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このページは、伊勢英子さんの本の感想のページです。

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「カザルスへの旅」中公文庫(2008年1月読了)★★★★★

【カザルスへの旅】…南仏ピレネー山中、カタロニアの小さな村プラドに住んでいたセロ奏者のパブロ・カザルス。スペインの内戦が激しくなり、一層強くなるフランコの独裁から逃げるように亡命したカザルスは、パリに住むこともできなくなった晩年を、このプラドの村で過ごすことになります。あらゆる権力に背を向け、平和と愛のためだけに弓を手にしたというカザルスを追う旅。
【パリひとり時代】…大学時代に、一歩お金を得る仕事のために外に出た時に目の当たりにさせられた世の中の醜さ。もっと自由で綺麗な気持ちで絵を描き続けたかった伊勢英子さんは、芸大の大学院の1年の時に安いツアーでパリへと飛び出します。
【もうひとつの旅】…ある暑い7月の半ばに、絵本を勉強している画学生たちの団体に混ざって東北へと旅立った伊勢英子さん。賢治のセロを見られる、ということ以外は白紙の心で臨んだにも関わらず、実際の東北や遠野の地はどうしても理解しがたく、伊勢さんは再び1人で訪れることに。
【はこだて幻想】…函館公園の動物園。昔ここにいた気の荒いクマのはな子に、「私」は子供の頃以来の再会をすることに。

自分の師であった佐藤良雄氏の師であったカザルスに自分も魅せられ、カザルスに出会うために出たスペインへの旅。そして若い頃、自分を探すために出たパリへの旅。そしてセロ弾きである宮澤賢治に出会うための東北への旅。伊勢英子さんがスケッチブックを片手に出た旅の記録。一見ばらばらのようでいて、「セロ」という共通項で結び付けられているようです。
パブロ・カザルスのチェロは残念ながら聞いたことがないのですが、伊勢英子さんの筆を通して出会ったカザルスに魅了されます。文章を読んでいるだけでも、彼の弾いたセロの音が想像できるような…。この情景はおそらく伊勢英子さんご自身による「1000の風 1000のチェロ」という絵本でも出会うことができるのでしょうね。(この「1000の風 1000のチェロ」という絵本は阪神淡路大震災の復興支援のチャリティコンサートを描いたものですが)
そして読み進めていると、伊勢英子さんの感受性の鋭さに何度もはっとさせられました。さすが芸術家。普通の人ならそのまま通り過ぎてしまいそうなところも敏感に受け止めています。この感受性があればこそ、「絵描き」として長い年月を過ごしていけるのでしょう。結婚して家庭を持ち、2人の子の母親になっても、伊勢英子さんはあくまでも伊勢英子さんでしかあり続けられないのでしょうね。お金の管理を始め現実的なことに弱いという伊勢さん。夫と2人の子供を置いていくことで、実家のお母様に相当非難されたようですが(ここで「ののしる」という言葉が使われていたのが衝撃的でした)、それでも行かずにはいられない、そんな誤魔化しようもない思いがこの本を通じて溢れ出してくるようです。手作りの旅なので、途中で思わぬ回り道をすることもありますし、時には失敗することもあります。しかしその一歩一歩が大きく光っていますし、旅先で出会う人1人1人がとても印象的。特にクレモナでのマエストロとの出会いには驚きましたが、それ以外の人々もそれぞれにくっきりと鮮やかです。


「マキちゃんの絵にっき」中公文庫(2008年1月読了)★★★

マキちゃんはおとうさんとおかあさん、1つ年上のおねえちゃんのマエちゃんと4人家族。横浜にはやさしいおじいちゃんとおばあちゃんがいて、保育園にはおともだちがいっぱい。でもマキちゃんは、おなかのいちばんでっぱったところよりすこし上のあたりに、ときどき、そうっと風がふいているような気がすることがあるのです。

野間児童文学新人賞受賞作。
伊勢英子さん自身による挿絵がたっぷり詰まったエッセイ集。お仕事が忙しいお父さんとお母さん、お姉ちゃんのマエちゃん、やさしい保育園の先生たちといった周囲の人々が、保育園に通うマキちゃんの視点から描かれています。お母さんともっと一緒にいたい、遊んで欲しい、というマキちゃんの子供らしい素直な気持ちと、それでもお母さんの忙しさを理解していて引き際を心得ているところがとても不憫ながらも可愛らしいですし、マキちゃんの寂しさをしっかり感じていて、マキちゃんに悪いなと思いつつも、忙しい時にマキちゃんがぐずぐずしてると不機嫌になり、おねしょをしていると怒り、ついつい寝る前の絵本を省略して絵を描く仕事に没頭してしまう伊勢英子さんご自身の姿が透けて見えてきます。子供のことは愛していても、やはり自分のペースでしかいられないのでしょうね。とてもよく分かる気がします。マキちゃんの本当の気持ちはマキちゃん自身に聞いてみないと分かりませんが… とても暖かい本です。


「ぶう」中公文庫(2008年1月読了)★★★

伊勢英子さんの家にいるのは、シベリアンハスキーのグレイと、プレイリードッグの「ぶう」。「ぶう」の可笑しくも可愛らしいしぐさや行動を見ているだけで幸せになれそうな、「ぶう」の観察日記。

リスの仲間のプレイリードッグは、ペスト、野兎病などの感染症を媒介するとして現在は輸入禁止となっているそうですが、体長30cmぐらいの薄茶色をした可愛い動物。そのプレイリードッグのぶうのイラストがこれでもかというほど収められていて、本というよりも絵本やエッセイマンガに近い感覚です。そしてその絵の1つ1つがぶうの一瞬一瞬の表情を見事にとらえていて、そこからぶうの可愛らしさが伝わってきて、いかにぶうが伊勢家で可愛がられていたか、毎日の様子を見守られていたかが分かるよう。そして単に「可愛い可愛い」だけでなく、生き物につきものである「死」をも直視させるところが、伊勢英子さんの本の特徴なのかもしれませんね。


「グレイがまってるから」中公文庫(2007年12月読了)★★★★★

引越しと旅が趣味の絵描きは、建築家と大M、小Mの4人暮らし。家を変えるたびに家の中を自分の好みの色で塗り替える絵描きの今度の家は、床のじゅうたんも壁も家具もカーテンもクッションも全てブルーグレー。そして友人の家にハスキーの子犬が生まれたと聞いた絵描き一家は、ブルーグレーの部屋や庭にハスキー犬がいる様子を想像してうっとりし、離乳がすむ頃にひきとりに行く約束をします。そしてやって来たのが、体全体が銀白色で鼻も瞳も真っ黒な「グレイ」でした。

絵描きの伊勢英子さんの家にやってきた、ハスキー犬のグレイにまつわるエッセイ。家族の一員となったグレイと、伊勢さん一家の奮闘の1年間の物語となっています。エッセイは伊勢さんの視点になったり、グレイの視点になったりし、合間に伊勢さんによる暖かいスケッチがふんだんに挟まれて、とても贅沢な1冊。産経児童出版賞受賞作品。
以前うちにいた犬もまるでしつけがなっていない犬だったこともあり、グレイのエピソードがどれもとても身近に感じられました。伊勢一家のように「夜犬ヲ鳴カサナイデクダサイ。メイワクシマス」「犬ヲサッソクアリガトウ。コレカラモヨロシク」などという手紙を受け取ったことはないけれど、毎朝早くに、犬が散歩に行きたくて鳴き始めたらすぐに起きなければいけないし、夜寂しくて鳴き始めたら慰めに行ったことも何度もあります。犬を飼うというのはとても手がかかるし大変なこと。それでも一度飼い始めたら命の最後まで真っ当しなければならないですし、実際には単に「大変」以上に沢山の嬉しく幸せな思いができるものです。この本でも淡々と日々の出来事を綴っているようでいて、やはりグレイと一緒にいられた幸せが一杯詰まっていて、それがとてもかけがえのないものだったというのがしみじみと伝わってきます。
文庫化に際して、最後の「そして四年…」が書き下ろされたのだそうです。しかしこれだけ雰囲気がまるで違うのですね。それまでの明るくほのぼのとした雰囲気が一気に壊されてしまったようで、少し残念。これは本当にこの本に入れる必要があったのでしょうか? ここまでのグレイが元気いっぱいだっただけに、まるでネタばれのように感じられてしまうのですが…。「気分はおすわりの日」「グレイのしっぽ」が続編としてあるようなのですが、そちらに入れてはいけなかったのでしょうか。


「気分はおすわりの日」中公文庫(2007年12月読了)★★★★

それまで元気だったグレイが、散歩の帰り道に突然ドッグフードを原型のまま吐き、それから何度も吐くように。そして「グレイがまってるから」の見本ができたその日、グレイは突然泡を吹いて手足を痙攣させ、硬直して倒れたのです。それはてんかんの発作。なんとか息を吹き返すものの、それから3週間周期で発作を起こすように…。

「グレイがまっているから」では元気いっぱいだったグレイですが、こちらの本では具合が悪くなったエピソードがいっぱい。人間と違って苦しい時に苦しいと、そしてどんな風につらいのか言葉で言えない動物たち。特に大きな病気にならなくても、犬や猫といったペットたちは人間に比べて元々の寿命が短いので、飼い主は好むと好まざるに関わらず、そういった場面に直面することになります。動物を飼うというのは、命の重さを知るということなのでしょう。「グレイはまってやしない。グレイがまってるからなんていつも思って、いつも急いで帰ってきたけど、うちのグレイはまってなんかいない。ーーグレイをまっているのは私らしい」という伊勢さんの言葉がとても重いです。しかしそれだけに、伊勢さんの愛情もしっかりと感じられます。


「空のひきだし」理論社(2008年1月読了)★★★★

癌で亡くなったお父さんのこと、高校生となった2人の娘さんのこと、犬のグレイのこと。空のこと、風のこと、雲のこと、絵を描くこと、自分のこと。2年もの間、空の底に棲んで昨日と明日の境目で「空の断片」を切り取り続け、「その形や色をことばにおきかえて 空のあなをうめていった」という、いせひでこさんの日常を切り取ってスケッチしたようなエッセイ集。

このエッセイは、絵本「雲のてんらん会」とほぼ同時期に書かれたようですね。この2冊はセットで楽しむべき本なのかもしれません。2年間かけて「空の断片」を切り取っていったという言葉通り、それぞれのエッセイの章題は「はぐれ雲」「ひつじ雲」「ひこうき雲」「徒雲」「線状巻雲」「北海道の雲」「はぐれ雲II」「青い空」「湧く」「風」「彩雲」「トラフ<気圧の谷>」「フーガ」「光の闇」「雲母」「緑色の風」「たじろいだ雲」「はぐれ雲III」「空駈ける犬」「雷雲」「曼荼羅」「閑人」「幻日」「花信風」「小惑星」と雲や空を感じさせるものばかり。毎日の空に浮かぶ様々な雲にはそれぞれの物語があり、それらを集めたこの本もまた、まさに「雲のてんらん会」という言葉に相応しいもの。こうやって空の雲を言葉に置き換えていくことによって、伊勢さんご自身が様々な出来事を乗り越えるための静かながらも力強いパワーを生み出していたのでしょうね。
そしてこの本の表紙の絵は、「五月の歌」というタイトルの、真っ青な空の下で少年が一心にチェロを弾く絵。聖路加国際病院の小児科病棟にあるのだそうです。小児科にこんな夢が広がるような絵が飾られているだなんて素敵ですね。

「昨日と明日に境はなく
 それでも後ろをふりとばして
 歩いていく中で
 出会った雲や風や光。
 毎日かきかえられる空の地図。
 透明なはさみをもって
 空の底に棲む私。
 切りとられた「空の断片」は
 スケッチ帖からはみ出し
 ポケットからこぼれ出し
 行き先をさがしていた。
 ていねいにひろって
 そらのひきだしにしまった。」


「雲のてんらん会」講談社(2008年1月読了)★★★★★

夜明けから夕暮れまでの様々な時の、そして様々な色や形をした雲を集めた、まさに「雲のてんらん会」の絵本。

。伊勢英子さんが雲がお好きで、いつか雲の絵本を作りたい思ってらしたというのは、確か「グレイのしっぽ」で読んでいたのですが、それがこういう形になったのかという感慨があります。私も空を見上げるのは大好き。朝焼けに燃えている空も、お昼間の空にぽっかりと浮かぶ白い雲も、お天気の悪い日の今にも落ちてきそうなどんよりとした色の空も、そして夕闇の迫る空の微妙な色合いも。私の場合はどちらかというと、雲が好きというよりも空の色合いを追うのが好きなのだと思いますが…。そしてここに収められている雲や空の色は本当に様々。柳田邦男さんとの共著「はじまりの記憶」の中で、小学生の頃の伊勢さんが目に見えた通りの淡いピンク色の空の色を画用紙に写すことに熱中し、その挙句、教師からなぜ空が青くないのかと言われたというエピソードが蘇ります。
ここに収められた絵も、伊勢さんご自身が添えられた文章もとても美しいです。何時間でもぼーっと眺めていられそう。ただ、せっかくの文章なのに、フォントが合わないような気がしますね。もう少し柔らかい、たとえば雲のような風のようなイメージのフォントはなかったのでしょうか。フォントは同じでも、せめて太文字でなければ、まだ良かったと思うのですが。それだけが少し残念です。


「1000の風 1000のチェロ」偕成社(2008年1月読了)★★★★

新しくチェロ教室に入ってきた女の子は、ぼくよりもずっと難しい曲をペラペラと弾くのに、なんだか怒ってるみたい。でも帰り道に公園で声をかけられて、草 の上に座って一緒にチェロを弾き、大通りでチェロを持った人々が同じ方に歩いていくのを見て、一緒について行ってみることに。それは「だいしんさいふっこうしえんコンサート」のために練習にやって来た人たちでした。

伊勢英子さんご自身も参加したという、大震災復興支援コンサートのことをモチーフにした絵本。伊勢さんは大震災の2ヵ月後の3月、スケッチブックを片手に神戸を訪れたのだそうですが、結局何も描くことができないまま帰ることになったのだそう。絵本の最後のページにその時のことが書かれており、「はじめてスケッチ帖を白紙のままで帰った旅だった」とあります。「忘れてはいけない風景は 描けないのではなくて 描いてはいけないのかもしれない 描くことで 安心してしまうから 目と手が記憶してしまったあと どこかにしまい忘れることもあるから」。
この絵本に出てくる女の子は、震災の被災者。練習会場で出会い、一緒に練習することになるおじいさんも同様。おじいさんが弾いているのは、地震で亡くなった音楽仲間の形見のチェロ。そして「ぼく」もまた、丁度その頃飼っていた犬のグレイを亡くしています。毎日泣き暮らしていた「ぼく」にお父さんがグレイの代わりにと買ってくれたのがチェロ。3人はそれぞれに大きな喪失感を抱えているのです。
大震災から丁度13年。あの日の記憶は今も生々しく残っているし、こういった震災関係の作品を読むのは正直つらいものがあります。特におじいさんが地震を語るページの演出は、ショッキングと言えそうなほどドキリとさせられるもの。しかし哀しいながらもこの絵本に吹き渡るような緑の風が清々しく、しみじみと感じられるような作品ですね。


「絵描き」理論社(2007年12月読了)★★★★★

様々な場所を旅しては、心に残る様々な風景を切り取って、絵を描き続ける絵描きの物語。

これはおそらく旅が趣味で、しばしば旅に出ては絵を描くといういせひでこさんご自身のことを描いた絵本なのでしょうね。普段身の回りに「絵描き」やその類の人がいないので、こんな風に風景を切り取っていくのか、と感慨深いものがありました。読んでいると、自分もふらりと旅に出て、空や雲を眺め、風を感じてみたくなります。
「ルリユールおじさん」ほどには青は多用されておらず、表紙のイメージはむしろ黄色。ゴッホを思わせます。「絵描き」はもっぱら自然の中を旅しているので、緑や茶色といった色も多いのです。しかしそれでも昼や夜や夕暮れ時の様々な空の青、海の青など印象的な青色が沢山あり、青以外の色によって青が一層青が引き立ってるような気がするのは、「ルリユールおじさん」と同じですね。
強い憧れを絵本にした「ルリユールおじさん」とはまた違う意味で、いせひでこさんご自身が絵描きであるだけに心に迫ってくるものがある1冊です。


「ルリユールおじさん」理論社(2007年12月読了)★★★★★お気に入り

何度も読みすぎてばらばらになってしまった植物図鑑。本屋で新しいのを買ってもらえると聞いても、女の子はちっとも嬉しくありません。自分が持っているこの本を直して欲しいのです。そんな時、街のおばさんに教えてもらったのは、「ルリユールを探してごらん」という言葉。古い本を直してくれるというルリユールおじさんを探す女の子の物語。

いせひでこさんの水彩画で描かれた絵本。色使いがとても素敵で、特に青がとても綺麗。女の子の着ている青い服やおじさんの着ている群青色のセーターといった青い色が目を惹きますし、他の色の存在によって一層青が引き立ってるような気がします。そして私が一番惹かれるたのは、「ルリユールおじさん」の無骨で、木のこぶのような節くれだった「手」。昔から「職人の技」が大好きな私なのですが、ここに描かれているのは、その中でも憧れ度の特に高い「本作り」なのです。「ルリユール」というのは、フランス語で「製本屋」という意味。本を読むのももちろん好きですが、本そのものも大好きな私にとってはまさに憧れです。
私がバラバラになるほど読み込んだ本にも、「ルリユール」おじさんがいれば… と今更のように思ってしまいます。こんな風に大切な本を生き返らせてもらえたら、どれほど嬉しかったでしょう。そして「ルリユール」には、「もう一度つなげる」という意味もあるのだそう。「絵描き」の方にも、「きのうときょうはつながっている」という言葉がありました。昨日から今日へ、今日から明日へ。古い本を未来へ。時がゆったりと流れていくのが感じられるようです。

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