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このページは、小野不由美さんの本の感想のページです。

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「黒祠の島」祥伝社ノンノベル(2003年1月読了)★★★
調査会社を経営する式部剛に家の鍵を預け、3日ほど郷里に戻ると言ったノンフィクション作家・葛木志保。彼女は3日たっても戻らなかったら、その鍵で部屋を始末して欲しいのだと言います。それから4日たち、式部は葛城の部屋へ。仕事関係や友人の誰も葛城が帰省したことを知らず、しかも葛城の帰省先がどこにあるのかすら知らない状態。部屋の中に残されていた通帳や契約書から、式部は葛城志保の本名が羽瀬川志保であったことを知ります。そして友人を歩き、彼女が夜叉島という名前を口にしたことがあることを聞き出します。地図上には夜叉島という島はないものの、九州北西部に古名が夜叉島だという島があることを探り当てる式部。早速夜叉島へと向かい、葛城が連れらしき女性と2人で夜叉島行きの船を乗るところまでは確認できたものの、実際にその島に渡ってみると、彼女について何かを知っている人間は誰もいなかったのです。

黒祠とは、明治政府の定める国家神道に統合されなかった神社のこと。邪教。
家々の軒先にはさまざまな形の風鈴がぶらさげられ、電柱の根元には風車が列になって刺ささり、思い出したように吹く風によって乾いた音をたてています。忌み事があれば海に牛を流すという神事、明治政府によって黒祠とされてしまった信仰を持つ神社。網元家が強い権力を持ち、長男の嫁は必ず島の人間から選ぶなどの古い因習が未だに根強く残るこの島の独特の閉鎖的な雰囲気は、確かに横溝正史作品に似た雰囲気を醸し出しています。登場する死体も想像するのも怖いような凄惨なもの。
しかしその雰囲気を中心に上手くまとまっているという印象はあるものの、今ひとつ踏み込み足りないような気もしてしまいました。確かに横溝正史的な雰囲気ではありますが、ねっとりまとわりつくほどでもなく、島民たちの余所者を排除しようとする動きも、予期したほどには強硬でも執拗でもありません。初めこそ島民全員で何かを隠蔽しようとしていると分かり緊張感が高まるものの、途中からは島民たちはあっさりと式部に協力するようになってしまいます。そしてその式部に関しても、なぜ仕事の繋がりがあるだけの人間にここまでしようとするのか、そしてなぜ宗教にここまで詳しいのか、その辺りの説明が欲しかったですね。「馬頭さん」というモチーフが魅力的なだけに、もったいなかったような気がします。
この世界にもっと入り込めていれば、ラストもきっともっと驚けたのでしょうけれど… 少々あっけなさすぎたような。この作品を描ききるには、少しページ数が足りなかったといったところでしょうか。

「黄昏の岸 暁の天-十二国記」上下 講談社文庫(2001年4月読了)★★★
泰王・驍宗が即位して半年。元々泰の禁軍将軍であり、前の王の時代から先のことを考えていた驍宗の朝廷は、即位直後から順調な滑り出しを見せます。しかし地方で起きた乱の鎮圧のために王が出征すると、その乱は王を誘き出して殺害するための罠だったという噂が流れ、泰麒は心配のあまり自らの使令を驍宗の元へ向かわせてしまいます。しかし実はそれこそが巧妙な罠だったのです。

「風の海 迷宮の岸」の続編であり、「魔性の子」にも絡んだ話の流れとなっている作品です。十二国記の中で「風の海 迷宮の岸」を最初に読んだ私にとっては、泰麒と驍宗は特別思い入れがあるので、待ちに待った新刊なのですが。
うわー、こんなのってアリ?!というのが読後の率直な感想。ここで終わってしまうなんて、まあなんと殺生な…。一体その後どうなるんだか、結局全然安心できないままじゃないですか。これじゃあ、まるで今までの伏線の謎解き編ですよー。感想なんて書けやしないわ…。とは言え、今回は他の国の人間もかなり登場して、この世界にもこれからかなりの変化が訪れそうな予感。とにかく続きに期待ですね。

「華胥の幽夢-十二国記」講談社X文庫(2001年9月読了)★★★★★お気に入り
【冬栄】…泰王・驍宗が即位してしばらくたった頃。泰麒は使節として漣に赴きます。行動力のある驍宗に対して、自分の存在意義について深く考え込む泰麒に、農夫出身の漣王・鴨世卓(おうせいたく)は、自分の考える役目と仕事の違いについて、王と麒麟の役割についてを語ります。
【乗月】…峯王・仲韃が恵州公・月渓によって討たれてから早4年。慶の将軍・青辛が、景王・陽子の親書を携えて芳を訪れます。国を束ねている存在としての自分を否定し、王座簒奪の罪を重ねたくないという月渓は、しかし国を追われた元芳国公主・祥瓊のその後の話を聞き、王のあり方について再び考えるのです。
【書簡】…景王として即位する直前の陽子と楽俊の往復書簡。雁の大学に通う楽俊と景の新王としての勉強に明け暮れる陽子の姿が垣間見えます。
【華胥】…采麟が失道。登極以来誠心誠意をつくして理想の国作りに励んでいたはずの才王・砥尚は一体何を誤ったのか。臣下の信も厚く、正道を貫こうと努力をしているにも関わらず、国土は荒み民は困窮していました。
【帰山】…宗王・先新の次男・利広は、終りの近づいている柳国の王都で顔なじみの風漢に出会います。彼らの話題は、「なぜ王朝は死ぬのか」。国が興り、そして沈む時。そこにはある一定の法則が見られるといいます。そして現存する十二国中最も長命である雁と奏の国が沈む時は…。

十二国記シリーズ初の短編集です。
「冬栄」は王を選んだことによって麒麟として役割を既に終えたように感じてしまっている泰麒が、少しずつ自分の存在意義を悟り、成長していく物語。泰麒の健気さはもちろん、驍宗を始めとする周囲の人間の、泰麒に対する深い愛情が感じられて、とても暖かな気持ちにさせられます。そしてこれは「黄昏の岸 暁の天」と深く連動している物語なので、合わせて読むと、表向き裏向きの事情がそれぞれ分かって、とても興味深いですね。「乗月」は「風の万里 黎明の空」の後日談。「風の万里」では、迷うことなく芳王・仲韃を討ったという印象の月渓ですが、その心の奥底には深い懊悩と、仲韃に対する大きな愛があったんですね。国や先王、そして祥瓊を思う月渓にはうたれるものがありました。「書簡」では、陽子と楽俊の、王と半獣としての立場の違いを越えた友情が見られます。しかし二人とも、自分が一番苦労している部分は内緒にして、少し背伸びしている所がとても微笑ましいです。「華胥」は他の4編とは多少雰囲気が異なり、ミステリ仕立ての作品。王として全力を尽くしている砥尚を見ると、正しいと信じることを進めるばかりが良いとは限らないというのがしみじみと分かって切ないです。それにしても、才国の宝重である「華胥華朶」は慶国の宝重である刀と共に一癖ある品物ですね。宝というよりも、王としての資格を試す存在のように思えます。そして「帰山」。ここで利広と語っているのは、恐らく延王・尚隆でしょうね。そして彼が数えた八十三の碁石というのは、きっと延王が即位して治世が続いている間に沈んだ王朝の数なのでしょう。延王が国を滅ぼす時は、という話がありますが、これはかなりありそうな話で、妙に説得力がありました。

いずれも王や王の役割について考えさせられてしまう物語ばかりです。結果的に王位を簒奪し、悩みながらも天意や天命によらない治世をひく月渓。自らが良いと信じることをしていたにも関わらず、麒麟を失道させてしまう砥尚。そして利広と風漢の話に出てくる、長い治世をひきながらも、いきなり豹変する賢帝たちの話…。やはり寿命のこない王位というのはかなりの重圧なのでしょうね。奏や雁のように王一人で背負わなくてもいいような国作りをしなければ、長くは続かないのかも。良い王の条件としては、やはり漣王・鴨世卓の言う、「木は勝手に伸びます。そんな風に国も勝手に伸びるんじゃないかな。一番いいやり方は木が知ってます。俺はそれを助けるだけなんです。」というのがポイントでしょうね。無理矢理道筋を変えられた川が、氾濫によって再び元の場所に戻ってしまうように、国というのも無理矢理型にはめることのできない物なのでしょう。せめて今物語に出てきている王たちの治世が長く続くことを祈りたいです。

「くらのかみ」講談社ミステリーランド(2003年10月読了)★★★★
夏休み、本家の大伯父の具合が悪くなり、親戚一同が本家に集まります。大人たちは表座敷に集まって何やら相談中、子供たちは茶の間で集められて夕食中。子供たちの世話役となっていたのは、現在大学生の本家の三郎で、三郎は子供たちに色々と怖い話を聞かせます。その三郎に「四人ゲーム」というゲームの話を聞いた耕介たちは、自分たちもやってみようと早速蔵座敷へ。それは、まっくらにした部屋の四隅に四人の人間が立ち、順番に肩を叩きながら、ぐるぐる部屋をまわるというゲーム。途中で終わりになるはずなのに、やり始めるといつの間にか人間が5人に増えて、いつまででも続くのだというのです。そして耕介たちの4人も、いつの間にか5人に増えていました。そこにいたのは、耕介と真由、音弥、禅、そして梨花の5人。しかし最初からこの5人だったような気がしてしまい、耕介たちには一体誰が増えたのかが分からなかったのです。そして誰が増えたのか大人たちに教えてもらおうと、5人は表座敷へと戻るのですが、なんとそちらでは食中毒騒ぎが。そして5人目の子供を見て不審な顔をする大人は、誰1人としていなかったのです。座敷童子は、一体誰なのでしょうか?

「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」という惹句のついた、ミステリーランドの第1回配本。同時配本は殊能将之氏「子どもの王様」、島田荘司氏「透明人間の納屋」。
物語は子供たち5人と三郎を中心に展開します。親たちの描写がほとんどなかったせいもあり、あまり人間関係を把握できないうちに終わってしまいました。子供の名前で親を認識させるなど、工夫はされていたのですが、あまり効果的ではなかったようですね。しかし物語自体は面白かったです。座敷童子のいる古い立派な屋敷や、行者のたたりの伝説のある沼を舞台にした、夏休みの冒険譚。田舎の夏休みの空気がとてもよく出ていました。そこに誰が座敷童子なのかという謎を中心に、親の食事のおひたしにドクゼリを入れたのは誰なのか、夜中に聞えてきた読経の声と人魂のような光は何なのか、お地蔵さまを動かしていたのは誰なのかという謎が絡んできて、物語は思いの外本格的。舞台となっている田舎らしい田舎の雰囲気、大勢の親戚が一堂に会する場が、現在かなり少なくなってきているであろうことを考えると、秘密基地で推理をしたり見張りをしたりという場面でワクワクするのは、今時の子供よりも、むしろ「かつて子どもだった」人間の方のような気もしますが。
ただ、座敷童子の判明の仕方が少々唐突すぎるのと、判明した後の展開が突然教訓じみてしまうのが違和感。突然夢から醒めてしまったようで、そこだけはもったいなく感じました。もちろん児童書という枠はあるのでしょうけれど、あまり対象年齢を意識し過ぎない方が、却って大人も子供も楽しめるような気がします。どうもこの作品は、対象年齢を意識しながら、結局絞りきれずに宙ぶらりんになっているような印象が残りました。
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