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このページは、井上夢人さんの本の感想のページです。

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「ダレカガナカニイル…」新潮文庫(2002年1月読了)★★★★★お気に入り
警 備会社に勤める西岡悟郎は、契約客の電話を盗聴したのがバレて、東京から山梨の小淵沢へと左遷。新しい仕事は、なんと新興宗教「解放の家」の警備の仕事で した。「解放の家」は地域住民との軋轢がひどく、しかも警察も完全に住民の味方という状態。しかも転勤第1日目に道場が火事となり、教祖・吉野桃紅は焼 死、西岡は結局、会社のスケープゴートという形で首になってしまいます。仕方なく東京に戻る西岡でしたが、火事以来、頭の中で女性の「声」が聞こえるよう になったのに気付きます。しかもどうやらそれはただの幻聴ではなく、きちんとした意識を持っているらしいのです。西垣は自分の精神が分裂してしまったので はないかと不安になり、「解放の家」の警備の仕事で知り合った精神科の医者に相談することに。一方、自分が誰なのか分かっていない「声」でしたが、西岡と 話すうちに、自分は吉野桃紅なのではないかと考え始めます。

「岡嶋二人」の片割れ、井上夢人さんの、独立後初の長編第1作。
頭の中で誰かの声が聞こえるという、設定はいかにもSF的な物語。誰かの意識が自分に入り込むというのは、それほど目新しい設定ではないかもしれません。 しかしそれが井上さんの巧みな構成力によってミステリに綺麗に結びつき、荒唐無稽とも思える設定にリアリティが生まれています。例えば西澤保彦さんの一部 のミステリは、SF味のかなり強いものですが、それらとこの作品では、恐らく読者には全く違う印象を与えるのではないでしょうか。西澤さんの作品を「面白 い」と思ったとしても、やはり「現実に起こり得ない出来事」として読んでいる人が多いと思います。しかしこの作品には、ごく身近に起こってもおかしくない ような現実感があるのです。
そしてこの作品は、同時に恋愛小説でもあります。西垣と「声」と葉山晶子という女性。この3人の関係になんとも言えない味がありますね。物語の最初のシー ンで、ラストの予想はある程度ついてしまうかとは思うのですが、しかしやはり構成が巧いです。余韻の残る終わり方で、読後感もとても良いですね。結構な分 量のある長編ですが、読み始めたら一気に読まされてしまいました。

井上さんは、やはり某宗教団体を取材されたのでしょうね。マスコミに一斉糾弾されていた団体でしたが、でも本書を読むと、やはり視点が違うと見え方がまる で違ってきてしまうのだなあと実感。ノン・フィクションの小説ではないですし、別にこれがその団体の真実だとは思いませんが、こんなの読まされたら、一概 に悪い感情ばかりを持てなくなってしまいますね。それにしても、この作品が書かれたのは、例の事件が起きる前。それなのにこういう小説を書いてしまう井上 さんって、本当にすごい方ですね。岡嶋二人としての最後の作品である「クラインの壷」が書かれた頃も、まだまだバーチャル・リアリティが世間一般に認知さ れていなかった頃のことなので、今更感心することでもないのかもしれませんが… それでもやはりその洞察力には驚かされてしまいます。

「あくむ」集英社文庫(2002年1月読了)★★★★
【ホワイトノイズ】… ディスカウントストアで目についた盗聴器・VT800を購入してしまった「ぼく」。「ブチ」と名づけた盗聴器から聴こえてくる様々な人生に夢中になり、会 話の内容を記録し始めた「ぼく」は、とうとう仕事をやめてブチを持ち歩くようになります。しかしある日喫茶店で聴いた会話のせいで現実の事件に巻き込まれ ることに。
【ブラックライト】…気がついたら病院のベッドの上にた小沢達也。医者らしき人物によると、彼は交通事故に遭って両腕と右足が不自由になり、しかも両目を失明したらしいのです。しかし彼は指先が動くのを感じ、目の端にオレンジ色の光を見ます。果たして本当に事故があったのでしょうか。
【ブルーブラッド】…高校の数学教師の野津原徹は生まれながらの吸血鬼。人の血が吸いたくてたまらず、夜な夜な女性の首に歯をあてて、血を吸う夢を見ています。そんなある晩見た夢には同僚の依田優子が登場し、彼は思い切って彼女に自分が吸血鬼であることを打ち明けます。
【ゴールデンゲージ】…超エリートの兄・賢介と、不良の弟・優介。ある日、隣の部屋から変なうめき声がするのに気付いた優介が窓からのぞいてみると、賢介が全身を血まみれにして呻いていました。賢介の皮膚の下を正体不明の虫が蠢き、卵を産み付けていたのです。
【インビジブルドリーム】… ドラマのエキストラの仕事をしている大野は、エキストラ仲間のミライに変な夢の話を聞かされます。それ以来、ミライの夢と似たような出来事が大野の身に本 当に起こるように。ミライが、壁をささえようして手が突き抜けてしまうという夢を見ると、大野はセメントの中に手をつっこんでしまう、槍が降ってくる夢を 見ると、錐が降ってくる…。

5つの短編が入っています。題名は白・黒・青・金という4色と、「目に見えない」、そしてそれぞれの短編のテーマは、聴覚、視覚、味覚、触覚という五感の うち四感と、第六感とも言える夢。なぜ全部色の題名で統一してしまわなかったのか、なぜ最後の1編のテーマを嗅覚にしなかったのか、と思ったのですが、よ くよく読んでみると、最初の4編はそれぞれに、現実と夢の区別がつかず、知らない間に境界線を越えてしまったような話、最後の1編はまさに夢の話、「あく む」という本のタイトルを象徴するような作品だったのですね。最初の4編は人間の生み出す恐怖と恐怖、最後の1編は超常現象的な恐怖、井上さんの上手さの せいで、どれも読後にぞわぞわとした怖さが襲ってくるような作品です。
この中で一番良かったのは「ブルーブラッド」この最後がなんとも言えません。同じく「ホワイトノイズ」の逆転にも驚かされました。「ゴールデンゲージ」は 本当に気持ちが悪いです。しかしこの兄弟関係は、城山三郎の「素直な戦士たち」を思い出させますね。周りの大人がいなければ、きっと仲の良い兄弟となれた のでしょう。2人それぞれに哀しい物語です。

「プラスティック」双葉文庫(2002年2月読了)★★★★
夫 の祐介が広島に出張している間に、ワープロをマスターしてしまおうと日記をつけ始めた向井洵子。この物語は、フロッピーにおさめられた、彼女のワープロ練 習日記から始まります。そこには彼女の体験した不可思議な出来事が打ち込まれていました。引っ越してきてから初めて行った図書館で本を借りようとすると、 既にその前日に彼女の名前で貸出証の登録が行われている、不安になって夫の勤務先に電話をしてみると、、初めてかけた電話にも関わらず、出た相手からはい つもの洵子の声とは違うといたずら電話扱いをされる、そして部屋の本棚には図書館から昨日借りたらしい3冊の本があり、食器棚にしまっておいたはずの部屋 の合鍵が1つなくなっている… などなど。そして、語り手は高幡英世という人物へ。彼の記述によると、向井洵子は自宅で、顔を切り刻まれた全裸死体となっ て発見され、無断欠勤が続いていた夫の祐介は行方不明。そしてさらに奥村恭輔、藤本幹也、若尾茉莉子などの複数の人間の記述による、全部で54のファイル から物語は構成されています。

不思議な作品です。サイコホラーとでも言うのでしょうか。ワープロでのファイルを羅列した形で物語が進んでいくという、この形態が面白いですね。意外と分 かりやすく書かれており、テンポも良くて読みやすいです。一気に物語の中に入り込んでしまいます。しかしここにある記述は、どれが正しいのか読者には全く 分かりません。向井洵子が死んだということだけは確かなようなのですが、そもそもワープロで文章を打ち込んでいる向井洵子と名乗る女性が、本物の向井洵子 なのかどうかも分からないのです。同じように本多初美と名乗る女性も、果たして本当に本多初美なのか、それとも高校卒業後に死んだはずの若尾茉莉子なの か。更には、向井洵子のことを調べているという奥村恭輔の記述も、正しいとは限らず、読みながらだんだん不安定な気分にさせられてしまいます。しかしオチ に関しては、途中で分かりました。おそらくある程度ミステリを読みこんでいる人なら、これは想像がつくのでは。その辺りには、多少こじんまりとしたものを 感じてしまいました。もう少し大技でくるかと思ったのですが。しかしそのオチ以上に、最後の決着のつけ方がとても良かったです。54番目のファイルも余韻 があっていいですね。

「パワー・オフ」集英社文庫(2002年1月読了)★★★★★お気に入り
JAM- NETという大手パソコン通信会社からダウンロードできるようになっていた人気アーカイバソフト・ZARCに、コンピューターウィルスが植え付けられ、日 本全国にウィルスが蔓延。「おきのどくさまウィルス」と呼ばれるそのウィルスは、ハードやソフトは破壊せず、一定時間ごとに、画面に「おきのどくさま こ のコンピュータはコンピュータウィルスに感染しています」という文字が出るだけの比較的無害なウィルス。しかし既存のワクチンが全く効かず、しかも感染す る都度ウィルスの形が変異してしまうミューテーション型ということで、関係者は頭を痛めることに。実はそのウィルスは、小さなソフト会社の社員・室伏大輔 が作ったものでした。彼は会社に入社する前に「最強のウィルスとそのワクチンを作ってみろ」と社長に言われ、入社試験代わりに作っていたのです。社長の目 的はウィルスを蔓延させ、そのワクチンソフトで一儲けすること。しかしそのウィルスが原因で工業高校で事故が起きたのを知った大輔は、そのソフトが発売さ れる前に、別に作っていたワクチンソフトを関係者に送ります。そのワクチンソフトはネットワーク上から無償でダウンロードできるようになり、ウィルス騒動 は一応の決着をみることになるのですが、しかし「おきのどくさまウィルス」は、思わぬ所で進化をとげていました。そして破壊的な威力を持つ新しいウィルス となり、新たに全世界に広まることになります。

この作品は94年から連載が開始され、単行本となったのが1996年7月。もうかなりの月日が流れています。コンピューターのように移り変わりの激しい世 界を描いた作品だと、5年もたてば古臭くて読めない部分があって当然かと思うのですが、この作品にはそれが全くないのが驚きです。強いて言えば、メディア がまだFDぐらいしか存在していないらしいことぐらいでしょうか。しかしこの作品が書かれ始めた頃は、まだコンピューターウィルスという名称も一般的に なってなかったはず。それを考えると、当時としては驚くほど先を読んでいた作品だったわけです。すごいですね。今の時代にもまだまだ通用するどころか、今 なお新しく感じられる部分を十分持っている作品。井上さんの先を見る目には本当に驚かされてしまいます。
本作品は「コンピューターウィルスには気をつけましょう」的な、教訓じみた物語では決してなく、しかしパソコンを少しでも扱う人間には、身近な問題として 無視できない、ウィルスの恐怖をまざまざと感じさせるリアリティを持った作品です。しかもそこに人工生命という、自ら進化していくプログラムまで加わり、 予想を越える展開を見せてくれます。ウィルスというテーマを通して、「生命」の定義や、進化についても考えさせられてしまいます。

コンピューターウィルスが流行るたびに、私は実はこのウィルスはワクチンソフト会社が作ったものではないのかという疑問を持ってしまうのですが、これを読 むと「やっぱり」と思ってしまいます。この作品がノン・フィクションというわけではないのですが、ウィルスを作ることができれば、そのワクチンを作ること も可能なはず。実際に影で同じようなことが行われていても全くおかしくないわけです。あと、本題とは関係ないのですが、JAM-NETというのは、やはり ニフティ・サーブがモデルになっているのでしょうか?

「もつれっぱなし」文春文庫(2002年2月読了)★★★★
【宇宙人の証明】…会社を欠勤した彼女の見舞い。彼女はなんと宇宙人を助けたのだと主張します。
【四十四年後の証明】…「コハク」と名乗る少女からの突然の電話。彼女は私の孫なのだと主張します。
【呪いの証】…職場の嫌われ者の上司が転落死。彼女は自分が呪い殺したのだと主張します。
【狼男の証明】…売れっ子タレントは、満月になると狼男に。コンサートの日程の変更を主張します。
【幽霊の証明】…アパートを訪ねてきた彼女は、自分が幽霊なのだと主張します。
【嘘の証明】…万引きをした女子高生を放課後呼び出す教師。彼女は万引きしていないと主張します。

すべて男女の会話体だけで構成されている短編集。片方の人物が突拍子もないことを言い始めて、もう片方がなだめたり説得したりするという形式。読んでる側 の頭がもつれそうになります。このままでも面白いのですが、もう1歩進めて、どちらかの人間が相手を理詰めにやりこめて、とんでも推理を発揮してくれると いうのでも、楽しかったかも。
「宇宙人の証明」塩をかければ一発だと思いますが。宇宙人なら死なないでしょう。「四十四年後の証明」鶏が先か卵が先か。こういう主人公のやり方は、少々 ずるいのでは。「呪いの証」別にそのままにしておいても構わないと思うのですが。特にこのオチの場合は。「狼男の証明」この主人公も、なんだかんだ言って プライドが高いですね。本当に変身するのなら、それはそれで話題性十分。「幽霊の証明」部屋で言い合いしてても埒があかないでしょう。「嘘の証明」もう少 しで立派なミステリになりそうだったのに惜しい。オチがあまり好きではないです。

「メドゥサ、鏡をごらん」講談社文庫(2002年10月読了)★★★★★
自宅のガレージで、コンクリート詰めの異様な姿で死んでいるのが発見された作家の藤井陽造。大きな木枠の中にはたっぷりとコンクリートが流し込まれ、その 表面に全裸の藤井の姿がまるで石像のように見えていました。しかし直前に相当量の睡眠薬を服用していたこと、脱いだ衣服がきちんと畳まれていたこと、死体 の腰の辺りのコンクリートの中にはガラスの小瓶が埋まっており、その中に「メドゥサを見た」という藤井の筆跡の文章が見つかったこと、それらの物に藤井の 指紋しか残されていなかったことなどから、警察は自殺と断定。そして3ヵ月後。藤井の一人娘である奈名子と、奈名子と結婚の約束をしている「私」は、残さ れていたノートから藤井が最後に書いていたという原稿のことを知ります。しかし部屋のどこを探してもその原稿は見つからず、パソコンのハードディスクから もフロッピーディスクからも完全に抹殺されていました。「私」と奈名子は、藤井の不可解な自殺の謎をとくためには、その最後の原稿を探しだすことが必要だ と感じ、生前の藤井の行動を辿り始めます。

作品の最初5分の4ほどは太字の活字、残り5分の1は普通の活字。ということで、いかにも何かありそうな感じ。そして1人の作家の奇妙な死、その作家の残 した1冊のノート、謎めいた覚書と、読み始めからぐいぐいと引き込まれてしまいました。その展開は、始めはあくまでもミステリ的。しかし途中でSF的要素 が挿入され、そしてさらにホラー的な要素が登場してくるに従い、物語全体の印象が急速に変貌していきます。しかもどこかバランスの悪い、危うい感じがつき まとい、その不安定さは普通の活字になった辺りからさらに深まることに。物語を読んでいるうちに、時間や空間、アイデンティティなど、自分をとりまく全て の物に何かしら違和感を感じ、しかしその違和感がいつしかくるりときれいに一周して、元の形に戻ってしまったような印象さえ覚えます。しかし元に戻って以 前と同じ状態になったはずなのに、以前とそっくりの見かけのはずなのに、以前とはなんだかまるで違う、そんな感覚です。
確かに、「高瀬充が何故今頃?」ということを始めとして、分からないままで終わってしまった部分も多々あります。これに関してミステリファンに色々な不満 が残るということも十分予想できます。しかしこの曖昧な終わりが、私にとってはなぜか心地よかったんですよね。あくまでも理に落ちるミステリが好きなはず なのに、なぜかこの展開に、却ってほっとしてしまったような、憑き物が落ちたようなすっきりしたものを感じてしまいました。しかもこの出来事を輪廻転生の ように反復させないための行動には、愛まで感じてしまいましたし。
岡嶋二人時代の「クラインの壷」を彷彿とさせる作品。上手く説明できませんが、とても面白かったです。

「風が吹いたら桶屋がもうかる」集英社文庫(2002年1月読了)★★★★★お気に入り
【風が吹いたらほこりが舞って】…麻生千佳の話を聞いてやって来たという宇田川織絵の依頼は、亡くなった叔父の降霊彼が死ぬ間際に残した「ホッタさんが織絵なら」とはどういう意味なのでしょうか。
【あんま志願が数千人】…宇田川織絵の話を聞いてやって来たのは及川聡子。彼女が友達とやっているインナーウェアの会社の作業場兼事務所に寝泊りしていると、夜必ずトイレで赤ん坊と男性の声が聞こえてくるというのです。周囲に民家はなく、しかもトイレからだけ聞こえてくるというのはなぜ。
【品切れ三味線増産体制】…及川聡子に聞いてやって来たという杵淵泰世の依頼は人探し。彼女が3歳の息子にはぐれた時、遊園地のコーヒーカップに跳ね飛ばされそうになった息子を助けてくれた女性を探して欲しいというのです。
【哀れな猫の大量虐殺】…杵淵泰世に聞いて来たという敷島尚子は、どうやら超能力を毛嫌いしている様子。ヨーノスケたちのことをペテン師だと決め付けます。そしてもしペテン師でないならば、彼女の持ってきた寄せ木細工の中にあるものを透視してみろと言います。
【ふえたネズミは風呂桶かじり】… 敷島尚子に聞いてやって来たのは滝沢朋美。彼女の住む部屋では、毎週金曜日になると奇妙な現象が起きるというのです。食器棚のカップがすべて伏せられてい たり、本棚の本がすべて反対に差し込んであったり。ポルターガイスト現象かと怯えた滝沢朋美は、部屋のアロエの鉢植えをもってやって来ます。
【とどのつまりは桶屋がもうかる】…早朝いきなり行方不明になったルームメイトの小塚範子を探して欲しいとやって来た松原亜紀。小川範子は不倫が原因で会社を首になったばかり、自殺の恐れもあるというのです。

元々倉庫だった建物に同居している、牛丼屋で働く三宅峻平、自称パチプロのイッカクこと両角一角(もろずみかずみ)、区役所勤めの超能力者・ヨーノスケこ と松下陽之介。ヨーノスケの超能力の噂を聞いて訪ねてくる人々を峻平が家へ連れて帰り、ヨーノスケが超能力で問題解決しようとするのですが、超能力ならぬ低能力のため時間ばかりかかってしまいます。その間に、ミステリマニアで理屈屋の両角一角が自分の推理を語る、というパターンの連作短編集です。
ヨーノスケは確かに超能力物者ではあるのですが、割り箸1つを折るのにかかる時間は、なんと30分。結局ラーメンは伸びきってしまうし、来客のためにお茶 を沸かすと言っては、何時間も顔を真っ赤にして頑張っていたりと、実生活の中では到底役に立たない程度の能力です。しかし彼にとって超能力とは単なる趣味。嬉々として練習を積み重ねているんですよね。この設定が最高です。当然依頼人が来ても、その悩みを快刀乱麻に解決するわけにはいきません。しかし1人 でじっと頑張った後、真相が分かった時がなんとも可愛いのです。
イッカクのミステリマニアぶりも相当なもの。「こんな結末をつける作家の気がしれない」「なんだ、この小説は。作者の都合ばっかりで話ができてるじゃない か」「こんな非論理的な名探偵を、よくも恥ずかしげもなく描いたもんだ、読まされるこっちの身にもなってみろ」など手厳しい意見ばかり。そして依頼人の悩みを聞きだすと、まるで「九マイルは遠すぎる」 のニコラス・ウェルト教授ばりの論理的な推理を朗々と繰り広げます。結局この推理は机上の空論にすぎないのですが、しかし一見何の手がかりもない所から真 相を導き出す場面は、なかなか読み応えがあります。この推理が一見なかなかの説得力をもちながらも、実際にはとんでもない方向に行ってしまうというのがま た一興ですね。しかし「論理の筋道に破綻はない。あれは、あれでいいのだ」とうそぶくイッカク、なかなかの大物です。
そしてシュンペイは、いつも可愛い女の子に声をかけられながらも、結局はヨーノスケの元に連れていくだけの役割。特に何も特徴も特技もなく…。ここまでパターンが続くと、最後ぐらいシュンペイにもうちょっといい目を見させてあげたくなってしまいます。

この3人のキャラクターとやりとりがとても面白く、何も考えずに楽しんでしまったのですが、この作品は実は本格推理作品に対する挑戦なのでしょうか。イッ カクの本に対する文句や、「論理の筋道に破綻はない。あれは、あれでいいのだ」という発言は、既存の一部の作品に対する痛烈な皮肉と受け取れますね。それ にイッカクの導き出す名推理が最終的にことごとこ外れているという所がまた皮肉。少し違いますが、アントニー・バークリーの「毒入りチョコレート事件」を彷彿とさせます。真実は1つとは限らない、といったところでしょうか。どんな名探偵の名推理も、それが本当に真実をつ いているのかどうかは、犯人以外誰にも確かめるすべがないわけです。
それにしても「風が吹いたら桶屋がもうかる」(原典は「東海道中膝栗毛」)という論理自体も、考えてみたらミステリのようなものですね。なぜ「風が吹く」 のと「桶が売れる」が関係あるのか。この文章は、まさにイッカクの推理を象徴しているようです。そして各短編の題名と中身がまるで関係ないというのもイッ カクの推理と同じ。なかなか洒落た趣向ですね。

「オルファクトグラム」上下 講談社文庫(2005年2月読了)★★★★★お気に入り
チャーリー・ブラウンというアマチュアバンドでギターを弾いている片桐稔は、自主製作で作ったCDを持って、結婚して祖師谷に住んでいる姉の千佳の家へ。 稔がフリーターをしながらバンド活動をしていることに両親はいい顔をしておらず、家族の中では千佳が唯一の理解者だったのです。しかし事前に連絡をしていたにも関わらず、千佳の家の玄関のチャイムを鳴らしても返事がなく、そして玄関の鍵は開いていました。そして聞こえてきたのは、うめき声のような音。いつ もピカピカに磨き上げられている廊下には、うっすらと靴跡のような汚れが。胸騒ぎがした稔が慌てて2階に上がると、夫婦の寝室には全裸の千佳が。しかし縛 られているのを助けようとした稔は、いきなり何者かに殴られて…。1ヶ月後、病院で目を覚ました稔の目の前に広がったのは、おびただしい数のクラゲのよう なものの群。稔はなんと嗅覚神経が犬並になっており、物の匂いは全て、様々な色や形のものとして目に映るようになっていたのです。

嗅覚が犬並、もしくはそれ以上になってしまうということで、読む前はまた突飛な設定を思いついたものだと思っていたのですが、実際に読んでみると、その描 写や説得力に驚きました。匂いとは本来個人的なものですし、それに接する人間によって反応も様々。それに物語の中で「○○の匂い」「○○と△△が混ざった ような匂い」などと書かれていても、おそらく読んでいる読者にはあまり実感として分からなかったでしょう。下手をすると「匂い」よりも「臭い」が気になってしまうかもしれません。そんな匂いを視覚的に捉えたというところが、井上夢人さんらしくてとても斬新ですね。匂いに敏感すぎるのはきっととても苦しいこ とだと思いますし、まさか犬にもそのように見えているとは思わないのですが、これはぜひとも体験してみたくなってしまいます。それほどこの匂いの情景はと ても綺麗なのです。主人公が、匂いのしない世界はつまらないと、テレビや新聞を見なくなってしまった理由を何度か口にしていたのもとても印象的でした。そ れほど匂いの見える世界が魅力的なのかと、体験できない自分が少し寂しくもなりますし、それをCG化することによってしか周囲の人間は知ることができな い、読者にとっても、文章を読むことによって想像するしかないというのが悔しくも感じられます。もちろん井上夢人さんの素晴らしい描写によって、読者は彼 の匂いの世界を追体験しているのですが…。そんな匂いと彼の嗅覚に対する大学教授の薀蓄や実験の場面もとても興味深かったですし、面白かったです。
主人公を巡る物語が、青春物語的になっているのもいいですね。この中で起きる事件は相当猟奇的なのに、読んでいる間、そして読み終わった後、とても暖かい ものが残りました。最後の場面で、それほど上手くいくものなのか?という疑問は残ったのですが… それはあまり気にしない方が良さそうですね。(笑)

「クリスマスの4人」光文社文庫(2005年2月読了)★★★
1970年のクリスマスの晩。20歳の誕生日を迎えた久須田潤次、そして同じ歳の仲間、塚本譲、橋爪絹枝、番場百合子の4人は塚本の父の車でドライブへ。 しかし無免許の百合子が車を運転したいと言い出し、しかもその運転で人身事故を起こしてしまったことから、4人は人には言えない秘密を共有することになり ます。マリファナを吸っていた4人は、その死体を山の中に遺棄し、死体が身に着けていたものを全て処分。死体が持っていた200万円は4人で分けること に。しかし10年後。久々に再会した4人の目の前に現れたのは、かつて百合子が車で轢いてしまった男と瓜二つの男だったのです。

物語は10年ごとに、久須田潤次、番場百合子、橋爪絹枝、塚本譲の視点から描かれていきます。元々この作品は雑誌に掲載されていたようですね。「1970 年」「1980年」「1990年」「2000年」という4章があるのですが、最初の3章は「EQ」誌に1年ごとに、しかし「EQ」誌が廃刊となってしまっ たことから、3章が発表された2年後に、最終章が「GIALLO」掲載されたとのこと。1章ずつ読んだ方は堪らなかったのではないかと思ってしまうのです が、1冊の本で読むと井上夢人さんらしいとても読みやすい文章と吸引力で、一気に読まされてしまいます。
最終章だけどこか雰囲気が違うような気もしましたし、謎の男の真相に関しては賛否両論なのではないかと思うのですが、これはこれで面白かったです。それに 1970年から2000年までの10年ごとの場面で、その時代時代の雰囲気を感じられるのもいいですね。新入社員の月給が3万7千円だった(!)という 1970年に始まり、インベーダーゲーム全盛期(?)の1980年、バブル景気のの1990年に、ほとんど現代の2000年。50歳になっても4人のお互 いに対する態度などは20歳の時と変わらないのですが、いくつになっても4人で会えば学生気分というのも、いかにもありそうで、どこか微笑ましいです。

「the TEAM-ザ・チーム」集英社(2006 年2月読了)★★★★
【招霊(おがたま)】…全盲の霊媒師・能城あや子の次回テレビ収録のために、桂山博史を調べ始める草壁賢一と藍沢悠美。桂山博史は能城あや子を暴こうとしているらしいのです。
【金縛(かなしばり)】…今回の相談者は32歳の主婦、杵淵珠絵。2ヶ月ほど前から、寝ている間に金縛りに遭い、しかも体中に傷をつけられているというのです。
【目隠鬼(めかくしおに)】…時には日に何人もの相談者を観ることになるテレビ収録。その日のメインは、過去をきれいさっぱり清算してしまっていた松原三智子でした。
【隠蓑(かくれみの)】…偽名で能城あや子の事務所に相談を申し込んだゴシップ週刊誌の記者・稲野辺俊朗。なんとかして能城あや子の尻尾をつかみたいと考えていました。
【雨虎(あめふらし)】…今回の相談者は、自宅に幽霊が出るという津野田葎子。ワインセラーから不気味な呻き声のようなものが聞こえてくるというのです。
【宿生木(やどりぎ)】…次の相談者の恩田光枝が自殺。テレビへの出演は取りやめということになるのですが、悠美は光枝の自殺が気になって仕方がありませんでした。
【潮合(しおあい)】…テレビ局の収録が終わるのを待ち構えていたのは、五十嵐匡弘。あや子とは18年ぶりの再会。あや子が劇団をしていた時の劇団員の1人でした。
【陽炎(かげろう)】…全て処分したと思っていたテープがあと1本残っており、稲野辺のところに持ち込まれます。

盲目の霊媒師・能城あや子を中心にした連作短編集。
能城あや子はテレビ番組にレギュラー出演し、招霊木(オガタマノキ)を片手に、その卓抜した霊視能力で相手のことを全て見抜いてしまうという人気霊媒師。 しかしその実態は実は真っ赤な偽物。既に番組を降ろされた前のプロデューサーと、今は能城あや子のマネージャーをしている鳴滝昇治が作り上げた存在なので す。ここまでは世間一般で考える霊媒師の姿と合致します。テレビに出ている霊媒師など、言っていることがどれだけ当たっていたとしても本物だとは到底思え ないですし、ましてや好感を持つことなど、決してないのですが…。
しかしこの作品を読んでいると、その認識が覆ってしまいそうになります。インチキをインチキでなくすために、草壁賢一と藍沢悠美は綿密な調査を行い、推理 を行い、徹底した準備の上で「霊視」を行っているのです。そこまでいくと、ほとんどミステリの謎解きと同じになってしまうのですね。草壁賢一は調査対象人 物「マル対」を尾行、その家に不法侵入もしますし、藍沢悠美の得意分野はパソコン関係で、インターネットで様々なことを探り出し、時にはハッキングをする ことも。それ自体は決して良いことではないですし、犯罪だとも言えるのですが、その態度は非常に真摯なものですし、仕事振りにも一本筋が通っています。や り方はどうであれ、能城あや子のおかげで救われた人は多いですし、時には真犯人を捕まえたり、犯罪を摘発することもあります。高い視聴率に喜んでいるテレ ビ局はもちろんのこと、どこにも損をしている人間がいないのです。これは最終章の「陽炎」で、稲野辺の妻・寿絵の「だから、それで、どこに被害者がいる の?」という言葉に集約されていますね。そして能城あや子たちが、実際にはかなりの収入があるでしょうに、金儲けには淡白らしいところが見え隠れしている のも大きいのだろうと思います。
このまま黒白つけないまま、続編がありそうな形で置いておいて欲しかった気もするのですが、そのままいってもいつか破綻が訪れたでしょうし、引き際が鮮やかなところが、井上夢人さんの作品らしいところとも言えそう。とても楽しい作品でした。
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