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このページは、塩野七生さんの本の感想のページです。

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「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」新潮文庫(2009年1月再読)★★★★

1492年夏。シエナの街のカンポ広場で馬を走らせていたチェーザレ・ボルジアは、フィレンツェの大富豪プッチの次男に呼ばれて馬の歩みをゆるめます。チェーザレはあと1ヶ月で17歳という頃、ピサ大学の学生。シエナの街の恒例の年中行事であるパーリオ(競馬)出場のために、練習をしていたのです。そこにローマにいる父親・ロドリーゴ・ボルジアからの書状が届きます。その日行われた法王を選出する枢機卿会議コンクラーベで、チェーザレの父親が新法王に選ばれ、アレッサンドロ6世となり、チェーザレもローマに向かうことになったのです。

物語は1492年に始まり、チェーザレがヴァレンティーノ枢機卿として存在する1498年までの「緋衣」、枢機卿職をおりてから野心のままに突き進む「剣」、そして1503年に父の法王が亡くなってからチェーザレ自身の死の1507年までの「流星」と3部構成。1492年といえば、コロンブスがアメリカ大陸を発見した年。地球の反対側ではこんなことが起きていたのですね。
この作品は高校の時に一度読んだことがあり、今回は再読なのですが、今回読んでいて意外だったのは妹のルクレツィアの出番が少なかったこと。以前読んだ時は、ルクレツィアの存在がとても印象に残った覚えがあるのですが…。もちろん兄によって3度も結婚させられることになりますし、チェーザレだけでなく他の兄とも近親相姦の関係にあったとされるルクレツィアなので、その記述だけでも強く印象に残ったとしてもおかしくはないのですが、例えばチェーザレとのダンスのシーンを読んでいる時に自分で勝手にイメージを膨らましてしまったのでしょうか。そして、今回読んでいてとても惹かれたのは、ドン・ミケロット。常に影のようにチェーザレに付き従う存在。チェーザレの右手であり、彼の存在だけで誰かの死を意味すると言われる美しい青年。もちろんこの作品では、チェーザレともどもかなり美化されているのだろうとは思いますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが登場する場面でもとても印象に残りますし、残酷な拷問を受けても決してチェーザレを裏切らず、最後までチェーザレを助けようとする姿は胸を打ちます。
塩野七生さんはこの作品がデビュー作。以前読んだ時もそっけないほどあっさりした作品、まるで解説書を読んでいるようだと思いましたが、今の「ローマ人の物語」に比べると遥かに小説らしいですね。驚きました。


「コンスタンティノープル陥落」新潮文庫(2008年2月読了)★★★★

紀元1453年5月29日、オスマントルコの猛攻によって陥落したビザンチン帝国。330年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって建設されて以来、1123年間もの間「ビザンチン帝国」とも呼ばれる東ローマ帝国の首都であり続けたコンスタンティノープル、「コンスタンティヌスの都」という意味であるコンスタンティノポリスは、オスマントルコ帝国のスルタン・マホメット2世率いるスルタン直属の最精鋭部隊・イェニチェリ軍団2万人を中心とする10万人の大軍勢を前に、陥落を余儀なくされることとなったのです。ビザンチン帝国最後の皇帝は、奇しくも創始者と同じ名前を持つコンスタンティヌス11世でした。

地中海戦記3部作の1作目。様々な立場にいる人々の視点から描いた多層的な物語です。この歴史的な出来事の現場証人となるのは、ヴェネツィアからトレヴィザン提督の船医としてやって来たニコロ、フィレンツェ商人のヤコポ・テダルディ、セルビア騎兵を率いる22歳のミハイロヴィッチ、ローマ法王の代理としてギリシア正教会とカトリック教会の再合同に着手することになった50歳のイシドロス枢機卿、コンスタンティノープルの僧院にいる合同反対派のゲオルギオス、その弟子のイタリア人で21歳になったばかりのウベルティーノ、コンスタンティノープルの市街を一望のもとに見渡すガラタ、ジェノヴァ居留区の代官・アンジェロ、ロメリーノ、ビザンティン帝国最後の皇帝・コンスタンティヌス11世の右腕・フランゼス、そしてマホメット2世の小姓を務める12歳のトルサン。戦闘場面が中心ということで、やや苦手な部分もありましたが、しかし当時の戦闘の様子をこれほどまでに克明に描きあげているのは素晴らしいですね。おそらく相当の下調べがあったのでしょう。そして読んでいて、それぞれの立場からの視点の違いがとても興味深いです。
マホメット2世はただ単に1つの都市を欲しがったのではありません。それは大きな理由があってのこと。コンスタンティノープルはアジアとバルカンを結ぶ交通の要所であり、同時にビザンチン帝国の首都を手中にすれば、かつてのビザンチン帝国領土全域に領有権を主張できるのです。それほどの重要な場所とはこれまで全く知りませんでしたが、この陥落があったからこそ、その後のオスマントルコの繁栄があったのですね。そして西欧人にとって最終的に唯一「皇帝」と呼ぶに相応しい東ローマ帝国皇帝、及びその国を消し去ってしまったことによる西欧人への衝撃の大きさをも、この作品からは計り知ることができます。


「ロードス島攻防記」新潮文庫(2008年2月読了)★★★★

16世紀初頭。その頃ロードス島を支配し守っていたのは聖ヨハネ騎士団。未だイェルサレムがイスラム教徒の支配下にあった9世紀の中頃、アマルフィの富裕な商人マウロが聖地巡礼者のために病院を兼ねた宿泊所を建てたことがきっかけで形成されていった組織です。当初は宗教と軍事と病人治療に奉仕する宗教団体として法王に認可されたこの団体は、やがて武器と医術によって異教徒からキリスト教徒を守るキリストの戦士へと変貌し、14世紀になってロードス島を征服して移転、「ロードス騎士団」とも呼ばれるようになります。しかしエーゲ海の東南に位置する気候にも恵まれたロードス島に、キリスト教徒である聖ヨハネ騎士団の本拠地が置かれていることは、勢力伸張の一途にあったイスラムの新興国・トルコにとっては目障り以外の何ものでもなかったのです。ビザンチン帝国を滅ぼしたマホメッド2世の曾孫であり、のちに「大帝」と尊称されることになるスルタン・スレイマンは、このロードス島を征服することを固く決意することに。

地中海戦記3部作の2作目。1522年に陥落したロードス島での戦いを描いた作品。
物語の始まる前に「これより語るのは、十六世紀初頭に生きた、若い三人のカデットの物語である」とあり、その3人が聖ヨハネ騎士団の28歳のジャン・ド・ラ・ヴァレッテ・パリゾン、25歳のジャンバッティスタ・オルシーニ、20歳のアントニオ・デル・ガレットだとあります。ちなみにカデットとは、中世の封土政下では家督も財産も相続できず、聖職界か軍事界に自らの将来を切り開く必要のあった二男以下の男子を意味する言葉なのだそう。もちろんアントニオらの目を通して語られる部分も多いですし、彼の友人となるオルシーニはとても印象的な人物。聖ヨハネ騎士団にも興味があったので、歴史的な側面の説明もとても興味深いものでしたし、ヴェネツィア人技師・マルティネンゴによる防衛的な城砦などの構築についても同様でした。しかしこの作品を読んで一番印象に残ったのは、まだ28歳と若いスレイマン1世。トルコ軍が残虐だったという話はよく聞きますし、実際「コンスタンティノープルの陥落」でもそういった一面を見ることができます。ましてやキリスト教側からの視点となると、絶対と言ってもいいほど野蛮で傲慢、絶対服従を要求し、自分は約束を破ることなど何とも思わないような異教の王として描かれるのではないかと思うのですが、この作品に描かれているスレイマン1世はとても紳士的。作中でもフランス貴族が引き合いに出されていますし、「スレイマンこそ本当の騎士だった」と騎士団長に言わしめるほどです。こういった描き方は、日本人である塩野七生さんならではなのでしょうね。


「レパントの海戦」新潮文庫(2008年2月読了)★★★★

トルコの宮廷では先帝・スレイマン大帝が亡くなって3年。ヴェネツィアの国営造船所炎上の知らせを受けた新帝・セリムを囲む強硬派は、キプロス・クレタ奪回の好機と色めきたち、宰相・ソコーリを始めとするスレイマン大帝の考えを今なお忠実に守る穏健派には抑えきれない状態となっていました。コンスタンティノープル駐在ヴェネツィア大使・バルバロからその知らせを受けたヴェネツィア元老院では、キプロス救援の陸兵を雇い、さほどの被害ではなかった国営造船所をフル回転させることを決議。法王・ピオ5世を通じてスペイン王・フェリペ2世を動かし、ヴェネツィアとスペインの連合艦隊がトルコ軍を迎え撃つことになります。

地中海戦記3部作の完結編。1571年のギリシャのレパント沖で行われた海戦を描いた作品。
3部作通して一貫して描かれてきたのは、キリスト教vsイスラム教という2大勢力のぶつかり合いだったわけですが、キプロスのファマゴスタが陥落した時、トルコ軍の指揮官・ムスタファ・パシャが一時は住民の身の安全を絶対に保証すると言いながらも、一旦開城してしまうと約束を翻したというのも、スレイマン時代との違いを感じさせて興味深いですし、トルコの海軍を率いていた中に、幼少時はキリスト教徒であったのに攫われて改宗イスラムとなった海賊たちの姿が何人もあるのが面白いです。そしてコンスタンティノープルが陥落して120年、ようやく西欧軍がトルコ軍に一矢を報いることになるのですが、この戦いは結果的にキリスト教側の勝利に終わるのものの、内実ではそのキリスト教側もスペイン王弟であり総司令官に任命されたドン・ホアンと、ヴェネツィア海軍の総司令官・ヴェニエルの反目などもあり、かなり危うい勝利だったようですね。それでもトルコの負けは負け。スレイマン大帝時代のオスマントルコの勢いもこれで削がれることになります。そしてこれを境に、通商によってによって生き延びていたヴェネツィア共和国も、徐々に衰退していくことになります。さらには、このレパントの海戦が、ガレー船で接近して白兵戦を行うタイプの最後の海戦だったようですね。この後はトラファルガーの海戦のように、離れた所から艦載砲で撃ち合うタイプの海戦となっていったのだそう。様々な面から、1つの時代の終わりを表しているようです。
3作通して読んで感じたのは、小説というよりもまるでノンフィクションを読んでいるような印象だったこと。個人的な好みとしては、もっとフィクション寄りのものの方が好きなのですが、これらの作品の中に描かれている恋愛模様などにはそれほど興味を引かれませんでした。こうした硬質のノン・フィクション寄りの作風が塩野七生さんの持ち味なのでしょうね。


「ローマ人の物語-ローマは一日にして成らず」1・2 新潮文庫(2009年1月読了)★★★★

父と息子と僅かな人々を連れてトロイを脱出したアエネアスが、長い航海の果てにローマ近くの海岸に辿りつき、土地の王女を妻にしてそこに定住、その血を引くロムルスが後にローマを建国することになった... というのは、一般的にローマ人たちに信じられていた建国の物語。「知力では、ギリシア人に劣り、体力では、 ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るのが、自分たちローマ人である」と自ら認めるローマ人がなぜあれだけの大文明圏を築き上げ、長期にわたって維持することができたのか... それを考えつつローマ帝国の興亡を描きあげる超大作の序章です。

リンゼイ・デイヴィスのファルコシリーズで興味を持つことになったローマ時代。ヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスという3人の皇帝について知りたくてその部分を読み、その後カエサルの前半部分だけを読んだのですが、やはり最初の1冊目から順番に読むというのは重要ですね。例えばローマでの役職のこと、そしてローマにある丘のことなど、基本的な知識はこの1巻に書かれていました。しかし読みながら混乱してしまったのですが、この作品はあくまでも「小説」だったのですね。塩野七生さんが調べたことを想像を交えて書いた小説。これほど歴史解説書のような書き方をされていても、それは決して忘れてはいけない点のようです。
それでもローマ部分は、各人の造形や出来事を膨らませて書いているのが分かるのですが、文庫の1巻途中から始まるギリシャについての記述はどうなのでしょう。「では、ローマよりは先発民族であったギリシア人は、ローマからの調査団を迎える前五世紀半ばまでに、どのような歩みをしてきたのであろうか」という文章で始まり、完全に説明口調で書かれていれば、純粋な事実の解説を読んでいるような気になっても不思議はないはず。しかし実際に書かれている内容はホメロスの「イーリアス」「オデュッセイア」、アイスキュロスの 「アガメムノーン」を始めとするギリシャ悲劇、ヘロドトスの「歴史」といった作品の要約を繋ぎ合わせたようなものなのです。トロイ戦争から帰ったアガメムノンが浴室で殺されたのはフィクションだと分かるにしても、そういったいかにもフィクションという部分以外では、事実だと思い込む読者も多いのではないでしょうか。この辺り、もう少し気を配って書いて欲しいと思ってしまいます。ここも塩野七生さん一流の小説だとしたら、どこまで信じて読めばいいのか分かりません。それともその事実関係に責任を持たないための「小説」なのでしょうか。
とは言え、ローマ人の部分は面白いです。ローマ人がなぜギリシャ人よりもエトルリア人よりも強い勢力となり、そして長い間生き残ったか。それがとても良く分かります。私としては、カエサルの部分を読んだ時も感じたのですが、敗者を滅ぼすのではなく同化させる道を選んだことが一番大きかったのではないかと思います。もちろん寛容な宗教の存在も大きかったと思いますが…。


「ローマ人の物語-ハンニバル戦記」3〜5 新潮文庫(2009年2月読了)★★★★★

紀元前265年、シチリアの第一の強国・シラクサがメッシーナに進攻し、メッシーナはローマに救援を要請。ローマはメッシーナとは同盟関係になく、しかもローマの軍団はいまだ海を渡ったことがないにもかかわらず、メッシーナの要請を受諾することを決定します。もしローマが断れば、メッシーナはカルタゴに頼ることが目に見えており、カルタゴがメッシーナを手に入れると、ローマまでもが危うくなってくるのです。結果的にメッシーナとシラクサを手に入れたローマにカルタゴが強い危機感を抱き、第一次ポエニ戦役(紀元前264〜紀元前241)が勃発することに。

ローマとカルタゴとの間に闘われたポエニ戦役を中心に対外戦争の時代を描く巻。紀元前264年から紀元前133年までの130年間を描いていきます。知力では優れていたギリシア人、経済力と軍事力を併せ持ち、ハンニバルという希代の名将まで持っていたカルタゴ人がなぜローマ人に敗れたのか。ローマが地中海世界の覇権を得るまでを歴史のプロセスを丹念に追いながらみていきます。カルタゴといえば、アエネイアスと恋に落ちたディードの国。ティルスの女王だったディードが兄・ピュグマリオンから逃れて建国したとされている国ですが、ここではそういった伝説的なことには全く触れないのですね。「ローマは一日にして成らず」の時のギリシャの記述とは違い、今回はアレクサンダー大王のことなどもきちんとしたスタンスで書かれていたように思います。
海軍どころか輸送船すら持っていなかったローマが、地中海最強の艦隊を擁する海運国カルタゴに相対するために船を作り、船の漕ぎ手を育成し、陸戦が得意なローマ軍のためにカラスという器具を作り、その他対象戦でも工夫を凝らして、徐々に強者となりゆく過程がとても印象に残ります。やはりこの柔軟さがローマの武器なのですね。そして2人の対照的な男たち。まずは孤高の男・ハンニバル。彼に最後まで付き従った兵士たちにとって、ハンニバルは父親のようなものだったのではないでしょうか。兵士たちはハンニバルの背中を見て精鋭に育っていったと思えてなりません。そしてハンニバルの好敵手・スキピオ。こちらは孤高なハンニバルとは対照的な、人の心を掴むのが上手い、大らかで人懐こい青年。彼ら2人の姿が対照的に描き出されており、それだけポエニ戦役の明暗がはっきりと現れているような気がします。
そして今回ローマの特徴として出てきたのは、敗軍の将に責任を求めないこと、軍の総司令官である執政官に一度任務を与えて送り出したら最後、元老院ですら口出しはしないこと、戦争が続いて国庫が空になっても、同盟諸都市に戦費の負担を求めたり、ローマ市民に対する増税をすることは良しとしないこと。敗者を同化させることにも通じますが、国境や民族を超えてそれぞれの人物に得意なことを任せること、旧敵国の子弟をローマで学ばせてシンパを育てること。そしてローマ軍の規律をはじめとする様々な事柄のマニュアル化。旧敵国にとっては、覇権はローマが握るために政治力や軍事力は以前に比べて落ちることになりますが、ローマ軍の占領も駐留も基地もなく、十分の一税と兵役が義務になる程度。とは言え、それはローマ市民よりも軽いとも言える程度なのです。しかしここで塩野七生さんが強調しているのは、こういった寛容な「穏やかな帝国主義」が成功するには、双方共に納得して許容している必要があるということ。紀元前146年、ローマはそれまでの「穏やかな帝国主義」から「厳しい帝国主義」に方針を転換することになるのですが、この辺りは確かにこれまでのプロセスを丹念に見てきたからこそ納得できるものですね。


「ローマ人の物語-勝者の混迷」6・7 新潮文庫(2009年2月読了)★★★★

紀元前146年カルタゴを滅亡させ、名実共に地中海の覇者となったローマ。しかし人間も都市も国家も帝国も、いつかは滅亡するもの。この時建国600年を経過していたローマに新たな難問が降りかかろうとしていました。第二次ポエニ戦役中に元老院に集中した権力が戦後もそのまま継続され、ローマ社会の貧富の差が拡大します。それは、かつてのように貴族に対して平民が政治上の権力の平等を求めるという段階を超えてしまっていたのです。紀元前2世紀後半のローマに現れたグラックス兄弟から、マリウス、スッラの時代を経て、紀元前63年にオリエントを平定し終わったポンペイウスの時代までを見ていきます。

国外の問題が片付いたかと思えば、国内の問題が勃発するローマ帝国。「共通の敵」がいる間は強かった結束も、平和になるとお互いのことが気になってくるのはよくあること。「共通の敵」というのは、もしかしたら必要悪なのかもしれないですね。しかしこの状態になったのが既に建国から600年のこの時代だというのですから驚きます。日本では一番長かった徳川幕府でもこの半分の300年しか続いていないのですから。
安価な農産物が輸入されることによって国内の農業が立ち行かなくなる部分など今の日本と同じ状態ですし、戦争が終わって兵士が不要になった途端失業者が増えるというのもよくある話。しかしそれらの問題を乗り越えていくには、まず時期を見極めること、そしてやり方を吟味することが求められます。悲劇的な死を迎えたグラックス兄弟などその典型と言えるもの。そして視野の狭い人間が、政治的に行われた改革も私利私欲のためだと思い込んでしまうのも、今も昔も同じ。興味深いですね。ポエニ戦役からカエサル登場直前までの地味とも言えるこの時期なのですが、この時代をしっかり知ることが、今後のローマの在り方を理解する上で大きく影響しそうな気がします。次はいよいよ塩野七生さんが大好きなカエサルの巻。
それにしても、古代ローマ物は名前が同じ人物が多くて覚えにくいと思っていましたが、元々名前のバリエーション自体が少なかったとは驚きました。男性の個人名はガイウス、ティベリウス、グネウス、アッピウス、ルキウス、プブリウス、マルクス程度で、5人目からはクイントゥス、セクストゥス、セッティムス、オクタヴィウス、デキウスと数を名前にしたものが主流だったとは。1人の男性の正式名はその個人名(プレノーメン)に家門名(ノーメン)、家族名(コニヨーメン)となるのだそう。そして女性の個人名ともなると、家門名の語尾変化形に過ぎなかったとか… あれだけ神々の多い国なのに、しかもその神々が身近なのに、その名前を借りようとはしなかったのがとても不思議です。


「ローマ人の物語-ユリウス・カエサル ルビコン以前」8〜10 新潮文庫(2007年9月読了)★★★★

紀元前100年、ローマの貴族の家に誕生したユリウス・カエサル。このローマ史上における最大の英雄・カエサルはどのような時代に生まれて、どのような育ち方をしたのか。そしてどのように世に出ていったのか。前半はカエサルの誕生から若い頃のエピソードを集め、後半は2000年経っても未だに世界中で読まれている「ガリア戦記」を中心に、カエサルの前半生の姿を描き出します。

ローマ史において最も有名だと言えるのがユリウス・カエサル。この「ローマ人の物語」では、「ルビコン以前」と「ルビコン以降」の2部に分かれています。これは「ルビコン以前」で、有名な「賽は投げられた」のルビコン川を渡るところまで。先に読んだ「危機と克服」でも何度も名前が登場し、そこからでも塩野七生さんのカエサル好きが伺えると思っていましたが、やはりカエサルの部分には力が入っていますね。
カエサルと言えば、「ガリア戦記」を中心に紹介されるのが常となっていますが、塩野七生さんの描くカエサルはその生まれた時から始まります。後に天才ぶりを見せるカエサルも、実は結構遅咲き。その若い頃の姿は、ダンディで女性にもてて、しかし女性関係は派手でも相手の女性に恨まれることがない、というものだったのだそうです。自分自身のお洒落に、そして女性への贈り物に、さらには公共事業にとお金を使い、世に出る以前に借金は既に莫大な額になっています。しかしその借金をほとんど気にしなかったというのが、やはり大物ですね。自分の資産を増やすわけでもなく、自らは堅実な暮らしぶりを見せながら、他人のためには豪快に使うというのがポイントだったのでしょう。そして借金が莫大な額になると、債権者と債務者の立場が逆転してしまうとは。ちなみにこの時一番の債権者だったクラッススは、後に三頭政治の一員となるクラッスス。経済界の大物、ローマ一の金持ちです。
機会さえあればかなり鋭い視点を見せているものの、社会的にはそれほど順調というわけにはいかず、若い頃は失敗してはほとぼりを冷ます、の繰り返し。そのカエサルが本格的に芽を出し始めたのは、クラッススとポンペイウスと始めた三頭政治。ここでカエサルは鮮やかな政治的手腕を見せ付けます。そして軍人としての手腕を見せ付けるのは、ガリアへの遠征において。
ガリアとはギリシャ語で「ケルト」のこと。位置的には現在のフランスとその周辺であり、その中で2度ブリタニア(現イギリス)にも上陸しています。ウィンストン・チャーチル曰く、このカエサルの上陸をもって英国の歴史が始まったのだとか。このガリア戦記の部分から分かるのは、カエサルの戦略や決断の確かさ、そして度量の広さ。「お前達の命よりも私の栄光が重くなったら指揮官として失格なのだ」という発言など、部下の心の掴み方もさすがとしか言いようがありません。これはプレイボーイとして遊んでいた、人生経験によるものなのでしょうか。時には同盟していたはずのガリア人に裏切られて危機に陥ることもあれば、味方の兵士たちが浮き足立ってしまうこともあるのですが、常に落ち着いた指揮ぶりで兵を確実に動かしています。敵のガリア人に対しても、一度相手が征服してしまえば、きちんと相手を信じて、人間同士としての付き合いをしようとします。その代わり、相手が言ったことを違えたりすれば、そこには容赦ない復讐が待っているのです。
塩野七生さんの人間洞察がこのシリーズを面白くしているのだと思いますが、その中でも、カエサルが女性に恨まれなかった理由の考察は、さすが女性ならでは、説得力があります。しかしカエサルと同じことをしても、大抵の男性は上手くいかないのではないかと…。やはりカエサルの人間的魅力なのでしょうね。


「ローマ人の物語-ユリウス・カエサル ルビコン以降」11〜13 新潮文庫(2009年3月読了)★★★★

ルビコン川を渡ったカエサルと彼に従う第十三軍団は、何の抵抗も受けずに北伊属州と本国ローマをへだてる境界の町・リミニの城に無血入城を果たします。ここで待っていたのは、現職の御民官・アントニウスとカシウス。四千五百ほどの兵しか持たずに、しかも戦闘に不向きな真冬のこの時期にルビコン越えなどしないだろうというポンペイウスと元老院派の予測を完全に覆したカエサル。その後の行動にも迷いがなく、ポンペイウスをはじめとする元老院派の多くが首都ローマを脱出することに。

ハンニバルの言う「肉体のほうが先に成長してしまい、内臓の発達がそれに伴わない」という時代です。ガリア戦記以降のカエサルの後半生。
塩野七生さんのカエサルへの愛情が感じられるのは前巻と同じですが、面白かったという意味では「ガリア戦記」よりもこちらの「内乱記」の方が上だったかもしれません。基本的にカエサル視点で描かれているので、ポンペイウスにとっては若干不利なのではないかと思いますが、それでもやはりカエサルの方が格上ですね。11巻では軍人として、12巻では政治家としてのカエサルの姿が余すことなく描かれていきます。「寛容」をモットーとしていたカエサルの姿はやはりとても印象深いものですし、戦いの中ではもちろんのこと、ポンペイウス派に打ち勝った後でのさまざまな改革の中でも、カエサルのアイディアマンとしての能力が発揮されていますね。この本ではカエサルの大きく目立つ行動だけでなく、小さな行動もきちんと積み重ねて描写されていくことによって、人物像に厚みが出ていたように思います。何度も繰り返しかかれる「冷徹ではあったが、冷酷ではなかった」という言葉もカエサルをよく表していますね。そしてそのカエサルと比べられることによって、戦時では力を発揮しても平時には失策ばかりのアントニウス、平時には力を発揮できる才能があるのに軍事的才能が乏しいために、アグリッパという軍事的才能が豊かな若者がつくことになったオクタヴィアヌスなど、それぞれの人物たちの個性も分かりやすいです。
そんなカエサルの周囲には様々な人物がいたわけなのですが、その中でも特に印象に残ったのはキケローでした。知識はとても深いのに先読みがまるでできず、逆境に弱いキケロー。政治的信条からカエサルの敵にはなっても、それはローマのことを心から憂いていたからのこと。カエサルの友情を信じながらも、どういった処遇を受けるのか不安になっていたり、手紙魔で様々なことを友人に書き送っていたキケローの姿には愛嬌がありますし、カエサルがキケローを生涯友人として遇していたというエピソードも、日頃から「寛容」がモットーだったとはいえ、カエサルの魅力をとてもよく表していると思います。そのキケローの最期は、既にカエサルがいなかったこともあって哀しいものでしたが…。しかしカエサル暗殺は、本当に尻すぼみだったのですね。これほどまでにお粗末な暗殺だったとは。これでは殺されたカエサルも浮かばれないです。情けないといえば、ここに描かれているアントニウスとクレオパトラも同様ですが…。


「ローマ人の物語-パクス・ロマーナ」14〜16 新潮文庫(2009年4月読了)★★★★

紀元前31年9月。アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍は敗北し、翌30年8月、エジプトに逃れていた2人は相次いで自殺。そして勝者となったオクタヴィアヌスはローマで3日間にわたる壮麗な凱旋式を行うことになります。戦いの神・ヤヌスを祭る神殿の扉も閉ざされ、ヴェルギリウスやホラティウスといった詩人たちも平和への喜びを高らかに謳い上げ、この時、オクタヴィアヌスは34歳を迎えていました。

カエサル死後のローマを制した、ローマ初代皇帝・アウグストゥスを描く巻。
天才肌のカエサル亡き後、冷静沈着なアウグストゥスがいかに王政を嫌うローマ人の反感を買わずに、共和制のローマを帝政に変えていったのか、というのが興味の焦点。自分が持っていた非常時の権力を返上し、元老院に権力を返すように見せて、巧妙に自分の地位を固めていくアウグストゥス。細かいことを1つずつ、決して焦らず、時期を見計らって着実に実行していくアウグストゥス。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない」とはカエサルの言葉ですが、アウグストゥスが選んだのは「見たいと欲する現実しか見ない人々に、それをそのまま見せる」やり方。元老院も民衆も、アウグストゥスが作り上げようとしている社会を、自分たちがまさに求めている社会の姿だと思い込まされていたのですね。初めはカエサル自身が目指していたこととはいえ、実はこういった政治はカエサルよりもアウグストゥスに向いていたのではないでしょうか。カエサルは天才肌で、弁舌も爽やかに周囲の人間を説得してしまいますが、それだけに何をやっても目立ってしまいます。しかし、これはかなり微妙な問題ですし、カエサルの考えていた道筋が既に見えている以上、カエサルよりもまさに冷静沈着で慎重なアウグストゥスにぴったりの仕事のように思えます。そしてそのことからも、カエサルの人選は万全だったのだと改めて感じさせられてしまいますね。カエサルの持つ華はアウグストゥスにはありませんし、文才も弁舌の才能もなかったアウグストゥスですが、使う言葉は決して間違えなかった、というのがとても印象に残ります。
そしてこの巻を読んでいて驚いたのは、紀元元年前後の国勢調査は行われなかったということ。聖書のルカによる福音にも「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリアの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。」という文章があり、それによってヨハネとマリアがベツレヘムに戻ることになり、イエスがベツレヘムで生まれることになるのですが…。聖書の記述が間違えているのでしょうか。それともそれは紀元元年のことではなかったということなのでしょうか。

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