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このページは、J.R.R.トールキンの本の感想のページです。

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「ホビットの冒険」岩波少年文庫(2006年10月再読)★★★★★
ある朝、ビルボ・バギンズが朝食を終えて、自分の素敵な穴のドアの前でゆっくり一服楽しんでいると、そこに現れたのは魔法使いのガンダルフでした。ガンダルフはビルボを冒険に連れ出そうと思ってやって来たのです。しかしビルボは冒険なぞ真っ平。翌日のお茶に招待する言葉と共に、体よくガンダルフ追い払います。ところが翌日のお茶の時間に玄関の呼び鈴が鳴った時、ドアの前に立っていたのは1人のドワーフでした。次にまた1人。今度は2人。ひっきりなしにドワーフたちが現れ、結局ドワーフが13人とガンダルフが、ビルボを囲んでお茶をすることになり、ビルボはなぜか、昔ドワーフたちが竜のスマウグに奪われた宝を取り戻す旅に同行することに。(「THE HOBBIT」瀬田貞二訳)

「指輪物語」の元となったファンタジー作品。大人向けの「指輪物語」とは対照的に、こちらは子供向けの作品となっています。それもそのはず、元々はトールキンが自分の子供たちのために作った物語なのです。最初はホビット庄での暮らしに満足しきって、冒険など夢にも考えられなかったビルボですが、なぜか乗せられて旅に出て(トック家の血の影響も多分にあったのでしょう)、知らなかった自分を発見する物語。おっとりのんびりして、食事のこと、その後のパイプ草のことにしか興味がないように見えていたビルボも、数々の場面を切り抜けるうちに大きな変貌を遂げます。「指輪物語」もそうなのですが、最初はのんびりした旅にのんびりした空気が流れているのに、気がついたらすっかりシリアスな雰囲気になっていますね。熊人ビヨルンとの出会いや闇の森の通行、竜のスマウグとの遭遇、そして五軍の戦いとどんどん緊迫感が増していきます。五軍の戦いまできてしまうと、冒頭のいかにも「ホビットの冒険」という雰囲気からは離れてしまうのが少し残念なのですが、それでもやはり面白いです。
「指輪物語」に登場するエルフのレゴラスの父、闇の森の王スランドゥイルや、ドワーフのギムリの父・グローインも登場します。

「妖精物語ついて-ファンタジーの世界」評論社(2006年9月読了)★★★★
【妖精物語とは何か】…字が読めるようになって以来妖精物語を愛してきたというトールキンが、妖精物語とは何なのか、その起源、その効用は何なのかということを考察したエッセイ。
【ニグルの木の葉】…旅に出なければならなくなった画家のニグルは、その前に巨大なキャンバスに描きかけた木の絵を仕上げようとします。しかし親切なニグルは周囲に様々な仕事を頼まれて、なかなか絵に向かう時間がとれないのです。
【神話の創造】…神話を愛する詩人フィロミュトス(トールキン)から、神話嫌いのミソミュトス(C.S.ルイス)へと宛てた詩。(「TREE AND LEAF」猪熊葉子訳)

各章のタイトルは違いますが、ちくま文庫から出ている「妖精物語の国へ」(杉山洋子訳)とほぼ同じ内容。違うのは、こちらには「ニグルの木の葉」が入っていて、「妖精物語の国へ」には「ビュルフトエルムの息子ビュルフトノスの帰還」が入っていること。「妖精物語の国へ」に続けてこちらの本を読んだので、「妖精物語とは何か」「神話の創造」についての感想は、「妖精物語の国へ」に書いています。「ニグルの木の葉」については、「トールキン小品集」にて。
杉山洋子さんと猪熊葉子さんの訳はかなり違い、例えば神話や妖精物語を嘘だと言ったルイスの言葉を、杉山さんは「銀の笛で嘘を奏でる」、猪熊さんは「銀(しろがね)のように美しいが嘘だ」と訳しています。個人的には、日本語として硬すぎるように感じられる部分は多いものの、猪熊訳の方が好みに合うようで、読んでいる文章がすっと頭の中に入ってきました。

「トールキン小品集」評論社(2006年1月読了)★★★★
【農夫ジャイルズの冒険】…道に迷った巨人に土地や畑を踏み荒らされたハム村のジャイルズは、巨人の大きさに驚いてらっぱ銃を撃ってしまいます。鼻に釘が刺さった巨人はそのまま立ち去り、ジャイルズは地方の英雄に。そして長者黄金竜を退治する羽目に。
【星をのんだかじや】…その年のウートン大村の二十四年祭での大ケーキの中には、妖精の星が入っていました。当たったケーキの中に入っていたものの、気づかずに飲み込んでしまったかじやの子供。しかしその時から、男の子の声はとても美しくなったのです。
【ニグルの木の葉】…旅に出なければならなくなった画家のニグルは、その前に巨大なキャンバスに描きかけた木の絵を仕上げようとします。しかし親切なニグルは周囲に様々な仕事を頼まれて、なかなか絵に向かう時間がとれないのです。
【トム・ボンバディルの冒険】…指輪物語の「赤表紙本」の余白に走り書きされた詩の数々。その中からホビット族の「第3紀」の終わりごろの、定住地ホビット庄の伝説や愉快な話と関連がある比較的古い作品を16編選んだというもの。
(「FARMER GILES OF HAM」吉田新一訳「SMITH OF WOOTTON MAJOR」猪熊葉子訳「TREE AND REAF」猪熊葉子訳「THE ADVENTURES OF TOM BOMBADIL」早乙女忠訳)

「農夫ジャイルズの冒険」は、まるでヨーロッパに伝わる民話の1つのような物語。1人のごく平凡な農夫が、なぜかとんとん拍子に出世してしまうというユーモラスな物語です。風刺もたっぷり。ずるがしこい竜もどこか憎めなくていいですね。「星をのんだかじや」は、とても幻想的で美しい物語。しかし妖精そのものは美しくもあり、同時に怖さも合わせ持っています。この妖精はエルフなのでしょうか。結末に切なさや寂しさがあり、「指輪物語」の船出での別れを思い出しました。「ニグルの木の葉」はとてもキリスト教的な寓話。旅という形で「死」について描かれ、魂の救済について描かれています。こういった暗喩に満ちた物語をトールキンが書くというのは意外でしたが、これは木の葉から1本の木全体を描こうとしたトールキン自身のことなのですね。そして最後の「トム・ボンバディルの冒険」は詩集。トム・ボンバディルは「指輪物語」の中でも特に好きな人物なので、トムと川の精の娘・ゴールドベリの馴れ初めのエピソードが読めてとても楽しかったです。ビルボやサムが書いたという詩もあり、中にはフロドの名前がついていたという詩も。全体的に楽しい詩や滑稽な詩が目につきますが、指輪物語の時代の終焉を感じさせるものもあります。私が好きなのは、やはり楽しげな雰囲気のトム・ボンバディルの詩。そしていかにもビルボが書きそうな叙事詩もいいですね。しかし「指輪物語」にも入っている詩も何篇かあるのですが、訳が違うのです。訳者が瀬田貞二さんではないのがとても残念。
ナルニアシリーズの挿絵でも有名なポーリン・ダイアナ・ベインズの挿絵も素敵です。カラーよりも白黒の方が雰囲気があっていいですね。

「シルマリルの物語」上下 評論社(2006年10月再読)★★★★★お気に入り
【アイヌリンダレ】…唯一神エル(イルーヴァタアル)が、まず聖なる者たち・アイヌアを創造。イルーヴァタアルは力ある音楽の主題を示し、アイヌアたちは大いなる音楽を奏でることによって世界を創り出すことに。しかしメルコオルだけは、己自身の欲望に囚われるようになります。
【ヴァラクウェンタ】…イルーヴァタアルの創り出した世界・アルダに下ったアイヌアたちは、ヴァラアルと呼ばれることになります。ヴァラアルたちは、メルコオルの妨害を受けながらも、イルーヴァタアルに示された幻を手本にこの世界を形作っていくことになります。
【クウェンタ シルマリルリオン】…アルダがいまだ完全に形をなしてなかった頃、ヴァラアルたちとメルコオルの最初の戦が起きた頃からの、上古の第1期から第2期にかけての歴史。エルフの誕生。フィンウェとミーリエルの一人子・黒髪の天才フェアノオル、そして彼の創り出した3つのシルマリル。それにまつわるメルコオルとエルフたちの物語。
【アカルラベース】…メルコオルがマンウェによって世界の外なる虚空に閉じ込められた時、エルフの友となった人間たちは西方の島に美しく豊穣な島を与えられます。彼らはヌメノーレアン、灰色エルフの言葉でドゥーネダインと呼ばれる者たち。しかしこの島にも、じきにサウロンが入り込んで来るのです。
【力の指輪と第三紀のこと】…メルコオルが滅ぼされると、サウロンはまずエルフたちを説得して自分に仕えさせようとします。エルフたちも、サウロンの広い知識を歓迎。しかしサウロンが密かに1つの指輪を作り、それを嵌めた時、エルフたちは彼の真の思惑を悟ることに。(「THE SILMARILLION」田中明子訳)

+自分用のメモ+
14人のヴァラアル…精霊アイヌアの中でも特に偉大なものたち、「アルダの諸力」
マンウェ(空気・風)、ウルモ(水)、アウレ(鍛冶)、オロメ(力・狩人)、マンドス(ナーモ・審判)、ローリエン(イルモ・幻・夢)、トゥルカス(体力・武勇)、ヴァルダ(星星)、ヤヴァンナ(果実)、ニエンナ(悲しみ)、エステ(癒し手)、ヴァイレ(織姫)、ヴァーナ(常若)、ネスサ(快足)

4人のマイアアル…ヴァラアルと共に現れた精霊
イルマレ(ヴァルダの侍女)、エオンウェ(マンウェの伝令使)、オスセ(ウルモの臣下・海の主)、ウィネン(海の妃)、メリアン(ヴァーナとエステに仕え、後にエルフのテレリ族の王エルウェ・シンゴルの后となってルーシアンを産む)、オローリン(ガンダルフ)、アリアン(太陽の船アナアルを導く乙女)、ティリオン(月の島イシルの舵を取る狩人)

エルフ…「クウェンディ」(声を出してものを言う者)、「エルダアル」(星の民)
 ヴァンヤアル族(金髪のエルフ)…イングウェ(全エルフ族の上級王)
 ノルドオル族(黒髪のエルフ)…フィンウェ→フェアノオル、フィンゴルフィン、フィナルフィン
 テレリ族(海のエルフ)…エルウェ、オルウェ


「指輪物語」は中つ国の第3紀の物語でしたが、これはそこからさらに遡る物語。この世界の根底にある壮大な神話です。唯一神エルによる世界アルダの成り立ちから描かれているところは、まるで聖書の創世記のようですし、アルダを作るヴァラアルたちに対する悪の存在・メルコオルは、まるで堕天使ルシファーのよう。しかし世界の創造からエルフの誕生、人間の誕生、ドワーフやエントの誕生、そしてその歴史はトールキンならではの世界で、これを読むのはやはり感慨深いものがあります。「指輪物語」では詳しく語られていなかったこと、全く語られていなかったことについても、ここで語られています。これによって世界を俯瞰し、その歴史を深く理解できるようになります。1つの指輪やエルフの3つの指輪。伝承や「指輪物語」に登場する様々なエルフたち。エルフとドワーフたちの反目。エルフがドゥーネダイン以外の人間を信用しなくなった原因。メルコオル(モルゴス)、サウロン、バルログ、シュロブの大元と言えるであろうウンゴリアントという悪の存在。「指輪物語」は長い歴史のほんの一部分に過ぎなかったことが、これを読むと良く分かりますね。しかしそれほど古い出来事でありながら、エルフは全てを見届けてきたのですね。若かりし日のエルフたちの姿は、人間よりも遙かに知恵のある存在として作られていたはずであるのに、むしろ人間のように未熟な存在であり、時には視野が狭く愚か。このエルフたちの姿を見てしまうと、「指輪物語」での彼らの姿勢やその叡智に哀しみすら感じてしまいます。
下巻の「アカルラベース」「力の指輪と第三紀のこと」は、「指輪物語」に直接繋がってくる物語。「指輪物語」でもお馴染みの名前が多数登場しますし、そちらで語られていたこと語られていなかったことが違う視点から描かれていて、指輪物語をより深く多角的に理解できるようになると思います。
緻密でありながら、あまりに美しく、あまりに壮大。素晴らしい世界です。

「ビルボの別れの歌」岩波書店(2006年10月読了)★★★★
「指輪物語」の終焉によって第3紀も終わりを告げ、エルフたちと共に中つ国から船で旅立ったビルボとフロド。その旅立ちの直前にビルボが書いたという詩が、ポーリン・ベインズのフルカラーの挿画と共に美しい絵本となりました。トールキン生誕100年記念出版の絵本。(「BILBO'S LAST SONG」脇明子訳)

それぞれのページに、ビルボの詩と指輪物語の最後の旅立ちの場面、そしてページの下には「ホビットの冒険」の場面も描かれ、とても綺麗な絵本。しかしポーリン・ベインズの美しい絵はナルニアシリーズで子供の頃からお馴染みなだけに、絵を見ているとナルニアの場面のように思えて仕方がなかったです。馬に乗って灰色港へと向かうエルフたちの姿は、白い鹿を追いかけるピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィたちのようですし、戦いの場面は白い魔女との戦い、もしくはカスピアン王子の戦いのよう。そして船は朝びらき丸。それでもトールキンとは長い付き合いだったというポーリン・ベインズの絵には、折にふれてトールキン自身から聞いたことが色々と描きこまれているそうで、巻末には各イラストに詳細な説明があり、それがとても面白かったです。その絵の元となった場面、本のページ数まできちんと書かれているのがとてもいいですね。

「ブリスさん」評論社(2006年10月読了)★★★
その日、緑のシルクハットをかぶったブリスさんは、自転車に乗って丘を下って村へ。そして買ったのはなんと車でした。目のさめるような黄色い車体に、車輪は赤。ブリスさんは早速ドーキンズ兄弟を訪ねに行こうとします。しかし途中で手押し車いっぱいのキャベツを運んでいたデイおじさんや、ロバのひく荷車いっぱいにバナナを積んだナイトおばさんにぶつかってしまい…。(「MR. BLISS」田中明子訳)

トールキン自身によるイラストと直筆の文章による絵本。味のある絵に味のある字体が楽しいです。キリンウサギという不思議な動物が楽しいですし、まめに絵を描いているように見えて、時折本当に面倒臭くなってしまったのか、印だけ付けて「自動車があるのは、ちょうどこのあたり。(小馬もロバもね)かくのが、めんどうくさくなってしまったのだよ。」とか「ハーバートは、この絵のなかにはいない。パンくずが気管に入ったので、ながしのところで、せきをしているのだ。」などという注釈が入っているのが、また楽しいところです。日本語版では、左に日本語の文章があり、右ページに絵と直筆の文章というトールキンの原稿が載っているのですが、原書版では、左のページにトールキン文章が活字となっているのだそう。子供たちのために作られただけあって、ナンセンスなドタバタがそのまま絵本になってしまったという感じ。意外と長いお話なのですが、おそらく聞いている子供たちが乗ってしまい、話がどんどん続いてしまったのでしょうね。このお話は、1937年に「ホビットの冒険」が出版された時には、既にトールキンによって本の形に綴じられていたのだそうです。
それにしても、途中の「ギャムジーじいさん」には驚きました彼らは実はホビットたちだったのでしょうか!

「サンタ・クロースからの手紙-クリスマスレターつき」評論社(2006年10月読了)★★★★★
トールキンが自分の4人の子供たちのために20年以上書き続けた絵と手紙を絵本にしたもの。いつもプレゼントと一緒に、時には降ったばかりの雪にまみれたまま、暖炉の前に置いてあったのだそうです、手紙の差出人は、サンタ・クロース自身だったり、助手の北極熊だったり、秘書のエルフ・イルベレスだったり。評論社絵本の部屋・しかけ絵本の本棚版では、実際に手紙が封筒に入れられており、とても凝った素敵な本となっています。(「LETTERS FROM FATHER CHRISTMAS」瀬田貞二・田中明子訳)

サンタ・クロースから直筆の手紙が来るというだけでも楽しいのに、サンタ・クロースとドジな北極熊の大騒動がイラスト入りで読めるというのが素敵です。北極熊が、北極柱にひっかかったサンタ・クロースのフードを取ろうとすると柱が真ん中で折れて倒れてきて、サンタ・クロースの家の屋根に大きな穴をあけてしまい、クリスマス間際に引越しをしなければならなくなったり、2年分のオーロラ花火を打ち上げてしまい「世にたぐいなく大きなドカーン」となってしまったり、両手にかかえきれないほど荷物を持って階段から転げ落ちたり… 北極での楽しく賑やかな様子が伝わってきます。封筒についている絵や北極マークの切手も素敵ですし、サンタ・クロースの震える文字、北極熊のかっちりとした文字、エルフの流れるような筆記体と文字が使い分けられているのも楽しいです。

「仔犬のローヴァーの冒険」原書房(2006年10月読了)★★★★
小さな仔犬のローヴァーが、ある日庭院で黄色いボールを転がして遊んでいる時に出会ったのは、意地悪な魔法使いのアルタクセルクセス。ローヴァーからボールを取り上げてそのまま立ち去ろうとするアルタクセルクセスに、怒ったローヴァーは噛み付き、魔法使いはローヴァーをおもちゃの犬に変えてしまいます。それからというもの、ローヴァーは昼間はほとんど動けず、夜中の12時を過ぎてようやく歩いたりしっぽを振ったりできるという生活。そしておもちゃ屋のウィンドウに並べられたローヴァーを買ったのは、3人の息子のいるお母さん。その中の1人が大の犬好きで、とりわけ小さな白と黒のぶちの犬には目がないのです。しかし大喜びしていた少年IIは、海岸でローヴァーをポケットから落としてしまったのです。浜辺でローヴァーが出会ったのは、プサマソスという名の魔法使い。ローヴァーはプサマソスに言いつけられたカモメのミュウの背中に乗って月へと行くことに。(「ROVERANDOM」山本史郎訳)

トールキンが「ホビットの冒険」よりも以前に作った物語。この作品に登場する少年IIはトールキンの次男のマイケルであり、彼がお気に入りの犬のおもちゃをなくしてしまったことから、トールキンはマイケルを慰めるためにこの物語を作ることになったようです。
アーサー王伝説やギリシャ神話北欧神話といった影響も強く感じられますが、「ホビットの冒険」を書く前ではあっても、十分にその原型は感じられます。注釈にも、アルタクセルクセスの青い羽のついた緑の防止はトム・ボンバディルの帽子と同じであるようなことが書かれていますし、月の男はまるでガンダルフのよう。(月の男ではなく、プサマソスなのかもしれませんが) 海の底に行ったローヴァーが鯨や海犬のローヴァーと西の「海図のない大洋(うみ)」を旅して、西の果てに目を凝らした時に見えた風景は、まるでヴァラールやエルフたちの住むアマンを眺めているようでもあります。ここに登場するドラゴンも、ホビットの冒険の原型と言えそう。まるで関係ないように思っていた物語同士に繋がりを見つけるのも嬉しいものですね。もちろん、そういったことを抜きに、1匹の仔犬の冒険物語としても十分楽しめます。月の世界や海の底の世界の描写が素敵です。

「サー・ガウェインと緑の騎士-トールキンのアーサー王物語」原書房(2006年10月読了)★★★★
【サー・ガウェインと緑の騎士】…新年になったばかりのその日、アーサー王の宮廷に1人の大男が勝負を挑みにやって来ます。勝負を受けたガウェインは、斧の一撃で大男の首を落とすのですが、男は自分の首を掴み、1年後の再会をガウェインに約束させて去ります。
【真珠(パール)】…曇りなき黄金にはめ込まれた、瑕疵ひとつない真珠。しかし宝石商の「私」は、大切なその真珠を庭園で失ってしまったのです。
【サー・オルフェオ】…いにしえの世にイングランドを気高く治めていたオルフェオ王の美しい王妃・エウロディスが果樹園で連れ去られ、王は自分の国を捨て、竪琴だけ持って荒れ野に隠遁します。
【ガウェインの別れの歌】…緑の礼拝堂へと向かう前の、ガウェインの歌。(「SIR GAWAIN AND THE GREEN KNIGHT」山本史郎訳)

「サー・ガウェインと緑の騎士」「真珠」「サー・オルフェオ」といった、14世紀に中英語で書かれた作品の、J.R.R.トールキンによる現代語訳。英文学者であったトールキン自身の研究の成果ともいえるもの。「サー・ガウェインと緑の騎士」「真珠」はおそらく同じ作者によるものとのことですが、どれも作者も書かれた年代も場所も明らかではありません。
「サー・ガウェインと緑の騎士」に関しては、大学で勉強したこともあるのですが、その時読んだのは現代英語版。日本語で読むのは、岩波少年文庫にあったR.L.グリ−ンの「アーサー王物語」以来。トロイア戦争、ローマ建国、ブリテン建国… と中世の歴史に触れている辺りにはまるで覚えがないので驚きました。私が読んだ英語版には、この冒頭の部分はなかったように思うのですが… トールキンの創作でしょうか。そして緑の騎士に関しても、思っていたのとはかなり違いました。確か「緑色の鎧兜に身を固めた大柄な騎士」だったと思うのですが、ここに登場する緑の騎士は、美しい緑色の衣装と宝石で装いながらも、長い髪の毛と大きなあご髭をたらした、まるで野人のような人物なのです。馬も緑色。この人物の背丈は「この世(ミドルアース)に常ならぬものすごさ」「巨鬼(トロル)の半分ほどもあろうかというほどの巨躯」。指輪物語の世界との繋がりを感じさせる表現です。ただ、何といっても残念なのは、この物語が散文調に訳されていること。原文やトールキンの訳の頭韻を日本語に再現することは不可能でしょうけれど、なぜ散文なのでしょう。詩の形に訳すことはできなかったのでしょうか。
「真珠」は一種の挽歌なのだそう。幼くして死んだ娘になぞらえた「真珠」に導かれて、エルサレムを垣間見る美しい詩。「サー・オルフェオ」は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語のブリテン版。なぜエウロディスが突然連れ去られたのかは明らかではありませんが、王と王妃の愛情、そして王の人望の厚さが清々しい読後感を残します。

「妖精物語の国へ」ちくま文庫(2006年9月読了)★★★★
【妖精物語について】…字が読めるようになって以来妖精物語を愛してきたというトールキンの唯一の文芸論。妖精物語とは何であり、その起源と効用とは何なのかということを考察しています。
【神話を創る】…神話を愛する詩人フィロミュトス(トールキン)から、神話嫌いのミソミュトス(C.S.ルイス)へと宛てた詩。
【ビュルフトエルムの息子ビュルフトノスの帰還】…西暦991年の行われたモールドンの戦い。イギリス軍を率いるエセックス太守の息子ビュルフトノスと、ヴァイキング軍の対戦を詩劇として書いたもの。
(「ON FAIRY STORIES」「TREE AND LEAF」杉山洋子訳)

+自分用のメモ+
妖精物語とは何か…
多かれ少なかれ妖精国に触れている物語のこと。人間の最も深い願望を上手く満足させているかどうかが、妖精物語としての良さと味わいの決め手になる。旅物語や夢物語、動物寓話は、妖精物語には含められない。

妖精物語の起源…
人間が空想を働かせて「準創造者」となり、新しい物語形式が創られた。神話もまた「準創造」である。自然神話や英雄伝説が矮小化して妖精物語になったのではない。

妖精物語の価値と効用…
物語作者が「準創造者」として成功していれば、そこには第二世界が作られ、読者はその世界の内側に入り込み、その世界を本当だと信じることができる。
子供だから妖精物語を信じやすい、騙されやすいなどということはない。子供用に書かれたり再話され、大人の芸術から切り離されていると、そのうちに駄目になってしまう。妖精物語に文学としての価値があるなら、まず大人のために書かれるべきであるし、そうなれば子供も優れた作品を読めるようになる。

妖精物語の特徴…
 「空想」…不思議さで人の心をとらえる(他の文学形式に比べて、ずっと準創造的)
 「回復」…子供らしさを取り戻し、子供の感受性を持ち続けられる
 「逃避」…人間の変わらぬ理想や願い(ファンタジーの本質)
 「慰め」…幸福な大団円


各章のタイトルは違いますが、評論社から出ている「妖精物語について」(猪熊葉子訳)とほぼ同じ内容。違うのは、こちらには「ビュルフトエルムの息子ビュルフトノスの帰還」が入っていて、「妖精物語について」には「ニグルの木の葉」が入っていること。
「妖精物語について」は、「ホビットの冒険」出版後に出されたエッセイ。文字が読めるようになって以来、妖精物語を愛してきたというトールキンが、妖精物語を「子供っぽくてばかげている」「子供用の話だ」と一段低く見ようとする動きに対して繰り広げる、一種の擁護論。これが書かれた時、「指輪物語」はようやくブリーの場面に達したところで、まだ先が全く見えていない状態だったようです。
様々な素材を鍋で似ているイメージも面白かったですし、特に印象に残ったのは、ファンタジーは本来文学に向いているという辺り。これはとても興味深かったです。例えば絵画だと、「心に描いた不思議なイメージを視覚的に表現するのは簡単すぎる」ので、逆に「ばかげた作品や病的な作品」が出来やすい。演劇の場合、元々舞台上に「擬似魔術的な第二世界」を作り上げているので、「さらにファンタジーや魔術を持ち込むのは、まるでその内部にもうひとつ、第三の世界を作るようなもの」という理由で相性が悪い。その点、ファンタジーは、言葉で語られるのに向いているというのです。「準創造」という言葉遣いや、エピローグの文章に、敬虔なカトリック教徒であるトールキンの土台が見えてきて、そういった意味では日本でのファンタジーに当てはまらない部分もあるのではないかと思うのですが、面白かったです。

本筋とは関係ないのですが、「西方のハイ・ブリセイルの魔法の国が、ただのブラジル、赤い染料木を産出する国になってしまった」という文章には驚きました。ハイ・ブリセイルとはアイルランド伝説にある、西の海に浮かぶ島。楽園。まさかブラジルの名前の元になっていたとは…。
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