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このページは、上橋菜穂子さんの本の感想のページです。

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「精霊の守り人」偕成社(2004年9月読了)★★★★

今年30歳の女用心棒・バルサは偶然、山の離宮から都に帰る皇族の行列と行き会い、牛車の牛が突然暴れたため、谷川の濁流へと弾き飛ばされて落ちていった少年を助けることに。それは新ヨゴ皇国の第二皇子・チャグムでした。バルサはチャグムの母にあたる二ノ妃の館に招かれて心尽くしの接待を受け、二ノ妃の願いを聞いて、チャグムをしばらくの間預かることに。チャグムの身体には得体の知れない何物かが宿っており、そのため、<帝の影>によって命を狙われているというのです。チャグムに宿っているのは、100年に1度卵を産むという精霊・ニュンガ・ロ・イム<水の守り手>の卵。チャグムは、その卵を食べようとする幻獣・ラルンガにも狙われていました。

野間児童文芸賞新人賞、産経児童出版文化賞・ニッポン放送賞、第23回路傍の石文学賞、第25回巌谷小波文芸賞受賞作品。
新ヨゴ皇国という架空の国を舞台にしたファンタジー。どうやら古代日本をモデルにしたわけではなさそうですが、それでもどこか身近に感じられるこの国の造形がとてもしっかりとしていて、いいですね。それに主人公のバルサも、30歳の女用心棒という児童向きのファンタジーには珍しい設定。肉体的のみならず、精神的にも非常に強いものを持っているこのバルサが、この物語を地に足をつけた、一本芯の通ったものにしているような気がします。バルサ以外のキャラクター、包容力のあるタンダやヤクーの知恵を持つトロガイ、彼らに見守られながら逞しく成長していく精霊の守り人となったチャグムなども魅力的。
新ヨゴ皇国の成り立ちとなる、聖祖トルガル帝の水妖退治の伝説で語られていること、語られていないこと、そして事実からは曲げられてしまった部分。今に伝わる夏至祭りの儀式や歌に隠された真実。ニュンガ・ロ・イム<水の守り手>とは、ニュンガ・ロ・チャガ<精霊の守り人>とは、ラルンガとは何なのか、そして襲ってくるラルンガから命を守る方法は伝えられているのか。読み始めこそ、平仮名が多い文章が読みづらかったのですが、この世界に一旦入り込むと、一気に読んでしまいました。特に、卵が目覚め始めてからチャグムが見る夢や、ナユグとサグの情景が美しく幻想的。しかしこの物語では、あくまでも目に見える普通の世<サグ>が舞台。もっと普段は目に見えない別の世<ナユグ>についても、もっと読みたいですね。この1冊だけでも完結していますが、まだまだ序盤という印象。これからの展開が楽しみです。


「闇の守り人」偕成社(2004年9月読了)★★★★★お気に入り

6歳の頃に、養父のジグロによってカンバル王国から脱出、新ヨゴ皇国に連れて来られて25年。今、バルサはカンバル王国に戻ろうとしていました。それも旅人が行き来する正式の国境の門ではなく、国境にあるユサ山脈の洞窟を通り抜けて。それは、カンバル王国の子供たちが、物心がつくと親から入ってはならないときつく言い聞かされる、ヒョウル<闇の守り人>たちが行き来する<闇の道>だったのです。そしてバルサは洞窟の中で、ヒョウルに襲われた兄妹を助けることに。それはムサ氏族傍系の生まれのカッサとジナ。洞窟に、勇気の証となる白磨石を取りに来ていたのです。

「精霊の守り人」に続く、守り人シリーズ第2弾。第40回日本児童文学者協会賞、第23回路傍の石文学賞受賞作品。
前作で語られたバルサの過去の話が、ここにきてメインとなっています。前作でも、事実と伝説のズレが大きく語られていたのですが、ここでもバルサの知る真実と、カンバル王国の人々の知る真実との間の大きなズレが問題になっているのですね。どこにもぶつけようのない怒りと大きな喪失感。歪められた過去に向かって全力で立ち向かうバルサの姿が、とても力強いです。特に最後の山の底の槍舞いの場面は、バルサの心の底からの叫び。誰に頼まれたのでもなく、誰のためでもなく、自分のための槍舞い。その場面に圧倒されました。そしてそんな躍動感とは対照的な、幻想的な情景も印象に残りました。ティティ・ラン<オコジョを駆る狩人>と山の民の場面や、終盤の山の底の儀式場に向かうスーティ・ラン<水流の狩人>、そしてヒョウルたち。ヒョウルの正体と、ルイシャ<青光石>の成り立ちは、完全に想像外だったので、とても驚きましたが…。
バルサに伝わってきたジグロの負の感情、それによってバルサの中にこみあげてくる感情には、とても切なくなってしまったのですが、それでもこれはバルサにとって必要な儀式だったのですね。これによって過去を卒業し、また1回り大きくなれそう。そんなバルサの今後の活躍も楽しみです。


「夢の守り人」偕成社(2004年9月読了)★★★★

新ヨゴ皇国の山々に囲まれた美しい湖で生まれた1つの魂。それは湖の底にある白木の宮の泉のほとりに落ちた種が芽吹いた夜、住む<花番>の若者と、貧しいが美しく輝いていた娘が恋をして生まれた魂でした。そして52年後。新ヨゴ皇国の北の山奥で、バルサはガルシンバ<奴隷狩人>に追われていた1人の男を救います。それは歌い手のユグノ。リー・トゥ・ルエン<木霊の想い人>と呼ばれる歌い手。しかし一見20歳ぐらいに見えるその若者は、実は52歳だったのです。そして、その頃、眠りについたまま目覚めなくなるという症状が各地に出てきていました。タンダの姪のカヤもその1人であり、そして1年と少し前に最愛の皇太子・サグムを病で失った一ノ妃もまた同様。しかしカヤを救おうとして<魂呼ばい>をしようとしたタンダは、逆に花に囚われてしまうことになります。

「闇の守り人」に続く、守り人シリーズ第3弾。第23回路傍の石文学賞受賞作品。
今回登場するのは、<ナユグ>ともまた少し違う、花の世界。前作「闇の守り人」で達観してしまった感のあるバルサは、今回は脇役。代わりにタンダとトロガイ師が活躍し、夢に囚われてしまう人々がクローズアップされます。現実に絶望し、夢を見続けたいと願った人々。花の世界そのもののイメージは少々掴みづらかったのですが、夢に囚われたいと願う人々の想いはしみじみと伝わってきました。夢の中の世界はおそらくとても居心地が良いだろうと思いますし、夢を見続けたいと願うことは、ある意味自然なことかもしれません。しかしそこには幻しか存在せず、真実は何も育たないのです。儚い思い出に浸るだけの世界。これから訪れるかもしれない幸せをも全て否定した世界。タンダが、自分の夢だけは守ることができたように、チャグムが目覚めることができたように、自分の心をしっかりと持ってさえいれば、夢は夢として、現実の世界を生きていくことは十分できるはず。しかし夢を見ずにはいられない、そこから出たくないと願う一ノ妃の心の喪失感もとても良く分かるのです。切ないですね。
今回は、トロガイ師の若き日のエピソードが登場。皇太子となったチャグムや星読見博士・シュガ、帝の狩人たちの再登場も嬉しかったです。バルサとタンダの関係は大きな発展こそ見せないものの、魂の奥底で結びつき、信頼し合っているという、この関係がいいですね。


「虚空の旅人」偕成社(2005年10月読了)★★★★★お気に入り

チャグムの国<新ヨゴ皇国>の西南、ヤルターシ海の大小数百もの島を支配している海の王国・サンガル王国で<新王即位ノ儀>が行われることになり、14歳になった皇太子・チャグムも若き星読博士・シュガと共にサンガルへと向かいます。しかし丁度その頃、サンガル王国支配下の島の中でも最も伝統のあるカルシュ島に、<ナユーグル・ライタ>の目が現れていたのです。ナユーグル・ライタは、サンガルの民に魚の湧く海を与えてくれる、<海の母の子ら>とも言われる海の僕。海の底に住んでおり、時折<ナユーグル・ライタ>として海上の世界を覗きにやってくると信じられていました。<ナユーグル・ライタ>にされたと分かった子どもは目隠しをされて王宮のサンガル王の元へと連れて行かれ、最上のもてなしを受けてから海に返される慣わし。しかしその<ナユーグル・ライタ>を利用しようとする者が現れたのです。

守り人シリーズにも登場するチャグムが主人公となった物語。外伝なのかと思っていたのですが、どうやらバルサが主人公の「守り人」シリーズと平行して、チャグムが主人公の「旅人」シリーズというのもできたようですね。
今回は、王家の血を引く女性たちが実権を握るというサンガル王国が舞台。王家と12人いる島守たち、船の上で生まれて一生を船の上で過ごし、やがて船の上で命を終えるラッシャロー<海をただよう民>など、今までとはまた違う世界が広がっていきます。チャグムはその中で心ならずも陰謀に巻き込まれることになるのですが、何と言ってもこのチャグムの成長ぶりが目を引きますね。サンダル王国のカルナン王子が感嘆したような、チャグムの見事な物腰や如才ない受け答え、そして気品に満ちた態度といった外見的な部分もあるのですが、やはり内面的な成長が素晴らしいです。外見的な付き合いだけではなかなか伺い知ることのできないチャグムの生来の純粋さと激しさは、一本筋の通った信念に基づく行動として表れ、王宮の外の世界も知ることによって得た経験は、チャグムに全体を見通す視野や思慮深さ、他人への思いやりを与えています。他国との交渉も、まだ14歳ながらも堂にいったもの。もちろん誰も犠牲にしたくないという優しさは甘さに繋がりかねませんし、まだまだあやういところはありますが、現新ヨゴ王がどう思おうと、チャグムはいい王様になれますね。シュガとの厚い信頼関係もとても気持ち良かったですし、そんなチャグムの強くて真っ直ぐな目をタルサンが理解してくれたのもとても嬉しかったです。


「神の守り人」偕成社(2005年10月読了)★★★★★

バルサとタンダは、晩秋の<ヨゴの草市>のために新ヨゴ皇国の国境の宿場町へ。店内にこもる薬草のにおいに耐え切れなくなって戸口に佇んでいたバルサの目の引いたのは、ロタの商人に連れられて、「シャットイ(野良犬)」という言葉で罵られながら歩いている少女とその兄の姿でした。自分も幼い頃、雇い主の息子に同じ言葉で罵られたことがあったのです。そしてその日の晩、タンダと、タンダの知り合いの呪術師・スファルと共に宿で夕食を取っていたバルサの目に入ったのは、昼間兄妹を連れて歩いていた商人。商人は<青い手>と呼ばれるヨゴ陣の人身売買組織の男と話していました。気になったバルサは、こっそりと兄妹の部屋へ。ひっそりと渡り廊下に立っていたバルサの耳に聞こえてきたのは少女の悲鳴、続いて部屋の中で悲鳴が入り乱れて響き渡り、男たちが倒れ、何者かが自分を襲ってくるのをバルサは感じます。

<来訪編><帰還編>の2冊組。この出来事が起きた頃、丁度サンガル王国では、「虚空の旅人」での<新王即位ノ儀>が行われています。守り人シリーズということで、今回も主人公はバルサですが、今回はタルハマヤ<おそろしき神>を宿してしまった少女・アスラの物語となっています。
邪悪なタルハマヤを宿しながらも、亡き母・トリーシアの言った、タルハマヤが良い神様だという言葉を信じているアスラ。そしてタルハマヤの力に助けられながらも、あくまでもアスラを心配する兄のチキサ。自分とは無関係であることは百も承知で、しかし思わずアスラに自分の幼い頃を重ねてしまい、彼女を憂うバルサ。アスラ自身、自分自身には何も力がないことが分っているだけに、タルハマヤの持つ圧倒的な力をとても魅力的に感じていますし、シハナはそんなアスラの心の隙間に付け込もうとします。兄のチキサの言葉もバルサの言葉も、すぐにはアスラの心には届きません。しかしやはり大切なことは伝えておかなければならないのですね。タルハマヤに関しては、最終的にはアスラ自身が心の底から納得しなければどうにもならないこと。しかしふと冷静になった時、その言葉がアスラの頭の中に蘇ります。そして最終的に伝わったのは、シハナの計算ずくの考えではなく、バルサやチキサのアスラを思う気持ちだったのですね。今回のことは彼女に影を落とさずにはいられないと思いますが、それを乗り越えて強い人間になって欲しいものです。
シハナやその父親のスファル、タル族の娘との恋に破れた過去を持つ王弟・イーハン、それぞれの立場と言い分を見ていると、それぞれ自分にできる精一杯のことをやっているのが良く分かりますし、悪をなそうとして悪人になるわけではないのが良く分かります。そして前半に登場する四路街のサマド衣装店の女主人・マーサ、後半に登場する交易市場の早耳のタジルの母・カイナが、それぞれに懐が深くて魅力的でした。


「狐笛のかなた」理論社(2004年8月読了)★★★★★お気に入り

<とりあげ女>(産婆)の祖母と2人きりで、夜名ノ里のはずれの夜名ノ森の端に暮らしている小夜は、人の<思い>を感じることができるという能力を持つ少女。ある日のこと、小夜は里の子たちときのこ狩りに行った帰り、猟犬に追われていた1匹の子狐を助けます。そして懐の中に子狐を入れ、猟犬たちに追われて無我夢中で走るうちに、小夜はいつしか、出入りを禁じられている森陰屋敷へ。ここは異形になってしまった子がひっそりと隠れ住んでいるという噂の屋敷。しかし屋敷に辿り着いた小夜を助けたのは、同じぐらいの年頃の普通 の男の子でした。小春丸という名の少年は、武者たちに守られながら、ひっそりと暮らしていたのです。小夜は小春丸と仲良くなり、夜になると家を抜け出して、小春丸に会いに来るように。

第42回野間児童文芸賞受賞作品。
なんて切ない物語なのでしょう。本来人間よりも遥かに強い存在でありながら、呪者に使役されている霊狐の野火と、聞き耳の能力を持つ少女・小夜。そして屋敷の中に閉じ込められて過ごしている小春丸。3人の運命は、春名ノ国、湯来ノ国という2つの国の、若桜野の地をめぐる争いと憎しみに飲み込まれていきます。 若桜野の地を巡って生まれた憎しみは、当事者たちがいなくなった後も薄まることはなく、一旦絡まってしまった糸は、解く人もいないまま一層ひどく絡まっているのです。このままにしておいたら、何が発端だったのか思い出せなくとも、憎しみだけは残り、絡まった糸をほどくことは最早不可能となってしまうのですね。まるで「ロミオとジュリエット」状態。この作品の場合は、争いの根は先代にあるので、まだそこまで絡まってはいないのですが、ここで断ち切らなければ、近い将来そうなってしまうのは目に見えています。
3人の存在そのものも切ないのですが、お互いを思い遣る気持ちもまた切ないです。特に小夜を遠くから見守る野火の姿。しかし3人だけではありません。小夜の母である花乃の哀しくて、それでいて優しく包み込んでくれるような想いも切ないですし、来悪役であるはずの久那や玉 緒のやり場のない想いすら、切なくて堪らなかったです。皆それぞれに精一杯生きているだけなのに、なぜこのようになってしまうのか…。それでも上田さんの、それぞれの登場人物に対する深い愛情が感じられて、それがとても良かったです。そして最後に春望が見せてくれた勇気が、この上なく大きかったですね。


「蒼路の旅人」偕成社(2005年10月読了)★★★★★

南の大陸の諸国を次々に侵略して呑み込んできた強大なタルシュ帝国は、今まさにサンガル王国を呑み込もうとしていました。そしてサンガル王国からの援軍を求める親書が新ヨゴ皇国に届きます。王の親書のみで、カリーナ王女からの親書がないことを不審に思うチャグム皇子。しかしその訴えは退けられ、新ヨゴ皇国からも援軍が送られることに。そしてその艦隊を率いるのは、チャグムの母方の祖父に当たる海軍大提督トーサ。しかしその援軍を求める親書は、新ヨゴ皇国に対する罠だったのです。それが分かったチャグムはすぐさま皇帝に援軍を取りやめるように申し立てるのですが、逆にチャグムがその艦隊に加わることになり…。第二皇子が生まれてからというもの、皇帝は人望のあるチャグムや、その後ろ盾となっているトーサが目障りでならなかったのです。

チャグム皇子も15歳。若いだけに真っ直ぐなチャグムは、あまりに老獪な皇帝のやり口に怒りをあらわにしてしまい、罠と分っていながらサンガル王国へと向かうことになります。
否応なく時代の流れに巻き込まれていく新ヨゴ皇国。しかしチャグムの目はあくまでも民のことを見つめ、国のために何が一番良いか、どうすれば血を流さずに済むか考えているのですね。もちろんまだまだ若い皇子のこと、言ってはならないことを皇帝に言ってしまったのが今回の出来事の発端ですし、ナユグの中に行ってしまいたい気持ちを抑えきれなくなりそうになることもあります。勢いに乗った大国タルシュの大きさを有無を言わさず実感させられ、揺れ動くことにもなります。しかしたとえ圧倒的な力を見せ付けるラウル王子と対峙していても決して諦めることなく、自分にできることを模索する皇子の姿が頼もしかったです。天ノ神の力を信じているだけの父親とは、どれほど違うことか。もちろんそんなチャグムを恐れるということ自体、今の皇帝もそれほど見所がないわけではないのでしょうけれど。
そして今回も脇の登場人物たちが魅力的。特に良かったのは、帝の盾であり、帝の命令によって暗殺を行う<狩人>のジン、サンガル海賊船の女頭領のセナ、ヨゴ人でありながら、タルシュのために働いているアラユタン・ヒュウゴ。それぞれに内面では葛藤しながらも、自分の信じる道を進もうとしています。たとえチャグムとは進む道が違っていたとしても、それを単純に悪であるなどと決め付けられないところが良いですね。
あとがきには、バルサとチャグムの視点の違いから守り人シリーズと旅人シリーズを書いてみたいと思うようになったという、2つのシリーズに分かれた理由が書かれていました。確かにまるで違う立場ですものね。その2人の視点から描かれることによって、さらに深くこの世界が味わえるのですから、本当に嬉しいことです。次に発表されるのは守り人シリーズの作品だそうですが、ヒュウゴの物語「炎路の旅人」も既に執筆されているとのことで、こちらもとても楽しみ。そしてバルサとチャグムの出会いから始まったこの物語は、いつかはまた1つになる時が来るのでしょうね。これからどのような物語になっていくのか、それもとても楽しみです。


「天と地の守り人」1〜3 偕成社(2007年5月読了)★★★★★

新ヨゴ皇国の帝が、皇国を穢れた敵から守るためという理由で突然の鎖国。バルサは皇国から出られなくなった者や入れなくなった者たちを手引きして、密かに山越えを繰り返します。そんな時、バルサの前に現れたのは新ヨゴ皇国の上級海士のオル。オルはサンガルで虜囚となったチャグムの脱出を助けた人物で、<狩人>ジンからバルサへの文書を預かっていました。その内容は、表向きは死んだとされているチャグムが実は生きており、バルサに助けて欲しいというもの。山越えの仕事を終えたバルサはすぐにロタへと向かいます。一方、ナユグ(異世界)に何百年ぶりかの春が訪れたことでナユグの河の水量が増し、サグ(この世)の気候が影響されていることに、タンダやトロガイは気づき始めていました。

守り人シリーズの最終巻。バルサの物語とチャグムの物語が再び繋がります。「蒼路の旅人」で海に飛び込んだチャグムは命こそ無事でしたが、ここからが長い旅路となります。
大国・タルシュ帝国と、タルシュ帝国に狙いを定められてしまった新ヨゴ皇国、ロタ王国、そしてカンバル王国。常に状況を観察して判断するサンガル王国。それぞれの国に様々な考えを持つ人間がいて、最善だと信じることを行おうとしているのですが、その「最善」が誰にとっても最善であるとは限らないところから、争いが生まれてきます。八方塞りのように見えても、確実に道を切り開いていくチャグム。チャグムは清廉だが冷徹さが足りないという、ロタ王国のイーハン王子の気持ちもよく分かるのですが、バルサに初めて出会った時に比べると確実に大人の男に成長したチャグムは、自分のやり方で各国に働きかけていきます。特に2部でカンバル王国のラダール王に対峙している時の見事なホイ(捨て荷)が印象的。第2部始めの護衛の場面がこのように生かされるとは驚きましたが、この伏線は素晴らしいですね。そしてそんなチャグムを確実に支えているバルサ。第1部では年を取ったと感じているバルサですが、まだまだその強さは誰にもひけを取りませんし、戦いの腕は超一流。確かに年を取ったかもしれませんが、それは悪いことではなく、むしろバルサの人間的な円熟に繋がっているように感じられます。人を殺すことに動揺するチャグムにかけるバルサの言葉も印象的。この言葉には彼女のこれまでの人生の全てが詰まっているような気がします。そんなバルサに影響を受けた人間は一体何人に上るのでしょう。彼らはそれぞれに自分の足でしっかりと立ち、自分自身で考えることをバルサから学んでいきます。
最後は収まるべきところに綺麗に収まってくれて、正直ほっとしました。しかしこの作品では完全に敵であるタルシュ帝国も、皇帝やラウル王子、ハザール王子の視点から描かれることによって、単なる悪には陥っていないのが、後に残りますね。彼らにも彼らの夢があり、その実現のために最善を尽くしていただけなのです。特に印象に残ったのは、太陽宰相であるアイオルとラウル王子の密偵・ヒュウゴ。彼らによって目を開かされる思いをするラウル王子。彼らの物語もまた改めて読みたくなってしまいます。
そしてこの世界観により深みを与えているのが、ナユグの存在でしょう。見える人には見えるけれど、見えない人には存在しないも同然のナユグ。しかしこのナユグが実際にサグの気候に大きな影響を及ぼしているのです。この世界が人間だけのものではないという当たり前のことを再認識させてくれるようですね。ナユグの春と暖かい水の流れ、深い海の情景、そして婚姻。この幻想的なナユグの描写もまた、この「守り人」シリーズの大きな魅力ですね。


「獣の奏者-闘蛇編」講談社文庫(2009年9月読了)★★★★★

エリンは大公(アルハン)領の闘蛇衆の村で育った少女。エリンの母・ソヨンの獣ノ医術としての腕は非常に高く、闘蛇の中でも常に先陣を駆け、敵陣を食い破る役目を担う最強の闘蛇<牙>の世話を任されていました。それでも、自分たち母娘は集落の人々とはどこか隔たりがあると感じるエリン。それもそのはず、ソヨンは元々霧の民(アーリョ)であり、戒めを破って闘蛇衆の頭領の息子だった父・アッソンと恋に落ちたのです。アッソンは既に亡くなっており、頭領である祖父はソヨンの腕を認めながらも、2人に冷たい視線を向けるのみ。そしてそんなある晩、闘蛇の、それも<牙>の10頭全てが死ぬという事態が起こります。ソヨンはその責任を取って処刑されることになり、エリンはそれを助けようとして、逆に母に闘蛇の背に乗せられて逃げのびさせられることに。そして意識を失って倒れていたエリンを助けたのは、真王(ヨジェ)領の山間地法で蜂飼いをしていたジョウンでした。

上橋菜穂子さんの守り人シリーズに続く異世界ファンタジー。しかし架空の国を舞台にしてはいますが、どことなくアジア的。読みながら浮かんだイメージは、高句麗、百済、新羅辺りでしょうか。
エリンの母の闘蛇に関する教え、謎めいた霧の民、これから学んでいこうとする王獣のこと。そして大公領や真王国の政治的な部分。それらの根底には同じ流れがあるのを感じます。まさしくエリンの書いた「獣について学ぶことは、きっと、自分が知りたいと思っていることに、つながっているはずである」ということに通じるのでしょうね。人と獣との関係。過去において人と獣の間に何があったのか、本来、人と獣とはどういった関係であるべきなのか。そして獣本来の姿と、飼いならされた獣の失ってしまったものとは。さらには「操る者」ではなく「奏でる者」としての「奏者」という言葉にも強く興味を引かれます。
そして相変わらずの地に足がついたような生活描写がいいですね。エリンの母の作る、猪肉とラコスの実とトイ(辛味をつけた味付け味噌)をラコスの葉で包んで蒸した料理や、ジョウンが作ってくれたファコ(雑穀から作る無発酵のパン) を焼いてお乳につけてたっぷり蜂蜜をかけた朝餉は本当に美味しそうです。そして食べ物の描写だけでなく、エリンがジョウンに教わる様々なことも重要。蜂を飼うことや、馬や羊を飼うことから、エリンは様々なことを学んでいきます。竪琴についても同様。エリンが暮らすことになるさまざまな場所に関する描写も詳細で、そんな風に描かれた彼らの生活を肌で感じることによって、このファンタジー空間に入っていきやすくなりますし、この骨太のファンタジーの世界の奥行きをさらに一層深くしているのでしょう。
今はまだ見え隠れしている状態のこの国の政治事情もおいおいに分かってくるのでしょうね。闘蛇や王獣と密接に結びついているはずの、その辺りの話もとても楽しみです。


「獣の奏者-王獣編」講談社文庫(2009年9月読了)★★★★★

リランの世話を任されて以来、エリンはリランのいる王獣舎に寝泊まりしてじっとリランを観察します。頭上から射す光は、もしや母親がいないことを示すのではないか、幼い獣にとっての光とは、足元から射す光なのではないかと考えるエリンは、壁の足元の板を取り外します。さらにリランの心を開く鍵は、野生の王獣親子が出していた竪琴のような音にあるのではないかと考えたエリンは、竪琴を工夫して王獣の母親が出していたような音を再現することに成功。そしてその音を聞いたリランはエリンの音に甘えるような鳴き声で応え、とうとう肉を口にすることに。しかしそれが王獣規範を知らないエリンだからできたことと知るエサルは、エリンのやり遂げたことが持つ意味に気づき、苦悩の色を隠せないのです。

王獣規範の存在とその存在意義が分かる巻。政治的な事情だけでなく、その規範を作らざるを得なかった過去もあったのですね。霧の民の過去も明かされて… 禁忌とされるには、やはりそれだけの理由があったということ。全てを知った上で、エリンは自分の進むべき道を決めることになります。
人間と獣とは違うと何度言われても、何度痛い目に遭っても、また獣を信頼してしまうエリン。その辺りが上橋菜穂子さんらしいと思います。痛い目に遭いながら、傷つきながらも、相手を受け入れようとする姿勢。もちろん種が違えば、思考もまるで違うはず。なかなか上手くいくわけがないのですが、それでも希望は捨てないということ。そして分かり合える一瞬。人間と獣ですらこうやって相手のことを思いあえるのだから、人間同士など、もっと簡単なはずなのに、そんな声が聞こえてくるような気がします。
これですっきりと綺麗にまとまったと思ったので、続編があることに改めて驚いてしまいます。2冊を4か月で書き上げたとのことで、確かに終盤はやや性急な展開だったようにも思いますし、登場人物たちが描き切れていたのか、生かされきっていたのかと考えると、やや疑問もあります。ハルミヤやダミヤはともかくとして、セィミヤの造形がいま一つはっきりしていなかったのが残念ですし、カザルム学舎の学童仲間や先輩、教導師たちについても、もう一歩踏み込んで「生かして」欲しかったという思いがあります。イアルとヤントクの2人に関しても同様。それでも、この作品は「守り人」シリーズとは違い、細かい描写を丹念に積み重ねて構築していくのではなく、1つの大きな流れや勢いを大切に描かれた物語なのだということで理解しています。1つの物語として見事に完結していると思いますし、素晴らしかったと思います。本当に続編が必要だったのかというのは、読んでみなければ分からないのですが… しばらくの間はこの2冊だけをじっくりと自分の中で消化したいというのが、正直なところです。

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