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このページは、江國香織さんの本の感想のページです。

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「つめたいよるに」新潮文庫(2001年3月読了)★★★★★お気に入り
「つめたいよるに」「温かなお皿」という題名の下に、短編が合計21編収められています。

「草之丞の話」は、小さな童話大賞受賞作品。
私は基本的に短編集はあまり好きではないので、全く期待せずに読んだのですが、これが思いのほか良くて驚いてしまいました。現実的な話や非現実的な話が入り乱れ、とても不思議な雰囲気を醸し出しています。色鮮やかな情景を切り取って並べたような印象。読者が読みながら勝手に想像する余地が残されているのも、とても心地良く、読後にほんわりと幸せな気分を残してくれます。そして各物語の中に、恐らく江國さんご本人が好きな物がちりばめられているんですが、これがまた懐かしさを呼び起こしてくれるのです。まさに「大人のための童話」。21編も入っているのに、1編たりとも外れがないというのも凄いですね。短編はあまり、という人にこそ読んでもらいたいような作品集でした。

収録作品:
つめたいよるに…「デューク」「夏の少し前」「僕はジャングルに住みたい」「桃子」「草之丞の話」「鬼ばばあ」「夜の子どもたち」「いつか、ずっと昔」「スイート・ラバーズ」
温かなお皿…「朱塗りの三段重」「ラプンツェルたち」「子供たちの晩餐」「晴れた空の下で」「さくらんぼパイ」「藤島さんの来る日」「緑色のギンガムクロス」「南ヶ原団地A号棟」「ねぎを刻む」「コスモスの咲く庭」「冬の日、防衛庁にて」「とくべつな早朝」

「こうばしい日々」新潮社(2001年4月読了)★★★★
【こうばしい日々】…秋。アメリカのウィルミントンに住む11歳のダイ(大介)は、父親の転勤で2歳の時に渡米。両親共に日本人ですが、渡米以来の家族の会話は全て英語のため、完全にアメリカの少年として育っています。日本を深く愛している姉の麻由子、麻由子のボーイフレンドである典型的なアメリカの青年・デイビッド、日本びいきの青年・ウィル。そしてダイのガールフレンドはイケてる女の子のジル。さわやかな恋愛物語です。
【綿菓子】…夏、姉のかよこの結婚式の翌日。みのりは姉のかよこの以前のボーイフレンドである次郎のことばかり考えていました。かよこが3年もつきあっていた次郎と別れて、お見合いで島木と結婚してしまったのはなぜなのか、姉は本当のところは次郎のことをどう思っているのか、島木のことが本当に好きなのか、なぜ急にお見合いをする気になったのか… 聞きたいことが沢山あるのに、みのりは結局何も聞けないのです。そしてある日のこと、みのりは偶然次郎に再会します。

産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞受賞作品
「こうばしい日々」と「綿菓子」という2つの作品は、まるで双子のように良く似た、しかし対照的な物語。「こうばしい日々」の主人公は、アメリカで育ちでチョコレートブラウニーの良く合う、子供っぽいダイ。「綿菓子」の主人公は、日本で生まれ育ち、綿菓子のようにしっとりしたみのり。2人とも小学生で、どちらにも年の離れた姉がおり、それぞれに姉の恋愛を批判的に見ながら、自分たちも恋をしていきます。
この2つの作品だと、私はみのりに感情移入してしまう分、「綿菓子」が好きです。やはり私も日本人だったといったところでしょうか。ダイはすでに立派にアメリカ人なので、少し遠い存在のように感じます。しかしダイは中身こそ純粋なアメリカ人のようですが、外見は完全に日本人。大人になった時、日本人の外見を持つ自分をどう思うのでしょう。国籍がアメリカだからと、すんなりと割り切れてしまうものなのか、自分の中にひっそりと隠れている日本人としてのアイデンティティとどうつきあっていくのか、とても興味があります。そういう続編があったら、ぜひ読んでみたいものです。
それに比べ、みのりはとても日本人らしい女の子。みのりを子供扱いした祖母の言葉を聞いて「ピントがはずれている」と思っているのですが、「はげしい恋に生きよう」「女って哀しいね」という発言をするみのり自身も、十分ピントがはずれているのが可愛いところですね。やはりそういう年頃なのでしょう。みのりを見ていると、自分の小学生の頃のことを思い出して、少し懐かしくなってしまいます。
物語はみのりの視線から語られるので、みのりが分からないことに関しては、読者は想像するしかないのですが、島木と次郎が仲良くやっているのは、おそらく絹子さんとみのりの祖母と同じことなのでしょうね。そして次郎にとっては、みのりは姉であるかよこの身代わりにすぎないのでしょう。そしてみのりは夢から覚めた時に、「女って哀しいね」という言葉を噛みしめてしまうことになるのでしょうか。

「きらきらひかる」新潮社(2001年3月読了)★★★★★お気に入り
アル中で情緒不安定の笑子と、同性愛者で、紺という恋人がいる睦月。2人はそんなお互いの事情を全て納得した上で結婚しています。2人はいわゆるセックスレスなのですが、しかし2人ともお互いをとても大切にしており、このまま状況が変わって欲しくないと願っているのです。しかし夫婦のプライバシーにも容赦ない周りの声が、そんな2人の関係にどんどん踏み込んで壊していってしまいます。

紫式部文学賞受賞作品。
とても純度の高いラブストーリー。この2人は、お互いをとても大切に思い、普通の恋愛感情とはまた次元の違う愛情を持って接しています。相手を思うが故に相手を傷つけてしまったり、傷つけてしまったことを自覚して、さらに自分が傷ついたり。それでも2人とも自分に正直で、しかも勇気があります。笑子と紺の関係もとても良い感じ。何があってもこの3人の関係だけは守り抜くぞという笑子の想いもとても素直に伝わってきます。
しかし睦月の母も、笑子の親友・瑞穂も、笑子のかかり付けの精神科医も、皆揃って笑子に子供を作ることをすすめるのです。「女の幸せ」だの「子供でもできたら落ちつく」だの、それはそれぞれに勝手な言い分。人それぞれに、それぞれの幸せの形があるのだということを分かっていない人たち。そんな人間がこの世の中には多すぎます。笑子と睦月のような夫婦の形態は、常識的な人から見たら変としか言いようがないのかもしれませんが、私はこういう夫婦も素敵だと思います。子供がいた方が良いかどうかなどは、それぞれの夫婦が決めること。幸せとは人に基準を決めてもらうものではなく、自分でなるものなのですから。

「モンテロッソのピンクの壁」集英社文庫(2004年7月読了)★★★★
港のそばの西洋館に年とったご婦人と一緒に暮らしていた、うす茶色の猫のハスカップは、眠るたびにそれはそれは綺麗なピンク色の壁の夢をみて、そこに行かなくてはいけないと感じていました。そして壁がモンテロッソにあるのだと分かった時、ハスカップは年とったご婦人に別れを告げ、旅立つのです。

荒井良二さんのカラフルで楽しいイラストがふんだんに入った絵本。ハスカップは、「行かなくちゃ」と思い立った途端、年とったご婦人を置いていってしまうような猫なのですが、それでも「行かなくちゃ」という言葉の響きはとても楽しげで前向きで、読んでいるこちらまで楽しくなってしまいます。ようやく見つけたピンクの壁のピンク色がとても綺麗ですね。ハスカップの「白ワインで蒸した鮭みたいな壁」という表現がとても可愛らしかったです。

「都の子」集英社文庫(2001年5月読了)★★★★
雑誌に連載していたエッセイを1冊にまとめたもの。36編の文章の1つ1つがとても短く、江國さんの大切に思う物や好きな物がぎっしりと詰め込まれています。1つめのエッセイが丁度飴玉の話なのですが、まるで壜の中に詰まった色とりどりの飴玉をなめているような気持ちにさせてくれるエッセイ集。次から次へと子供の頃の懐かしい思いを蘇らせ、今まで感じたことのなかった物事の新しい一面を教えてくれます。いくつになっても感受性だけはなくしたくないものだと、しみじみと感じます。

「ホリーガーデン」新潮文庫(2004年7月読了)★★★★★お気に入り
眼鏡屋の店員をしている野島果歩と、高校の美術教師をしている甲田静枝は、小学校に入った時からの20数年来の友人。のんびりとした楽天家だった果歩は、5年間つきあった津久井唯幸という男に最低の失恋して以来、心を閉ざし、何度も仕事を変え、しょっちゅう引越しをしながら、色んな男とふらふらと付き合っている状態。同じ職場の同僚で、果歩を一途に慕う中野さとるの気持ちに気付きながらも、部屋で夕食を一緒に食べるはずの女友達が突然キャンセルしてきた時の穴埋め役扱いし、しかも12時をまわったら部屋から追い出すというご丁寧ぶりです。そして果歩の親友である静枝は、倉敷に住む芹沢という男と不倫をしており、両親には1年ほど前に独身宣言をしています。そんな2人の間で、中野の存在が次第に大きくなっていくのですが…。

20数年来の親友である果歩と静枝の淡々とした日々。お互いのことを大切に思っているのに、相手のことが分かりすぎてしまうせいか、そっけない言葉をぶつけ合ったり、お互いを牽制し合ったりの2人。聞きたいことがあっても、一番の核心にはなかなか触れられません。そんな微妙な関係になってしまった2人ですが、間に中野が入ることによって、2人の関係もゆっくりと変化を見せ始めます。考えすぎてがんじがらめになっていた2人を、中野のストレートさが和らげてくれているようですね。序盤ではただのお調子者に見えていた彼が終盤、とてもいい味を出していました。
静枝は常に前向きで、果歩は後ろ向きののまま時間を止めてしまっており、一見正反対のようにも見える2人。しかし実はそれほど離れていないのかもしれませんね。そもそも静枝の「前向き」は、本当に前向きなのでしょうか。この作品の中で一番印象に残ったのが、果歩の「お客はどうでもいい人たちだから、お客にならうんとやさしくできるのだ」という言葉でした。これは、私にも実感としてとても良く分かるもの。そして静枝もまた、自分は全くやさしくないと自覚しています。どうでもいい存在を相手にした時ほど、無条件で無制限の優しさを発揮できるというのは、1つの真理だと思うのです。それを考えると、この2人が一番大切にしているのは、やはりお互いのことなのかもしれませんね。
あとがきで江國さんが「余分なものが好き」「余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうものばかりでできている小説が書きたかったと書いているように、作中には本筋とは関係のない、しかしとても魅力的なエピソードが沢山詰まっています。まず、果歩が口ずさむ尾形亀之助さんの詩が印象的ですし、果歩の姪の今日子の眼鏡にまつわるエピソードもとても可愛いもの。カフェオレボールや紅茶茶碗、ピクニックやお弁当など、印象的なモチーフも沢山。それらの個々のエピソードの魅力から言えば、「余分」という言葉はあまりそぐわないようにも思いますが、しかし仰ってることはとてもよく分かります。

P.305「いったん所有したものは失う危険があるけれど(中略)、所有していないものを失うはずがないではないか。」

「なつのひかり」集英社文庫(2001年5月読了)★★
ファミリーレストランのウエイトレスと、「順子さん」のバーでの歌の仕事をしている、来週で21歳になる栞が最も大切にしているのは、3歳違いの「双子としか思えない」兄の幸裕。その兄には、美しい妻・遥子と幼い娘・陶子がおり、順子さんという50代の愛人もいます。しかしある日のこと、遥子が「きっとそれをみつけてきます」という手紙を残して、家を出てしまいます。栞がバイトを終えて家に戻ってくると、家で栞を出迎えたのは兄の新しい妻・めぐみ。そして兄の名前はいつの間にやら幸裕ではなく、裕幸となっていたのです。

これはファンタジーなのでしょうか。本の裏表紙のあらすじの部分には「シュールな切なさと、失われた幸福感に満ちた秀作」とあるのですが、正直、私には良く分からない作品でした。これを理解できないというのは私の感性が足りないのか、それとも…。設定も話の流れも全てが不思議。これが例えば夢の話だったというのなら、少しは理解できますし、雰囲気を楽しむこともできたかもしれないのですが。
この作品の登場人物は、不可思議な人ばかりです。その筆頭は、やはり栞の兄でしょう。この兄には遥子という妻、順子という愛人、そしてさらにめぐみという新しい妻がおり、端的に言ってしまえば、とてもだらしのない男性。平気で物を盗み、不健康で不安定、わがままの気分屋で、栞がなぜここまで兄のことを愛しているのかが理解できないのです。それに、その他のどの登場人物も、それぞれに強い個性を持ちながらも、その印象はごくごく希薄。誰か1人でも感情移入をできる人物がいれば、もう少し読後感が変わったのかもしれないのですが…。夢物語にも現実の物語にもなりきれなかった中途半端さがとても気になります。他の人の感想も聞いてみたいところです。

「泣かない子供」角川文庫(2003年9月読了)★★★
あしかけ8年の出来事が綴られているというエッセイ集。1冊が5つのパートに分かれています。
この中で私が好きなのは、小言の多いお父さんやとても仲の良い妹の話など、江國さんの家族にまつわる部分。妹に仕事の段取りをつけてもらう話や、もち焼き女と紅茶いれ女という役割分担の話、そしてお父さんの「パプアニューギニア」の話など、とても微笑ましいのです。しかも単に微笑ましいだけでなく、「愛するとか、愛されるとか、それはもう、それだけで一つの憎しみなのだ」という切れ味の鋭い言葉が突然挿入されて驚かされます。江國さんの作品の裏に隠されているものが垣間見えるよう。
そしてこの本の中には、本の話も沢山あります。本にまつわる話や読書日記、アメリカに行ってる時にのぞいた日本の本の専門店で味わった、「読まなくても活字を見るだけで、肌が言葉を吸収してしまう」「日本語はどんどんしみてくる」という気持ち、本の持つ気配や本を選ぶ時の勘の話など、思わず「分かる」と声を出してしまいたくなるような話も。「背表紙に、石井桃子訳、とある本はおもしろい」とあるのも、その通りですね。ヒメネスの「プラテーロと私」を始めとして、読んでみたくなってしまう本も沢山紹介されています。まるでどこかのサイトの日記を読んでいるような、身近な感覚のエッセイ集でした。

「美容室にいくと、私はいつも、おもちゃの病院を思い浮かべる。壊れたりくたびれたりしたお人形たちの、ごく単純な修理工場」

「流しのしたの骨」マガジンハウス(2001年2月読了)★★★★★お気に入り
高校を卒業し、進学も就職もせずにのんびりすごしている、こと子。彼女は家族で過ごす時間を大切にしながら、夜の散歩をしたり、友達の紹介で知り合った深町直人とデートをしたりと毎日を過ごしています。淡々とした日常がさりげなく連なっていくような物語です。

こと子の家族の毎日の出来事が淡々と綴られていきます。通常なら大きな事件となりそうな出来事も、その淡々とした日常と共に、自然に流れていってしまいます。この家族が醸し出す雰囲気が、とても素敵。お父さんとお母さん、姉のそよちゃんとしま子ちゃん、小さな弟の律、そしてこと子というメンバーは、1人ずつ見ると、それぞれ「妙ちきりん」で、どこかずれているのですが、一旦集まると、とても自然に同じ色合いになってしまうのですね。それぞれにとても仲が良くて、読んでいると思わず自分も仲間入りしたくなってしまうほど。
江國さんの本を読んだのはこれが初めてなのですが、読んでいるこちらまでのんびりとした優しい気持ちになってしまうような、「ふうわり」とした作品でした。いつでも手元に置いておいて、気が向いた時に気が向いた箇所を読んでみるというのも素敵でしょうね。江國さんの本は装丁が素敵な本が多いので、いつも気になっていたのですが、ようやく読むことができました。ぜひほかの作品も読んでみたいです。

「落下する夕方」角川文庫(2004年7月読了)★★★★
8年続いていた坪田梨果と薮内健吾の同棲生活は、ある日突然、健吾の「引っ越そうと思う」という言葉によって終わりを告げることに。健吾に他に好きな女性が出来たのだというのです。それは、27歳の根津華子。梨果に別れを告げるわずか3日前に、健吾が出会った女性でした。健吾は家を出て行ってからも、3日おきに梨果に電話をよこし、梨果の様子を聞き、華子の話をします。前途多難らしい健吾の新しい恋の話に、安心する梨果。しかしある日梨果は、健吾のマンションに勝手にあがり込んでいる華子に遭遇します。そして数日後、梨果の元に突然やって来た華子は、そのまま梨果のマンションに居座ることに。

恋愛の終わりは友情の始まりと言う人もいますが、双方共に心底から合意の上ならともかく、一方的に恋愛を終わらせる時は、一旦きっぱりと絶ち切るのが相手に対する礼儀であり、本当の優しさではないでしょうか。…というのが私の信念なので、自分から別れ話を切り出したというのに、3日おきに電話を寄越す健吾の無神経さが信じられませんでした。これでは梨果が現実を受け入れられるはずがありません。しかも「ほっとするよ、梨果の顔を見ると」などという言葉まで。案の定、梨果はバイトを増やしてまで、いつ健吾が帰ってきてもいいように、2人で住んでいた部屋をそのままにしておこうとします。しかしそんな思いも、華子が登場してから徐々に変化。華子は奔放で不可解で、困った女性。しかし自由でとても魅力的。健吾は華子のような女性を好きになってしまって、実は不安で仕方なかったのでしょうね。だからと言って残酷な優しさへの免罪符になるとは思いませんが…。そして、華子を訪ねてきたのだと分かっていても、そんな彼に会えて嬉しいと思う梨果がとても切ないのです。
しかし最初から最後まで華子に振り回されていたように見える梨果ですが、しかし華子のおかげで、ゆっくりと着実に、傷をそれ以上広げることなく、癒すことができたのかも。普通なら15ヶ月もの間、失恋を引き摺るなど非常にしんどいと思うのですが、しかし梨果を見ていると、これで良かったのかもしれないですね。最後の彼女は「これで気が済んだわ」と言っているようで、それがとても印象的でした。
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