことなど、和ませてくれる情景の中には、突然爆破事件や残虐な連続殺人事件といった不協和音が混ざり、はっとさせられます。その不協和音は、老婆が集めた形見の品についても同じ。それらは全て盗品であり、しかもその内容は、娼婦の使っていた避妊リングや犬の死骸といった物なのです。
数ある持ち物の中でも、その人の形見として選ばれるような品は、それだけ持ち主だった人間の人生が詰まっているのではないかと思います。主人公が老婆に連れられて形見の品が詰まった収蔵庫を訪れた時、居心地の悪さを感じていますが、それはそれぞれの物が我先にと自分の存在を主張していたからなのではないでしょうか。しかしバラバラに主張をしていた物たちが、技師と少女によってきちんと登録され、分類され、修復され、殺菌処理され、老婆によって語られるうちに、物の持っていた狂気が徐々に昇華していくような気がしました。そして残されるのは、暖かな抜け殻。
技師の兄の世界や殺人事件に関しては、どこかすっきりしないものが残りましたし、ことに殺人事件に関しては、何のために存在しなければならなかったのか分からなかったのですが、それでもどこか深い安堵感で包み込んでくれるような作品でした。


「偶然の祝福」角川文庫(2004年7月読了)★★★★★

【失踪者たちの王国】…小説を書いていると、光が届かないほど木々の生い茂った深い森のことを思い出す「私」。そしてそこから逃れるように、今まで失踪した人々のことを考えるのです。
【盗作】…「私」が初めて原稿料を貰った小説は、盗作でした。しかしそれは「私」にとって必要なことだったのです。「私」は弟を亡くし、何もかもが一気に悪い方向へと向かっていました。
【キリコさんの失敗】…母は常時2、3人のお手伝いさんを雇っており、彼女たちが結婚で辞めるたびに、新しい人が来ていました。そんな風にしてキリコさんがやって来た頃の話。
【エーデルワイス】…ある日「私」は、公園で自分の小説を読んでいる男に出会います。彼は、それは自分にとって一番大事な小説であり、自分は「私」の弟であると言い出したのです。
【涙腺水晶結石症】…飼い犬のアポロが病気になり、「私」は雨の中ベビーカーを押し、アポロを連れて獣医へと向かいます。途中で立ち往生していると、1台の車が止まって…。
【時計工場】…3年前、「私」は雑誌の旅行記の仕事で南の島へ。レンタカーを待っている時、ありとあらゆる種類のフルーツの入った籠を背負っている老人に出会います。
【蘇生】… 息子の睾丸に水が溜まり、切開手術をして数ヵ月後。今度は「私」の背中に水が溜まります。切開自体は簡単に済んだものの、数日後、「私」は声が出せなくなっていたのです。

「私」を主人公にした7つの連作短編集。この「私」が小説を書いていることもあり、読み始めは小川洋子さんに重なってしまい、まるでエッセイを読んでいるような気がしたのですが、やはりフィクションだったのですね。時も場所もばらばらな、7つの思い出のシーンが描き出されていきます。幸福と不幸の間で揺らめいているような「私」。周囲にいるのは、弟であったり、息子であったり、犬のアポロであったり。1人にしておくと勝手にずぶずぶと深みにはまっていってしまいそうな「私」を、彼らはそれぞれに掬い上げてくれているようです。最初は単なる迷惑男にすぎなかった、自称「弟」もそうです。しかしこの本の題名とは裏腹に、「必然」の積み重ねのように感じられました。
登場人物同士が共通しているという意味でも、もちろん立派な連作短編集と言えるのですが、どの物語にもどこか独特の静かな空気が漂い、むしろその空気がこれらの7編をさりげなく繋ぎ合わせているようです。物語としては、私は「キリコさんの失敗」が一番好きなのですが、一番印象に残ったのは、「失踪者たちの王国」の冒頭の、小説を書いていることを深い森に喩えているシーン。しんと静まり返った森の中の、ひやりとした空気が迫ってくるようでした。


「博士の愛した数式」新潮社(2004年5月読了)★★★★★お気に入り

「私」があけぼの家政婦紹介組合から、博士の元へ初めて派遣されたのは、1992年3月のこと。博士の顧客カードの裏には、先方からのクレームによって家政婦が交替したことを記すブルーの星印が9つもついており、それは「私」が今まで関わったうちで最高記録。しかしその理由は、「私」には全くの想像外のことでした。義姉の家の離れに1人住んでいる博士は、元々は著名な数学者。しかし1975年に交通事故に遭い、それ以来記憶が不自由となっていたのです。博士の記憶の蓄積は1975年で終わっており、それ以降の記憶は、きっちり80分しかもたない状態。80分顔を合わせないでいると、また初対面の挨拶から始めなければならないのです。初めは戸惑う「私」ですが、徐々に博士の生活に馴染んでいきます。そして博士に数学の美しさを教わり、そして博士に「√」というあだ名をつけられた息子と共に、博士との時間を過ごすことに。

瀬戸内海に面した小さな町での物語。
学生時代を通してずっと数学が好きだった私ですが、それでも博士にかかると数式がこれほど美しく感じられるとは、本当に驚きました。「友愛数」「素数」「完全数」「素因数」「双子素数」… 博士によって繰り広げられる数式はどれも本当にチャーミングでエレガント。特に「exp(iπ)+1=0」というオイラーの公式の美しさと、そこに籠められた暖かさが素晴らしいですね。
しかし記憶が80分しかもたないというのは、どんな気持ちなのでしょう。朝起きるたびに、記憶はリセットされています。それは単に新しい1日が始まるというのとはまるで違うはず。「僕の記憶は80分しかもたない」と書いた時の博士の気持ち、そしてそのメモを見て、自分の記憶に障害があることを改めて知る時の気持ち。その気持ちは博士にとって、80分たてば忘れ去られてしまうものではありますが、それでもやはり切なくなってしまいます。小さな声でメモを読み上げている博士の姿には、堪らなくなってしまいました。そして「新しい家政婦さん と、その息子10歳 √」という拙い似顔絵入りのメモの微笑ましさや暖かさもまた、切なさでいっぱい。
この80分しか記憶の残らない博士の存在は、北村薫さんの「ターン」の主人公の「くるりん」とは逆の状態なのですね。「ターン」に登場する森真希の場合は、何かを成し遂げた実績は全て消え失せてしまうものの、自分の記憶だけは確実に積み重ねていくことができます。しかし博士の場合、自分の書いたメモや走り書きによって、何日もかけて数学の問題を解いていくことはできますが、しかしそれまで積み重ねていった記憶は一切残りません。家政婦である「私」やその息子のルートに好意を抱いたとしても、新しい日が始まるごとに、また新たな好意を抱き、人間関係を築いていかないといけないのです。博士の元を去ることになった私の、博士が自分のことを二度と思い出してくれないという事実に苦しむ場面は、本当に沁み入ってきます。そして博士のルートに対する絶対的な愛情も、物語の中で大きな存在となっているタイガースや江夏のエピソードもいいですね。数学とはまた違う暖かさをかもし出していて、しかもそのエピソードが数学に帰結していく意外な繋がりもとても良かったです。
主な登場人物は博士と家政婦の「私」、そして「私」の10歳の息子のルートのみ。透明な静謐の中で、淡々とひたすら水のように流れていく物語。しかしその中には、確かな愛情が感じられますし、その流れは確実に心の中に沁み込んできますね。恋愛的な要素が全く存在せずに、人のことをこれほど大切にしているのが感じられる作品は、なかなかないのではないでしょうか。


「心と響き合う読書案内」PHP新書(2009年4月読了)★★★★★お気に入り

「未来に残したい文学遺産」を紹介していくというTOKYO FMのラジオ番組「Panasonic Melodious Library」を書籍化したもの。共通点は「文学遺産として長く読み継がれてゆく本」という一点のみで、古今東西の文学作品から様々な本が選ばれています。本を選ぶ時に最も配慮したのが季節感だったそうで、そのまま春夏秋冬の4つのブロックに分けて、全52作が紹介されていきます。

国内外を問わず様々な本が、小川洋子さんの柔らかで穏やかな語り口で紹介されていきます。本好きな読者にとっては既に読んだという本も多いでしょうし、そうでなくても題名は知っているという本が多いはず。私自身も既に読んでいる本がとても多かったのですが、それでも色々な発見がありました。
例えば「秘密の花園」や「モモ」のように、私自身が子供の頃に大好きで、比較的最近読み返している本は、小川洋子さんの感じ方がとても身近に感じられて深く共感できましたし、例えば「ラマン」「悲しみよ こんにちは」のように、ごく若い頃に読んだきりの本は、今の自分ならどう読むのだろうと新たにまた読み返したくなりました。そういうタイプの本が、今回一番多かったかもしれません。そして気になりつつも何となく読んでいなかった作品は、紹介されていくその魅力に読んでみたくてうずうずとしてきてしまうほど。
どの紹介も印象的なのですが、特に印象に残ったのは「アンネの日記」でしょうか。アンネと同世代の中学の頃に読んだ時はあまりピンと来なくて、しかし17〜18歳の頃に読んだ時にはすっかり引き込まれたという小川洋子さん。私自身、外国の女の子は日本の同世代の女の子に比べてずっと大人びていると聞いてはいたものの、これほどだったのかと驚いた覚えがあるので、この感覚、とてもよく分かります。そしてアムステルダムのアンネの隠れ家を訪ねた時のエピソードに、小川洋子さんの思い入れがしみじみと感じられました。そして、小川洋子さんご自身が母としての視点で読まれている部分も印象的でした。「窓ぎわのトットちゃん」のお母さんのはからいや、「銀の匙」の伯母さんの包み込むような暖かさ、そして「流れる星は生きている」の最後の母親の安堵などなど。
斬新で鋭い視点に感服させられるというのではなく、同じ感じ方に共感したり、また新たな一面を教えてもらえたという、もっと身近で親しみやすい読書案内。小川洋子さんご自身の立ち位置が、読者ととても近いのがいいのです。1人の作家としての視点も興味深いものですが、作家である以前に1人の読者として本を楽しんでらっしゃるからなのでしょうね。そして、時代を超えて長く残っていく文学作品というのは様々な面を持っているもの。同じ人間が読んでも、その経験値や立場の変化によって、その都度新たな発見があるもの。そういった深みがあるからこそ、その作品は時代を超えて残っていくものなのでしょうね。私も小川洋子さんのように息の長い付き合いをしていきたいものです。
ラジオでは紹介した本に因んだ楽曲を3曲ずつ放送していたのだそうで、その曲の一覧も巻末に紹介されており、これがまた多岐にわたったジャンルから選曲されており、とても楽しいです。

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