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このページは、浅暮三文さんの本の感想のページです。

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「ダブ(エ)ストン街道」講談社文庫(2003年12月読了)★★★★★お気に入り
ヨーロッパ中を旅する流しの考古学者・ケンこと吉田健二は、重度の夢遊病患者の恋人・タニヤを追ってダブ(エ)ストンという地を探し求めていました。地上最後の謎の大地で、南米大陸とオーストラリアの間のどこかにあるとだけ伝えられているダブ(エ)ストン。タニヤからの手紙には、聞きなれないその土地の名前が記されていたのです。そんなケンが目を覚ましたのは、見知らぬ島の砂浜。ダブ(エ)ストンを探して出航した船が難破し、ケンは砂浜に漂着したのです。島の奥の方に歩き始めると、そこにあったのは、「ダブ(エ)ストンにようこそ。ところでダブ(エ)ストンはどっちだ?」という、人を食ったような歓迎の言葉が書かれた立看板。

第8回メフィスト賞受賞作品。第8回ファンタジーノベル大賞の最終候補作ともなってた作品です。メフィスト賞というミステリ寄りの賞を取ってはいますが、これはミステリではなく、ファンタジーでしょうね。
まるで「不思議の国のアリス」か、クラフト・エヴィング商會の「クラウドコレクター」「すぐそこの遠い場所」などに登場するアゾットという国のような雰囲気。もしくは、ケストナーの「五月三十五日」的ですね。ファンタジー作品というのは、どうやって異世界に飛び込むかというのが1つの大きなハードルになると思うのですが、これは驚くほどやすやすと、そのハードルを越してしまいます。そしてふと気がつくと、読者もケンたちと一緒に彷徨い始めているのです。まず登場する人間や動物といったそれぞれの存在が魅力的。スペイン語を話す熊や半魚人に向かって、謁見に際してタイ着用を求める執事のピエールもピエールですが、それに対して素直に受け取ったタイを着用しようとして王様を逃してしまう熊や半魚人も微笑ましいですね。
そして、「もしかして余はぐるっと一回りして以前の森に戻ったのか?」と尋ねる王様に対する、ピエールの答えが、この作品の中枢なのではないでしょうか。例えばスポーツを始めとする何らかの競争や競技が行われる世界では、「結果こそ全て」「参加することに意義がある」という2つの相反する言葉がよく聞かれます。しかしこのダブ(エ)ストンは、一環して「参加することに意義がある」に重きが置かれている世界。冒頭のトロッコを動かしている老婆の亡くなった夫の言う、「穴を掘る目的を探して」穴を掘るという行為が、それを象徴しているようです。ここでは、全ての人たちが道に迷っているようなのですが、重要なのは、実は「迷う」ことではなく、諦めたりせずにひたすら「前に進む」ことなのでしょう。そして、たとえ同じ場所に何度も辿り着いても、前に辿りついた時とは違う自分を発見し、単なる堂々巡りではなかったことを知るということが、ピエールの言葉の意味なのではないでしょうか。だからこそ、皆が迷いながらも進み続けているのでしょうね。楽さえしようとしなければ十分生きていける、しかし「手っ取り早く儲けようとすると痛い目を見る」というこの土地柄が、まずそれ実践して見せてくれているようです。

「夜聖の少年」徳間デュアル文庫(2006年2月読了)★★★★
全ての暴力行為が封じ込められている光の世界。ここでは人は生まれ落ちた時に抑制遺伝子を埋め込まれ、身体と心が大人になり安定して体液が発光すると、“木曜日の儀式”を受けて子供たちは大人になります。神のパズルとも呼ばれる抑制遺伝子が発見されることによって、それまでの古い神々に取って変わった新しい神は光(セントルチア)と名付けられ、かつてキリストが生まれた時に時間が区切られたように、遺伝子紀元前・遺伝子紀元後とされていました。しかしこの光の世界にも、暴力は僅かながらに存在していたのです。それは土竜(もぐら)と呼ばれる、“木曜日の儀式”から零れ落ちた者たち。そしてそれらの土竜を排除しようとする炎人たち。そしてカオルもまた、沢山ある土竜のグループの1つに属する少年でした。カオルが属しているのは、ケンをリーダーとする20人ほどのグループ。しかし聖夜に計画された襲撃は失敗し、カオルを助けようとしたラッツォも、ペテロも炎人に燃やされてしまうことに。

未来の地球を舞台にしたSF作品。しかしSF的な物語ではありますが、カオルという少年の成長物語、そして青春小説でもあります。宮崎駿映画にすると良さそうな物語。
遺伝子組み換えによって暴力への衝動を抑制するという試み、そしてその一見画期的な目論見に実は穴があり、そこからはみ出してしまった少年たちの図というのは、どこかで見かけたような設定。それでもその世界観は個性的ですし、ミトラと名付けられることになる不思議な「神」の設定や、そこに潜む謎は面白かったです。ただ、土竜たちを巡る様々な出来事があっさりと流されてしまったのが不満。それがカオルの成長にどのように影響したのかという面では、もう少し説得力が欲しかったところです。最初は「うすのろ」と呼ばれ、周囲にも大人しいだけの少年という印象しかなかったカオルが、いつの間にか「うすのろ」ではなくなり、中心に立って行動するような少年になるのですが、その辺りの変化についていけず、どこか取り残されたような気分になってしまいました。そもそも最初にケンがカオルに対して感じていたのは何だったのでしょう。「生き延びるはずだと思っていたんだ」という発言は、何を根拠にしていたのでしょう。失ってしまった弟とカオルの姿を重ね合わせていただけではなく、何かしら確固たるものがあったのだろうと思うのですが。カオルを可愛がっていたラッツォも、カオルに何を見ていたのでしょう。
ちなみにミトラとは、紀元前1700年以前の中央アジアにまで遡ることができる、古代のインドや西アジアで信仰されたミトラ神ないしはミトラ教から来ているようですね。

「石の中の蜘蛛」光文社文庫(2005年12月読了)★★★
楽器の修理を仕事としている立花誠一は、不動産屋に連れられて杉並区のミニマンションを見に行った帰りに車にはねられて入院。頭蓋骨に亀裂が入るものの、幸い脳に異常は見られず、身体も外傷だけで命に別状はありませんでした。しかし意識を取り戻した立花の耳に入ってきたのは、事故に遭う前の何倍もの音。立花の聴力は、異常なほど敏感になっていたのです。退院した立花は、街中の激しい音のせいで脳裏が真っ白になるほどの衝撃を受けます。防音を徹底しているはずのミニマンションの部屋に入っても、壁ごしに他所の部屋の音が逐一伝わってくるのです。その時引き受けていたギターの修理が終わったのを機に、しばらく仕事を休もうと考える立花。しかし自分の前にその部屋に住んでいた女性の音が部屋に残っているのに気づき、徐々に女性のことが気になり始め、その女性のことを調べ始めます。女性はある日書き置きと不思議な石を残して、部屋から失踪したというのです。

有栖川有栖氏の「マレー鉄道の謎」と共に、2003年度の日本推理作家協会賞を受賞した作品。
この作品で面白いのは、音の描写ですね。聴力が鋭くなりすぎた主人公が感じる音が絵のように描写されていきます。トラックの音は分厚い画用紙のような感触、オートバイは同じ紙玉でももう少し薄い硫酸紙のような感触、新車のエンジン音は軽くて、高い音で銀紙みたいな感触。そして立花をはねた白いセダンの音は古紙を丸めた紙玉のような感触。井上夢人さんの嗅覚が異常に発達した「オルファクトグラム」を思い出しました。「オルファクトグラム」のような色彩の美しさはないのですが、こちらも立体的な形が感じられる描写で面白かったです。
ただ、主人公の立花に今ひとつ魅力がなく、しかも彼がやっていることはまるでストーカーのようで、あまり気持ちの良いものではありませんでした。いくら女性が交通事故の鍵を握っているにせよ、女性が引っ越した後の部屋で、彼がスプーンで部屋の床や壁、トイレや浴室を叩いて回り、女性の体型から日常生活の行動パターンから、心理状態を探っているかと思うと、想像しただけでぞっとします。せっかくの楽器修理職人という設定ももっと生かせたのではないかと思うと少し残念。
帯には「ハードボイルドとファンタジーの融合」とあるのですが、あまりそうは思えなかったです。

「ラストホープ」創元推理文庫(2004年12月読了)★★★
中華料理店・李苑を経営する李と、フライ・フィッシング専門の釣り具店・ラストホープを経営する東堂満男と刈部のは、かつては一緒に組んで仕事をしていた宝石泥棒3人組。府中刑務所を出所した後は、犯罪には全く関わり無く、それぞれに真面目に商売しています。そんなある日、苅部が拾ってきて店につけたばかりのFAXに入った依頼は、病床の父のために多摩川で30cmクラスの山女魚を釣ってくれたら、1匹につき2万円出すというもの。早速苅部は山梨の養殖場で山女魚を用意し、東堂は自分でも多摩川で釣りを開始。しかし魚を持って待ち合わせの氷川大橋にいる東堂を何者かが襲います。東堂は頭を鈍器で殴られて気絶、山女魚も奪われてしまうことに。そして翌日、今度は病床の息子のために山女魚をとって欲しいという依頼が…。

いかにもドナルド・E・ウェストレイクのドートマンダーシリーズに触発されているというピカレスク小説。同じくドートマンダーシリーズに触発されているという、伊坂幸太郎さんの「陽気なギャングが地球を回す」の系列ですね。この作品では、東堂がドートマンダーの役回り。
しかし 物語全体に軽快さがあり、それぞれのキャラクターが立っているはずなのに、登場人物たちに関する情報がなかなか明かされないため、前半は何とも言えず読みにくかったです。東堂・苅部・李の3人組、婆さん3人組、そして宝石強盗の3兄弟と3つの3人組があるのですが、それすらなかなか飲み込めなかったほど。この辺りをもっと整理して書いてくれれば、もっとこの痛快さが楽しめそうなだけに少々残念。それに釣りのシーンなども、楽しんで書いているのは良く分かるのですが、そこだけに力が入りすぎて、それ以外の部分とのバランスもあまり良くないような気がします。
しかしその前半さえクリアできれば、後半は怒涛の展開が何とも楽しいです。シリーズ物にして欲しいほどのキャラクターぶりで、特にマツ婆さんは、天藤真さんの「大誘拐」の とし子刀自を髣髴とさせるほど。東堂が飲むと一体何が起きるのか、苅部の白い獣とは何なのか、苅部の育った修道院では一体何が起こっているのか。今度はその辺りも読んでみたいです。

「嘘猫」光文社文庫(2004年12月読了)★★★★
コピーライターを目指していたアサグレ青年は、とあるプロダクションに入社が叶い上京。部屋の天井に足跡が付いているような荻窪の常盤荘の六畳一間でのゼロからのスタート。しかし何もできないのにプライドだけは高いため、周囲の人間とも上手くいかず、半年でクビに。その後広告代理店Z社に入社、社会人としての自分を自覚し、駆け出しコピーライターの生活もようやく安定することになります。そんなある日曜日の夕方、自室で仕事をしていたアサグレ青年の耳に聞こえてきたのは、どさんという激しい音。窓をあけてみると、窓の桟には太った猫がいたのです。

今から20年前の1984年の、駆け出しコピーライターの猫との同居生活を描いたファンタジックな自伝的青春小説。コピーライターとしての自分を軌道に乗せるだけでも大変な時期に、思いもかけず猫の「お父さん」にされてしまったアサグレ青年は、東京での1人ぼっちの生活を猫と一緒に乗り切っていくことに。ほのぼのとほんわかとした猫との関係に励まされながら、徐々に1人前のコピーライターとして成長していくアサグレ青年。ここで描かれている猫たちの姿がとても可愛くて場面場面が頭に浮かんできます。何というか吉本新喜劇を見ているような安心感があるのですね。ほのぼのと笑える暖かさ。しかしそんなアサグレ青年も仕事が軌道に乗るにつれ、ますます忙しい生活を送ることに… そして迎えたラストは何とも切なくなってしまいます。
この作品は、どこからどこまでが虚構なのでしょうね。少なくとも猫に関する部分だけは、かなりの比率で本当なのではないかと思いますが…。

「実験小説 ぬ」光文社文庫(2005年12月読了)★★★★★
「実験短編集」「異色掌握集」という2章に分かれて、26の短編が収められています。

実験小説という標題に相応しく、1章の「実験短編集」には様々な面白いアイディアが詰め込まれています。例えば、「実験短編集」の「帽子の男」は、交通標識に登場する「彼」に関する物語。普段何気なく見ている標識から、「彼」とその家族の人間模様が浮かび上がってくるのが面白いです。そして次々と届けられる謎のメッセージに加藤静夫が翻弄される「喇叭」、山の中に行商にやってきた男が表示に従って歩き続けていく「遠い」、図書館で間違えて借りてきてしまった本の中に入り込んでしまう「カヴス・カヴス」、ある観光地に釣りにやって来た男の物語「お薬師様」… 時にはページを上下に分割して、その上下でそれぞれの文章が同時進行させてみたり、様々な図を使ってみたり、あるいはまるでゲームブックのようであったり。しかも実験作品であるだけでなく、それぞれ短編として読み応えがあるのです。浅暮さんのアイディアと想像力、表現力にすっかり翻弄されてしまいました。さすが「ダブ(エ)ストン街道」を書いた人だけありますね。
そして2章の「異色掌握集」も、まさに異色。いつしか「自分の中に何かがいる」と考え始めるようになった宇都宮斉の「何かいる」はオチが最高ですし、死後硬直が始まっている死体の加藤静夫が、カレーが食べたいがためにスーパーのタイムサービスに出かけるというシュールな「タイム・サービス」、死後の世界でかつての友人同士が出会う「再会」なども面白いですし、浅暮風ショートショートに翻弄されますし、その世界を堪能できます。

収録作品:第一章・実験短編集「帽子の男」「喇叭」「遠い」「カヴス・カヴス」「お薬師様」「雨」「線によるハムレット」「小さな三つの言葉」「壷売り玄蔵」「參」
第二章・異色掌編集「何かいる」「タイム・サービス」「再会」「隣町」「行列」「海驢の番」「貰ったけれど」「砂子」「ワシントンの桜」「ベートーベンは耳が遠い」「黄金の果実」「箴言」「生徒」「穴」「進めや進め」「カフカに捧ぐ」「これはあとがきではない」
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