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このページは、島田荘司さんの本の感想のページです。

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「御手洗潔のメロディ」講談社文庫(2002年1月読了)★★★★

【IgE】…ある著名な声楽家の元に入門した美女が失踪。一方、あるファミリーレストランのトイレの便器が連日のように割られています。この2つの出来事は一見全く関係なく見えるのですが、御手洗にとっては1つの大きな出来事だったのです。
【SIVAD SELIM】…石岡の元にかかってきた電話は、外国人高校生の障害者のために開く手作りコンサートへの、御手洗の出演依頼でした。感激屋の石岡は、御手洗を説得すると安請け合いするのですが、肝心の御手洗は、そのクリスマスイブの前日だけは絶対にダメだとつれない返事をします。
【ボストン幽霊絵画事件】…御手洗のハーヴァード大学の新入生時代。大学の友人・ビリーから、自動車修理工場の看板に銃弾が撃ち込まれたという話を聞かされた御手洗は、殺人事件を察知。12発撃たれた銃弾は全て看板のZの文字に集中していたというのです。
【さらば遠い輝き】…ストックホルムにいるドイツ人ライター・ハインリッヒの元に、松崎レオナから10年ぶりの電話が入ります。レオナは彼の書いたストックホルム大学の脳研究の記事を読んだのです。御手洗潔は、その脳研究のチームのリーダー。レオナは御手洗のことを色々と尋ねます。

久々の御手洗潔シリーズの短編集。本格ミステリと言えるのは「IgE」と「ボストン幽霊絵画事件」の2作。「SIVAD SELIM」と「さらば遠い輝き」は、いわゆるファンサービスですね。短編集も良いのですが、そろそろ力技たっぷりの御手洗物の長編が読みたいです。御手洗には、早く日本に帰ってきて欲しいですね。
「IgE」これは凄いです。本当に久々の御手洗らしい御手洗。相変わらずアクロバティックでスピード感たっぷり。読んでいる最中はさっぱり予想がつかず、ひたすら石岡くんが気の毒なだけなのですが、分かってみると目か鱗。綺麗に落としてくれます。…この2つの依頼から、どうやって繋がりを見つけるのだという疑問は当然出てくると思うのですが、いいのです、御手洗だから。「SIVAD SELIM」石岡くん、ただの我儘ですね。しかし御手洗のギターを弾くシーンがあるのが、なんとも嬉しいです。「ボストン幽霊絵画事件」こんな御手洗に付き合わされる周囲の人間が気の毒ですが…。御手洗って、ハーヴァード大学にもいたのですね。京大医学部にいたはずですし、そこからジュリアード音楽院へと行ったはず。この辺りで詳細なプロフィールが知りたいです。「さらば遠い輝き」御手洗は2人の話題の中に登場するだけなのですが、彼の語る石岡くんが垣間見えるのが貴重です。


「Pの密室」講談社文庫(2003年4月読了)★★★★

【鈴蘭事件】…幼少時代の御手洗潔が暮らしていたのは、セリトス女子大の構内。幼稚園児の御手洗潔が事件解決に一役買っていたことを知り、石岡と里美は当時事件に当たった馬夜川という巡査に話を聞くことに。大学の近くのバーの主人が突然の交通事故死をした日、店の床にはなぜかガラスの破片が散乱していたというこの事件、御手洗は犯人の名を紙に書いて渡したと言うのです。
【Pの密室】…毎年恒例の横浜市長賞という絵のコンクールが突然中止されます。その理由は、審査員をしていた有名画家・土田富太郎画伯の急死。画伯は、弟子でもあり愛人であるとも噂される天城恭子と共に密室状態の自宅の中で死んでいたのです。ある日えり子の教室に、土田富太郎画伯の中学生の息子が現れます。かぶとを折るために、教室に貼ってあった模造紙を欲しいのだと言うのです。

御手洗潔が5歳の時の「鈴蘭事件」と小学生2年生の「Pの密室」。「鈴蘭事件」はメフィストで1度読んでいるので、今回が再読となります。初読の時は、5歳の御手洗の姿があまりに作られすぎていて気持ち悪いという印象ばかりが残ったのですが、今回読み返してみると、1つの作品としてまとまりのある作品ですね。トリック自体はある程度予想がつくのですが、それよりも現在の御手洗を作り上げた環境の設定や、悪意の行方というのが非常に上手いです。しかしやはりこんな5歳の子供というのは正直気持ち悪いです。因数分解を解き、モーツァルトを弾きこなす5歳児。御手洗の天才性を説明するにしては少々極端なような気がしますし、ここまで別格である必要があるのかと疑問すら感じてしまいます。「Pの密室」こちらは御手洗らしい作品ですね。実際には、ここまで上手くいくとは思えないのですが、犯人の心情などの描き方も上手いですし、ラストの持って行き方もさすがです。最後の最後は、御手洗シリーズというよりも吉敷シリーズのような雰囲気。これは犯人の心情の描き方によるものなのでしょうか。


「最後のディナー」角川文庫(2003年4月読了)★★

【里美上京】…「龍臥亭事件」から1年。犬坊里美が、広島大学から横浜のセリトス女子大に転入したと突然上京。里美に誘われて横浜を歩くうちに、石岡和己は20年前の良子のことを思い出します。
【大根奇聞】…里美に紹介された大学の教授・御名木に図書館で出会った石岡は、薩摩を舞台にした「大根奇聞」の謎について聞かされます。それは天保9年、鹿児島を襲った大飢饉の折の物語でした。
【最後のディナー】…里美に強引に誘われて駅前留学することになった石岡。一番下のクラスに入れられてしまった石岡は、同じクラスの大田原智恵蔵という69歳の男性と次第に親しくなります。

今や石岡くんシリーズと言った方が相応しいようなこのシリーズ、スウェーデンの大学の教授をしている御手洗潔は、ほんの少し顔を出す程度です。最初の「里美上京」は、本当に題名そのまま上京したというだけの話。「大根奇聞」は、どこかで読んだ覚えのある民話に、島田氏らしい現代的な解釈がつけ加えられたもの。「最後のディナー」は切々とした物語。これから何が起きるのかは、ミステリ読みならば分かってしまうかも。
それにしても石岡くん、読めば読むほど情けないですね。どうやら40代後半のようなのですが、いくらなんでもこれはないでしょう。里美の喋り方に影響されているのは論外ですが、鬱々と自分の殻の中に閉じこもっているのがじれったいです。自信はないのに、自意識だけはたっぷりあって始末に負えません。講演を断固断るのはいいのです。それなのになぜ、英語を習うのを承諾してしまうのでしょうか。英語ができないのも、したくないのも、それが石岡くんの考えなら全然構わないのです。なのに、里美が離れていってしまうのが怖くて通い始めてしまうとは。御手洗に去られた石岡くんは、京極堂に見放された関口くんのようですね。関口くんの「目眩」とは違うのです。ワトソン役にもほどがあるかと思うのですが。


「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」原書房(2003年4月読了)★★★★★

スウェーデンの大学で客員教授をしている御手洗潔は、クリスマスの夜、同僚の教授たちとエカテリーナについて語り合ううちに、20年も昔に東京で起きた事件の話を思い出します。それは占星術殺人事件が本になり、御手洗が有名人なった頃の話。馬車道の御手洗の部屋に突然訪ねてきた高沢秀子という老婦人は、まるで世間話のように親友・折野郁恵について話し始めます。郁恵が、かの榎本武揚の子孫であり、ロシア皇帝から賜った、ダイヤモンドが散りばめられた「セント・ニコラスの長靴」を持っていること、その長靴をゆくゆくは孫の美紀に譲ろうと考えていること、しかし最近はそれを売ってマンションの1フロアを買い、老人ホームを作りたいと考えていること。しかしその日、バザーに現れた郁恵の様子がどうも変。歩けないほど足が悪いわけではない郁恵が車椅子に乗り、真っ青でぶるぶると震え、しかも表で雨が降り始めたのを見た途端、卒倒してしまったのです。

「シアルヴィ館のクリスマス」「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」の2編が収められていますが、「シアルヴィ館のクリスマス」は、「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」の物語を引き出す導入編。2つ合わせて1つの物語と言ってさしつかえないと思います。
やはり御手洗が主人公というのはいいですね。御手洗が海外に行ってしまって以来、石岡くんが語り手となっていたのですが、それでは御手洗物の良さが十分発揮されていなかったと、改めて感じてしまいました。この作品は御手洗物らしさ、特に初期の作品の持つ良さがたっぷり詰まっている作品。御手洗の天才的な頭の良さと気持ちの良さが堪能できるハートウォーミングな作品です。奇抜で大掛かりなトリックこそ登場しませんが、しかしこれこそが御手洗。島田荘司氏が大掛かりなトリックを要求される御手洗物を書くのに飽きてしまったのではないか、もしや書きたくてもアイディアが浮かばなくなってしまったのではないかなどと失礼なことを考えたりもしたのですが、この作品を読めば島田荘司健在がよく分かります。初期の御手洗の短編集が好きな方に特にオススメです。
クリスマスらしい装丁が施されたこの本は、ミステリ好きな人へのクリスマスプレゼントとしてもぴったりですね。少し長めの童話という趣きもある作品です。


「ロシア幽霊軍艦事件」角川文庫(2005年3月読了)★★★★★

御手洗が北欧に発つ前年の1993年の夏。馬車道にいる石岡と御手洗のところに、アメリカに暮らすレオナからの手紙が届きます。その手紙には、1984年にレオナ宛に送られてきていたというファンレターも同封されていました。それは横浜に住む倉持ゆりという若い女性からの手紙。レオナの前のエージェントが最近見つけて、レオナに送ってよこしたのです。その内容は、倉持ゆりの今は亡き祖父がアメリカのヴァージニア州に住むアナ・アンダーソン・マナハンという女性に謝罪したがっており、箱根の富士屋ホテルの本館1Fのマジックルームに置かれている写真をその女性に見せたがっていることを、レオナから彼女に伝えてくれというもの。しかし御手洗がその住所に電話をしてみると、祖父だけでなく倉持ゆり本人も既に亡くなっていました。御手洗は石岡と共に富士屋ホテルへと向かうことに。

久々の御手洗シリーズの長編です。
レオナに届いたファンレターから、大正8年に箱根の芦ノ湖にロシアの軍艦がいた写真の謎、そしてさらに大きな歴史的な謎へと物語は発展していきます。徐々に謎が大きく複雑になっていくところは、さすが島田氏。十分練り上げられた演出といった感じですね。そしていかにも御手洗物といった感じのアクロバティックな論理が展開されます。もちろん伏線は張られているのですが、ここからそのヒントを得ることができるとしたら、やはり御手洗だけでしょう。驚きの真相。しかも真実と思わせる説得力もたっぷり。これは凄いですね。そしてこの作品は元々「季刊島田荘司2000Autumn」に載っていた作品で、本になる時に、文庫にして80ページほどのエピローグが加筆されたのだそうです。このエピローグがあるのとないのとでは、作品のイメージがかなり変わるのではないでしょうか。御手洗物としては本編だけでも十分だったと思いますが、作者としてはこのエピローグこそが一番書きたかった部分なのかもしれないですね。切ない読後感です。
御手洗がコンピューターを使っているというのにも驚いたのですが、外出先でインターネットを使っているのが驚きでした。1993年といえばパソコン通信全盛期で、まだインターネットに接続するのはかなり大変だったはず…。そして彼女は話したくなかったのでしょうか?それとも話せなかったのでしょうか?


「透明人間の納屋」講談社ミステリーランド(2003年12月読了)★★★★

昭和52年の夏。9歳だった「ぼく」ことヨウイチは、日本海を臨むF市で母親と2人暮らし。遊び相手となる友達もいないまま、いつも隣の真鍋印刷に入り浸り、毎日のように「真鍋さん」と一緒に食事をしたり、散歩をしたり、宇宙のことや透明人間のことを始めとして、様々なことを教えてもらったりしていました。当時の「ぼく」にとって、「真鍋さん」は全てにおいて完全な人間だったのです。しかし彼の妹のような存在だった辛島真由美が殺されたことから、その生活に変化が訪れます。真由美は、まるで透明人間にでもなったかのように、婚約者と過ごしていた部屋から消えうせ、思ってもいない場所から死体として発見されます。そして、その犯人が「真鍋さん」ではないかと疑いを持つ「ぼく」。それがきっかけとなって「真鍋さん」は1人外国へと去り、交流は途絶えることに。

「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」という惹句のついた、ミステリーランドの第1回配本。同時配本は小野不由美氏「くらのかみ」、殊能将之氏「子どもの王様」。
真鍋の語る「透明人間」は一体何を指しているのだろう、もしや(ネタばれ→犯罪者←)なのでは… などと思いながら読み始め、外国というのは(ネタばれ→あの世←)のことだろうかと勝手に推測してしまっていたので、ラスト間際に真相が明かされた時には驚きました。非常に現実的な重い問題を含んだ作品ですが、読後感はとても良かったです。最後まで読んでみると、冒頭での真鍋は一体どんな気持ちで透明人間や宇宙人の話をしていたのだろうと、そのほろ苦さに切なくなってしまいました。スイフト・タッセル彗星がたくさん星屑をバラ撒きながら軌道を進み、地球がその星屑の中に入って、霧の中を通過するという話も良いですね。
読んでいる時はあまり本格ミステリの作品だという感覚がなかったのですが、途中で起きる事件は、実は完全に本格ミステリ。「ぼく」の目には、透明人間が起こしたとしか思えない事件でした。しっかりと密室トリックも含まれているのですが、物語の中に自然に存在していて、押し付け感がないのがとても良かったです。島田作品らしい大トリックではないものの、単なるトリックのためのトリックではないところが好印象。おそらく、子供向けだから大人向けだからと区別することなく、全ての仕事に真摯に取り組むであろう島田氏。なんとなく、「真鍋さん」の姿と重なりました。
ところで推理作家の松下謙三というのは、もしや神津恭介の助手の…?ですよね?


「UFO大通り」講談社(2007年9月読了)★★★

【UFO大通り】…昭和56年、御手洗が石岡と共に馬車道に住んでいた頃。散歩に出た2人の前に現れた少女は、近所に住む小平ラクという老女がUFOや宇宙人、宇宙戦争を家の前で見かけた話をテレビの特番でしたため、息子夫婦にボケ老人になったと思われ、老人ホームに入れられそうになっていると訴えます。
【傘を折る女】…御手洗と石岡が横浜で過ごした最後の春となった、1993年5月。ラジオの深夜放送で、傘を車に轢かせようとしている女性を見たという不思議な話に、それまで退屈していた御手洗は興味を引かれます。

どちらも御手洗と石岡くんが馬車道にいた頃の話を、石岡くんが回想している形式。私は御手洗が馬車道にいた頃の初期の作品が一番好きですし、どちらも相当奇抜な謎に御手洗が鮮やかな解決を提示するという、御手洗シリーズらしい作品ではあるのですが、読後感として一番感じたのは、御手洗シリーズもすっかり密度が薄くなってしまったということ。悪くはないのですが、やはり初期の傑作群に比べると、物足りなさを感じてしまいます。トリックのスケールが小さいということもあるのでしょうか。それともキレが足りないのでしょうか。どちらも衝撃度はそれほど大きくなく、同じように馬車道を舞台にしているとはいえ、読んでいると1980年代に島田荘司さんが書かれた作品群との違いがひしひしと感じられてしまいます。馬車道時代のファンとしては、この時代の作品を書いていただけるのはとても嬉しいのですが、やはり長いブランクはいかんともしがたいのかもしれませんね。UFOに乗った宇宙人の地球侵略、それを信じていたかのような小寺青年の姿。白いシーツを体にぐるぐると巻きつけ、オートバイ用のフルフェイスのヘルメットをかぶってバイザーを閉め、首にはマフラー、両手にはゴムの手袋。部屋の天井からはちぎって貼ったガムテープの切れ端がぎっしり…。そんな謎も見事に解かれてみれば、とても納得のいく説明。車に傘を轢かせようとしていた女性の謎も同様。どちらかといえば、「傘を折る女」の方が御手洗らしさは強いのですが、推理にそれほど意外性がなく、しかも「車に傘を轢かせる」という部分の説得力が今ひとつ弱いように思います。

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