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このページは、池澤夏樹さんの本の感想のページです。

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「夏の朝の成層圏」中公文庫(2007年12月読了)★★★★

夜、マグロ漁船の後甲板で写真を撮ろうとしている時に、船尾に押し寄せた大きな波にさらわれて海に落ちた「ぼく」は、そのまま流され続け、やがて島に漂着。そこは珊瑚礁に囲まれた常夏の無人島。彼は椰子の実やマア、タロ芋を採り、バナナを食べ、雨水を貯め、貝や魚を採って生活することに。

池澤夏樹さんの長編デビュー作。
思いがけないことから無人島暮らしをすることになった主人公は、生きていくことそのものが日々の目的となり、その生活に充足感を覚えることになります。しかしやがてマイロン・キューナードという人物と出会うことによって、生活が目的ではなく単なる手段となり、また文明へと戻っていく自分を感じる… という物語。自給自足の生活を余儀なくされたからといって、それを必要以上に嘆くのではなく(絶望に陥った時期もあったと本人は後から言っていますが、いつ絶望していたのか、その時は読者には分かりません)、文明批判や自然礼賛に走るのではなく、全くの自然の中の生活を淡々と描いているところが良かったです。現代の生活の知識は備えながらも、文明社会からは解き放たれた主人公にとって、再度出会う文明はどのように感じられるのでしょうね。
「ロビンソン・クルーソー」は、池澤夏樹さんの8歳の頃からの愛読書だそうなので、それが根底にあることは間違いないと思うのですが、読後感はかなり違うように思います。


「スティル・ライフ」中公文庫(2007年10月読了)★★★★★お気に入り

【スティル・ライフ】…アルバイト先の染色工場で出会った佐々井と親しくなった「ぼく」。やがて佐々井はそのアルバイトをやめるのですが、ある時、3ヶ月ほど集中的にお金を作る仕事をするので手伝って欲しいと言われて、「ぼく」は引き受けることに。
【ヤー・チャイカ】…1人娘のカンナを置いて東北に出張に出た文彦は、帰り道のサービスエリアで木材輸出の会社に勤めるロシア人のクーキンに声をかけられ、東京まで車に乗せていくことに。

中編2編。「スティル・ライフ」は第98回芥川賞と中央公論新人賞を受賞した作品。
どちらも「ぼく」と佐々井、文彦とクーキンという、ひょんなことで知り合った2人の奇妙な関係と友情を描いた作品。これはもう物語の筋を追うよりも、雰囲気を味わいながら読むべき作品かもしれません。もちろん物語としても面白いのですが、それ以上にこの雰囲気が好きです。バーで飲んでいる時のチェレンコフ光の話、雨崎での雪の降る情景、スケートをしている時の霧の思い出話… とても透明で、静かでひんやりとした空気。自分が星になってしまったような、もしくは宇宙から降ってくる微粒子の1つになってしまったような感覚。全くといっていいほど音が感じられないのに、同時にそれがとても豊かな音があるような気もしてきます。そして作品全体を通して理系の話題が多いのですが、それがとても詩的で美しいのです。
ちなみに「ヤー・チャイカ」というのは「私はカモメ」という意味。世界で最初の女性飛行士となったテレシコワのコールサインがこの言葉だったのだそうです。


「真昼のプリニウス」中公文庫(2007年12月読了)★★★

八王子にある大学の理学部の助教授をしている芳村頼子は、その晩、日本橋にあるイタリア料理店に向かっていました。数日前、友人の1人が頼子の研究の話を聞きたがっていると弟の卓馬が電話してきたのです。その友人とは、広告関係の仕事をしている門田賢太郎。門田は、利用者が電話をかけると予め用意されている何千何万もの話のうちの1つが無作為に選ばれて受話器から流れるという新しい種類の電話サービス・システムを企画しており、それらの話のバラエティを確保するために、様々な人間に会おうとしていました。そして火山学を専門としている頼子の話も聞きたいというのです。

地に足が着いた生き方をしている女性地質学者・頼子が様々な人々の影響を受けながら、自分自身の一歩を踏み出す物語、でしょうか。彼女が研究しているマグマそのままに、彼女の内部では様々な思いが高温高圧で活動しており、それが普段は地表の奥深くに潜んでいるものの、ふとした瞬間に迸り出てきたりします。彼女の前に現れるのは、バブル時代にいかにもいたような広告業界の男、彼女の心に今も尚住んでいるかつての恋人で、今はメキシコの遺跡の写真を撮っているカメラマンの壮伍、易を扱う製薬会社の社長、そして大学時代の友人の息子・修介など。最後に意味が分かる題名も良かったですし、「易」の話が物語の中心と絡んでくるところも面白いと思ったのですが、どうも登場人物がどれも類型的に感じられてしまいました。特に頼子も含めて女性も何人か登場するのですが、これらの女性たちは、まさに「男性作家の描く女性」とでも言えそうなタイプ。現実味が薄く、そのせいか今まで読んだ池澤作品のような知らず知らずのうちに引き込まれる魅力が、この作品ではあまり感じられませんでした。
地球内部には地球自身を破壊するほどの力はなくとも、頼子の中には頼子自身をも破壊するほどの力を秘めているのかもしれません。


「バビロンに行きて歌え」新潮文庫(2007年12月読了)★★★★

ベイルートで組織のためにしたはずの暗殺が、自分の暴走ということにされてしまい、仲間の手引きで船に密航して日本にやって来たターリク。**大使館のイスマイルという男に会いに行けば新しい他人名義のパスポートがもらえ、それで3ヶ月ほどほとぼりを冷ましてから帰国するように言われていたのですが、イスマイルがターリクに渡そうとした丁度その日、イスマイルの持っていたアタッシュケースがひったくられたのです。パスポートを取り戻す手がかりもないまま、ターリクは東京の街を彷徨うことに。

中東レバノンの兵士だったターリクが、国にいられなくなって言葉も分からない日本に放り出され、様々な人々の好意にすがりながら、なんとか自分の場所を確保し、自分の足で立つようになるまでの物語。ターリクはレバノンの戦火の中で兵士として生きてきたということもあり、東京に暮らす平和な人々に比べて遥かに危機感が強く、実際パスポートがない状態では不法滞在者としていつ国外に退去させられるか分からない状態。常に警戒し続けています。そんなターリクの持つ緊迫感は、最初は周囲の平和ずれした人々の中では浮いているように感じられるのですが、それだけにとても印象的。そして様々なエピソードがターリクの視点というよりもむしろ周囲の人々の視点から描かれており、その人々の個性が様々で面白かったです。首輪をしながらも野犬のような犬、老獣医、ディスコで知り合った女性、ロックバンドをやっているショッピーとコージ。ターリクの目には、東京がバビロンのような華美な悪徳の都として映ったわけではないと思うのですが… それでも街がターリクを変え、ターリクによって街が変わる、そんな面白さがありました。ただ、前半の面白さに比べて後半はやや都合が良すぎる展開になってしまったような印象で、それだけは少々残念。


「南の島のティオ」文春文庫(2006年7月読了)★★★★★お気に入り

【絵はがき屋さん】…その日到着した日本人の女性客は、飛行機から降りた時、夕日に照らされたクランポクの山をみつめます。その時、ティオには彼女が絵葉書のお客だと分かったのです。
【草色の空への水路】…島にモーターボートが増え始めると、珊瑚礁や暗礁にボートをぶつけたという話が増え、ティオの父はタテンマグさんたちと一緒になって標識を立てることに。
【空いっぱいの大きな絵】…10人以上の子供たちで、村から3kmあるサマン岬の先へ泳ぎに行きます。しかしその日、7歳のリランはいつもと違った様子だったのです。
【十字路に埋めた宝物】…ティオが13歳の時、町の中に舗装道路ができます。しかし工事が終わったばかりの十字路の真ん中に、直径50cmほどの穴があいていたのです。
【昔、天を支えていた木】…去年も来た手紙と小切手が今年も届き、ティオは銀行で小切手を換金すると、急いでヘーハチロの家へと向かいます。
【地球に引っぱられた男】…グランド・パシフィック航空の飛行機が、離陸直後に海に降りてしまい、ヘルナンデスさんは島に足止めに。その直前、カマイ婆が「おまえ、落ちるぞ」と言っていました。
【帰りたくなかった二人】…ムイ山に登るために島にやって来たトムさんとトモコさん。ムイ山には登れないと聞いてがっかりしながらも、島が気に入って本格的に滞在し始めます。
【ホセさんの尋ね人】…その日のホテルのお客のホセさんが探していたのはマリアという女性。ホセさんは40年以上前に別れたきりだというマリアに、ようやく会いに来たのです。
【星が透けて見える大きな身体】…アンドー先生の1人娘・アコちゃんが原因不明の病気になり、心配したティオとヨランダは、ある月夜の晩、カマイ婆の元を訪ねることに。
【エミリオの出発】…600kmほど南にあるククルイリック島を大きな台風が襲い、住民たちはティオの島に避難して来ます。ティオはその中にいたエミリオと親友になるのですが…。

1992年度の第41回小学館文学賞受賞作品。
南の島に住むティオという12歳の少年を中心にした連作短編集。ティオの父親は町のホテルを経営しており、ティオはジープを運転して父親と一緒に空港にお客を迎えに行ったり、観光客を山に案内したり、友達と遊んだり、島の人々と関わったり、長閑な日々を送っています。島の人間も、政府や学校、スーパーマーケットや放送局で働いている人たちはともかく、大抵は気の向くままに海で魚を採ったり、山の畑を耕したり、ティオと同じような長閑な生活ぶり。ティオは大人になっても、今と変わらずそのような暮らしを続けるのでしょうね。微笑ましいです。そしてそんなティオの住む島は、一見ごく普通の島に見えます。読んでいると、ティオの周囲に広がる青い空に白い雲、そして真っ青な海が目の前に浮かんでくるよう。眩しい陽射しに透き通る風を感じるようです。しかしこの10編の物語のところどころで、島の神さまや精霊の存在を感じるような不思議な出来事が起こるのです。それらの出来事は意外と大きい出来事だったりするのですが、あまりに自然に起きるため、気付かない人は気付かないまま終わってしまいます。それに読んでいても、まるで作り事ではなく、本当のことのよう。この自然さは、沖縄が舞台の作品で、登場人物たちが当然のようにマブイを持っている感覚に良く似ているように思えますね。カマイ婆もまるで沖縄のユタのよう。
この10編の中で私が一番好きなのは、夢がたっぷりの「絵はがき屋さん」。この作品だけは、書かれたファンタジーと言えるような作品ですが、この不思議さがとても好きです。しかしてっきりピップとティオの話が他にも読めるだろうと思い込んでいたので、最初のこの1編だけだったのがとても残念でした。いつかピップとティオの物語がまた読めると嬉しいのですが…。そしてティオがあの絵はがきを使う日のことも、ぜひ読んでみたいものです。その他の短編では、とてもこの島らしい物語である「星が透けて見える大きな身体」や、1編だけ少し雰囲気が変わり、現実の厳しさが迫ってくるような「エミリオの出発」も好きです。
この島にはかつて日本軍がいたこともあり、「日本の偉い人」の名前をつけたヘーハチロさんという人物もいたりします。一体どこがこの島の舞台なのだろうと思いながら読んでいたのですが、神沢利子さんの解説によると、この島はミクロネシアのポナペ島が舞台なのだそうです。


「神々の食」文春文庫(2008年2月読了)★★★★★

豆腐、かまぼこ、泡盛。豚、ビール、イラブー。1973年に初めて沖縄に行って以来、沖縄に強く惹かれてしまった池澤夏樹さんは、かつての南西航空の機内誌「Coralway」に食材をテーマにした連載を執筆し始め、そのうちにご自身が沖縄に移住して10年間住み続けてしまったのだそう。食べるものはそのまま文化だという池澤さん。本土とは異なる沖縄ならではの食と文化の魅力を、35種類の食材を通して、同じように沖縄に移住したカメラマン・垂見健吾さんの写真と共に紹介する本。

豆腐では「まるで大豆畑にごろりと寝て、全身にその精気を吸い込んでいるような気分になった」、かまぼこでは「出来立ては本当においしいもので、一切れもらって口に含んで噛むと頭がくらくらするほどだ」。泡盛は「飲むというよりは口の中をこの特別な液体で濡らすという感じ」… 食べ物を作る工程をその目で見て知った上で、その食べ物を口に運ぶ。どれほどの労力がかかっているか分かるほど美味しく感じられるというものでもないですし、池澤さんご自身が書いているように「機械を使わないからできた製品がうまいと信じるほど単純ではない」けれど、それでもやはり圧倒的に美味しそう。池澤さんの表現力の巧みさということもあるでしょうし、おそらく作り手の働きぶりの美しさも影響しているのでしょうね。そんな風に「食」の背後に見えてくる人間の姿やその生活もまた、とても魅力的なのです。
人間にとって食べることは生きていく上での基本。今に比べると昔はもっと真剣な行動であったはずですし、人と共に食べ物を分け合うということは、今の世の中においても人との絆を作る上で欠かせないこと。そして食べるために殺した豚や羊は頭の皮から尻尾の先まで、食べられるところは全て無駄なく食べる… 同じ食を扱っていても他の本とは少し違う、常に自然の恵みに感謝しつつ食べさせてもらうという原始宗教的な雰囲気すら感じられるような気がしてきますし、そういった原点の力強さが感じられる本です。

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