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このページは、古代ギリシャ・ローマの古典作品の本の感想のページです。

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「ギリシア悲劇III-エウリピデス 上」ちくま文庫(2006年9月読了)★★★★★

【アルケスティス】…ペライのアドメトス王に死が迫り、アポロンは誰か代わりに死ぬ者さえあれば寿命を延ばすと約束。しかし代わりに死のうと言ったのは、王妃・アルケスティスのみでした。
【メデイア】…コルキスの王女メデイアの助けでアルゴ船遠征を成功させたイアソンは、故郷のイオルコスに戻り、2人の子供を授かります。しかしイアソンはコリントスのクレオン王の娘と結婚するのです。
【ヘラクレスの子供たち】…ヘラクレスを恐れたミュケナイの王・エウリュステウスは、ヘラクレス亡き後も、その甥のイオラオスやヘラクレスの子供たちに迫害を続け、どの国にもいられないようにするのです。
【ヒッポリュトス】…アプロディテは、自分を忌まわしい神と呼ぶヒッポリュトスの無礼を罰するため、アテナイの王妃・パイドラにヒッポリュトスを恋焦がれるようにさせ、パイドラは1人悩んで窶れ果てます。
【アンドロマケ】…アキレウスの息子・ネオプトレモスは、その戦功によりヘクトルの未亡人・アンドロマケーを獲得。更にスパルタ王メネラオスの娘・ヘルミオネと結婚。しかし夫婦仲は思わしくなく…。
【ヘカベ】…アカイア軍はトロイアを落とし、男たちを皆殺しに。トロイアのプリアモス王は、万が一の時のためにトラキアのケルソネソスのポリュメストルに息子・ポリュドロスを預けていたのですが…。
【救いを求める女たち】…オイディプスが王位を退いた後、エテオクレスが王座を独占。ポリュネイケスはアルゴスからテーバイ遠征軍を起こすのですが失敗。七将はことごとく戦死します。
【ヘラクレス】…アルゴス王エウリュステウスに命じられて、12の難行をするヘラクレス。それは父アムピトリュオンがかつてエレクトリュオンを殺した罪のための大きな代償なのです。
【イオン】…アテナイの王エレクテウスの娘・クレウサはアポロンの子を産み落とすものの、そのまま岩洞へ捨ててしまいます。子供はヘルメスによって神殿に運ばれ、そこで育つことに。その後クレウサはクストスに嫁ぐものの子宝に恵まれず、アポロンの神殿を訪れ、イオンという若者に出会います。
【トロイアの女】…トロイア戦争もようやく終結。しかしアテナの社でカッサンドラがアイアスによって陵辱され、怒ったアテナはポセイドンに、アカイア人たちの帰国を邪魔することを提案します。(松平千秋他訳)

エウリピデスは、アイスキュロス、ソポクレスと並ぶギリシャ3大悲劇詩人の1人。75編とも80編とも言われている生涯の作品のうち10編を収録。
この中でエウリピデスの代表作といえば「メデイア」や「ヒッポリュトス」、そして「アンドロマケ」であり、特に「メデイア」は、絵画を始めとして詩や小説、劇、オペラなど芸術の各方面にさまざまな影響を与え、今でも舞台で演じられているような作品。日本でも蜷川幸雄演出の「王女メディア」が観られます。「ヒッポリュトス」は、アプロディーテとアテナという構図の元に翻弄される人間たちを描いた悲劇らしい悲劇であり、「アンドロマケ」は、「トロイアの女」のアンドロマケとの違いを比べてみると一層面白いところ。その他にも、「ヘラクレス」は絶頂からどん底へと落差の激しい、劇として上演した時にその凄みが肌に直接伝わってきそうな作品ですし、「メデイア」でメデイアが自分の子供たちを死に追いやる場面や、「ヘラクレス」でヘラクレスが12の難行をこなす理由などに、エウリピデス独自の解釈が施され、「ヘカベ」では、関連性のない2つのエピソードを結びつけて新たな解釈をしているのも面白いですね。ちなみにこの10作の中で「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」が登場するのは、「ヒッポリュトス」(アルテミス)、「アンドロマケ」(テティス)、「イオン」(アテナ)の3作のみ。

私がこの中で一番気に入ったのは、悲劇と呼ぶには少々微笑ましすぎるような「アルケスティス」。身代わりさえいればアドメトス王の命は救われると分かっても、誰も、アドメトス王自身の年老いた両親ですら代わりに死のうとは思わなかった時、ただ1人アドメトス王のために死を決意したのは、妃であるアルケスティスでした。
確かに客観的に見れば、子が親より先に死ぬのは間違っていますし、老い先短い両親が息子の身代わりになるのが順当とも言えます。そういう状況になった時は、親が子をかばって先に死のうとするケースも多いでしょう。しかしやはり人間は死を恐れるもの。自分の子供のためだからといって、年老いて死が近づいたからといって、死への恐怖が薄まるわけではないのです。近く現実的だからこそ、逆に怖いのかもしれません。アドメトスの父親・ペレスの「この世の生は短かろうと思うにつけ、その恋しさはひとしおなのだ。」「もしも御身に自分の命が愛(かな)しいなら、皆も同じく愛(かな)しかろう」という言葉は尤もですし、とても説得力があります。死ぬのを拒否するペレスは、親らしいとは言えないまでも、とても人間的ですね。そして、逆にこの2人のやり取りから浮かび上がってくるのは、アドメトスの利己主義ぶり。親が老い先短いからといって、親の死を望む息子というのは如何なものでしょうか。天の理を曲げてまで、自分の代わりに誰かが死ぬべきだと考えている時点で既におかしいのです。たとえ今は妻の死を盛大に嘆いていたとしても、こういった人物は1年もすれば新しい妻を迎えそうですね。しかも妻の臨終に際して嘆く言葉は、「捨てないでくれ」「置いていかないでくれ」「私はこれからどうすればよいのだ」という言葉ばかり。やはり自分が死ぬべきだという考えは、決して存在しないのです。
そして、そう思って前の部分を読み返してみると、妻の死に際の言葉も単に愛情からの行動ではないように思えてきます。生き続けようとするアドメトスの両親への恨みを口にして、まるで当て付けに死んでいくようでもありますし、世間体が一番大切なようでもあります。「父なし児となった和子たちと一緒に生きながらえて行きたいとは思いませず」という言葉からは、夫を失って貧しい惨めな暮らしをすることを思えば、死んだ方がましだという考えが浮かび上がってくるよう。子供が継母にいじめられるのを心配しながらも、子供たちの行く末を見届けるために生き延びてやるという選択肢は彼女にはないのですね。彼女もまた、自分のことしか考えていないのが分かります。
しかし、最後は驚きの展開。ヘラクレスがいいですし、この演出が微笑ましいですね。似た物夫婦は、この出来事で一層絆が強くなったと勘違いして幸せに暮らしていきそうですね。


「ギリシア悲劇IV-エウリピデス 下」ちくま文庫(2006年9月読了)★★★★

【エレクトラ】…アポロンのお告げに従い、父・アガメムノンの仇を討つために、こっそりとアルゴスに帰国したオレステス。姉のエレクトラは貧しい農夫と結婚させられていました。
【タウリケのイピゲネイア】…アウリスで生贄とされたイピゲネイアは、死の瞬間、アルテミスによって救い出され、今はタウリケで神殿の祭司を勤めていました。そこに弟のオレステスが現れます。
【ヘレネ】…トロイアの王子パリスに攫われたはずのヘレネは、実はアテナのはからいでエジプトに匿われていました。トロイアに行ったのは、空気から作った似姿だったのです。
【フェニキアの女たち】…オイディプスが王位を退き、2人の息子エテオクレスとポリュネイケスは1年交代で王座につくことに。しかしエテオクレスは約束を破り、ポリュネイケスはアルゴスへ。
【オレステス】…アポロンに従って父の仇を討つものの、母殺しの罪に苛まれるオレステス。そしてミュケナイの町では、オレステスとエレクトラに死刑の判決が下されようとしていました。
【バッコスの信女】…テーバイの王・ペンテウスは、それとは知らずに捕らえたディオニュソスの言葉に従い、女性の姿に変装して信女たちの姿を見に行くことに。しかし自分の息子とは思わないアガウエたちに、逆に捕らえられることになります。
【アウリスのイピゲネイア】…アウリスの浜に結集するものの、出帆することができないギリシア軍。イピゲネイアが生贄として選ばれ、アガメムノンはアキレウスとの結婚を理由に娘を呼び寄せることに。
【レソス】…トロイア戦争のヘクトルの陣に、トラキアの王・レソスが軍を率いて現れます。しかしその夜、ヘクトルの寝首を掻きに、オデュッセウスとディオメデスが現れて…。
【キュクロプス】…オデュッセウスの乗る船が漂着したのは、一つ目のキュクロプスの島。オデュッセウスは早速水を探し、食料を得ようとするのですが…。(松平千秋他訳)

IIIに続く、エウリピデスの悲劇作品集。
全体的にIIIの方が面白かったという印象なのですが、トロイア戦争を巡るアガメムノン一家の悲劇が多く、その点でとても興味深かったです。まず「アウリスのイピゲネイア」は、出帆を待つギリシア軍が風凪のために数ヶ月足止めを食らった時に、アガメムノンの娘・イピゲネイアが生贄として犠牲になる物語。これがアガメムノン家の悲劇の元凶となっています。(もっと遡れば、クリュタイメストラを先夫からアガメムノンが奪い、その子を殺したこと、さらにアガメムノンとメネラオスの父・アトレウスの王位を巡る所業などもありますが) そしてアガメムノンが殺害されるアイスキュロスの「アガメムノーン」に続く形で、「エレクトラ」「オレステス」「タウリケのイピゲネイア」といった作品群があります。アイスキュロスの「アガメムノーン」は、「供養する女たち」「慈愛の女神たち」と共に3部作となっているので、ここはぜひ読み比べてみたいところです。
そして設定として面白いのは、「ヘレネ」。ヘレネのトロイア戦争に対する責任を取り除こうつる試みが紀元前6世紀始めの抒情詩人・ステシコロスから始まっているそうで、このエウリピデスの「ヘレネ」でも、実はヘレネはトロイアへは連れ去られておらず、神々によってエジプトに匿われていたという設定になっています。アカイア軍はそんなこととは露知らず、空気の似姿のヘレンを取り戻そうと奮闘していたというわけです。女性からはどうしてもやっかみを受けることになるヘレネを、男性たちは好意的に解釈しようとするのですね。やはり美女はいつの時代にも得なようです。
最後の作品「キュクロプス」は、完全な形で現在までに残されている唯一のサテュロス劇なのだそう。サテュロス劇とは、ギリシア劇特有のコロス(合唱)がサテュロスたち(バッカスの信者)で構成されており、滑稽卑俗な所作と歌によって、悲劇とは全然違う雰囲気を出す劇とのこと。古代ギリシアの悲劇競演の際には、悲劇が3作上演され、最後にサテュロス劇が演じられて観客たちの緊張を解いたのだそうです。日本の能における狂言のような存在だったのでしょうか。本の形で読む限り、それほど滑稽卑俗といった感じはしないのですが、元々オデュッセウスの機知が光るエピソードではあるので、おそらく劇として上演されれば、悲劇の合間の息抜きとなるような作品だったのでしょうね。


「女の平和」アリストパネース岩波文庫(2007年7月読了)★★★

アテーナイとスパルタの間の戦争が続いていた頃。アテーナイの若く美しい夫人・リューシストラテーは、戦争をやめさせようと全ギリシアの女性たちに会合を通告。やがてスパルタのラムピトーら敵方の女性も集まり、リューシストラテーは男たちに戦争をやめさせるには、自分たち女性が男性に対して性的ボイコットを行うことが必要だと説き始めます。そしてラコーニアのラムピトーの協力を得て、その計画を実行に移すことに。(高津春繁訳)

ギリシア喜劇。アリストパネースがこの戯曲を書いたB.C.412年は、ペロポネーソス戦争(B.C.431-B.C.404)の真っ最中。27年間も続くことになったこの戦争は、アリストパネースの考えるようには終結しませんでしたが、この喜劇の中には当時の情勢に対する諷刺も沢山含まれています。
リューシストラテーの提案は要するにセックス・ストライキなんですが、それを聞いた女性たちの反応は、顔をそむけたり、立ち去ろうとしたり、口がへの字になったり、顔色が変わったり、泣いてしまったり。日本ではあり得ない反応ですね。それに対する、リューシストラテーの「あきれた、わたしたち女性ったら、みんな助兵衛ばかりだわ。お芝居がわたしたちを題材にするのも道理だわ」と言うのが可笑しいです。暴力で無理強いされた時にどうするのかと問われたリューシストラテーが「仕方がない、しぶしぶ従うのよ。暴力で得たものには楽しみなし。そのうえに、苦痛を伴うこと必定ですからね。なあに、すぐにやめるわよ。女と協力しなければ、男はけっしてけっして愉快にはなれないんですからね。」などと真顔で説明するのも凄いです。ここでは、あえて美しい化粧に透けた衣装で男をその気にさせながら、拒絶するというのがポイント。しかし女性だけで立て篭もることになると、我慢しきれずに脱走を企てる女性たちも。中には兜をおなかの中に入れて妊婦を装い、夫のところに戻ろうとする女性までいるのです。ギリシア人の女性はそれほどまでに好きなのでしょうか…。しかしこういった場面は現代のお笑いにも通じますね。特にミュリネーがキーネーシアース相手に散々じらすのは、笑いどころだったのでしょう。
しかしパワフルな女性たちの奔放な性を描いているようで、あくまでもこの作品は反戦作品。女性たちの存在によって明るく楽しい作品と仕上がっていますが、実はとても真面目な作品なのですね。


「アルゴナウティカ」アポロニオス 講談社学芸文庫(2009年4月読了)★★★★

イアソンが自分の破滅の原因となると知った王ぺリアスは、イアソンが大海や外国で命を落として戻って来ないことを願い、危険に満ちた航海の冒険を彼に課すことに。それは黒海の東の果てにあるコルキスへ金の羊毛を求めに行くというもの。イアソンはギリシャじゅうの英雄を集めてアルゴ船に乗り込むことに。集まったのはオルペウス、双子のカストルとポリュデウケス、ヘラクレスら50人ほどでした。(「ARGONAUTICA」岡道男訳)

イアソンが金の羊毛を求める冒険の物語。ギリシャ神話関連の本で何度も読んでいるので、話はよく知っているのですが、独立した物語としてきちんとした訳を読むのはこれが初めてです。この本ではきちんと叙事詩の形式で訳されているのがとても嬉しいですね。アポロニオスは詩人でありながら、図書館の司書や王子の教師をつとめたという学者。翻訳からはあまり分かりませんが、ホメロスの詩作方法や詩句を徹底的に研究し、新しい表現手段に作り変えたのだそうです。話そのものは、正直それほど好きではないものの、古代ローマ時代の詩人、ウェルギリウスやオウィディウスにも大きな影響を与えている作品ですし、もう少し後のガイウス・ウァレリウス・フラックスもこの作品に触発され、新たな「アルゴナウティカ」という作品を書いています。やはり押さえておくべき作品なのでしょう。
エウリピデスのギリシャ悲劇「メデイア」では既に鬼女のようになってしまっているメデイアですが、イアソンと出会った頃はまだまだ初々しい乙女。後々の激しさの片鱗は見え隠れしていますが、まだまだ純真です。この物語でイアソンの恋の相手となるのはこのメデイアと、その前にレムノス島で出会うヒュプシピュレの2人なのですが、2人の造形がとても対照的。つつましく優しく、男に無理なことを求めない(都合のいい女とも言える)ヒュプシピュレと、激しい恋に燃えるメデイア。イアソンが結局そのどちらとも添い遂げずに終わったというのが面白いですね。そしてこの冒険には、最初はヘラクレスも参加しています。このヘラクレスと主人公のイアソンも対照的。いかにも英雄といった風情のヘラクレスと、気弱というほどではないのですが、何かあるたびに思い悩んだり嘆いたりするイアソン。ヘラクレスは頭の中まで筋肉でできているような人物なので、一般人のイアソンの「普通さ」が目立つだけなのかもしれませんが…。
そのヘラクレスですが、結構早いうちにミュシアという土地に置き去りにされてしまいます。そしてその後合流することもなく、「この場にヘラクレスがいれば」と、すっかり回想の存在に。しかし今回驚いたのは、その間にヘラクレスがヘラに課せられた12の冒険をしていること。しかもその冒険の中で行ったことが、後にイアソンたちの助けになってること。この時代にこういった多層的な構造をした物語を読めるとは、とても興味深いですね。


「アエネーイス」ウェルギリウス 京都大学学術出版会西洋古典叢書(2007年7月読了)★★★

【第1歌】…陥落したトロイアを脱出しアエネーアスは、20隻の船を率いて父祖の地イタリアを目指し、7年の放浪の後、ディードのいるテュロスの都に辿り着きます。ユーノ女神の怒りのせいで多くの辛酸を嘗めるものの、ウェヌスの働きでディードに無事に受け入れられることに。
【第2歌】…アエネーアスはディードにそれまでの出来事を物語ます。アエネーアスが語ったのは、ダナイ人たちが作った巨大な木馬のこと、父・アンキセースと息子・イウールスを連れてトロイアから脱出すること。
【第3歌】…アエネーアス一行の船出。トラーキア、デーロス島、クレータ島、ペルガマではアンドロマケーに再会し、嵐に翻弄されてカルターゴに到着するまで。
【第4歌】…アエネーアスに恋したディードが妹のアンナに相談。ユーノ女神がディードとアエネーアスの結婚を後押しし、2人は結婚。しかしそこにユッピテルから使わされたメルクリウスが。
【第5歌】…艦隊を沖合いに進めたアエネーアスは、嵐にあってシキリアへ。旅の途上で亡くなった父・アンキーセスを弔うために競技大会を開催します。
【第6歌】…ユーノ女神による妨害が続く中、アエネーアス一行はクーマエに到着。巫女シビュラの神託を聞くことに。そしてアエネーアスが願ったのは、父との再会でした。
【第7歌】…アエネーアス一行はラティウムに到着。こここそが、アエネーアスに予言された地だったのです。そしてラティウムの王の娘・ラウィーニアは国外から来る男と結婚すると予言されていました。
【第8歌】…アエネーアスは川の神・ティベリーヌスの予言に従って川を遡り、エウアンドルス王に援軍を要請します。そしてアエネーアスはエウアンドルス王に歓待されます。
【第9歌】…ラウィーニアの求婚者・トゥルヌスはユーノの使い・イーリスにすぐに出陣して、アエネーイスの留守を攻めろという言葉を伝えます。
【第10歌】…天上では神々が集まり、ゼウスは禁に反したイタリアとトロイア人の不和の咎めます。しかしウェヌスとユーノの口論の末、先行きは運命に任せられることに。
【第11歌】…アエネーアスはパラスの死を悼んで、丁重にその父王・エウアンドルスの元に送り返し、トゥルヌスとの一騎打ちを求めることに。
【第12歌】…最後の決戦。アエネーアースは一旦負傷して戦線から引くものの、トゥルヌスと一騎打ちの末、トゥルヌスを倒します。(「AENEIS」岡道男・高橋宏幸訳)

古代ローマの国民詩人だったウェルギリウスによる、トロイアの英雄アエネーアースがイタリアに辿り着いてローマを建国するまでを物語った叙事詩。七五調の泉井久之助訳を読もうとしたのですが、何とも眠くなってしまい上巻で挫折。こちらを読み始めることにしたのですが… こちらもそれほど読みやすいというわけではありませんでした。
本来、ローマの建国の祖といえば、もう少し時代を下りますが、ローマという都市の名前の由来となっているロームルスの方が正統派なのではないかと思います。ロームルスは当時の王位を簒奪したアムリウスの姪、本来正統な王の娘であるレア姫に軍神マルスが産ませた息子。ロームルスと双子の兄弟レムスは怒った王によって川に流され、牝狼に育てられ、成長した後に王位を奪還して築いた都がローマ。しかし彼には双子の弟・レムスを殺したという汚点があり、父が軍神マルスであることも、粗野な印象を与えたのだそうです。
その点、アエネーアスは女神ウェヌスの息子であり、トロイア戦争ではへクトルに次ぐ勇士であり、落ち武者ではあるけれど、最終的にはトロイアを再興させたという英雄。当時の皇帝アウグストゥスがウェヌスの血統だとされていたこともローマ建国神話に相応しく、それによってウェルギリウスに作品の主人公として選ばれたようです。居ながらにしてギリシャの文化の香りを伝えるアエネーアスの方がロームルスよりも遥かに洗練されており、盲目の父・アンキーセスを背負い、幼い息子イウールスの手を引くアエネーアスの姿は、敬神、忠孝、家族愛といったロームルスにはない美徳を備えていたところも、大きな要因の1つであるようですね。そしてこの本の解説を読んでいてとても面白く感じたのは、祖国を喪失したアエネーアスが新しくトロイアを再興したことは、いつかローマに存亡の危機がきた時に偉大な指導者が現れて国を窮地から救うだろうという希望も入っていたようだというところ。確かに平家物語にもあるように、栄える者もいつかは滅びるもの。しかし国力が充実している時には、滅亡のことなど普通考えないもの。本当にそこまで考えていたとすると非常に興味深いです。
「アエネーイス」の前半は「オデュッセイア」、そして後半は「イリアス」を踏まえると言われており、実際に前半は航海譚、後半は戦争物語となっていました。かなりの部分がホメロスを踏襲しているのに驚かされます。オデュッセイアで怒れるポセイドンは、こちらではユーノの怒りとなり、難破したアエネーアスはオデュッセウスがナウシカアに助けられるように、カルターゴの女王・ディードに助けられ、オデュッセウスがカリュプソやキルケに誘惑されるようにディードと恋仲となり、その後無理矢理逃げ出すことになります。オデュッセウスが冥界で予言者・テイレシアスに学ぶように、アエネーアスも冥界でアンキーセスに学びます。そしてイタリアに着いてからの戦争は、トロイア戦争と同じく女性が発端。そして親友を殺されたアキレウスがへクトルを倒すように、パラスを殺されたアエネーアスはトゥルネスを殺すのです。
正直、泉井久之助訳を読んでもこちらの本を読んでも、あまり面白いとは思えなかったのですが、この作品はウェルギリウスが執筆している時から注目を集め、その後のラテン文学に及ぼした影響は計り知れないとされています。もちろん私の読解力の問題もあるでしょうけれど、日本語にしてしまうと伝わらなくなってしまう部分というのもあるのかもしれませんね。


「変身物語」オウィディウス 上下 岩波文庫(2006年10月読了)★★★★

「変身」というキーワードから描いた、ローマ時代の詩人・オウィディウスによるギリシャ・ローマ神話。神々の怒りによって、あるいは哀れみによって、あるいは気まぐれによって、植物や動物に変えられてしまう人々や神々のエピソードその他が250ほど、次々に語り手を変えながら語られていきます。下巻の後半、12巻以降はトロイア戦争とその後の物語へ。(「METAMORPHOSES」中村善也訳)

ホメーロスの2つの叙事詩や様々なギリシャ悲劇作品などが下敷きになっており、しかも子供の頃愛読していたブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」(野上弥生子訳)に、この「変身物語」のエピソードがかなり取り入れられていたので、既に知っている部分も多かったのですが、「変身物語」という作品として、通して読むのは今回が初めて。ゼウスがユピテル、ヘラがユノー、アプロディテがウェヌスなど、神々の名前がローマ神話名になっているので人物名が掴みにくかったですし、時にはエピソードの切れ目がはっきりせず戸惑う箇所もあったのですが、これほど沢山のエピソードを1つの大きな流れの物語として繋ぎ合わせているのはすごいですね。
ここに描かれているのは、相変わらず人間以上に人間臭い神々の姿。懲りもせず浮気を繰り返すユピテル、自分の夫よりも相手の女に憎しみをぶつけるユノー、気侭な恋を繰り返す男神たち、自分よりも美しかったり技能がすぐれている女に嫉妬する女神たち。この作品は、同じく変身物語であるアントニーヌス・リーベラーリスの「メタモルフォーシス」に比べると、遙かに人間や神々の心情を細やかに描いているのだそう。文学だけでなく、芸術全般に大きな影響を与えたというのも納得の想像力を刺激する物語。この中では、ピュラモスとティスベのエピソードがシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」にそっくりで、特に印象に残りました。


「サテュリコン-古代ローマの諷刺小説」ペトロニウス岩波文庫(2007年6月読了)★★

美貌の16歳の少年奴隷・ギトンをはさんで争いあう、エンコルピスとアスキュルトス。南イタリアを放浪する彼らの前には、淫らな男女が入れ替わり立ち代り現れます。(「SATYRICON」国原吉之助訳)

ローマ帝国5代皇帝ネロの治下、「趣味の権威者」として名高かったという文人・ペトロニウスによる悪漢(ピカレスク)小説と、哲学者・セネカの短編諷刺小説「アポコロキュントシス」を収録。
ローマ時代の文化の爛熟ぶりが察せられる作品。享楽的な生活とその優雅な退廃ぶりが繰り返し描かれていきます。その乱れきった様子には正直辟易しましたが、当時の優雅で洗練された貴族社会、当時の人々の美意識を知ることができるという面では興味深い作品と言えるかもしれません。
フェデリコ・フェリーニの映画「サテリコン」は、この作品を元に作られたのだそうです。


「ゲルマーニア」タキトゥス 岩波文庫(2009年8月読了)★★★★★

現代、古代のゲルマニアのことについて知ることができる文献といえば、まずユリウス・カエサルの「ガリア戦記」、そしてタキトゥスの「ゲルマーニア」。これは帝政期ローマの歴史家であったタキトゥスによる「ゲルマーニア」です。西暦100年前後のゲルマニア地方の風土や、そこに住む様々なゲルマニア系民族の慣習・性質・社会制度・伝承などについて書かれている本。(「GERMANIA」泉井久之助訳)

第1部は「ゲルマーニアの土地・習俗」、第2部は「ゲルマーニアの諸族」と分かれており、「ゲルマーニアの境域」「ゲルマーニアの太古」「ゲルマーニアにおけるヘルクレースとウリクセース」「ゲルマーニーの体質」などの章が全部で46章。タキトゥスは実際にゲルマニアを訪れたことがなく、ここに書かれていることは他者からの伝聞が主で信憑性が疑われているそうですし、確かにゲルマン民族といいながらケルト民族が混ざっていたりもするようですが、それでもタキトゥスの立ち位置はとてもリベラルだと思いますし、何より読み物として面白いです。1章ごとの記述はごく短く、しかし注釈はとても詳細。章そのものの記述の何倍もの注釈ページがあることもあります。しかしそれらの注釈が章ごとの後ろに入っているので、まるでその章ごとの解説を読んでいるように読めました。
面白かったのは、ゲルマン民族の金髪碧眼、そして立派な体躯をローマ人(もしくはタキトゥス)が羨んでいたようだということ。ゲルマン民族はローマ人にとって高貴な野蛮人だったのですね。他民族との婚姻などがほとんど存在しなかったため、その特徴は純血主義的に保存されていたようです。当時既に爛熟していたローマ人社会とは対照的に、ゲルマン民族は全般的に品行方正な暮らしを営み、不義密通などもほとんどなかったよう。「破廉恥罪」を犯した人物は頭から簀をかぶせられて泥沼に埋め込まれることになるのですが、処罰の執行を見せしめにするべき「犯行」と、隠蔽されるべき「恥行」が区別されているところも面白いです。姦通した女性は、夫によって髪を切られ、裸にされて家を追い出され、鞭を持った夫に村中追い掛け回されたとか…。夫を失った女性が再婚ということは、まずなかったようです。しかしゲルマン民族といえば勤勉なイメージがあるのですが、そういった特徴はここには見られません。ゲルマン人の1日は日没に始まって翌日の日没に終り、朝起きればまず沐浴して食事。成人男性が好きなのは狩、そして戦争。何もない時はひたすら惰眠をむさぼる生活。ビールやワインを好み、タキトゥスも「彼等は渇き(飲酒)に対して節制がない。もしそれ、彼等の欲するだけを給することによって、その酒癖をほしいままにせしめるなら、彼等は武器によるより、はるかに容易に、その悪癖によって征服されるであろう」(P.108)などと書いているほど。
巫女のような存在だったウェレダのエピソードは密偵ファルコシリーズにも登場したので懐かしかったですし、ゲルマン神話のヴォーダン(北欧神話のオーディン)が、風の神であり、飛業、疾行の神であり、死霊の軍を率いる神だからと、ローマ神話ではそれほど地位の高い印象のないメルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)になぞらえられているのが興味深いです。それにウリクセース(オデュッセウス)がその漂泊の間に北海およびバルト海まで流され、ゲルマーニアの土地を踏んだことがあるのだとか…。ウリクセース自身の手によって神にささげられた神壇があったり、ギリシャ文字を彫りこんだ記念碑まで残っているとは。タキトゥス自身は、「わたくしには、こういう事柄を、一々証拠をあげて立証るす気もなければ、敢えてまたこれを否認する心もない。要は人々、各々その性に従い、あるいは信を措き、あるいは措かなければよいのであろう」(P.36〜37)と書いているのですが。
それにしても強く感じられたのは、タキトゥスがゲルマン民族にいずれやられるだろうという予感を抱いていること。悲観的と言ってしまえばそれまでですが、爛熟・腐敗したローマに対して、素朴な力強さのあるゲルマーニアを認め、賛美しているように感じられる時もありました。


「神々の対話-他六篇」ルーキアーノス 岩波文庫(2009年8月読了)★★★★★

【カロオン】…冥土の王様から1日だけ暇をもらって浮世を見に来たというカロオン。丁度出会ったヘルメスに浮世のさまをひとつ残らず案内して欲しいと頼み込みます。ヅェウスの用で忙しいヘルメスですが、カロオンには日頃世話になっていることもあり、オリュンポスやオッサ、ペーリオン、オイテー、パルナッソスといった山々を積み上げてその上に座り、下界の人々の様子を見ることに。
【神々の対話】…プロメーテウスとヅェウス、エロースとヅェウス、ヅェウスとヘルメス、ヅェウスとガニュメーデス、ヘーラとヅェウス、その他様々な神々の対話集。
【にわとり】…靴直しの若者・ミキュロスと、人の言葉を話す鶏の会話。その鶏は、今は姿はみすぼらしくとも、実は前世では大哲学者のピュウタゴラースだったというのです。
【イカロメニッポス】…自分で宇宙を観察しても、学者から学び取ろうとしても、宇宙についてまるで理解することができずに困惑したメニッポスは、鷲のような羽をつけて自分自身で天に昇ることに。
【トクサリス】…ムネーシッポスはスキュティア人のトクサリスに、なぜスキュティア人は仇敵にも当たるオレステースとピュラデースを祭っているのかと尋ねます。
【歴史は如何に記述すべきか】…目前の戦争によって誰もが歴史を書くようになった昨今。しかし歴史を書くというのは容易なことではないのです… ルキアーノスが語る歴史記述における精神。
【無学なる書籍蒐集家に与う】…立派な本を買い集めてさえいれば、教養のあるひとかどの人物だと思い込んでいる人間に対する苦言。(呉茂一・山田潤二訳)

ギリシャ神話好きには堪らない風刺の効いた短篇集。特に面白かったのは「カロオン」と表題作「神々の対話」。「カロオン」とは、冥府の河ステュクスの渡し守のカロンのこと。闇の神・エレボスと夜の女神・ニュクスの息子であるカロンが地上に出てくるのは非常に珍しく、どうやらこれが初めてのようですね。しかし仕事で時々冥府を訪れるヘルメスとは顔馴染み。その関係でヘルメスに地上の様々な場面を見せて欲しいと頼み込み、2人で山の上から見物することになります。このヘルメスとカロン、そして彼らが見る人間たちの会話に風刺がたっぷり効いていて可笑しいのです。ギリシャ神話に語られているエピソードが、近い将来起きる出来事として予言されていたりと、ギリシャ神話をある程度知っている読者ならにやりとさせられる場面が多いはず。そして表題作の「神々の対話」は、様々な神々たちの会話を覗き見るような楽しさのある作品。自由と引き換えにテティスにまつわる秘密をゼウスに話すプロメテウスや、ヒュアキントスの死を嘆くアポロンなどは普通に神話のエピソードをなぞったものですが、自分の浮気癖を棚に上げて、もっと優美な姿で女性に近づきたいとエロスに文句を言うゼウスや、まさにガニュメデスを口説いている最中のゼウス、ヘルメスの手の早さや音楽の才能に目を細めているようなアポロン、ヘラとレトのわが子自慢と嫌味の応酬、使い走りばかりさせられて愚痴るヘルメスなど可笑しい会話も多いですし、トロイア戦争の元となった金の林檎のエピソードでアプロディテがパリスを買収する場面なども現実感があって面白いです。これは現代でもショートコントとして通用するユーモアセンスなのではないでしょうか。ローマ時代にこれほど楽しい読み物があったとは正直驚きました。
金持ちにあこがれる靴直しの青年をうまく言いくるめてしまう鶏の話「にわとり」も面白いですね。鶏は前世で様々な人生を体験しており、そのうちの1人は哲学者のピュタゴラス。前世として送った全ての人生(動物の一生も含めて)を覚えているので、なかなか深い意見が飛び出します。そしてローマ時代にも、応接間に全集を飾って悦に入るような人が多くいたのですね。積読本の多い読者には耳が痛いはずの「無学なる書籍蒐集家に与う」は、本当に皮肉たっぷりです。


「遊女の対話-他三篇」ルーキアーノス 岩波文庫(2009年8月読了)★★★

【遊女の対話】…遊女たちによる15の会話。
【嘘好き、または懐疑者】…デュキアデースがその友人・ピロクレースに、高名な哲学者や聖人ですら、嘘をつくのを好み、やむを得ない理由なしに民衆をだましていると嘆きます。
【偽予言者アレクサンドロス】…「私は知人のケルソスに頼まれて、アボーノテイコスのいかさま師・アレクサンドロスの伝記とその大胆極まりない詐術を1巻の諸に書き下して送ることに。
【ペレグリーノスの昇天】…有名になりたいあまり、あらゆるものに身を転じ、挙句の果てに大きな薪の山に飛び込んで燃え尽きてしまったペレグリーノス・プローテウスについて。(高津春繁訳)

「神々の対話」ほどではないにせよ、こちらも対話形式の表題作「遊女の対話」が面白かったです。「遊女」というと、金に困った両親が娘を人買いに売り払ってしまったような、どこか身を持ち崩したようなイメージがあるのですが、古代のギリシャやローマにおいては、それほど低い地位でも、見下される職業というわけでもなかったようです。特に古代ギリシャでは食料品の買い物ですら男性の仕事であり、一般女性は専ら家の中にあって、つつましく家庭を守り夫を助けるべき存在。特に年頃の娘の顔などは何かの祭礼の折に垣間見るしかないため、宴会などで場を取り持つのは専ら遊女の役目。男性と対等に会話を交わすためには才能と知恵と教養が必要となり、いきおい古代ギリシャにおける遊女の存在は、その美貌と才能によって華やかにもてはやされる存在となっていったのだそう。男と対等に語るために、男を凌ぐ高い教養を身につけていくことになったといえば、まるで江戸時代の花魁のようでもありますね。
そしてそんな遊女たちの会話なのですが。この作品に登場しているのはそんな花魁ほどの高級遊女ではなく、もっと一般的な遊女たち。遣り手婆にいいようにされたり、男どもの甘言に惑わされながらも、逞しく生きていく女性たち。そんな彼女たちを一途に愛する男性もいますが、大抵の男たちは彼女たちの手練手管に鼻の下を伸ばし、都合のいいことばかりを言っています。国が違っても、時代が違っても、男女の間のやりとりは同じ。心変わりや嫉妬、取った取られた結婚するしないという騒ぎ、自分を魅力的に見せるテクニックや、恋を成就させるためのおまじない。その辺りが可笑しいですね。

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