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このページは、岡崎武志さんの本の感想のページです。

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「読書の腕前」光文社新書(2007年6月読了)★★★★★お気に入り
これからもずっと楽しみとして本を読んでゆきたい、できるだけ読書の時間を多くとりたい人、色んな作家の色んな本に触れてみたいと考えている人のための本。「本は積んで、破って、歩きながら読むもの」「ベストセラーは十年後、二十年後に読んだほうがおもしろい」「年に三千冊増えていく本との闘い」「私の「ブ」攻略法」「旅もテレビも読書の栄養」「国語の教科書は文学のアンソロジー」「蔵書のなかから「蔵出し」おすすめ本」の6章。

どの章も面白いのですが、特に引き込まれるように読んだのは第一章「本は積んで、破って、歩きながら読むもの」。この章題からはまた違う内容を想像してしまいそうですが、要するに「本を読む」とはどういうことなのか、ということが書かれている章です。釣りやスキー、手芸といったことと同じように、「読書」も読めば読むほど色んなことが分かって、腕前が上がっていく、というのはとてもよく分かります。色々な本を読むことによって自分の好みも、どの分野をつきつめて読んでいきたいのかも明確に分かるようになりますし、沢山読んで読書経験値を積むことによって、それまではあまり理解できなかった本も徐々に理解できるようになります。それに本を手に取る回数の多い人ほど、書店や図書館などで本に呼ばれる回数も多いはず。岡崎武志さんご自身の文章はもちろん、様々な作家さんの本からの引用も頷けるものばかり。まるで、日頃私自身が思っていることを見事に文章にしてくれたようでした。やはり読書の基本は「楽しむ」こと。それに尽きると思います。
以下、引用。

北上次郎
「本というのは即効性がない」「非常に効き目が遅い」「本というのはもともと不便なもの」「そこに便利なものを求めてしまったら、ものの中身が変質してしまうという怖さがあるでしょう」(『だれが「本」を殺すのか 延長線PART-2』佐野眞一)

佐野眞一
「幻想かもしれないけれど、僕は本というものは、時間の流れを一瞬で止めてみせることができるメディアだと思うんです」(『だれが「本」を殺すのか 延長線』佐野眞一)

吉田健一
「文学から得られる楽しみはただそれだけで充分であって、それを他のことに使う気も起こらないという議論が成立する。これは間違いないことであって、人間に与えられた色々な楽しみのなかで文学のように精神の隅々まで行き亘って肉体はただその精神を地上に棲息させる為の道具としか思わせないものは滅多にない」(『文学の楽しみ』吉田健一)

谷川俊太郎
「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら<ためになること>を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながっていないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」 (『「ん」まであるく』谷川俊太郎)
「楽しむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの底の浅さも表れていると思う」

中島らも
「『教養』とはつまるところ『自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。それは一朝一夕にできることではない。働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な時間との孤独な闘いである」(『硬いおとうふ』中島らも)

井上ひさし
「買ってすぐに読まないでも、机の横に置いておけばいいんです。不思議なことに、ツンドクをしておくと、自然にわかってくるんです。「これ読まなくていいや」とか、「これは急いで読まなきゃいけないな」とか。二日三日経つと、「アッこれは読まなくても済むな」という感じが起きる本もあれば、いつまでも残ってて、「読め読め、読め読め」といってくる本もあるんですね(笑)」(『本の運命』井上ひさし)

高橋源一郎
「ぼくたちは本を読みながら、自由に、自分の位置を変えていく。自分にしっくりくる姿勢になるまで少しずつ体を動かしていく」(『伊藤比呂美詩集』)

岡崎武志
P.23「ひとつはっきりしているのは、私の場合、本を読むことによって、自分がいかにものを知らないかを確認できる、ということだ」
P.28「本一冊を読んで、いきなり自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも「本を読む」ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を謳う本ばかりに手を出してしまうのである。本は栄養ドリンクではない」
P.34「本を読む時間がない、と言う人は多いが、ウソだね。その気になれば、ちょっとした時間のすき間を利用して、いくらでも読めるものなのである。たとえ、それが二分、三分といった細切れ時間であっても、合計すれば一日二十、三十分にはなるはずだ。一ページ一分かかるとしたって、毎日三十ページ近くは読める。土日に少し時間を稼げば、新書程度の分量なら一週間に一冊は読了できる。要は、ほんとうに本が読みたいかどうか、なのだ。
P.52「「買った本を全部読む」ということは、言い換えれば、「ぜんぶ読む本しか買わないからであり、しかも本は一度読めばそれで用が済むと思っているからだ。おめでたいことこの上ない。まともに本とつきあって、コクのある読書生活を送ろうと思ったら、「ツン読」は避けられない。と、いうより、それしかありえないのだ。」
P.62「誰しも最初の数ページは、まだ焦点が合わないまま、あちこち振れながら読み進めていく。だから読みはじめは、できるだけゆっくり読んだほうがいい。朗読するのも一つの手だ。そして、作者の調律した音と読み手の弦が、やがてぴったりと合致する。いや、合致したという感触などないまま、いつのまにか没入してるのだ。その本を読むことの喜びがようやくこちらの手に渡る。このあと、いかにうまく演奏するか。それはあなたの腕次第だ。」
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