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このページは、古代ギリシャ・ローマの古典作品の本の感想のページです。

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「イリアス」ホメロス 岩波文庫(2006年7月再読)★★★★

トロイア戦争が始まって10年経った頃。アカイア軍の総帥であるアトレウスの子・アガメムノンが、クリュセイスを妾としたことで、その父でありアポロンの祭司であるクリュセスが解放するように嘆願していました。頑として聞き入れようとしないアガメムノンの姿に、クリュセスの祈りを聞き入れたアポロンが、アカイア軍の陣中に疫病を発生させてしまい、アカイア陣営は大混乱。ペレウスの子アキレウスらがアガメムノンにクリュセイスを返すように説得し、ようやくクリュセイスは無事に父親の元に戻るのですが… それでは収まらないアガメムノンは、意趣返しとして、アキレウスの愛妾・ブリセイスを奪ったのです。アキレウスは海の翁の娘であり、母である銀の足のティティスに訴え、ティティスはゼウスに訴えることに。(「ILIAS」松平千秋訳)

紀元前8世紀頃の作品。本当に「イリアス」のホメロスと同一人物が書いたのかという疑問もあるようです。
トロイア戦争をモチーフにした作品のうちでは、これが一番有名な作品でしょう。しかしここに描かれているのは、10年にも及ぶトロイア戦争のうち、ごく末期の部分のみ、それも1ヶ月ほどの短い期間に過ぎません。有名な不和の女神・エリスと黄金の林檎、3人の女神たちとパリスの審判、アプロディーテーにヘレネを約束されたパリスが彼女をトロイアに連れて帰ったことがきっかけとなって戦争が勃発したこと、そしてトロイア陥落の直接の原因となった、オデュッセウス発案のトロイアの木馬などについては、全く何も描かれていないのです。もちろん実際にこの「イリアス」が歌い語られた時代は、観客も当然トロイア戦争に関する知識を豊富に持っていたわけですし、戦争の原因やそれに至る出来事に触れられていなくても全く差し障りなかったのでしょう。それでも、いきなりアキレウスとアガメムノンの反目から物語が始まるというのは大胆だなと感心してしまいます。しかし実際に読んでみると、やはりこの部分が一番の盛り上がりを見せることに納得。アガメムノン率いるアカイアー軍、そしてヘクトル率いるトロイア軍の戦いに、オリュンポスの神々が密着した壮大な物語となっており、ある意味、人間以上にどろどろとしている神々同士の争いや駆け引きも楽しいのですし、やはりパトロクロスが死んだ後、親友の死にアキレウスが嘆き憤り、ヘクトルを倒すまでの盛り上がりは見事です。
この翻訳は詩の形態ではなく散文なのがやはり少し残念なのですが、それでもかなり叙事詩の時の雰囲気が伝わっているように思います。巻末には、ヘロドトスによる「ホメロス伝」も。ホメロスが盗作されてしまったエピソードや、「イリアス」や「オデュッセイア」に、ホメロスがさりげなく日ごろ世話になった人の名前を組み込んでるという裏話も読めて興味深いです。


「オデュッセイア」ホメロス 岩波文庫(2006年7月再読)★★★★★

トロイア戦争も終わりアカイア人たちは帰途につくものの、それぞれに何かしら難儀が降りかかり、苦労していました。故郷のイタカの島に向けて出帆したオデュッセウスもその1人。ポセイダオンの怒りに触れてしまい、他の面々よりも遙かに長く旅を続けることとなってしまったのです。今はカリュプソの仙女のところで7年を過ごし、まもなく8年目を迎えようとするところ。一方、イタカではオデュッセウスは既に死んだと考えられており、オデュッセウスの妻ペネロペイアに数多くの求婚者が言い寄っていました。求婚者たちはオデュッセウス家に入り浸り、その財産を蕩尽。この状況を見かねたパラス・アテネは、オデュッセウスの旧友であるタポス人の王・メンテスの姿となり、オデュッセウスの息子・テレマコスにオデュッセウスを探す旅に出るように示唆します。(「ODYSSEIA」松平千秋訳)

紀元前8世紀頃の作品。「イリアス」と並ぶ有名な作品です。
20年もの期間、故郷のイタケを留守にすることになってしまったオデュッセウスの物語。「イリアス」でもトロイア末期を描いていますが、こちらでもオデュッセウスが故郷に帰る日も間近となったところから物語が始まります。戦争物の「イリアス」に比べると、冒険譚の「オデュッセイア」の方が、一般的に面白く読めるかもしれないですね。登場人物も「イリアス」ほど多くなくて把握しやすいですし、神々も大騒ぎだった「イリアス」に比べて、こちらで全編通して前面に登場するのはアテネぐらい。物語としてもとてもすっきりとしています。
序盤では、オデュッセウスがポセイダオーンの激しい怒りを買ったということのみしか分からず、その原因が何だったのかは中盤まで明らかにされません。序盤は状況説明をするかのようにゆっくりと進行します。しかし中盤以降、オデュッセウスがそれほど長く漂流することになったいきさつや、トロイの木馬のエピソードが語られる頃になると、俄然面白くなります。そしてそのままイタケの島でのクライマックスへ。こちらの方が「イリアス」よりも、構成的にもすっきりしているかもしれませんね。何よりも30世紀近く昔の作品をこの現代に読んで面白いと感じられるのがすごいです。そしてこの作品は、後世の多くの作品に影響を与えている作品でもあります。その後の冒険譚、特に航海物の基となったのかと思うと感慨深いものがありました。ちなみにジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」は、この作品に構想を得た作品だそうですし(ユリシーズとはオデュッセウスの英語読み)、パイエケス王アルキノオスの娘・ナウシカアの名前が、ジブリで「風の谷のナウシカ」というアニメになったことは有名。魔女キルケの食べ物によって豚にされてしまう部下のエピソードも、ジブリの「千と千尋の神隠し」の場面の元になっています。映画「2001年宇宙の旅」の原題は「Space Odyssey」。

この「オデュッセイア」の中に、遙かなる世界の果て「エリュシオンの野」が登場します。このエリュシオンの野とは、「雪はなく激しい嵐も吹かず雨も降らぬ。外洋(オケアノス)は人間に爽やかな涼気を恵むべく、高らかに鳴りつつ吹きわたる西風(ゼビュロス)の息吹を送ってくる」場所。神々に愛された者が、死後住むとされた楽園。「至福者の島(マカロン・ネソス)とも呼ばれます。私の持っているギリシャ神話の本には、「オデュッセイア」の紹介ページにしかこのエリュシオンの野の記述が見られないのですが、これはオデュッセイアで初めて記述された概念なのでしょうか。それともそれ以前からある考え方なのでしょうか。「アエネーイス」ではこのエリュシオンの野が地の底にあるようにされているのですが。

ちなみに「イリアス」「オデュッセイア」を含めた8編の叙事詩が「叙事詩の環」となっています。「キュプリア(キプロス物語?)」→「イリアス」→「アイティオピス(エチオピア物語?)」→「小イリアス」→「イリオス落城」→「帰国談(ノストイ)」→「オデュッセイア」→「テレゴニア(テレゴノス物語)」をもって、壮大なトロイア物語を構成しているのです。


「神統記」ヘシオドス 岩波文庫(2006年7月読了)★★★★

原初に混沌(カオス)が生じ、続いて大地(ガイア)、奈落(タルタロス)、エロスが生じ、続いて幽冥(エレボス)と夜(ニュクス)、澄明(アイテル)と昼日(ヘメレ)が生じて… という、宇宙の始まりから、様々な神々の誕生、そしてゼウスがオリュンポスで神々を統べるようになり、絶対的な権力を得るまでの物語。(廣川洋一訳)

紀元前7世紀頃の作品。「イリアス」「オデュッセイア」のホメロスと並ぶ、最古の叙事詩人ヘシオドスによるギリシア神話。あくまでも詩の形態を取りながらも、どんどん生まれて来る神々を系統立てて説明し、宇宙観まで解き明かしてしまうというのがすごいです。
そしてやはり詩の形で読めるのが嬉しいですね。元の文章は六脚律(ヘクサメトロス)と呼ばれる形で書かれていて、それは日本語には表しようのないものなのですが、詩はやはり詩の形で読まないと、本来喚起されるはずのイメージが喚起されないまま終わってしまうような気がします。そして詩人がその詩を歌っているのは、あくまでも神々からの言葉だという、そういったギリシャの古い叙事詩ならではの部分もとても好きです。例えばこの「神統記」だと、オリュンポスの9人の詩歌女神(ムウサ)によって神の言葉を吹き込まれたヘシオドスが、その言葉を歌っているという形。なので歌われる詩は必然的に、まずその詩歌女神(ムウサ)たちへの賛歌から始まるわけです。
例えば「イリアス」では、単に「アイギスもつゼウス」と出ていて、注釈も何もなかったのが、こちらでは「神盾(アイギス)もつゼウス」のように書かれているのも嬉しいところ。こういった枕詞もギリシャならではですね。ゼウスの場合は「神盾(アイギス)もつ」や「雲を集める」、ポセイドンは「大地を震わす」、アテナは「輝く眼の」など、他にも色々とあります。
神々の名前が相当沢山登場するので混乱しやすいですし、到底覚えられるものではありません。しかし巻末には、15ページほどにも及ぶ神々の系譜図があり、しかも神々と人間の名前の索引もあるので、すぐに調べられてとても便利です。


「仕事と日」ヘーシオドス 岩波文庫(2007年6月読了)★★★★

【仕事と日】…パンドーレーの物語や五時代の説話を引き合いに出しながら、農夫でもあるヘーシオドスが無頼な弟・ペルセースに向けて労働の尊さについて語り、人間としてあるべき姿、望ましい行動を示し、農事暦として季節の移り変わりごとにやるべきことを教える教訓叙事詩。
【ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ】…共に詩聖と称せられるホメーロスとヘーシオドスは、エウボイア島のカルキスで歌競べをすることに。勝利の栄冠に輝いたのはヘーシオドス。後にヘリコーン山のムーサたちに奉納する三脚釜を手に入れたのは、この時のことでした。(松平千秋訳)

ヘーシオドスの「仕事と日」は、叙事詩らしくムーサたちへの語りかけから始まりますし、2人の争いの女神(エリス)についてや有名なパンドラの物語、五時代の説話が引き合いにだされてはいるものの、実際には全編通して兄から弟への訓戒となっています。この兄弟には、実際に父親の遺産を巡って争い、弟は領主に賄賂を贈って兄の土地も得たものの、たちまちのうちに蕩尽してヘーシオドスに泣きつくという出来事があったようです。ギリシャ時代の叙事詩といえばホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」のような英雄譚がまず頭に浮かびますし、同じヘシオドスでも壮大な神話の世界の成り立ちをうたう「神統記」は、とても叙事詩らしい作品。それらの作品に混ざって、こういった教訓叙事詩も存在しており、それが現代まで伝えられてきているというのがとても興味深いです。しかも真面目に働くことの大切さと人間としてあるべき姿について語るのはまだしも、農事暦がこの詩の中で大きな部分を占めるのが面白いですね。詩人でありながら農夫でもあったヘーシオドスならではでしょうか。
ここで語られるパンドーレー(パンドラ)の物語は「神統記」にも登場していましたが、細かい分が違うのですね。「神統記」ではただ「女」と呼ばれていたパンドーレーは、こちらでは名前で呼ばれていますし、「神統記」には、希望が最後に1つだけ甕の中に残るエピソードがありません。さらに五時代の説話に関しては、オウィディウスの「変身物語」にも似たようなエピソードが登場しますが、また少し違うのですね。この詩の中では「黄金の時代」「銀の時代」「青銅の時代」「英雄の時代」「鉄の時代」と5つに分かれているのに比べ、「変身物語」では「黄金の時代」「銀の時代」「銅の時代」「鉄の時代」の4つ。しかもこの作品のように人類がそのたびに滅びるというわけではなく、「変身物語」では時代の変化としての4つの時代の説話となっています。読み比べてみるのも一興でしょう。

・黄金の種族…クロノスの時代。悩みも労苦も悲嘆も知らず、神々と同じ生活を送っていたが、大地によって種族が隠されてしまう。その後ゼウスによって、地上の善き精霊、人間の守護霊となる。
・銀の種族…クロノスの時代。黄金の種族とは似ても似つかず、無分別で暴力的、神々を崇めることもなく、怒ったゼウスによって消されてしまう。その後は地下に住み、至福な人間と呼ばれることに。
・青銅の種族…ゼウスの時代。とねりこの樹から作られ、強靭な肢体に無敵の両腕、力が強く、戦いと暴力に明け暮れるが、お互いに討ちあって斃れる。
・英雄(半神)の種族…ゼウスの時代。オイディプスやヘレネー、彼らにまつわるギリシャ人たち。戦いによって滅びさるが、一部はゼウスによって「至福者の島(マカローン・ネーソイ)」に運び去られる。
・鉄の種族…ゼウスの時代。現在の世の中。昼も夜も労苦と苦悩に苛まれ続ける。

「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」は、ハドリアーヌス帝(在位117-138)の頃に作られたのが確実と見られているだけで、作者としてはアルキダマース説が有力、といった程度のようです。本当にこの2人の歌競べが行われたとはあまり考えられないのですが、ギリシャ人の聴衆がホメーロスの技量に感嘆し、褒め称えるのに対して、王が「勝利者たるべきは戦争や殺戮を縷々として述べる者ではなく、農業と平和の勧めを説く者でなくてはならぬといって、ヘーシオドスに勝利の冠を与えた」とあるのが興味深いところです。


「四つのギリシャ神話-『ホメーロス讃歌』より」岩波文庫(2006年8月読了)★★★★

【デーメーテールへの讃歌】…オーケアノスの娘たちと花々を摘んでいたペルセポネーは、突然大地の下から現れたハーデースに冥界へと連れ去られてしまい、デーメーテールは嘆き悲しみます。
【アポローンへの讃歌】…ヘーラーの嫉妬のために、ゼウスとの子供を産む場所を失ってしまった女神レートー。とうとう浮島だったデーロス島に来て、デーロスに頼み込むことに。
【ヘルメースへの讃歌】…ゼウスと女神マイアの間に生まれたヘルメースは、生まれたその日にアポローンの牛を盗み、アポローンに捕まえられた時もしらばっくれます。
【アプロディーテーへの讃歌】…アプロディーテーは英雄アンキーセースと出会い、愛し合います。そして生まれた子が、後にローマを建国するアイネイアースでした。(逸身喜一郎・片山英男訳)

紀元前6〜7世紀頃の作品。「ホメーロス讃歌」とは言っても、作者は「イーリアス」「オデュッセイア」を歌ったというホメーロスの作品ではなく、様々な人物がホメーロス的に作り上げた詩を集めたもののようです。そもそも、本当にホメーロスという人物はいたのか、1人の人間が本当に「イーリアス」「オデュッセイア」を作り出したのか、それとも複数の人物のユニットが「ホメーロス」だったのか… などという「ホメロス問題」があるようですね。元は全33編からなる讃歌集のうちの4編のみの抜粋。
デーメーテールの娘のペルセポネーがハーデースに嫁ぐことになったエピソードや、アポローンとアルテミスの母・レートーが出産する場所を探すのに苦労するエピソードはとても有名で、様々なギリシャ神話物語の本に登場していますし、「ヘルメースへの讃歌」や「アプロディーテーへの讃歌」も、その2編には及ばないものの、知られているエピソード。どれもとてもギリシャ神話らしい物語です。
私がこの中で特に気に入ったのは、「ヘルメースへの讃歌」。ヘルメースは生まれたその日も揺り籠の中にじっとしていることなく、早速家を飛び出してしまうのですが、亀を見つければその甲羅で竪琴を作って奏でてみたり、アポローンの牛を50頭も盗んでみるという行動力。しかもアポローンに悪事がばれ、ゼウスの前に引き出されて責められても、のらりくらりと言い逃れるのです。ヘルメースといえば知的でスマートなイメージを持っていたのですが、むしろ悪知恵の働く赤ん坊だったのですね。読んでいる間は、紹介ページにあるような、喜劇仕立ての滑稽な作品とはあまり思わなかったのですが、読後少し時間が経つと、やはりこれは喜劇的に面白い作品だったという印象が強くなりました。


「ホメーロスの諸神讃歌」ちくま学芸文庫(2006年10月読了)★★★★

岩波文庫の「四つのギリシャ神話-『ホメーロス讃歌』より」に収められた「デーメーテール讃歌」「アポローン讃歌」「ヘルメース讃歌」「アフロディーテー讃歌」はもちろんのこと、ディオニューソス、アレース、アルテミス、ヘーラー、ヘーラクレースなどの22の神々への讃歌、全33編。(沓掛良彦訳)

ギリシャ神話の神々の物語。ホメーロスの讃歌と呼ばれる作品の全訳です。とは言っても、岩波文庫の「四つのギリシャ神話-『ホメーロス讃歌』より」にも収められた4編以外は、どれも短いのですね。一番短いものでたったの3行、長くても数ページ程度。そのほとんどはただの描写であったり、祈願的なものであったり、神話的なエピソードを描いたものですらないのです。長大な4編との落差には驚かされました。しかし、この本の詳細な注釈は勉強になります。アポロドーロスの「ギリシア神話」やヘシオドスの「神統記」、オウィディウスの「変身物語」、ギリシャ悲劇はもちろんのこと、ギルガメシュ叙事詩などの東洋の神話伝承にまで言及・引用されているのです。各讃歌ごとに、それぞれ解題もついています。「ホメーロスの諸神讃歌」とは言っても、作者が「イーリアス」「オデュッセイア」のホメーロスその人なのではなく、「ホメーロス風」ということなのですが、作られた年代的にもかなり幅があるようですね。詳しいことは分かっていないようですが、明らかに作風が違う部分などが見て取れるのも興味深いです。
今回一番楽しく読めたのは、「パーン讃歌」。デュオニュッソスの従者とされながらも、ギリシャ神話ではほとんど名前を見かけることのないパーン神が、ヘルメースの子供だったとは知らなかったので、とても興味深かったです。それに、神その人の性格からか、詩全体の雰囲気も陽気で楽しく、目の前に情景が広がるようでした。良かったです。


「アガメムノーン」アイスキュロス 岩波文庫(2006年7月読了)★★★★

10年にも渡る攻防の末、トロイアの都イーリオンを攻め落とし、王妃クリュタイメーストラーに松明で報せを送ったアガメムノーン王は、イーリオンで捕えた王女・カッサンドラーを伴って凱旋し、妃の待つ王宮へと向かいます。しかし王宮に入る直前、予言者でもあるカッサンドラーが、王妃クリュタイメーストラーによって自分とアガメムノーン王が殺されることを予言するのです。(久保正彰訳)

B.C.458年に上演されたというギリシャ悲劇。三大悲劇詩人の1人・アイスキュロスの作品。題名こそ「アガメムノーン」ですが、この作品の中心となるのはアガメムノーンよりもむしろ、その妃であるクリュタイメーストラー。クリュタイメーストラーとは、トロイア戦争の発端となったヘレネーの姉妹です。そして彼女の夫・アガメムノーンは、ヘレネーの最初の夫だったメネラーオスと兄弟関係であり、アガメムノーンはアルゴス王、メネラーオスはスパルタ王。
そしてクリュタイメーストラーが夫のアガメムノーンを殺そうと考えたのは、アガメムノーンがアカイアー軍の戦勝のために自分たちの娘・イピゲネイアを生贄に捧げてしまったことへの恨み、そして10年間にも及ぶ戦争で夫が留守の間、自分自身が浮気をしていたことが原因です。
こ の作品を読んで一番面白かったのは、有名な伝説を悲劇に仕立てただけに、観客が事の結末を知ってるということ。観客は物語の展開も結末も知っているため、クリュタイメーストラーの心にもない台詞を聞いて、逆に心にもない台詞に含まれた欺瞞を感じ取るのです。台詞の中で、クリュタイメーストラーの心の声が聞こえるなど、面白い演出もあります。これは実際に劇として観ても面白そうです。どのような風で演じられてたのか、観てみたくなります。それにテーマがとても普遍的なのですね。戦争がどういうもので、それが人々の生活にどのような影響を及ぼすかというものも、それぞれ登場人物たちのドロドロした感情も、今も昔も変わりません。さらにカッサンドラーの、予言の言葉から死を恐れずに宮殿に入るまでの一連の言動はとても哲学的で、そういったところもとても面白く読めました。古典作品の例に漏れず、この作品も訳注がとても多いので、最初の1回目はあまり面白く感じられないのですが、2度3度と読み返すにつれて、ぐんぐん面白くなりました。
これはアイスキュロスによる悲劇3部作「オレステイア」のうちの1作目。この後、クリュタイメーストラーとアガメムノーンの娘・エレクトラと息子・オレステスは、父を殺されたことを知って逃げ、数年後に父の仇を討つことになります。「コエーポロイ(供養する者たち)」と「エウメニデス(善意の女神たち)」。そちらもぜひ読んでみたいものです。


「タウリケーのイーピゲネイア」エウリーピデース 岩波文庫(2006年8月読了)★★★★★お気に入り

アケーナイ王アガメムノーンの軍勢がトロイアー遠征のためにアウリスの港に集結してはいたものの、順風が得られずなかなか出帆できず、予言者・カルカースはアガメムノーン王自身の娘・イーピゲネイアを生贄としてアルテミスに捧げる必要があると告げます。アガメムノーンはやむなくイーピゲネイアを呼び寄せ、自ら娘の喉を切り裂くことに。しかしその時、アルテミスはイーピゲネイアを攫い、そこには身代わりの鹿を置いておいたのです。イーピゲネイアはアルテミスによってタウロイ人の国に連れて行かれ、そこでアルテミスに仕える巫女となります。そして10年後のある朝。イーピゲネイアは弟・オレステースの夢を見ることに。(久保田忠利訳)

B.C.414年かB.C.413年に上演されたというギリシャ悲劇。三大悲劇詩人の中でも一番年若かったエウリーピデースの作品です。一応「悲劇」とされていますが、これはおそらく元々の設定からきたものなのでしょう。
生き別れになっていたイーピゲネイアとオレステースが思いがけない場所で再会することになるという物語で、その筋自体は単純明快なもの。しかしこういった作品を読むと、これらのギリシャ悲劇作品が、今の世界の文学の根底に確かに存在していることを強く感じさせられますね。こういった印象は、今まで、例えばシェイクスピアなどからは決して感じられなかったものです。とても興味深いですし、それ以上に面白かったです。
劇の最後に「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」が登場するのには驚かされますが、解説によると、これは一定の劇的「趣向」であるだけだとのこと。おそらくそういった盛り上げ方を観客の方も望んでいたのでしょうね。解説にはさらに、イーピゲネイアとオレステースの数々の不幸には神々が深く関与しており、2人の再会もアルテミスとアポローンによるところが大きいため、最終的な脱出に神の力が関与するのはむしろ自然だとあり、それにも納得でした。
本文の注釈もなかなか良かったですし、巻末には「ギリシャ悲劇」そのものについての詳細な解説もあり、これを読むとエウリーピデースだけでなく、当時のギリシャ悲劇全体について良く分かります。この「タウリケーのイーピゲネイア」を元に様々な作品も書かれており、代表的な作品として、ゲーテの「タウリス島のイフィゲーニエ」が挙げられています。


「ギリシア悲劇I-アイスキュロス」ちくま文庫(2007年6月読了)★★★

【縛られたプロメテウス】…巨人神ティタンの1人であるプロメテウスは、人間に火をもたらしたことによってゼウスの怒りを買い、ヘパイストスの手によってスキュティアの果ての岩山に磔けられることに。
【ペルシア人】…ペルシアの若いクセルクセス王が水陸両面からギリシアのアッティカに進攻し、ペルシアの都・スサに残されたのはクセルクセス王の母・アトッサ。
【アガメムノン】…10年にも渡るトロイア戦争が終わり、アガメムノンはトロイアの王女カサンドラを伴って帰還。しかし門前のアポロン像を見たカサンドラが予言を始めて…。
【供養する女たち】…オレステスとピュラデスが長い外国生活から帰国し、父・アガメムノンの墓を参ったその時やってきたのは、姉のエレクトラの一行でした。
【慈みの女神たち】…母殺しの咎めにより復讐の女神(エリニュス)たちに追い回されたオレステスは、アポロン神を証人として、アテナイにてアテナの裁きを受けることに。
【テーバイ攻めの七将】…オイディプス王とその母の婚姻から生まれた2人の息子、エテオクレスとポリュネイケスはオイディプスの父・ライオス王の呪いにより、剣によって争いあうことに。
【救いを求める女たち】…ダナオスの50人の娘たちは、ダナオスの兄弟・アイギュプトスの50人の息子との結婚を嫌い、国を出てギリシアのアルゴスへとやって来ます。(呉茂一他訳)

ソポクレス、エウリピデスと並ぶ3大悲劇詩人の1人。作品は90編以上あったと言われていますが、現存するのはここに収められている7編のみ。アイスキュロスの作品には3部作が多く、「縛られたプロメテウス」はプロメテウス劇3部作の最初の作品ですし(あとの2作は「解放されるプロメテウス」と「火を運ぶプロメテウス」)、「アガメムノン」「供養する女たち」「慈みの女神たち」は、トロイア戦争後を描いたオレステイア3部作と呼ばれる作品群。「テーバイ攻めの七将」は、今は失われた「ライオス」「オイディプス」と共に3部作となっており、「救いを求める女たち」も、失われた「アイギュプトスの息子たち」「ダナオスの娘たち」と共に3部作となっていたのだそう。単発の作品は「ペルシア人」のみ。これは、当時のギリシア悲劇がほとんど神話・英雄伝説から題材を取られていたのとは違い、書かれるわずか8年前のサラミスの海戦を描いているという点で特異とされている作品。
解説に「アイスキュロスは真の意味でのアッティカ悲劇の建設者であった」という言葉がありました。元々1人の俳優が合唱隊と問答するだけだったギリシャ悲劇において、俳優の数を2人に増やしたのはアイスキュロスであり、この改革はギリシャ悲劇において画期的な改革となったのだそう。アイスキュロスは自ら俳優として演じ、音楽や舞踏の作者として合唱隊を教えたとか。同じく3大悲劇詩人と言われるソポクレスやエウリピデスに比べると、アイスキュロスの作品は正統派ながらもどこか淡白で、面白みが足りないようにも感じられるのですが、それはおそらく悲劇詩人として先駆者だったことも関係があるのでしょう。アイスキュロスが完成させたギリシャ悲劇にソポクレスが洗練させ、エウリピデスが民衆に向けてドラマティックに盛り上げてみせた、という位置づけなのかもしれません。
この作品集の中で興味深いのは、やはりトロイア戦争後の物語であるオレステイア3部作。そしてゼウスと衝突するプロメテウスを描いた「縛られたプロメテウス」もとても興味を引きます。この作品が3部作の第1作。3作目ではプロメテウスとゼウスの和解となったのだそうです。この状態から一体どのような展開を経て和解したのかとても気になりますし、失われた作品群がとても惜しまれます。


「ギリシア悲劇I-ソポクレス」ちくま文庫(2007年6月読了)★★★★★

【アイアス】…最上の勇者としての判定に破れ、アキレウスの形見の武具がオデュッセウスの手に渡ったことで納得のいかない大アイアス。オデュッセウスを襲って撃ち殺そうとするのですが…。
【トラキスの女たち】…ヘラクレスが音信を絶って15ヶ月。妻のデイアネイラはヘラクレスを心配し、息子のヒュロスにヘラクレスを探しに行かせます。その時館にやって来たのはヘラクレスの無事を知らせる使い。しかし使者は美しい捕虜・イオレを連れていたのです。
【アンティゴネ】…エテオクレスとポリュネイケスが刺し違えて死に、母方の叔父・クレオンがテーバイの王に即位。ポリュネイケスの死体を野ざらしにして哀悼も埋葬も厳禁し、犯すものは死刑に処すと宣言したクレオンにアンティゴネが逆らいます。
【エレクトラ】…母・クリュタイメストラと父の従弟・アイギストスが父・アガメムノンを殺して以来、嘆き続けているエレクトラ。エレクトラの望みは弟・オレステスが仇を取ってくれることだけなのですが、そのオレステスが死んだという知らせが屋敷に届きます。
【オイディプス王】…オイディプスが知らずに殺したのは実の父であるテーバイ王・ライオス。オイディプスが治めるテーバイの都に疫病が流行り、それがこの地の穢れのためと聞いたオイディプスは、前王・ライオスを殺した者を探し出そうとします。
【ピロクテテス】…足を毒蛇にかまれて再起不能となったピロクテテスは孤島・レムノスに置き去りにされ、それから10年。トロイアを陥とすにはヘラクレスの弓矢が必要だと知ったオデュッセウスは、アキレウスの遺児・ネオプトレモスを連れてその弓を持っているピロクテテスに会いに行くことに。
【コロノスのオイディプス】…絶望に陥ったオイディプスは自ら両目を潰し、娘のアンティゴネを伴って国を出て、諸国を流浪。アッティカに辿り着きます。(風間喜代三他訳)

アイスキュロス、エウリピデスと並ぶ3大悲劇詩人。多作だったソポクレスは生涯に123作もの悲劇を作ったと伝えられていますが、現存するのは本書に収められた7作のみ。しかし「オイディプス王」は、ギリシア悲劇の最高傑作とも数えられる有名な作品です。この7編のうち「オイディプス王」に連なる作品は「アンティゴネ」と「コロノスのオイディプス」の2作。「アイアス」と「エレクトラ」、「ピロクテテス」はトロイア戦争物、そして「トラキスの女たち」は英雄ヘラクレスにまつわる作品です。
アイスキュロスとエウリピデスの悲劇作品も素晴らしいのですが、やはりソポクレスの作品が最もギリシャ悲劇らしさを持っているような気がします。現代人が「ギリシャ悲劇」と聞いて想像するような作品を書いているのが、ソポクレスではないでしょうか。そして7編を通して読んで感じられたのは、当時のギリシャ人の思想や哲学、ギリシャ人の持つ正義の観念が大きく現れているということ。いずれの作品においても、登場人物たちは殊の外名誉を重んじますし、名誉が傷つけられた場合はその回復に全力を尽くし、過酷な運命に翻弄されながらもそれを受け入れて真っ向から生きていきます。彼らが神々の教えに従って行うことは最後には報われ、彼らの名誉を傷つけた人々には、神々による報いが待っているのです。
どの作品もクライマックスに向けて緊迫感が高まっていく様子がさすがとしか言いようのない迫力なのですが、その中でもやはり「オイディプス王」は最高傑作だと感じられました。この作品は、フロイトの「エディプス・コンプレックス」の言葉の元となる作品としても有名な作品です。しかしそれは単に後付けに過ぎないですし、この作品を読む上では逆に邪魔になるかもしれませんね。私が「オイディプス王」を読むのは久しぶりですが、今回再読してみて、実はこれはとてもミステリ的な作品だったのだということに気づいて驚かされました。まずテーベの町が疫病に侵され、前王・ライオスの殺人犯を挙げない限りそれが止むことはないというアポロンの神託が下されます。そしてオイディプス王は、ライオスの殺人事件を調べ始めるのです。ライオスとはどのような人物だったのか、いつどのようにして殺されたのか、目撃者はいるのか。最初は他ならぬ自分の治める町が疫病に侵されているとはいえ、他人事としか捉えていないオイディプス。様々な人間がライオス王について証言します。思いがけない告発も。そして最初は断片的だったそれらの証言が、やがてオイディプスを軸として1つの姿を見せ始めるのです。迫り来る不安感。オイディプスを安心させようとする王妃・イオカステの証言は、逆にオイディプスを追い詰めることになります。その証言の裏づけが取れた時、見えた真実とは。そして起こる自己崩壊。…単なるミステリ作品というだけでなく、「探偵=犯人」というのも画期的。盛り上げ方も巧みですね。さすが最高傑作と呼ばれる作品だと、今回実感しました。素晴らしいです。

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