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このページは、大崎善生さんの本の感想のページです。

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「聖の青春」講談社(2003年7月読了)★★★★★
故村山聖。昭和44年広島に生まれ、幼くして腎ネフローゼを患い、その宿命的な疾患との闘病に苦しみながら成長し、29歳の若さで将棋界の最高峰であるA級に在籍したままの死を迎えた「怪童」。6歳の時広島市民病院のベッドの上で父親に教えられて初めて将棋をさし、小学校1年の時に将棋の本を読み始めた聖は、入院生活の中でひたすら本による知識を得て将棋の腕を磨いていきます。地元では向かうところ敵なしだった聖も、小学校5年の時の初めて上京して参戦した全国小学生将棋名人戦には惨敗。しかし6年の時に広島そごうで行われた米長邦雄、森安秀光というスター棋士による指導対局では森安秀光に一目置かせ、2度目の上京の時に西日暮里将棋センターで出会った真剣師・小池重明との対局では勝利するのです。そして、生涯の目標となる谷川浩司が史上最年少の21歳で名人となったのは、聖が中学1年生の時でした。それを知った聖は奨励会に入り、プロを目指すことを決意します。森信雄に弟子入りし、無事奨励会入りを果たした聖は、入退院を繰り返しながらプロへの道を歩み出すことに。村山聖の29年の生涯を描いたノン・フィクション。

第13回新潮学芸賞受賞作品。
この本を読んでいると、病気というハンディを持って入退院を繰り返し、常に死を隣り合わせにあったからこその命がけの真剣さの積み重ねが、この村山聖を生んだということを強く感じます。将棋に強くなることは、彼にとっては生きることと同じ。彼が弟弟子となった面々に歯がゆさを覚える場面がありますが、その気持ちが非常によく分かりますね。しかしそのひたむきさは、逆に彼の寿命を縮めることになります。そもそもこの健康状態でプロの棋士を目指すことも相当だと思いますが、中学生の時に上阪してからの森信雄現六段との暮らしも無茶であれば、中学卒業以の1人暮らしというのも本当に無茶。アパートを出たところで倒れ、見かねた三谷工業の人が車で送ってくれるというエピソードも、仰向けになったまま指一本動かすことができなくなって体力が戻るのをじっと待つという姿も痛々しいとしか言いようがないです。一見「静」に見える対局の舞台裏にそんなことがあったとは全然知りませんでした。しかし逆に、そこまでやれたというのは、彼にとってはとても大きかったのでは。
…もし病気というハンディがなかったら。それを考えずにはいられません。もっと長生きしてもっと活躍して、谷川や羽生を脅かしていたのか、それとも逆にここまでのギリギリの精神力を発揮することなく終わったのか…。元は外で遊ぶのが大好きな少年ですし、もし病気のことがなければ、きっとまた少し違う人格となっていのでしょうね。そのようなことを考えること自体、意味がないことかもしれませんが…。
聖を等身大に描いている大崎氏の暖かい眼差しをひしひしと感じますし、森信雄という師匠との二人三脚の師弟愛がとても素敵。血は繋がらない2人なのですが、本当の親子以上に親子のよう。師弟関係というにはかなり変則的なのですが、それだけにお互い深く信頼し繋がっていたというのが分かります。

P.87 「どうして、せっかく生えてくるものを切らなくてはいけないんですか。爪も髪も伸びてくるにはきっと意味があるんです。それに生きているものを切るのはかわいそうです」

「将棋の子」新潮社(2003年6月読了)★★★★★お気に入り
「私」が、いつものように将棋世界編集部に出勤すると、机の上にあったのは、成田英二四段の連絡先変更を知らせるメモ書き。11年前に奨励会を退会して北海道に戻った英二の連絡先は、北海道の「白石将棋センター気付」となっていました。それは英二が家や電話を失った、あるいは公表できない状態になったなど、何らかの危機的な状況に置かれているということ。心配になった「私」は、英二を訪ねて北海道へ行こうと思い立ちます。「私」が初めて英二に出会ったのは、小学校6年の時、初めて行った北海道将棋会館でのことでした。その時の英二は小学校5年にして三段を持ち、その道場では相手になる者がいない状態。何年かに1人の逸材と言われ、「私」にとっては、生まれて初めて見る天才の姿だったのです。しかしそれから紆余曲折を経て、結局英二は、プロ棋士になることなく奨励会を去ることになります。…日本将棋連盟に就職し、最初は将棋道場の手合い係として、そして雑誌「将棋世界」の編集部員、編集長として、激動する将棋界を間近で見続けてきた「私」こと大崎善生氏の書いたノン・フィクションです。

第23回講談社ノンフィクション賞受賞作品。成功物語ではなく、プロの棋士に憧れながらも、挫折してしまった若者たちの物語です。
プロの棋士への入り口は、日本将棋連盟の「奨励会」という組織。ここに全国から棋士志望の少年たちが集まり、ひたすらプロの座を目指してしのぎを削るのです。地元では向かうところ敵なしだった彼らも、自分がただの凡才に過ぎなかったことを思い知らされ、厳しい人数制限と年齢制限の前に淘汰されていくことになります。まず、昇段できるのは1年につき4人だけ。しかも23歳の誕生日までに初段をとり、26歳までに4段をとらなければ、プロへの道は閉ざされてしまいます。それはライバルとの戦いだけでなく、時間との戦いであり、自分との戦いでもあります。この作品の中では、その姿が何度も鮭の川登りに喩えられており、その表現が生々しく響いてきます。
羽生善治氏を始めとする一握りの天才たちの活躍の陰で、去っていくことになる何十倍何百倍もの脱落者たち。幼い頃から将棋中心の生活を送ってきた彼らが、20代半ばにしていきなり世間に放り出されるのですから、これはきついですね。将棋一筋で生きてきた彼らには、既に天才少年という肩書きもなく、学歴もなく、下手をすれば一般常識すら欠落している状態。プライドだけは高く、敗北感で身動きがとれなくなっているはず。中には、奨励会を退会して、どん底まで落ちたような生活をする者もいます。しかし彼らが将棋を通して得たものは、競争と厳しさだけではないのです。この作品の最後の一文がそれを雄弁に語っています。退会駒の存在は哀しく、しかしとても暖かいものでした。
正直言って、構成などもう少し整理できそうな気もするのですが、しかしどうしてもこれを書きたくて仕事を辞めたというだけあって、熱いです。毎日のように棋士の卵たちと接していきた大崎氏だからこそ、描けることなのでしょうね。このような位置で棋士の卵たちを見つめるというのは、時には本人以上に苦しいこともあったのではないでしょうか。しかし彼らを見つめる眼差しの暖かさがしみじみと伝わってきます。彼らの苦しさや悲しさ、痛みを深く理解しているからこその作品。特に中心に描かれている成田英二が将棋を辞める前後の、母との場面などは涙なしには読めません。色々な思いを乗り越えていく彼らの姿には、純粋な感動が待っていると思います。

「パイロットフィッシュ」角川書店(2003年8月読了)★★★★★お気に入り
午前2時にかかってきたのは、19年ぶりの由希子の電話。「僕」こと山崎隆二は戸惑いながらも、音楽のこと、部屋にいるロングコートチワワと熱帯魚のことを話し、由希子の2人の子供の話を聞くことに。そして由希子の突然の、「プリクラを今度一緒に撮らない?」という誘い。2人は日曜日のデートの約束をします。山崎が由希子と初めて出会ったのは、2人が大学1年生の時。札幌から東京に出てきたばかりで戸惑っていた山崎が、道に迷って入った喫茶店で、泣いていた由希子に思わず声をかけたのがきっかけでした。

第23回吉川英治文学新人賞受賞作品。
将棋のノン・フィクション2作の次の作品は、純粋なラブ・ストーリー。大学時代に恋人だった由希子の存在と共に、「僕」こと山崎の現在と過去が交互に描かれていきます。この山崎が勤めているのは、エロ本の編集部。登場するのも風俗嬢だったり風俗ライターだったり、友達の彼をすぐ寝取ってしまう女性だったりと、少し生々しい世界が描かれています。それなのに、なぜか全く世俗的ないやらしさを感じさせず、それどころか作中に登場する水槽の水のように、ひんやりと気持ちよい透明感を感じさせる物語なのです。静かな夜更けに似合いそうな物語。
「人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない」という言葉は、最初は「なるほど」程度にしか思わなかったのですが、山崎と由希子の会話をなぞっているうちにどんどん深くなり、そしてまた最初の山崎の高校時代からの友人の森本の記憶力に関する言葉に戻って、改めて響いてきますね。2人の別れの原因となった伊都子もまた、実際には2人の出会いのきっかけを作り上げています。人生をふと通り過ぎていくだけの人でも、誰1人として無意味な存在ではないはず。それでも、思い立ったら即行動派の由希子が、ここまでされても伊都子とは離れられないでいるというのが、思いがけない彼女の弱さを露呈しているようで、どきりとさせられてしまいました。
ちなみにパイロットフィッシュとは、水槽内に健全なバクテリアの生態系を作るために、本来飼おうとしている高級魚の前に入れる魚なのだそうです。しかし一旦その環境が出来上がってしまえば、その時にはもう要なくなり、捨てられてしまいます。環境を作るためだけの魚とは、なんとも悲しいですね。しかし人は、「一度巡りあった人と二度と別れることはできない」からこそ、常に誰かが誰かのパイロットフィッシュとして存在しているのでしょうね。渡辺がそうであったように、由希子がそうであったように、山崎がそうであるように。

前のノンフィクション2作は、いわば大崎氏が読者を自分のテリトリーに引っ張り込むタイプの作品。素晴らしい作品だと思いながらも、将棋から離れた時、一体どうなるのだろうと思っていました。しかし今回この作品を読んでみてよく分かりました。この文章は本物だったのですね。小説家になるべくしてなった方だったのですね。大崎氏が小説家になってくれて本当によかったです。とにかくこの透明感と居心地の良さは絶品です。

「アジアンタムブルー」角川書店(2003年8月読了)★★★★★
葉子がまだ生きていた頃によく2人で訪れた吉祥寺東急百貨店の屋上で、山崎隆二は見知らぬ女性に声をかけられます。女性の名前は中川宏美。初対面の2人は、誤爆したトマホークの話に始まり、少しずつ話をするようになります。中川宏美の死んでしまった夫のこと。山崎の中学の時の万引きのこと、文鳥のこと、その時読んだコラムのこと、高校時代の美術部での出来事、文人出版での仕事のこと、SMの女王・ユーカに紹介された葉子のこと、高木を交えてのヨーロッパロケのこと…。

「パイロットフィッシュ」と同じ山崎隆二が登場する物語。ここでの山崎は33歳で、時系列的には「パイロットフィッシュ」よりも早い時期の物語となっています。しかし「パイロットフィッシュ」で読んだ山崎に、このような過去があったとは驚きました。名前も職業も同じですが、同じ山崎隆二なのでしょうか?しかしなぜ彼が魚を飼うようになったかのかも、ここで明らかになります。
「人間の身体の中でいえば土踏まずのような人」と形容される葉子は、誰にも汚せない汚されないと山崎に感じさせた女性。不思議な表現ですが、感覚としてはとてもよく分かります。彼女の芯の強い、透明な視線が感じられるようです。きっとどんな場にいても、彼女の周囲だけはしんと静まり返っているのでしょうね。しかしごく普通に始まる恋ですが、その関係に突然時間の制約がつけられることに。去る者と置いていかれる者の双方が現実を受け入れ、2人で最後の瞬間を迎えようとする姿が本当に切ないです。こんな風に最期を迎えられる葉子は幸せ者ですね。しかし置いていかれる山崎は…。
中川宏美と語る場面と回想シーン。水溜りの写真や赤い月の話を始めとして、様々な場面が語られます。本来なら、そのそれぞれのモチーフにはあまり統一感がなく、少々唐突に感じられても不思議はないはず。それなのに、山崎と葉子というフィルターを通しているからでしょうか、しっくりと馴染んで鮮明に印象に残ります。とても映像的ですね。そしてこの作品に登場するSMの女王・ユーカと風俗ライターの高木、、ニースで出会うフレデリックとペンションとル・シャンピニオンのミシェル… それ以外の人々もそれぞれにとてもいい味を出していて、確かに生きているという感じがします。
「パイロットフィッシュ」の静かな夜更けの雰囲気とは対照的に、こちらの作品を読んでいると緑色の透明な光に包まれた午後のように感じられました。別離はありますが、アジアンタムとは違う、確かな再生も感じられます。本当に素敵な恋愛小説でした。

「九月の四分の一」新潮社(2003年10月読了)★★★★
【報われざるエリシオのために】…「僕」は彫刻美術館駅を出る電車の中で、武井亮一と中山頼子のことを思い出していました。3人は大学のチェス研究会での仲間で、武井と頼子は大学時代からつきあっていました。7年前も、「僕」は武井に連れられ、彫刻美術館へと向かっていたのです。
【ケンジントンに捧げる花束】…10年間「将棋ファン」の編集長を務めた「僕」は、会社を辞めることを決意。丁度その時届いたのは、イギリスの老婦人からのエアメールでした。彼女の夫は日本人で、死ぬ前の10年間の楽しみが「将棋ファン」を読むことだったと聞き、「僕」はイギリスへと旅立ちます。
【悲しくて翼もなくて】…寝台列車で17時間、札幌に着いた「僕」は、17歳の時に初めて聴いた沢木真美の歌を思い出していました。「僕」は高校の頃、札幌ではかなり人気のあるツェッペリンのコピーバンドのギタリストで、中島公園で真美が“ロックンロール”を歌っていた声に心惹かれたのです。
【九月の四分の一】…3ヶ月近くかけてヨーロッパを旅していた「僕」は、フランス人の友人・ジョエルに誘われてブリュッセルへ行き、13年前のことを思い出します。小説家を目指しながらまるで書けなかった「僕」は紆余曲折の末ブリュッセルへ行き、奈緒と出会ったのです。

4編が収められた短編集。どの物語も追憶に浸っているような作品。昔聴いていた音楽が、たまたま街でかかっているのを聞いて、その曲をよく聴いていた頃のあれこれがまざまざと蘇ってくるような作品ばかりです。主人公たちが聴いていた音楽、その頃好きだった女性、そして大切にしていた儚い夢。それらに対する感傷が、大崎さんらしい透明感のある文体で綴られていきます。年月というフィルターを通した時もそれらの追憶の中の恋は、どれも甘く切なく、ちょっぴりビター。どれだけ大切にしていても、指の間をすり抜けていってしまいます。しかしそれらは確実に主人公たちの中に何かを残しているのですね。それらの恋は、静かな大切な想いとして奥の方にしまわれていて、ゆっくりと色あせながらも、何かきっかけがあると蘇ります。そして一瞬で、心の中を切なさでいっぱいにしてしまうのです。
私がこの中で好きなのは「悲しくて翼もなくて」。真美の歌う“ロックンロール”、聴いてみたいです。

「孤独か、それに等しいもの」角川書店(2004年5月読了)★★★★★お気に入り
【八月の傾斜】…自分の顔が大嫌いな、27歳のOLの「私」。前日の早津とのデートの直後にピアスの穴を開けた「私」は、中学から高校まで一緒にいた大久保くんのことを思い出していました。
【だらだらとこの坂道を下っていこう】…24歳で由里子と結婚し、30歳の時に子供ができ、32歳までは確実に坂を登り続けているという実感のあった「僕」も、既に30代半ばとなり…。
【孤独か、それに等しいもの】…双子の妹の茜よりも3分早く生まれた藍。藍は今、ヒロシとの結婚を目前にして、茜とのことを思い出していました。
【シンパシー】…20数年前、二十歳前後だった頃、先輩に誘われて伊豆での読書系のサークルの合宿に参加した「僕」は、途中のサービスエリアで捨てられていた子犬を拾います。
【ソウルケージ】…東京の編集プロダクションに勤め、週に1度カメラマンと旅をして、その情景を書く仕事をしている「私」。しかし「私」は、1年近く前から魂の籠に捕らえられていました。

5編が収められた短編集。喪失感でいっぱいの切ない作品ばかり。そしてどの作品にも、「死」が色濃く描かれています。ストーリー自体はそれほど目新しいわけでもないはずなのに、読んでいると作品全体に淡々と流れる寂しさや切なさが沁み込んできて、気づいたらこの世界にとっぷりと浸かっていたという感覚。大崎さんならではの透明感も相変わらずです。
どれも良かったのですが、私がこの中で特に好きなのは、「八月の傾斜」。主人公である「石田祐子」という女性の素顔が、大久保くんの思い出と共に少しずつ見えてくるのですが、「大久保君」の言葉を27歳になった今でも宝物のように大切にしながら、どうしようもなく焦がれる思いがとても切なかったです。大久保くんがいなくなり、死んだも同然だった彼女の心に再び息を吹き込んでくれたのは、同じ会社の早津。早津の描写は、「エリート」「新入女子社員の間で人気」「仕事をそつなくこなす」という、本来ならあまり暖かさを連想させないものなのですが、その中にまざった「エジプト綿のワイシャツの皺」の描写が、彼の持つ生活感や安心感の象徴となっているようで、とても暖かかったです。彼の存在は、祐子の辛く苦しかった思い出も丸ごと包み込んで、いつか和らげてくれそうですね。忘れさせてくれる人間よりも、そのように丸ごと受け止めてくれる存在が、祐子には必要だったのでしょう。そして、双子の妹という片割れを失う表題作「孤独か、それに等しいもの」、母親の死がそれ以降の人生に大きな影を落とす「ソウルケージ」もとても切なく、ある意味「八月の傾斜」以上に痛い作品。どうやら私は、女性が主人公の3作が好きなようですね。どれもしみじみと良かったです。
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