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このページは、伊坂幸太郎さんの本の感想のページです。

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「オーデュボンの祈り」新潮社(2003年6月読了)★★★★

ふと目が覚めると、見知らぬ部屋にいた伊藤。勤めていたソフトウェア会社を退社し、気まぐれで24時間営業の店を襲って店員に取り押さえられた伊藤は、護送されていたパトカーが事故を起こした隙に逃亡。しかしそれ以降の記憶が抜けていました。丁度その時、その部屋に現れたのは日比野という男。日比野は、伊藤が轟という男に連れられて来たのだと言います。そこは仙台の牡鹿半島の南にある荻島という島。日本にあるのに誰もその島の存在を知らず、江戸時代以来、外界から完全に遮断されている島でした。数千人の住民がいながらも、彼らは島で生まれ育ち、外の世界を知ることなく島で死んでいくのです。日比野は伊藤に島のことや島の人物について説明し、伊藤を水田の中に立つカカシの所へと連れて行きます。それは作られてから100年以上たつというにもかかわらず、とてもキレイなカカシでした。優午という名前を持つそのカカシは、なんと人の言葉を話し、しかも未来に起きる出来事を全て知っているのだというのです。しかしその翌日、カカシは無残な姿で見つかることに。未来を見通せるはずのカカシが、なぜ自分の死を知ることができなかったのか…。

第5回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作。
とにかく妙な設定の物語。鎖国状態の島にいるのは、どこか現実世界からズレたような住民たち。明らかに変というわけではなく、しかし話すカカシが普通の存在に見えてくる程度には変です。平然と人殺しを行う人間もいるのですが、特に緊迫感が漂うわけでもなく、住民たちは何故か平然と事態を受け入れています。これを読んでいて思い出したのは、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」の方の世界。まるで夢の中のようで、ちょっぴり不思議な感覚。そしてこの世界では、名探偵であるはずの優午が、まず最初に殺されてしまうことになります。殺すにはあまりに惜しすぎるキャラクターですし、もう少し長く登場していて欲しかったのですが… しかし彼が死ぬことには実は大きな意味が隠されていました。これは、謎を解くだけで後のフォローがほとんどない、名探偵という存在に対する皮肉だったのでしょうか。
終盤、島民たちの1つ1つの小さな行動が、最後に向かってぴたっと収束してく様はあまりに見事で驚きました。全く関係なく見えていた出来事が実はどれもきちんとした伏線だったのですね。この部分はミステリ的。しかし作品全体を見ると、ミステリというよりはファンタジーという印象です。島に足りないのは何だったのか、という命題も特にミステリである必要はないですし、その解答自体も、私にとってはファンタジー。むしろ江戸時代の話をなくしてしまって、優午の存在や荻島の生活形態に合理的に説明をつけようとしない方が、ファンタジックで良かったような気がします。私には、日本ファンタジーノベル大賞やメフィスト賞がぴったりのように感じられる作品でしたし、ファンタジーとしてはとても面白い作品だったと思います。
ちなみにオーデュボンとは、アメリカ人の動物学者・ジョン・ジェームズ・オーデュボン。当時、20億羽もの群れで空を覆いながら飛ぶリョコウバトを発見し、人間の乱獲によって絶滅する様をも見届けた人物のことだそうです。


「ラッシュライフ」新潮社(2003年10月読了)★★★★

「金で買えないものはない」と言い切る銀座の画商・戸田と、実際に買われた画家の卵・志奈子。プロフェッショナルの泥棒・黒澤、新興宗教の教祖・高橋を信じる河原崎と、神を解体しようと考えている高橋の側近の塚本、心療クリニックの経営者・京子と現役のプロのサッカー選手・青山、リストラされて再就職先を探している豊田と薄汚れた犬。彼らの人生が仙台ですれ違います。仙台駅前にはエッシャー展のポスターがあり、展望台があり、「好きな日本語を教えて下さい」と書かれたプラカードを持っている金髪の白人女性が。5つの物語が同時に展開していきます。

5つのばらばらの物語がそれぞれに展開し、最後は1つの絵となるという構成。恩田陸さんの「ドミノ」を彷彿とさせますね。冒頭から伏線が張り巡らされているのですが、分かってみると案外シンプルな作り。しかしこの手のタイプの作品には、最後まで読んだ時に頭が混乱して思わず最初に戻って確かめたくなるものが多いのですが、この作品に関しては、一回読み通すだけですんなりと理解できました。シンプルに見せながらも、それぞれの物語の絡み方はまさにエッシャーの騙し絵。やはり構成が巧みなのでしょうね。中でも、最後の老夫婦がそこに繋がるのか、というのには本当に驚きました。ただ、登場人物たちの造形がいかにもという感じで、あまり魅力が感じられなかったのが少々残念。そのせいで、よく出来ているとは思ったのですが、「面白い!」までは到達しませんでした。それでもダントツで魅力的だったのは、プロの泥棒の黒澤。ハードボイルドで渋いです。そして彼の好きな言葉は「夜」。似合いますねえ。
ちなみにラッシュライフとは、画商の戸田の言うジョン・コルトレーンの名演で有名な「LushLife」から。カタカナで「ラッシュ」になる言葉には「lash」「lush」「rash」「rush」の4つがあり、それぞれが物語に織り込まれています。一応全体としては、「飲んだくれのやけっぱち人生」「豊潤な人生」のことのようですが、豊田がラッシュアワーの駅を見て思う「RushLife」の方が、イメージに合っているような気がしました。


「陽気なギャングが地球を回す」祥伝社ノンノベル(2003年12月読了)★★★★★お気に入り

嘘をついている人間がいるとすぐに見抜いてしまう、人間嘘発見器・成瀬、逆に生まれてこのかた嘘八百ばかり、喋り始めたら止まらない演説の達人・響野、天才的なスリの久遠、そして正確無比な体内時計を持つ・雪子。とあるきっかけで偶然出会ってしまったこの4人は、現在、百発百中の銀行強盗グループ。計画は緻密。下見は万全。仕事はシンプルにして着実。その日も手際よく仕事をこなし、4000万円を持って逃走するのですが、なんとその日に限って、盗んだばかりの現金を、最近巷を騒がせている現金輸送車ジャックに横取りされてしまいます。

とても愉快な銀行強盗物語。伊坂さんご本人があとがきで映画を引き合いに出されていますが、本当に90分ほどの映画を観ているような気分になりました。とても上質なコンゲーム。もしくは痛快なピカレスクロマン。もちろん生まれながらに嘘が分かる人間や、雪子のような体内時計を持つ人間がいるとは思えないですし(少なくとも滅多にいないでしょう)、その2人が天才的なスリや、演説の達人と組むというのも、なんとも出来過ぎな設定。しかし一旦読み始めたらすぐに、そんなことは気にならなくなってしまいます。メインの4人の視点が順繰りに入れ替わって物語は進んでいくのですが、4人の視点が一巡した時既に彼らに感情移入している読者の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。そして脇役の1人1人に至るまで個性がくっきりとしていて印象的ですね。雪子の息子で中学生の慎一、響野の妻の祥子、ナンバープレートの偽造などを行う田中なども、いい味を出しています。
そして何といっても楽しいのは、やはり銀行強盗の準備から始まり、実際に実行する場面。狙う銀行の銀行員を事前に「スピッツ」「シェパード」「グレート・デン」「ゴールデン・リトリバー」などと分類分けしているのも楽しいですし、銀行強盗の手順もなんとも要領が良く、頭の良さを感じさせるもの。私が特に好きなのは、強盗の最中の響野の演説。呆気に取られている行員や客の顔が目に浮かぶようです。そして5分きっかりで仕事が終われば、ダンスパーティのような優雅なお辞儀と、「ごきげんよう」という言葉。こんなスマートな銀行強盗の話が読めるとは思ってもみませんでした。本来悪役のはずの彼らを応援したくなるというのは、子供の頃読んでいた怪盗物のような感覚ですね。…しかしここまで進んでもまだ第1章。物語は第4章まで続いていきます。分かりやすい伏線と、その陰にひっそりと隠れた伏線の張り方も見事で、ラスト間際にはあっと驚かされました。さすがですね。
各章の始めに、その章に関する1つの単語と、その言葉の説明があるのですが、これがまたいいですね。最初はごく普通の辞書的な記述だったのが、どんどんウィットに富んでいきます。洒落っ気たっぷりの作品です。


「重力ピエロ」新潮社(2003年10月読了)★★★★★

泉水は自分の勤めている遺伝子情報を扱う企業・ジーン・コーポレーションのビルが何者かによって放火されたのを知り、驚きます。それはなんと泉水の弟の春の予言通りの出来事。その頃、仙台市内では放火事件が相次いでいたのですが、ジーンコーポレーションのビルが放火される前の晩、泉水の自宅のマンションの留守番電話に、「兄貴の会社が放火に遭うかもしれない。気をつけたほうがいい」という春のメッセージが残ってていたのです。驚いた泉水は早速春に会いに出かけます。春はピカソが死んだ日に生まれてきたという2歳下の弟。母が見知らぬ未成年にレイプされて生まれたので、泉水とは半分だけの血の繋がりの弟でした。街中の壁に描かれ続けるスプレーの落書き消しを専門に請け負っている春は、毎日のように市街地の落書きを消してまわっているうちに、どうやらグラフィティアートと連続放火事件の関係に気付いたらしいのですが…。

2003年度直木賞の候補となった作品。
兄と弟が連続放火事件とグラフィティアートの謎を追うという物語。2人の母は既に亡くなっており、父は癌で入院中。彼ら以外には、「ラッシュライフ」にも登場した黒澤が登場します。他にも郷田順子や葛城といった登場人物もいるのですが、登場人物的にはそれほど多くありません。しかしその必要最低限の設定によって、泉水と春という兄弟と、彼らを包み込むような両親の存在、という家族小説的な面が浮き彫りにされているような印象です。泉水の弟の春は、母親が未成年者にレイプされて生まれてきたという設定。これは非常に重いものですし、それが春の「女性」や「性」に対する考え方に大きな影響を及ぼしています。しかしその部分を、敢えてさりげなく軽やかに描くことによって、この家族の絆の強さが逆に強調されているように思えます。泉水と春、父親、そして思い出の中の母との会話はとても楽しく、しかも様々な示唆に富んでいます。半分しか血は繋がっていなくとも、本当に仲がよく、お互いを深く理解し合っている泉水と春。亡くなってはいるものの、ここぞという時の決断力と行動力を見せてくれる美しい母。彼女もなかなかの大物ですね。しかし何といっても、彼らの父親の存在が魅力的。家族でただ1人絵が上手いことが分かり、不安を持つ春に、生まれた日がピカソの死んだ日なのだと教えるという部分だけでも、なんて素敵なお父さんなのでしょう。泉水の言う「平凡な公務員でありながら埋没する詩人」というのは、まさにその通り。父親と春の間には、単なる血の繋がりを越えた、確かな親子の絆の強さを感じることができます。泉水も春もそれぞれに頑張ってはいるのですが、しかし最終的には2人とも父親の手の平の上で遊ばされていたという感じですね。父親とはやはり、人生の年季が違います。物語自体はそれほど起伏に富んだものではありませんし、大きな波乱もありませんが、それでもしみじみと伝わってくるものがある作品でした。良かったです。
「オーデュボンの祈り」の話が、この作品にもちらりと出てきます。このようにして伊坂さんの全ての作品は繋がっていくのでしょうか。伊坂ワールドがどこまでその深みを増していくのか、これからも楽しみです。

P.77「大丈夫よ。ほら」「あんなに楽しそうなんだから。落ちるわけないわ」


「アヒルと鴨のコインロッカー」東京創元社(2003年10月読了)★★★★★

大学進学のために新しい町に引っ越してきた椎名は、初対面のアパートの隣の部屋に住む河崎に、いきなり一緒に町の本屋を襲おうと誘われて驚きます。同じアパートに住む、「アジア出身の丁寧語を話す外国人」が辞書を欲しがっているので、広辞苑をプレゼントしたいのだと言うのです。椎名の役割は、本屋の裏口でモデルガンを持って立ち、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を2回歌うごとに1回ドアを蹴り、5回歌ったら逃げるということ。一方、ペットショップの店員をしている琴美は、ブータンからの留学生のドルジと同棲中。その頃、町では動物を攫っては虐待して殺すという悪質な悪戯が相次いでいました。琴美とドルジは、立ち入り禁止の公園の中で、偶然その犯人らしき3人組と遭遇してしまいます。

第25回吉川英治新人文学賞授賞作品。
椎名と河崎のやりとりがメインとなる現在の話と、ペットショップ屋の店員・琴美とブータン人のドルジ、そして河崎の3人の2年前の物語が交互に進んでいきます。2年前に登場していながら、現在の話に出てこない人物は一体どうしたのだろうという興味もあり、どんどん読み進めてしまいました。この2つの時間が交差した時の驚きも良かったのですが、それ以上に、全てが分かった時に浮かび上がってくる、それぞれの登場人物たちの想いがとても良かったです。あの時の言葉はこの時の言葉に繋がり、そしてその奥にはそんな想いが秘められていたのか… という感じ。同じ言葉が二重もの三重もの想いを持っており、奥行きを感じますね。そしてこの本の一見奇妙な題名についても、最後まで読むと自然に分かります。最初この題名を聞いた時は、なんとも変わった題名だと不思議に思ったものですが、読み終わってみると、これ以上ぴったりの題名はなかったと思えました。物語の最後は切ないのですが、優しい透明感。そしてドルジが信じていることが、重くなりがちなラストを暖かく包み込んでくれているようです。
登場人物もそれぞれに個性的なのですが、この中では河崎が断然いいですね。「付き合った女性の誕生日で、三百六十五日を埋めるのが夢なんだよ」などとふざけたことを言い、実際にそれが可能かもしれないというハンサムな顔立ちを持った河崎。何ともいえない論理で人を丸め込んでしまうところや、途方もない夢を現実のものにしてしまえそうな強さは、「陽気なギャングが地球を回す」の響野に通じるような気がします。
椎名の横浜に住む叔母の言う「怖いものみたさでしばらく付き合ってみたいタイプ」には笑えますね。


「チルドレン」講談社(2004年6月読了)★★

【バンク】…閉店時間ぎりぎりに、仙台駅東口にある銀行の支店に到着した鴨居と陣内。降り始めたシャッターに構わず中に入る2人ですが、そこに銀行強盗が現れて…。
【チルドレン】…28歳独身の家裁調査官の武藤は、新聞の誘拐事件の記事を見て驚きます。そこに載っていたのは、武藤が半年前に担当した万引き少年だったのです。
【レトリーバー】…退屈な会議中に優子が思い出していたのは、女子大生の頃、仙台駅の近くで起きた事件のことでした。彼女と永瀬と陣内は2時間も駅前のベンチに座っていました。
【チルドレンII】…人事異動で少年事件から家事事件へと担当変えになった武藤。娘の親権を譲ろうとしない大和夫婦の調停が難航し、武藤の所に連絡が来ます。
【イン】…永瀬と優子と盲導犬のベスは、陣内のバイト先のデパートの屋上へ。

「陣内」を中心に、友人の鴨居や同僚の武藤、盲目の永瀬や優子といった面々が登場する連作短編集。今までの作風とは少し違い、まるで日常の謎のような作品集です。
最初「バンク」を読み始めた時は鼻持ちならない存在だった陣内が、気付けばすっかり愛すべき存在となっていました。完全にマイペースで、杓子定規な権威を嫌い、理屈にならない理屈で相手を言い負かす陣内。「バンク」での初登場時は大学生、「チルドレンII」では32歳ということで、10年ほどの時が流れているのですが、陣内のような人間がそう大きく変化するとは思えませんし、これはやはり鴨居視点と、永瀬視点や武藤視点との違いなのでしょうね。陣内と鴨居の関係は、まるで島田荘司作品の御手洗と石岡のよう。鴨居が陣内との関係をパンの耳に喩えていたのが可笑しかったです。この喩えには、説得力がありますね。「チルドレン」での芥川龍之介の本のエピソードや、「レトリーバー」でのお金のエピソードなどもあまりに陣内らしくて、読んでいると逆に爽快になってしまうほど。そして永瀬と優子とベスの関係も微笑ましいですね。永瀬を中心にやっかみ合っているように見える優子とベスですが、どちらも永瀬が本当に好きなだけ。なのに永瀬が勝手にベスの忠告を感じ取り、「特別なのだ」と自分に言い聞かせている様子が少々切ないです。
時系列的に前後している意図も良く分からなくて、そこに少し引っかかってしまったのですが、しかし実は非常に本来の伊坂さんらしい作品なのではないかと思います。「バンク」の真相に関しては、後日改めて犯人側からの真相が描かれれば楽しめると思うのですが、どうでしょう。「トイレの落書き編」は、私も読んでみたいです。


「グラスホッパー」角川書店(2004年8月読了)★★★

中学の数学教師を辞め、フロイラインという会社の契約社員となった「鈴木」。2年前、妻をフロイラインの社長の息子・寺原長男に轢き殺され、当の寺原長男が法的に何の罰も受けていないことを知り、復讐に乗り込んできたのです。しかし1ヶ月間怪しげな薬物を売り捌く仕事をした後で、ようやく初めて見た寺原長男は、何者かに車道に押し出され、車にはねられてしまいます。鈴木は上司である比与子に言われて、「押し屋」らしき男のあとを追うことに。

丁度「ラッシュライフ」のような感じで、元中学教師の「鈴木」と、ドストエフスキーの「罪と罰」を愛読している自殺屋「鯨」、一家皆殺しが得意な「蝉」の3人の視点から物語は進んでいきます。
今までの伊坂作品には映画的なイメージを持っていたのですが、この作品は、まるでどこかの小劇場でお芝居を見ているような感覚でした。リアリティの欠如というのとは少し違うのですが、どの人物の動きもどこか芝居がかって感じるせいか、悪役の悪役ぶりがあまりに堂に入ってるせいか、あまりにあっけらかんと仕事をしているせいか、どんどん人が死ぬ話の割には読後感も爽快。良かったです。本来悪役であるはずの比与子や岩西もどこか憎めないですし、議員の梶とその秘書も、その後すっかり仲直りしてしまいそう。槿とすみれと健太朗と孝次郎の一家も、鈴木も蝉も鯨も、彼らが殺した人々の亡霊も皆、物語の最後に舞台に出て来て、全員で手を繋いでニコニコしながら客席に向かって挨拶しそうな感じなのです。全ての登場人物が好きになってしまいそうな、素敵なエンタテイメント。「陽気なギャングが地球をまわす」のような、あっけらかんとした悪漢小説。伊坂さんの描く悪漢は、本当に魅力的ですね。最後の「バカジャナイノー」の台詞も効いています。


「死神の精度」文藝春秋(2005年7月読了)★★★★★

【死神の精度】…死神の千葉の今回の仕事相手は、大手電機メーカーに勤めている藤木一恵。何も取り得がないと語る彼女は、しかしクレームの客にまとわりつかれていました。
【死神と藤田】…千葉が阿久津という若い男に連れて行かれたのは、今回の相手・藤田のマンション。藤田は昔かたぎのやくざで、栗木という別の組のやくざを狙っていました。
【吹雪に死神】…今回の千葉は、対象の人間に会うために雪の山荘へ。その洋館の宿泊客の何人かには、既に「可」が出ていました。
【恋愛で死神】…今回、千葉が会いに行ったのはブティックの店員の萩原。彼は近くのマンションに住む古川朝美という女性に惹かれていました。
【旅路を死神】…今回の千葉は殺人犯となった若者・森岡を車に乗せて奥入瀬へと向います。彼は小さい頃に誘拐されたことがあり、それがトラウマとなっているらしいのですが…。
【死神対老女】…美容院を経営している老女のもとを訪れた千葉は、人間でないことを見抜かれて驚きます。老女は自分の周りに死が多く、そういう気配に敏感だというのです。

死神の千葉が主人公の連作短編集。表題作は、第57回日本推理作家協会賞短編部門受賞作です。
7日もの間対象となる人間を観察し、死なせても構わないかどうかを判断し、「可」なら8日目にその死を確認するのが仕事の死神たち。仕事の都度、その対象に近づくのに相応しいと思われる年齢と外見になり、情報部の言う通りに仕事をこなしていきます。「ミュージック」が大好きで、暇さえあればCDショップに入り浸ってCDの試聴をしている死神たち。「可」という判断さえ下せば仕事が終わるのに、ミュージックを聴くためにギリギリまで判断を保留し、人間界にいる時間を引き延ばしているのです。そして死神の1人・千葉にとっても、人間の発明したものの中で最高なのはミュージックであり、最も不要で醜いものは車の渋滞。…そんな死神の設定がとてもユニーク。しかも読み始めると唐突のなさなどまるでなく、とても自然に作品の中に入り込めるのには驚きます。
飄々としていながら生真面目で、少しズレた発言を繰り返す千葉自身にも可笑し味がありますし、千葉の仕事の対象となる人間たちも、千葉の目を通してみると、皆魅力的に見えてくるのが不思議なほど。読んでいると、それぞれに「生かせてあげたい」と思ってしまうのですが、死神は感傷に流されることもなく、千葉自身も冷静に判断を下していきます。それでも最後の「死神対老女」を読むと、それで良かったのだと思わせてくれるのがいいですね。とても暖かいですし、雨男の千葉が主人公なのに、読後感もとても爽やか。他の短編との思いがけない関連も楽しませてくれます。6つの短編がそれぞれハードボイルドだったり密室ミステリだったり、恋愛物だったりとバラエティ豊かで、そういう部分も飽きさせません。さらに「旅路を死神」では、「重力ピエロ」とのリンクも楽しめます。
淡々とそつなくまとまり過ぎているという気も少ししますが、そこに潜んでいるのは、伊坂さんらしいユーモア感覚。楽しかったです。いつか続編も読めるといいのですが… ここまで綺麗にまとまってしまうと、もう無理でしょうか?


「魔王」講談社(2005年12月読了)★★★★★お気に入り

17年前に両親が亡くなり、それ以来弟の潤也と2人暮らしの安藤。そんなある日、地下鉄丸の内線で座席に座れず立っていた老人が行儀の悪い若者に対して怒鳴ったのは、安藤が思っていた通りの言葉でした。そして会社で課長にねちねちと怒られていた平田が口にしたのも、安藤が頭で思っていた通りの言葉。安藤は自分に、近くにいる人間に思った通りの言葉を口にさせられる「腹話術」の能力があるのではないかと考え始めます。そしてその頃、政治の世界で台頭しようとしていたのは、弱小野党の未来党党主・犬養。まだ39歳の犬養は、テレビの討論番組で、アメリカに依存して何も考えなくなった日本人の姿を批難し、自分に政治を任せれば5年で景気を回復させると宣言します。

物語は安藤の視点から語られる「魔王」と、その5年後、潤也と結婚した詩織の視点から語られる「呼吸」から成り立っています。
スイカの種があまりに綺麗に並んでいたこと、宮沢賢治の詩、そしてサッカーの試合やロックバンドのライブの観客が熱狂していたことが、ファシズムに繋がっていくのには驚きました。視点を少しずらすだけで、まるで違う姿が見えてくるのですね。あとがきには「ファシズムや憲法などが出てきますが、それらはテーマでありません。かと言って、小道具や飾りでもありません。」と書かれているのですが、全編ファシストやムッソリーニ、ヒットラー、憲法第9条の法改正案など、小説で扱うには重いモチーフが満載。しかしそれらに対して伊坂さんなりの回答が示されているというわけではありません。
「冒険野郎マクガイバー」を見て育った安藤は、困った事態に陥った時、自分に向かって「考えろ考えろ」と言い聞かせます。安藤は実際、周囲に「考察魔」と言われるほど実に良く思考する人間。そんな彼が危機感を抱いているのは、犬養の言葉の持つ力と、それが生み出すファシズムについて。そして犬養が国民に訴えるのも、自分自身で考えろということ。アメリカに言われる通りの行動を取り続ける日本人政治家のことを苦々しく思いはしても、基本的には無関心で、何の具体的な行動をとることもできない人々への警鐘です。しかし政治に無関心だった若者たちにいきなり「考えろ」と言っても、彼らは分かりやすく届く犬養の言葉を鵜呑みにしたり良いように解釈し、結局強い流れに巻き込まれていくだけ。1人1人がきちんと自分で考えれば、ファシズムになどなりようがないはずなのに、1つの流れが出来上がってしまうと、どうしてもファシズムへとひた走ってしまうというのが、当然の成り行きながらも皮肉ですね。そしてそういった流れが一度出来上がってしまえば、1人で逆らおうとするのはとても大きなパワーがいること。
伊坂さんが書きたかったのは、おそらく「考えろ考えろ」ということなのでしょうね。「でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば」「世界が変わる」という安藤の言葉、そして「私を信用するな。よく、考えろ。そして、選択しろ。」という犬養の言葉。その2つの言葉は同質のもの。本当は、犬養が求めていたのは安藤のような人間ではないかと思いますし、安藤にとっても、一番の大きな問題は犬養そのもののの存在ではなく、犬養の言葉に踊らされてしまう人々の方。もちろん、人々をそのように簡単に躍らせてしまう犬養のパワーが問題でもあるのですが…。そして犬養もまた、もちろん本人の能力は高いのでしょうけれど、背後のブレーンに操られているという薄気味悪さがあるのです。そこにシューベルトの「魔王」の歌詞が醸し出す雰囲気が効いていますね。


「砂漠」実業之日本社(2006年1月読了)★★★★★お気に入り

4月。仙台の国立大学に入学した北村は、法学部の同じクラスの学生が80人ほど集まっていた居酒屋で、鳥井と出会います。そのコンパで目立っていたのは、詰まらなさそうに無表情なまま言い寄る男たちを無視している美女・東堂と、遅れてきていきなり演説のような自己紹介をしてその場をしらけさせた西嶋。そしてコンパの数日後、「中国語と確率の勉強」ということで、西嶋に麻雀に誘われた北村。麻雀のメンバーは、西嶋と東堂、鳥井の中学時代の同級生で、超能力を持つ大人しい女の子・南。麻雀を知らない北村はまず鳥井に習うことになり、その後鳥井の家での麻雀が始まります。

大学の4年間が春夏秋冬、そして最後の春という5章に分けて描かれていきます。
大学生活の良さというものは、もちろん大学在学中も楽しいと思うのですが、卒業して就職し、社会という砂漠に出て初めて、本当の意味で実感できるものなのではないかと思います。その時々のくだらなかったことや辛かったこと、後悔してしまうようなことも全部含めて全てが懐かしく思い出されるのではないでしょうか。そんな大学時代の日々が鮮やかに切り取られている作品。
中心となる5人がとても魅力的。特に、最初はただの変な人物だった西嶋が、読み進めるうちに妙に力強く魅力的になっていくのが面白いですし、なぜ東堂がそんな彼に惹かれたのか、なぜ北村や鳥井が西嶋と友達であり続けたのかがとてもよく分かります。中学高校時代に随分いじめられて「俺の今までは全部つらいですよ」という西嶋。しかし北村たちが言うように「西嶋は臆さない」のですね。その潔さが素敵です。そして最後の最後に「幹事役の莞爾」が言う台詞もいいですね。それまでのあれやこれやも、みなそのためだったのでしょうか。しかしそれもまた青春。夏の鳥井のエピソードの痛さは少々きつかったですが、青春群像劇といいたくなるような、若々しい作品でした。

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