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このページは、青柳いづみこさんの本の感想のページです。

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「ショパンに飽きたら、ミステリー」創元ライブラリ(2002年3月読了)★★★★★お気に入り

プロのピアニストでありドビュッシー研究家、大のミステリー愛好家でもある青柳いづみこさんの書かれた音楽とミステリのエッセイ集。古今東西のミステリ作品に描かれた様々な音楽シーンを、演奏家としての思いや体験談、有名な作曲家や演奏家の裏話が交えながら、鋭い視点で解説していきます。

クラシックの演奏家にはミステリファンが多いのだそうです。1年中実技レッスンや実技試験、コンクールやオーディションなどに神経をとがらせている演奏科の学生にとって、ミステリは手軽で最上の気分転換の手段なのだとのこと。コンサート前のピアニストの気分はほとんど殺人者、というのが面白いですね。言われてみれば、私の周囲の声楽家やピアニストにも確かにミステリ好きが多いです。しかもかなりの本格物派揃い。妙に納得してしまいました。やはりコンサート直前の緊張感や焦燥感というのは、一般人には計り知れないものがあるのでしょうね。
面白い話がたくさん詰まっているのですが、その中でもモーツァルトやツェルニー、ベートーベンなどの逸話や、ヴァン・ダインの著作に登場するファイロ・ヴァンスのピアノの腕前に関する話が特に興味深かったです。ヴァンスが「カナリヤ殺人事件」ではブラームスの「カプリッチォ第一番」という中級の上の曲を弾いているので、「素人としてはよく弾けるほうだろう。私立のお嬢さん音大くらいには合格するかもしれない。」と一旦論じながら、しかし「ドラゴン殺人事件」ではベートーベンの「ハンマークラヴィーア」の長大なアダージオを弾いているのを知ると、「お嬢さん音大だなんて言って、ゴメンナサイ」ですから。(笑) 素人にもとても入りやすい一冊です。
この中に登場する本の選択にも、なかなか渋いものがあります。既読の作品でも、このエッセイを読むと改めて読み返したくなりますし、未読の作品はぜひ読みたくなってしまいます。ただ、少々ネタバレ気味の部分もあるので要注意かも。形態としては、本書にも登場する、由良三郎氏の「ミステリーを科学したら」の音楽版。この作品が気に入った人は、「ミステリーを科学したら」もオススメです。


「水の音楽-オンディーヌとメリザンド」みすず書房(2008年11月読了)★★★★★

フランスに留学中、クラスレッスンで弾いたラヴェルの「オンディーヌ」を聞いた先生に「もっと濃艶に歌って弾くように」と注意されたという青柳いづみこさん。実際、その後老若男女様々な国籍のピアニストの「オンディーヌ」に出会うことになるのですが、そのイメージは一貫して「男を誘う女」。しかし青柳いづみこさん持つオンディーヌのイメージは、ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」のヒロイン・メリザンドのように人に媚びず、そのものの美しさで人を惹きつける女なのです。このことから、青柳さんはオンディーヌやメリザンド、そして水の精、水の音楽のことについて考え始めます。

序盤の神話や伝承の中の水の精、文学作品の中に見られる水の精辺りは、これまで私も好きで読んできた神話や伝承の本の総まとめといった感じ。ここに取り上げられている水の精の文学作品に関しては、フーケーの「ウンディーネ」とジロドゥの「オンディーヌ」辺りしか読んでいないのですが、大筋の流れは分かります。
「オンディーヌ」のオンディーヌは最初から水の精とされているのですが、「ペレアスとメリザンド」のメリザンドに関しては、どこにも水の精などという言葉はないのだそう。それでも彼女はとても水の精を思わせる女性。なぜ水の精を連想するのかということに関する青柳いづみこさんの展開はとても納得できるものでした。確かに彼女は水ですね。それも水そのもの。今度ぜひメーテルリンクの原作が読んでみたいですし、ここで紹介されているキーツの「エンディミオン」やハウプトマン「沈んだ鐘」、ベルトラン「夜のガスパール」などもぜひ読んでみたいですね。
この本は同じタイトルのCD同時発売。「エステ荘の噴水」(リスト)、「水の戯れ」(ラヴェル)、「水の反映(映像第1集)」(ドビュッシー)、「オンディーヌ(夜のガスパール)」(ラヴェル)、「オンディーヌ(プレリュード第2集)」(ドビュッシー)、「バラード第2番op.38」(ショパン)、「バラード第3番op.47」(ショパン)、「ローレライ(歌の本)」(リスト)、「波を渡るパオラの聖フランチェスコ(伝説)」(リスト)、「バルカロール(サロン小品集)」(ラフマニノフ)、「シチリアーナ(ペレアスとメリザンド)」(フォーレ)の11曲。同時に記念リサイタルも開かれたのだそう。
本の10章「水の音楽」では、このCDに収録した曲にまつわるエピソードも多数紹介されており、そちらも興味深かったです。例えば「水の戯れ」のラヴェルと「水の反映」のドビュッシーの「水」の表現方法の違いについて。「ラヴェルがほんの一瞬かすめるようにしか使わなかった全音音階(すべての音が全音関係にある)を、ドビュッシーはよどんだ水を表現するために頻繁に使う。同じように左右の手のすばやい交替でかきならされるアルペジオのパッセージを、ラヴェルは透明感のある長七で、ドビュッシーは不気味な全音音階のひびきで書いているのは象徴的だ。もし、彼らの水を飲めといわれたら、ラヴェルの水は飲めるけれども、ドビュッシーの水は、あおみどろが浮かんでいたりして、あまり飲みたくない、そんな気がしないだろうか?」…ドビュッシーの水があおみどろ入りとは思ったこともありませんでしたが、とても面白いですね。CDも合わせて聴きましたが、とても素敵でした。


「モノ書きピアニストはお尻が痛い」文春文庫(2008年11月読了)★★★★

ピアニスト兼ドビュッシー研究家として、そしてモノ書きとしても活躍される青柳いづみこさんの音楽エッセイ。「双子座ピアニストは二重人格?-音をつづり、言葉を奏でる」の文庫版です。

「ショパンに飽きたら、ミステリー」のようにもっと本の話の多いのかと思っていたのですが、本の話はそれほど多くなく、音楽の話が中心。青柳いづみこさんが研究してらっしゃるドビュッシーにもっと詳しければ、もっと興味深く読めただろうと思うと少し残念なのですが、音楽的な話題も十分楽しかったです。特に興味深かったのは、水の女の文学とその音楽の話。フケーの「ウンディーネ」、メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」、ハイネの「ローレライ」。スラヴ系の水の精・ルサルカの哀れな恋をオペラに仕立てたドボルザーク、セイレーンたちの神秘の歌をオーケストラ曲に組み込んだドビュッシー。ベルトランの「オンディーヌ」を美妙なピアノ曲にしたラヴェル。青柳いづみこさんは「ピアノは、水に似ている」と書いてらっしゃいますが、ピアノで水の音を表現できるのは、かなりの練習を積んだピアニストだけでしょう。「リストのダイナミックな水は、指のバネをきかせ、ひとつひとつの音の粒をきらめかせる。そこに手首の動きを加えると、ラヴェルの神秘的な水になる。対してドビュッシーの澱んだ水を弾くときは、指の腹を使い、すべての響きがないまぜになるように工夫する」のだそうですが…。本とCDが同時発売になったという「水の音楽-オンディーヌとメリザンド」企画にも興味が湧きますし、青柳いづみこさんの弾くピアノの音を実際に聴いてみたいです。

P.18「ピアノには、たちのよくない習慣性の麻薬のようなところがあって、一度始めてしまうとなかなかやめられないのである」
P.108「楽器の奏者には、楽器特有の顔がある。小さいころからたくさんの音を操る訓練を受けてきたピアノ科は、頭脳明晰学力優秀で、なんでもてきぱきやっつける。いっぽう、ある程度の年齢になって始める管楽器科は、学校の勉強はイマイチかもしれないが、楽器に対する愛情は群を抜き、変に管理されていないのでその分人間的だ。その違いが、顔や態度に出る。」


「ピアニストが見たピアニスト-名演奏家の秘密とは」みすず書房(2008年11月読了)★★★★★

世界の名ピアニストを論評して欲しいと言われ、はじめは戸惑いを覚えたという青柳いづみこさん。それは、青柳さんご自身がどちらかといえば掘り出し物がお好きだということ、そしてピアニストの中でも天才と呼ばれるに相応しい彼らを論じることに不遜を感じてしまったこと、そして同業者にしか分からないピアニストの秘密を明かしてしまうことへの抵抗。しかし資料を読み込むうちに、雲の上の存在のようなピアニストたちもまた、同じようにステージ演奏家に特有の苦悩に直面していたと分かり、気持ちが変わったのだそうです。ここで取り上げるのは、スビャトスラフ・リヒテル、ベネデッティ=ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、サンソン・フランソワ、ピエール・バルビゼ、エリック・ハイドシェックの6人。この6人を論じ、そのことを通して、20世紀後半以降のクラシック音楽を取り巻く環境の問題、商業主義の弊害や、繰り返す演奏行為そのものの難しさなども炙り出していきます。

ある時から暗譜で弾くのをやめたリヒテル「負をさらけ出した人」、極度の完璧主義者のミケランジェリ「イリュージョニスト」、技術的な強靭さと精神的な脆さを併せ持つアルゲリッチ「ソロの孤独」。感覚に任せた自在なスタイルで魅了したサンソン・フランソワ「燃えつきたスカルボ」、ヴァイオリニストのフェラスの死で半身をもぎとられてしまったバルビゼ「本物の音楽を求めて」、そして左手の故障が大きく響いたハイドシェック「貴公子と鬼神の間」。バルビゼは青柳さんの師でもありますし、ハイドシェックは青柳さんご本人が親しい仲。しかし直接知らなかったとしても、本人と直接関わり合った人々の話を聞き、その人について書かれた資料を読み、音楽を聴き、映像を見て、そのピアニストの音楽的生い立ちや音楽性はもちろんのこと、具体的な演奏技術(「曲げた指」か「のばした指」かということだけでなく、演奏する時の姿勢やペダルの踏み方に至るまで)や演奏に当たっての精神状態といった、単なる批評家にはなかなか踏み込めない領域まで踏み込んで書いていきます。それがとても面白いですし、興味深いです。それに青柳いづみこさんならではの真摯な態度、そして視線の暖かさも好印象。
特に興味深かったのはリヒテル。チェルニーなんて弾いたことがなく、最初に弾いたのがショパンのノクターンの第1番。ベートーベンのテンペストも弾いたというリヒテル。ワーグナーやヴェルディ、プッチーニのオペラのピアノ用編曲を片っ端から弾き、早く寝ろと母親に叱られたというリヒテル。幼い頃からピアノの基礎を叩き込まれたピアニストたちとは全く違う経路を経てピアニストになったのですね。やはり天才だったのかという思いが強いです。「君はピアノが好きじゃないね」と言われたリヒテルが「私は音楽の方が好きなんです」と答えたというエピソードもとても印象深いです。
ハイドシェックの章では、ピアニストがピアニストであり続けることの難しさを目の当たりにさせられます。レコードが長い間出ないうちに、すっかり最新流行のピアニストではなくなってしまったことに気づくハイドシェック。新しいディスクがリリースされないと、雑誌のインタビューもラジオの出演依頼もなく、批評家も演奏会に来てくれなくなり、新聞や雑誌の批評も出なくなるのです。そして左腕の故障。演奏会腕や手の故障の噂が業界に広まると仕事が来なくなると誰にも相談できずにじっと耐えるハイドシェック。読んでいて本当に痛々しくなってしまいます。
そう思って読み返してみると、どのピアニストもそれぞれに転換期というものがあるのですね。リヒテルは暗譜するのをやめ、ミケランジェリは弾き方が変わり、アルゲリッチはソロで弾かなくなる。その意味で一番印象に残ったのはミケランジェリ。まさに楽譜通りでミスタッチなど1つもない完成度を誇る非の打ち所のない演奏で知られるミケランジェリも、若い頃はイタリアのオペラ歌手のように時には熱く目にも留まらぬ速さで、時にはしっとりと歌いまくっていたのだそう。しかしその彼が第二次世界大戦で変貌してしまうのですね。自分自身の体の変調ならまだ諦めもつくかもしれませんが、そういった外的で暴力的な影響によって人格まで変わってしまうような体験をしているとは…。
取り上げたピアニストたちのCDで、青柳さんがお好きなものの紹介が巻末にでもまとめられていれば、言うことなかったように思うのですが、バルビゼとフェラスのデュオやハイドシェックのベートーベン全集をぜひ聴いてみたいですし、ミケランジェリの「幻の高次倍音」や「重たいのに透明。濃淡が刻々と変化する」音を体感してみたくなってしまいます。


「ピアニストは指先で考える」中央公論新社(2009年7月読了)★★★★

ピアニストの思考の流れを例えば右手や左手、足、肘、鍵盤、ペダル、椅子、眼、耳、ステージ、衣装、メイク、調律、アンコール、プログラムといったテーマごとに読みきりエッセイを書いてはどうかと提案され、その項目を見た途端に思考がすさまじい勢いで回転し始めたという青柳いづみこさん。30代の女性ピアノレスナーを対象に、ムジカノーヴァに連載していたエッセイ。

音楽と本を結びつけるエッセイが多い青柳いづみこさんですが、これはほぼ純粋に音楽の話ばかり。30代の女性ピアノレスナー(ピアノの先生ということのようですね)が対象だというのは、あとがきを読むまで知らなかったのですが、最初の「曲げた指、のばした指」から、私にとっては本当にタイムリーかつ切実な話題で、とても勉強になりました。子供の頃はご多分に漏れず「曲げた指」で習っていた私ですが、今は「のばした指」でも弾けるようになろうとしてるところですし。たとえばバッハなら「曲げた指」でもいいように思うのですが、ショパンとかシューマンのようなロマン派を弾こうと思ったら、やはり「のばした指」の方が綺麗な音色で弾けるはず。それに実際、ショパンのエチュード辺りだと、「のばした指」でないと技術的に難しい部分もあるようです。あと、脱力の概念も、私が子供の頃は全然なかったですし…。ここに書かれてる「さかだち体操」や「タイの練習」は青柳さんオリジナルなのでしょうか。もっと詳しく知りたくなってしまいます。
前半は、自分でもピアノを弾く人向けの話題が中心。しかし後半は、ピアノを弾かない人でも楽しめるようなエピソードも満載。それだけに、私としては前半の技術的なことに特化したピアノ奏法本が欲しくなってしまうのですが、それでも後半もとても面白いです。例えば世界で活躍する有名なピアニストのこと。ポリーニは、大抵の曲は1回弾けば覚えられたそうですが(あれほど完璧に弾きこなすだけでなく、そんなことまでできたとは!)、アルゲリッチはプロコフィエフの「協奏曲第3番」を今まで一度も弾いたことがなかったのに、寝てる間に練習しているのが聞こえきただけで、覚えて弾けるようになってしまったのだとか。寝てる間に聞いた曲が弾けるというのは、技術的にも完成されているということなのでしょうけれど、やはり耳が非常にいいのでしょうね。それにやはり天才肌のピアニストなのですね。驚きます。
本当に勉強になる本でした。「指先から感じるドビュッシー」にも技術的なことが載ってるそうなので、そちらも読んでみようと思います。


「ボクたちクラシックつながり-ピアニストが読む音楽マンガ」文春新書(2008年12月読了)★★★★★

青柳いづみこさんの「音楽と文学の対位法」が新聞書評に取り上げられていた時に引き合いに出されていたのは、漫画「のだめカンタービレ」の中の千秋の「楽譜どおりに弾け!」という台詞。その台詞がきっかけとなり、青柳いづみこさんは「のだめカンタービレ」を読むことになったといいます。そしてこれがとても面白く、さらに「神童」(さそうあきら)、「ピアノの森」(一色まこと)を読むことになったのだそう。それらの作品は実際にクラシックに携わっている人々にきちんと取材調査した上でかかれたもの。「クラシック界のジョーシキは社会のヒジョーシキ」と言われるほど特殊なしきたりの多いクラシックの世界を、それらの漫画作品を通じて分かりやすく紹介していく本です。

私自身は上に挙げた3作品のうち「のだめカンタービレ」しか読んでいないのですが、ピアノは大好きですし、メインに取り上げられているのが「のだめ」だったので、非常に面白く読めました。初見や暗譜、楽譜通り弾くという部分は、自分の経験からも多少は身近な事柄ですが、コンクールや演奏会、オーケストラとなるとまるで知らない世界。Sオケを鳴らすことのできなかった千秋と鳴らすことのできたシュトレーゼマンの違いから、指揮者とオーケストラの関係について、のだめのためのハリセンやオクレール先生の選曲はとてもセンスが良かったということ、そしてお父さんに愛されなかったのかもしれないターニャとお母さんに愛されすぎたフランクの違いなど、その辺りの話はまるで「のだめ」の解説書を読んでいるようで、とても興味深く面白かったです。のだめの弾いている曲は、どれもとてものだめらしかったのですね。そして「のだめ」は音楽関係者にとっても、本当に良くできたクラシック音楽漫画だったのですね。
もちろん、「のだめ」の話ばかりではありません。それ以外のエピソードの中で特に興味深かったのは、「コンクール派と非コンクール派」の中で、「どうも国際コンクールは「男の子は音楽なんてやるもんじゃありません!」と反対する親を説得する手段に使われているみたいですよ」というくだり。第一回ジュネーヴ・コンクールで優勝したミケランジェリや第一回ブゾーニ・コンクールで4位入賞したブレンデル、1960年のショパンコンクールで優勝したポリーニは、いずれも家族にピアニストになることを反対されており、コンクールで優勝もしくは入賞してようやくピアニストになることを許されたのだそうです。自分も名前を聞いたことのあるピアニストたちのエピソードが読めたのも楽しかったですし、他にもコンクールで弾く時は審査員を敵に回さない弾き方をしなければいけないこと、青柳いづみこさんご自身の経験を踏まえた留学のエピソード、きちんと収入を得られる音楽家はほんのわずかで、ほとんどは無収入だということなど、とても興味深い話題が満載。「のだめ」が好き、そしてクラシック音楽は結構好き、しかしクラシックの世界にはそれほど詳しくない、という人にはとても楽しく読める本だと思います。

第1章:一回読譜したらとっととやるぞ!
第2章:楽譜どおり弾け!
第3章:バレンボイム対ホロビッツ!?
第4章:コンクール派と非コンクール派
第5章:留学
第6章:指揮者の謎
第7章:コンサートで受けるプログラム
第8章:音楽は人間が出る?
第9章:ピアニストは本当に不良債権か?


「六本指のゴルトベルク」岩波書店(2009年8月読了)★★★★★お気に入り

ハンニバル・レクター博士が聞いていたグレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」は、果たして1955年盤なのか、1981年盤なのか。左手が多指症で6本の指があったというレクター博士、左手だけで中指が2本ある指で演奏するというのは、一体どのような感覚なのか。そしてそのレクター博士の三部作とリンクしているような気がしてならないのは、ジョン・フランクリン・バーディン「悪魔に食われろ青尾蝿」。こちらに登場するのは、ハープシコードで「ゴルトベルク変奏曲」を弾くヒロインのエレン。精神病院を退院したエレンが、頭の中で家に着いた自分が「ゴルトベルク変奏曲」を弾くところを思い描く場面は、まさに演奏家としての思念の動きと言えるリアルなもの。古今東西の純文学やミステリーの中から音楽や音楽家を扱った作品を取り上げて、音楽とのかかわりを主軸に読み解き、それによって音楽や音楽家の神秘を垣間見ようとする1冊。

「ゴルトベルク変奏曲」と呼応するかのように30の章からなる本。青柳いづみこさんの音楽と小説の本といえば「ショパンに飽きたらミステリー」もありますが、また違った音楽のシーンを楽しむことができました。一番印象に残ったのは、「シャープとフラット」の章に紹介されているアンドレイ・マキーヌの「ある人生の音楽」に登場するピアニストについてのエピソード。その後に待つものが分かっていても、それでも弾きたいピアニストの思いが、青柳いづみこさんの文章に重なって伝わってきます。それと「音楽のもたらすもの」の章で紹介されるトルストイの「クロイツェル・ソナタ」。「普通の人間関係は、言葉を介して築かれる。見ず知らずの他人からスタートし、言葉をかわし、お互いの共通点を発見し、共感しあい、しかるのちに恋愛に至り、しばらくたつとやがて言葉がいらなくなり… というコースをたどるのだが、音楽はすべての手順をすっとばし、二人の男女をいきなり「言葉がいらなくなった状態」に置く。(P.172)」…音楽の持つ魔の面ですね。これはぜひとも実際にベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」、そしてトルストイの作品に触発されて書かれたというヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」を聴きながら読んでみたいものです。
未読の本が読みたくなるのはもちろんのこと、既読でもあまり音楽を意識しないで読んだ作品は、もう一度音楽に着目して読み直したくなります。その時はもちろん、その作品で取り上げられている音楽を聴きながら読みたいものですね。

トマス・ハリス「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」、ジョン・フランクリン・バーディン「悪魔に食われろ青尾蝿」、永井するみ「大いなる聴衆」、中山可穂「ケッヘル」、S.J.ローザン「ピアノ・ソナタ」、アンジェラ・カーター「血染めの部屋」、ジャン・エシュノーズ「ピアノ・ソロ」、エルフリーデ・イェリネク「ピアニスト」、小川洋子「余白の愛」、アン・パチェット「ベル・カント」、ポーラ・ゴズリング「負け犬のブルース」、ジャン・エシュノーズ「ラヴェル」、奥泉光「鳥類学者のファンタジア」山之口洋「オルガニスト」、澤木喬「いざ言問はむ都鳥」、篠田節子「マエストロ」、クリスチャン・ガイイ「ある夜、クラブで」「さいごの恋」、ケイト・ロス「マルヴェッツィ館の殺人」、皆川博子「死の泉」、ドミニック・フェルナンデス「ポルポリーノ」、高樹のぶ子「ナポリ 魔の風」、トルストイ「クロイツェル・ソナタ」、島田雅彦「ドンナ・アンナ」、ルーベル・シェトレ「指揮台の神々」、ジョン・ガードナー「マエストロ」、ギィ・スカルペッタ「サド・ゴヤ・モーツァルト」、安達千夏「モルヒネ」、アンドレ・ジッド「田園交響楽」、村上春樹「海辺のカフカ」、バルザック「従兄ポンス」、ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」、マルグリット・デュラス「モデラート・カンタービレ」、ジェーン・カンピオン「ピアノ・レッスン」、アンドレイ・マキーヌ「ある人生の音楽」


「指先から感じるドビュッシー」春秋社(2009年7月読了)★★★★★

「印象主義音楽の創始者」「音の画家」などと言われ、その境界線が曖昧な雰囲気が、西洋音楽史では印象派的な扱いを受ける原因となっているドビュッシー。しかし彼の曲は、目で見た風景を切り取ってその印象を素早く描きとめる印象派とは違い、いったん自分の中に取り入れて熟成し、その後再び外に出て音となるというもの。出来上がったものは似ていても、その精神は違うのです。この本では、「アラベスク」から始めて、ドビュッシーの基本的な奏法、ドビュッシーの曲を弾くための土台作り、そしてドビュッシーの代表的な曲に対する様々な解釈を社会的背景で裏づけながら紹介していきます。

ピアノの曲を弾くというのは、ただ譜面だけ追えばいいというものではありません。作曲家のことを知り、その曲の背景を知ることによって、より深い演奏ができるはず。ということで、ドビュッシーの人生をたどりながら、その人となりや生きた時代を知り、作品にこめられた思いを感じ取り、それをそのままピアノの音として表現するための本です。中心となっているのは、ドビュッシーを弾くために必要な基礎的レッスンのやり方や、青柳さんが提案する1つの解釈、実践的なピアノ奏法。実際にピアノに向かった時の手の形の写真も多数掲載され、楽譜を部分的に取り出して、その部分の細かい表現方法や注意点、指使いやペダルのことなどが詳細に書き込まれており、青柳いづみこさんの行うレッスンをそのまま紙上に移し変えたような印象です。ドビュッシーのピアノ曲を弾くために役立つ知識が満載。巻頭にはドビュッシーが好きだった名画がカラーで掲載されていますし、文中でもドビュッシーが好きだった文学のことについて触れられています。譜面さえあれば、曲は一通り弾けるかもしれませんが、こういった周囲のことを知るのもピアノを弾く上ではとても大切なことですね。ドビュッシーのピアノ曲を弾きたいと思っている人にとっては本当に勉強になるはず。そしてこの本で得たことは、ドビュッシー以外の作曲家の曲にも通じるはず。
私自身は中学生の頃にアラベスクの1番と2番を弾いたことがあるだけで、ドビュッシーを弾いたのは後にも先にもその時だけ。しかしその1番と2番でも、たとえば「伸ばした指」で弾くのが向いている1番に、「曲げた指」で弾くのが向いている2番ということも、1番の対位法的な部分にはバッハの影響が色濃く感じられることも、2番にはオーケストラ的な書法が多く見られるということもまるで知りませんでした。オーケストラ的な書法が見られる部分では、それに即した様々なタッチ、例えばフルートなら指を平らにして指先にあまり力を入れないで弾き、オーボエは指先を立てて力を集中させてよく通る音を出す、ファゴットはゆっくりとしたタッチであたたかい素朴な音を出す、などなどその都度表情を変えた演奏をすると良いのだそう。
ドビュッシーが1つのタイトルに持たせた二重の意味については、もう少し詳しく知りたかったですし、「さかだち体操」に関しても本だけを見て1人でやるには限界を感じるのですが、のびる音、鐘のような音、ボーンという音、べったりと練ったような音、星のようにキラキラ光る音、ダイヤモンドのようにギラギラした音、オパールのような神秘的な音など、それぞれの音の出し方も面白かったですし、あとはやはりドビュッシーが好んだ絵画や文学の話が興味深かったですね。メーテルリンクの原作をドビュッシーがオペラにした「ペレアスとメリザンド」、アンデルセンの「パラダイス」、アーサー・ラッカムやが挿絵を描いた「真夏の夜の夢」「ケンジントン公園のピーターパン」「ウンディーネ」、エドマンド・デュラックの「人魚姫」海の下に沈んだイスの町の伝説というのは、既に私も読んでいる作品ばかり。とても興味深く読めました。

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