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このページは、井辻朱美さんの本の感想のページです。

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「魔法のほうき-ファンタジーの癒し」廣済堂出版(2006年10月読了)★★★★★
ファンタジー作品の中における空間や時間について、「場所の力」「時の輪の外へ」「魔法の思考」という3章で読み解いていく本。

井辻さんのファンタジー評論を読むのはこれで4冊目ですが、これが一番分かりやすく面白かったです。書かれた順番に読んでいるので、そう感じるのも当然かもしれませんが、これが一番論として整理されているように思いますね。コンパクトながらも中身は濃く、第27回日本児童文学学会賞受賞の前作「ファンタジーの魔法空間」に決して劣らないものに仕上がっているのではないでしょうか。初っ端から「大草原の小さな家」や「赤毛のアン」、名探偵ホームズがファンタジーと書いてあるのには驚きましたが、その作品が1つの立体的な世界を作り上げているのがファンタジーのファンタジーたる所以とあり、納得。
ファンタジー作品についての評論ですが、例えば「時の輪の外へ」の章では松下典子さんのノンフィクション作品「デジデリオ」、「魔法の思考」の章ではE.ジェンドリンという現代の心理学者が創始したフォーカシング心理学が取り上げられているのが、井辻さんの幅の広さを伺わせて興味深いところ。フォーカシング心理学におけるCAS(clearing a space)とは、自分のいる空間を改変することで、自分自身の中身も改変してしまうこと。それは例えば日常的にお気に入りのカフェに行くという行動もそうですし、イメージの中でも有効で、自分が気がかりに思っていることをイメージの中で並べ、そこから距離を置こうとイメージするだけでも、感じ方がかなり変わってくるのだそうです。そのイメージ操作のツールこそが、ファンタジーにおける魔法。その魔法に強い力を発揮させるためにも、意識を柔軟にして<現実=一枚岩>という感覚を溶かしてしまう必要があるのだとのこと。こうやって考えてみると、ファンタジーと一言で言っても実に奥が深いですね。こういったことを知った上でファンタジー作品を読めば、今まで気付かなかったことにも気付けそうです。

ファンタジーの基本モチーフ…成長物語→償いと救済のモチーフ
  1.解く側に犠牲が行われる…向こう(非日常・彼岸)へゆく話
  2.解く相手が人間以上の特別な存在…向こうから来る話
2の「向こうから来る話」では、謎の訪問者の正体を明かさないことが多い。時には不思議な体験を否定する。(メアリー・ポピンズ) それは極力日常を壊さないようにするため。しかしこの世からほんの半歩ばかり踏み出すことに癒しの力がある。この基本モチーフは、タイム・ファンタジーにも当てはまる。

P.7「ファンタジーのファンタジー性とは、魔法への言及にかかわる問題ではない、ということだけを言っておこう。ファンタジーとはなにより、<ひとつの(別)世界>になりたがる作品のことだ。」
P.9「つまりこういうことだ。アンにせよ、ローラにせよ、ホームズにせよ、ある物語が時代や国を超えて愛されると、テキストだけであることをやめて、<世界化>しようとする傾向があり、その<世界>の中身はなにもホンモノの周辺知識である必要はないということだ。」
P.135「『時の流れを(早回しで)見る』ことは、そのような愛を可能にする。姿(時間)を超えて、そのひとの魂を見抜くこと。」

「ファンタジ万華鏡(カレイドスコープ)」研究社(2006年11月読了)★★★★★
1990年後半頃に大きく様変わりしたファンタジーの世界。これは「ハリー・ポッター」ブームによってネオ・ファンタジー群が大流行したことによるもの。しかし新旧ファンタジーを比べてみると、新たに獲得されたものもある反面、かつてあった何かが失われているのです。かつてかなわざる夢を語るものであったファンタジーは、今や自由に現実と架空の世界を行き来し、「なんでもあり」の世界を見せ始め… という、新旧ファンタジーの境を論じていく本。

やはり面白かったのは、第1章「二つのネオ・ファンタジー」の章。これまでの井辻さんの評論にもハリー・ポッターは登場していましたが、このようにして「ネオ・ファンタジー」としての正面から動きを論じるのは初めてですね。今回ダイアナ・ウィン・ジョーンズの諸作品やハリー・ポッターシリーズといったネオ・ファンタジーを読み解くに当たり、井辻さんが注目したのは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品の持つ「奇妙に明るい平面性」と、ハリー・ポッターシリーズのダーズリー家の「ギャグマンガ的な二次元性」。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品は、自ら虚構であることを主張しているような奥行きの浅い背景の前で、登場人物たちが演技しているようなもの。俳優たちも分かって演じているので、何事が起きても常に落ち着いており深刻味が欠如し、それが人物の奥行きを浅くしています。ハリー・ポッターシリーズでは、ダーズリー一家だけでなく、三次元的に描かれているはずのホグワーツという異次元世界もまた「マンガ的フラット化」を免れてはいません。そしてどちらの世界でも、「指輪物語」や「ナルニア」といった古いファンタジー作品とは「身体」のイメージが大きく変化しており、複数の命があってリセットも効くというゲームのような感覚。
確かにその通りですね。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品のおもちゃ箱的感覚も楽しいとは思いつつ、ハリー・ポッターのホグワーツの魔法学校に満載の面白いアイディアに感心しつつ、どこか違和感を感じていたのは、やはり古いファンタジーの持つ、かなわざる夢や超えられない時間・空間に対する「痛み」がないからだったのでしょう。ファンタジー作品が現実にはあり得ないことを描いているからこそ、「何でもあり」にして欲しくはないと思うのですが、それは現実世界での人間がテクノロジーの進化によって、かつては夢でしかなかった「何でもあり」の状態を手にし始めているから。面白いと思いつつも、決して好きとは言えなかった部分が、理論整然と説明されてとても腑に落ちました。
女性や年少者という弱い存在がパワーゲームに参加するために、彼らを弱者たらしめている条件を巧妙に取り除き、仕掛けを施していると「十二国記」を論じた5章「ハイ・ファンタジーの企み」も面白かったです。いつもながら、井辻さんの評論には色々なことを気づかされます。
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