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このページは、古代ギリシャ・ローマの古典作品の本の感想のページです。

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「本当の話-ルキアノス短篇集」ルキアーノス ちくま文庫(2009年8月読了)★★★★★

【本当の話】…ある日、何か変わったことをやってみたい、新奇なものに接したい、大洋の果てにどんな人種がいるか調べてみたいという考えをおこした「私」は、50人の若者や最上等の舵取りを集め、食料や水、武器を揃え、「ヘラクレス」の柱を出発します。
【空を飛ぶメニッポス】…自分で宇宙を観察しても、学者から学び取ろうとしても、宇宙についてまるで理解することができずに困惑したメニッポスは、鷲のような羽をつけて自分自身で天に昇ることに。
【メニッポス】…子供の頃素敵だと思っていた物語の中の英雄や神々自身の行為の多くは、実は違法。メニッポスは黄泉の国に行き、予言者にして賢者のテイレシアスから最善の生を教わることに。
【トクサリス-友情について】…ムネシッポスはスキュティア人のトクサリスに、なぜスキュティア人は仇敵にも当たるオレステースとピュラデースを祭っているのかと尋ねます。
【ティモン-または人間嫌い】…財産家で沢山の「友人」たちに取り巻かれていたのに、金がなくなった途端に放り出されたティモンは、ゼウスに恨みつらみをぶつけます。
【遊女の対話】…遊女たちによる15の会話。
【悲劇役者ゼウス】…ストア学派のティーモクレースとエピクーロス学派のダーミスが神慮に関して議論。ダーミスが神々は存在すらしないと言い切り、ゼウスは会議を招集することに。
【哲学諸派の売立て】…ヘルメースはゼウスに言われて口上使いとして、ピタゴラスやソクラテスなど各学派の代表的哲学者たちを市場で売りたてることに。
【漁師】…「哲学諸派の売立て」の内容を知った今はなき哲学者たちが、冥府の神に1日の休暇を願ってこの世に現れ、ルキアノスを捕らえて弾劾します。
【二重に訴えられて】…神々の間にのみ幸福があるという言葉に憤っているゼウスは、そんなことを言い立てている哲学者たちを糾弾する法廷を開きます。(呉茂一他訳)

80編以上あるというルキアノスの短編のうち10編を収めた短編集。
この中で面白いのは、やはりまず「本当の話」でしょうか。これはルキアノスが50歳前後だった円熟期に書かれたと言われる作品で、本領発揮の対話式ではなく、一人称の叙述で書かれている旅行記。元々は、アレクサンドレイア時代からローマ帝政初期に書かれた数々の奇想天外な(かつ信憑性の薄い)旅行譚を超えるパロディを書こうという意図のもとに書かれた作品なのだそう。「本当の話」とは、「この中には本当のことは何一つない」という意味での「本当の話」ということのようです。
まるで「アルゴナウティカ」のように若者50人を連れて出立したルキアノスは、「ヘラクレス及びデュオニュッソス神到来の地点」ではぶどう酒の川や岩の上の巨大な足跡を見つけたり(ぶどう酒の川にいる魚の内臓には酒粕が詰まっており、そのままでは食べた人間がことごとく酔ってしまう)、ダフネーのように半分木で半分人間の女性を見つけたり(数人の仲間が誘惑されて、その仲間たちも同じく木になってしまうことに)、つむじ風に巻き込まれて船ごと月に行くことになって、月に味方をして太陽と戦争をしたり、ようやく地球に戻るものの船ごと鯨に飲み込まれたり、水平線の彼方の「神仙の島」に辿り着いたり。これだけでも十分荒唐無稽で楽しめる物語ですし、その後のラブレーの「ガルガンチュワ物語」、シラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」、スウィフトの「ガリバー旅行記」、「ほらふき男爵の冒険」、トマス・モア「ユートピア」などの作品の先駆となっていることがよく分かります。アリオストの「狂えるオルランド」やダンテの「神曲」もそうですね。もちろん彼の前にホメロスが「オデュッセイア」を書いているので、この分野を開拓したのがルキアノスというわけでもないのですが。ホメロスといえば、ルキアノスが神仙の島でホメロスと出会い、その生国がどこなのか、作品の真偽を疑われている部分は実際にはどうなのか、さらになぜホメロスはイーリアスを「アキレウスの憤怒」から書き始めたのかなどという質問をしているのが、また面白いのです。作品の真偽などに関しては現代になって議論されるようになった問題なのかと思っていたのですが、ルキアノスの時代にも既にそういう疑問はあったのですね。
「空を飛ぶメニッポス」では天界、「メニッポス」では地獄への旅が再度登場しますし… これは世界初のSF作品ですね。その他の作品もそれぞれ面白いです。「哲学諸派の売立て」と「漁師」も2作セットでいいですね。ただ、ギリシャの哲学者たちについて私の知識が浅いため、堪能しきれずに終わってしまった部分もあるので、その辺りを勉強し直していずれ再読したいものです。


「黄金のろば」上下 アプレイウス 岩波文庫(2007年2月読了)★★★★★

何不自由なく育った若者・ルキウスが、所用でコリントスからテッサリアのヒュパテーに出かけた時のこと。ルキウスは友人・デーメアスの紹介で、物持ちのミロオという男の家に滞在することになります。ミロオの妻のパンフィレエは一流の魔女だという噂の女性。様子の好い若い男に目をつけると、甘い言葉で誘惑し、飽きれば石や羊に姿を変わらせてしまうというのです。その噂を聞いたルキウスは、日頃から魔術に興味を抱いていたこともあり、まず侍女のフォーティスに近づくことに。そしてフォーティスの手引きで、パンフィレエが体中に膏油を塗って鳥に変化し飛び立つ様を覗き見ます。しかし、その真似をしたいと思ったルキウスはフォーティスに言って膏油を取ってこさせるのですが、フォーティスが持って来たのは間違った膏油。体中にその膏油を塗ったルキウスは、なんとろばになってしまい…。(「THE GOLDEN ASS」呉茂一・国原吉之助訳)

ローマ時代の弁論作家・アプレイウスによる小説。同じくローマ時代に書かれたペトロニウスの「サティリコン」を除けば、世界で最も制作年代の古い小説なのだそうです。
ろばとなったルキウスは、ろばの目から人間世界の様々な人間の表裏を目の当たりにすることになります。ろばから人間に戻るには薔薇の花を食べればいいと分かってはいるのですが、そうそう都合よく薔薇の花は手に入らず、薔薇の花が咲く季節まで、ろばとして今にも殺されそうになったり去勢されそうになったりと大変な日々を送ることになります。侍女のフォーティスと艶っぽい日々を送りながら、一転してろばに身を落とし、苦労を重ねて最後にはイシス女神の導きで人間に戻り、宗教心に目覚めるところは、やはり苦労知らずの青年が1人前の男になるまでの精神的な成長の物語と言えるのでしょうか。
枠物語として沢山の物語を内包しているのですが、その中でもクピードーとプシケーの物語「愛とこころ」は有名。全11巻のうち3巻を占める長さで、確かにこの物語は特筆すべき出来栄えだと思います。「美女と野獣」のような物語も、おそらくこの物語が元となっているのでしょうね。
訳文もとても読みやすく、今の時代に読んでも物語として十分楽しめます。特に上巻の呉茂一氏の訳が素晴らしいですね。ちなみに「黄金のろば」という題名ですが、ルキウスの変身したろばはごく普通のろば。全く金色ではありません。「黄金の」とは、「素晴らしく面白く楽しい」という意味の形容詞なのだそうです。その言葉通り、とても面白く楽しい作品でした。

下巻P.145「私は万物の母、あらゆる原理の支配者、人類のそもそもの創造主、至上の女神、黄泉の女王、天界の最古参にして、世界の神々や女神の理想の原型。(中略) 私の至上至高の意志は、世界の至るところで、それぞれの地方の習慣から、さまざまの儀式で祭られ、いろいろの名前で呼びかけられています。最も古い人類の種族プリュギア人は、神々の母ペシヌンティアと呼び、生抜きのアッティキー人はケークロピアのミネルヴァと呼び、更に海に洗われたキュプロス島の人々は、パポスのヴェヌス、箭持つクレータ島の人は、ディクチュンナのディアーナ、三ヶ国語を話すシクリー人はスチュックスのプロセルピナ、古いエレウシナの住民たちはアッティカのケレースと呼びなしています。ある地方ではユーノー、又の地方ではベッローナ、或る所ではヘカタ、またラムヌーシアとも呼ばれています。そして太陽神が朝生まれたての光線を寝床の上に輝かせるエティオピアの人々と、学問の古い伝統にかけては世界に冠たるエジプトの人々とは、いずれも私にふさわしい儀式を捧げ、私の本来の名前でもって、イーシスの女王と呼びならわしを尊んでいます。」


「メタモルフォーシス-ギリシア変身物語集」アントーニーヌス・リーベラーリス 講談社学芸文庫(2007年7月読了)★★★★

アントーニーヌス・リーベラーリスは、生没年、出生地、活動していた地域なども全く分かっていないものの、「リーベラーリス」という名前から解放奴隷だったのではないかとも言われている、紀元2〜3世紀頃のローマ時代の物語作家。そのアントーニーヌス・リーベラーリスが古典ギリシャ語で書いたという、41のごく短い変身物語です。(「THE METAMORPHOSES」安村典子訳)

元奴隷がこういった教養溢れる物語群を語ってしまうものなのかと最初は驚いたのですが、解説によると、ローマ時代の奴隷は大抵戦争捕虜であったことから、高い教養を持つ知識人も含まれていたのだそうです。そういった奴隷はローマ人貴族の秘書となったり、その子弟のギリシャ古典教育のために家庭教師になるなど、重用されたのだとのこと。
オウィディウスの「変身物語」に比べると、1編ずつがとても短いのが特徴。大抵2〜3ページで、短いものでは10数行というものもあります。オウィディウスは様々な変身物語を繋ぎ合わせ、人々の心の動きなども交えて全15巻の一大叙事詩を作り出しているのですが、アントーニーヌス・リーベラーリスは繋ぎ合わせることにも人間の感情にも無関心だったようですね。どの物語もとても簡潔に淡々と描かれていきます。
それらの変身の原因は、神々の怒り、あるいは憐れみがほとんどですが、やはり罰としての変身が多いでしょうか。読んでいて驚いたのは、鳥に変身する物語の多さ。特に前半にはそのような物語を集めたのか、鳥に変身する物語ばかりです。初期ギリシャ宗教では、死者の魂は鳥の形を取って天に飛翔するとされており、全ての人間はかつて鳥であったという主張もあったのだそう。鳥のように自由に空を飛びたいという思いも、そこには反映されているのかもしれませんね。


「ダフニスとクロエー」ロンゴス 岩波文庫(2007年6月読了)★★★★★

エーゲ海に浮かぶレスボス島。ミュティレーネーの町の近郊にある、資産家の荘園で山羊の世話をしているラモーンという男が、棄てられた赤子を見つけます。自分が世話をしている牝山羊が乳を飲ませ、育てていたのです。捨て子には珍しいほど立派な産着に包まっている赤子を見た山羊飼いは、赤子を家に連れて帰り、ダフニスという名をつけ、自分たち夫婦の子として育てることに。一方、それから2年ほどたったある日、荘園と地続きの田野で家畜を追っていたドリュアースという男が「ニンフの洞」と呼ばれる岩穴で、同じように牝羊が赤ん坊に乳を飲ませている場面に出会います。この赤子も立派な品を身につけており、ドリュアースは赤子を家に連れて帰ってクロエーと名付け、自分たち夫婦の子として育てることに。2人の赤子はすくすくと育ち、ダフニスは山羊飼いに、クロエーは羊飼いになります。(「DAPHNIS AND CHLOE」松平千秋訳)

レスボス島で狩をしていたロンゴスが、ニンフの森でこれまで見たこともないほどの、世にも美しい1枚の絵を目にして、そこに描かれた恋の情景に相応しい物語を書き上げたという形式。作者のロンゴスについてはほとんど何も伝わっていないようですが、この作品は2世紀末から3世紀初めに書かれた作品なのだそう。当時盛んに書かれた通俗的な大衆読物では、恋愛物ではあっても冒険譚や怪奇譚がたっぷりと盛り込まれ、読者の異国趣味を満足させるために主人公たちは広大な範囲を遍歴したそうなのですが、この「ダフニスとクロエー」の舞台はレスボス島、それもミュティレーネーの近郊の牧場地帯という極度に限られた場での出来事を描いているという意味で特異な存在なのだそうです。
しかしこの物語の中心となるのは、まだまだ幼いダフニスとクロエー。自分が恋に落ちても、自分を苦しめているものが恋だとは教えられなければ分からないような2人です。そんな2人の幼い恋心が徐々に育っていく様子を描くには、広い世界などまるで必要ありませんね。この2人の恋が似合うのは、まさにこの物語の舞台となっているミュティレーネーの美しい牧場地帯のような場所でしょう。そしてこの場所の季節の移り変わりと共に、2人の恋が育っていく様子が描き上げられていきます。2人の恋の前には、いくつもの障害も登場するのですが、2人の恋物語を描くのが作品の主眼である以上、純情な恋の雰囲気を壊すものではなく、2人の気持ちの結びつきを強めるものでしかありません。波乱万丈なスケールの大きさこそまるでありませんが、牧歌的な魅力に溢れた美しい小品となっていると思います。
この作品は後世の芸術家たちに多大な影響を与えているようで、ミレーもこの物語の絵を描いていますし、ラヴェルもバレエの組曲を作曲しています。三島由紀夫の「潮騒」も、この作品を底本としているのだそう。それも頷ける、基本に戻ったような純粋さが力強い作品です。ちなみにレスボス島はサッフォーの出身地としても有名で、女性の同性愛の言葉の元ともなっています。


「トロイア戦記」クイントゥス 講談社学術文庫(2006年8月読了)★★★

トロイア軍の総大将だったヘクトールがアキレウスに殺された後、トロイアの町にやって来たのは、アマゾーンの女王ペンテシレイアとその12人の女戦士たち。勇敢で、血みどろの戦いを望む彼女たちは、翌朝早速ギリシャ軍と相対して、勇敢な戦いぶりを繰り広げることに。(松田治訳)

3世紀に小アジアのスミュルナで活躍したという詩人・クイントゥスによる叙事詩。イーリアス軍のヘクトールの死後から、ギリシャ軍が帰国するまでを描いているという、まさにホメロスの「イーリアス」から「オデュッセイア」へと橋渡しをするような作品ということで、2つの作品では今まで読めなかったエピソードの数々をこの1冊で読めるというのが、何とも嬉しいところ。トロイア方に駆けつけたアマゾーンの女王・ペンテシレイアのすさまじい戦いぶり、アキレウスの死、アイアースの自殺、アキレウスの子・ネオプトレモスと弓の名人・ピロクテーテスの参戦、パリスの死、有名なトロイアの木馬のことなどが次々に描かれていきます。
ただ、この日本語の訳文は全体的にはとても分かりやすいですし、読みやすいのですが、格調不足が否めません。特に会話文が気になります… と思っていたら、「ヘレネー誘拐・トロイア落城」と同じ方が訳してらしたのですね。せっかくの叙事詩作品なのですから、もう少し格調高く訳して欲しかったところです。


「ヘレネー誘拐・トロイア落城」コルートス他 講談社文芸文庫(2006年7月読了)★★★★

【ヘレネー誘拐】(コルートス)…後にアキレウスの親となるペーレウスとテティスの結婚式。その結婚式に招かれなかったのは、不和の女神・エリスだけでした。エリスは饗宴の席に黄金の林檎を投げ込みます。
【トロイア落城】(トリピオドーロス)…トロイア戦争も10年目を迎えた頃。アテネーの意思に沿って、エペイオスが巨大な木馬を作り上げようとしていました。その腹部には大きな空洞が穿たれており、勇士たちが隠れ潜むことができるのです。(松田治訳)

古代ギリシャ時代ではなく、ローマ時代の詩人の2編。2編ともエピュリオンと呼ばれる100〜600行程度の短い叙事詩です。トロイア戦争関係の作品は、ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」を始めとして色々ありますが、そもそものトロイア戦争の発端となった、パリスがヘレネーを連れ去った出来事について描いているのは、このコルートスの「ヘレネー誘拐」だけなのだそうです。そしてその「ヘレネー誘拐」と一緒に収められているのは、対照的にトロイアが炎上した最後の日を描いた、トリピオドーロスの「トロイア落城」。こちらには「トロイアの木馬」の製作過程や、アカイア軍がトロイアを攻め落とす様子が詳細に描かれています。
「ヘレネー誘拐」には、もう少ししっかりと書き込んであればという部分もありました。不和の女神エリスの黄金の林檎には「最も美しい女神へ」のような言葉が入っていないのです。これだとなぜ3人の女神たちが林檎を欲しがったのかよく分かりません。しかもその女神たちの諍いを見たゼウスは、唐突にパリスに審判を務めさせよと発言。なぜここでパリスなのか、こちらにも全く説明がない状態です。聞き手には周知のこととして、敢えて書かずに済まされてしまったのでしょうか。それに会話文、特に女性の言葉の訳し方にも引っかかりました。全ての女性の一人称が「あたし」というのは、如何なものでしょう。アプロディーテーにはいいかもしれませんが、アテーネーまで「あたし」というのはおかしいと思います。しかも、1つの台詞の中に口語調と文語調が混在しているような、妙な感覚が常にあるのです。「あたしのいうことを聞き入れ、戦さを忘れなさい。あたしの美しさを認め、王笏やアシアの地は捨てなさい。…(中略)…そなたはヘレネーの寝台に入るがよい。ラケダイモーンは、トロイアについで、若い夫たるそなたをみるであろう」という調子なのですから。
とは言え、全体的にはとても分かりやすかったですし、面白かったです。注釈の入れ方も良いですね。例えば、岩波文庫の注釈の入れ方はオーソドックスですが読みづらく、読者にとって重要とは思えない情報まで詰め込まれていることがあり、どれが本当に必要な注釈なのやら分からないまま、たびたび読むのを中断させられてしまって、流れを楽しむどころではなくなってしまったりもするのですが、その点、こちらは章ごとに載っていて見やすかったですし、情報的にも的確で良かったです。


「西洋中世奇譚集成-皇帝の閑暇」ティルベリのゲルファシウス 講談社文芸文庫(2009年4月読了)★★★★

神聖ローマ帝国のオットー4世に、公務の合間の時間に語り聞かせるために集められた各地方の驚異現象集。第1部では「天地の創造とそれらが配列され装飾された仕方」、第2部では「世界を三つの部分に区分し、その各部を土地や時代に応じて、起こっては倒れた王国の叙述とともに論じた」というゲルウァシウスの著述の、第3部を収めたのが本書。(池上俊一訳)

ティルベリのゲルウァシウスというのは12世紀の聖職者だったという人物。このゲルウァシウスが南仏やスペイン、イタリアやイングランドで直接採集、あるいは友人から仕入れた不思議な話、訪れた土地で実際に体験した不思議な出来事が全部で129話、まことしやかに語られていきます。自分自身で体験しなければ、自分自身の目で見なければ到底信じられなかったはずだと言い、聖書や聖アウグスティヌスの「神の国」など古典的著作を引き合いに出しながら、それらの物語の真実味を増すやり方がとても巧みで、それでいて語られる話は突拍子もないものが多いのが面白いですね。特に驚いたのは、途中で魔術師として登場するヴェルギリウス。これは古代ローマの有名な詩人の、あのヴェルギリウスです。「アエネーイス」を書いた偉大な詩人が、一体いつの間に魔術師になってしまったのでしょう。しかしこれは特にイタリアで好まれた逸話なのだそうです。
欧米の中世史家の間では人気急上昇中の作品とのこと。博物誌系の本が好きな人は楽しめると思います。


「西洋中世奇譚集成-東方の驚異」逸名作家 講談社文芸文庫(2009年6月読了)★★★★

東方遠征中のアレクサンドロス大王が師匠であるアリストテレスにインドの様子を書き送った「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」と、広大なキリスト教王国を治めているという司祭ヨハネから西欧の君主に宛てた2種類の「司祭ヨハネの手紙」という、中世ヨーロッパに広く伝わっていた「東方の驚 異」のうち代表的な3編を収めたという本。(池上俊一訳)

「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」は、7世紀頃に成立したと言われるもの。アレクサンドロス大王の東方遠征にまつわる話は、ギリシャ語やラテン語や各国の言葉で語られ書き継がれ、12世紀末以降には「アレクサンドロスもの」としてその奇譚ぶりを大いに発揮することになったのだそうです。実際のアレキサンダー大王は紀元前4世紀の人ですが、その伝説的な行跡から、様々な想像が膨らみ、逸話が逸話を呼んだのでしょうね。真実の東方遠征とはかけ離れたものになってしまったのでしょうけれど、それがまた面白いです。インドの王宮の豪華さは予想範囲内ですが、ここで注目したいのが様々な怪物たち。象よりも巨大な河馬が現れたというのはまだ序の口で、アレクサンドロス大王の軍勢は、三つの頭にとさかをつけた巨大なインド蛇、鰐の皮に覆われた蟹の大群、雄牛のように巨大な白ライオン、人間のような歯で噛み付いてくる蝙蝠の大群、額に三本の角を持った象より大きな獣に次々に襲われます。さらに奥地に行くと、もっと奇妙な生き物が…。まるで西欧版「山海経」ですね。しかもギリシャ語とインド語で予言を語る2本の聖樹が、アレクサンドロスの運命を予言します。
そして「司祭ヨハネの手紙」は、伝説的な東方キリスト教国家の君主・プレスター・ジョン(ジョン=ヨハネ)からの手紙。この司祭ヨハネは、東方の三博士の子孫で「インド」の王という設定。この当時は「インド」と言えば範囲がとても広くて、現在のインドやその辺りのアジア一帯はもちろんのこと、中近東やエチオピア辺りまで含んでいたのだそうですが。「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」の影響を多々受けて成立したというのが定説とのこと。これは12世紀のヨーロッパの人々に夢と希望を与えて熱狂させた文献であり、マルコ・ポーロを始めとする旅行家たちが幻のキリスト教王国を求めて東方に旅立ったのだそうですが…。この豪華さは凄いですね。黄金の国ジパングの伝説など、もうすっかり薄れてしまうほどの絢爛豪華さ。到底キリストの教えに適うものとは思えませんが…。(笑)

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